第29話 生きたい①

アムジャドと仲直りした翌日、私は足取り軽く、診療所に入った。

「おはようございます!」

テンションの高い私に、土井先生も津田先生も、驚いていた。

「なんだ?皇太子と何かいい事でもあったのか?」

「はい!」

私は元気よく答えた。

「なんだか、吹っ切れた感じだな。」

「そうですね。」

アムジャドとの事で悩むなんて、私らしくない。

アムジャドについていくって決めたんだもの。


ふと津田先生を見ると、がっかりしていた。

「津田先生……」

「気にしないで、千奈ちゃん。慣れているから。」

失恋に慣れてるなんて、津田先生も可哀相だな。

「すみません。」

「謝る事じゃないよ。」

津田先生は、私の肩をポンと叩いた。

「千奈ちゃんが幸せであれば、それでいいんだ。」

「はい。」


改めて思うけれど、津田先生っていい人だな。

私はしみじみ思った。


その時だった。

子供を抱えたお母さんが、診療所に飛び込んできた。

必死に、私に向かって何かを訴えている。

慌ててアリさんが、話を聞いた。

「チナ、子供ぐったりしている。汗もすごい。」

私は急いで、子供をベットに寝かせた。

タオルで脇の下を拭き、熱を測ると39℃を示した。

「まずは解熱剤と、水分補給。」

奥の薬の棚から持ってきた点滴を、私はその子に施した。

「これでまずは、様子を見ましょう。」

子供のお母さんは、心配そうに子供に寄り添った。


けれど本当の大変さは、ここからだった。

「チナ!こっちも同じだ!」

アリさんに言われ振り返ると、ぐったりとした子供を抱えたお義母さんが、列をなしていた。

「なんだ、なんだ?風邪の集団発生か?」

土井先生が、次から次へと聴診器で胸を診て、頭を振った。

「風邪特有の音が聞こえない。血液検査をしよう。」

「はい。」

私達は注射器を用意すると、子供達の腕から血液を採っていった。


「ジアーに、血液を運ぶんですか?」

「ああ。」

「私が持って行きます。」

「頼む。」

土井先生や津田先生から、採取した血液を貰うと、私は急いでお昼に出るジアーへのバスに乗った。

診療所の入り口には、まだ子供を抱えたお母さん達が群がっている。

私はそれを見つめた。

何が起こっているんだろう。


ぐったりしている子供。

熱はあるのに、風邪の症状はない。

私は何か恐ろしい病気が起こっているんじゃないかって、身体が震えてきた。

逸る気持ちを抑えながら、私は採決した試験管を、大事に持っていた。


1時間後、首都ジアーに着いて、私は病院まで走った。

「すみません。サハリで医師をしている者です。」

そう言うと奥から出て来た医師は、私の顔を見た。

「誰かと思ったら、いつぞやの女医さん。」

「あなたは……」

肺炎で亡くなった子を、看取ってくれたお医者さんだった。

「どうしたんだ?今度は。」

「サハリで原因不明の病気が起こっているんです。血液を採取してきました。調べて頂けますか?」

「分かった。調べてみよう。」


私達は、一番奥にある部屋へ行った。

そこは、質素な検査室だった。

ちょっと不安だったけれど、何もないよりはまだいい。

私は壁の側にある椅子に座って、結果を待った。

「うーん。」

でも先生は唸ってばかりだ。

「女医さん、すまない。ここでの設備では、原因が分からない。」

「そんな!」

ここに来れば、原因が突き止められると思ったのに。

「隣の国とかで検査はできないんですか?」

「うん。やってみるけれど、日にちがかかるよ。」

「日数がかかってもいいです。原因を知らないと、あの子達を救えないんです。」

「ああ。明日には、隣の国へ送ってみるよ。2,3日後にまた来てくれ。」

「はい。」

私はゆっくりと検査室を出た。

原因が分からない。

もしかして、難病?


病院に来た時よりも、もっと肩の荷が重い。

下を向いて歩いていると、目の前にバスの運転手が来てくれた。

「検査どうだった?」

私は首を横に振った。

「そうか。」

バスの運転手さんも、がっかりしている。

「俺の息子も、同じ病気なんだ。今妻が診療所に連れて行ってる。」

私は顔を上げた。

「早く原因が見つかって、一人でも多くの子供が助かればいいけれど。」

胸が痛かった。

私はまた、なす術もなく子供を見送る事になるのか。

私は頭を激しく振った。

「隣の国で検査してみるって、お医者さんが言ってた。2、3日後には分かるかもしれない。」

自分にもバスの運転手さんにも言い聞かせるように、強く言った。

そうよ。ここで諦めたら、何もならないじゃない。

「さて、サハリに一旦戻るか?」

「うん。」

検査の結果を教えてあげないと。

皆が待っている。

私とバスの運転手さんは、サハリ行きのバスに乗り込み、皆の元へと急いだ。


そしてまた1時間後、サハリに着いた私は、診療所で診療をしている土井先生と津田先生の元へ走った。

診療所に着いた私は愕然とした。

子供達が点滴をしたまま、ベッドには2,3人の子供が寝ていて、余った子供達は、床に寝かせられている。

母親達は一人もいない。

この異様な光景に、私は息を飲んだ。

「お帰り、千奈ちゃん。」

私に気づいてくれた津田先生は、子供の間を縫って、私を迎えてくれた。

「見ただろう。この有様だ。」

「ここに入り切らなかった子供達は?」

「隣の建物を借りている。お母さん達には帰ってもらった。伝染病かもしれないからね。」

「そうですか。」

「ところで、検査結果は?」

私は頭を横に振った。

「……分からなかったのか。」

「はい。でも、隣の国に血液を送って、検査して貰えるって言ってました。」

「そうか。希望はあるって事か。」

そして私はふと、土井先生がいない事に気づいた。


「土井先生は隣の建物ですか?」

「ああ。」

「今の話、伝えてきます。」

「千奈ちゃん。」

津田先生が、私の腕を掴んだ。

「ジアーまで往復して疲れただろう。ここで休んでいるといい。土井先生には、俺が伝えに行く。」

「はい。」

津田先生が診療所を出て、私は椅子に座った。

寝ている子供達から、荒い息遣いが聞こえる。

この子達は、静かに病気と闘っているんだ。


その時だった。

一人の子供が、涙目で私を見ていた。

「どうしたの?」

聞いても、微かな声で発せられた言葉が分からない。

私はそっと、その子の額に手を置いた。

その瞬間、その子はクシャミを一つした。

「大丈夫?」

聞いてもその子は、日本語が分からない。

ただひたすら、私の顔を見るだけだった。

私は何気に、その子の肺の音を聴診器で聞いた。

「これは……」

確かにスース―と音がする。

「ちょっと待っててね。」


私は診療所の隣の建物に、急いで行った。

「土井先生!」

「なんだ、騒がしい。」

「診療所に寝ている子供の一人が、風邪をひいているみたいなんです。」

「なに?」

土井先生は、私の隣を抜けると、診療所の中に入って行った。

「風邪をひいているのは、誰だ。」

「この子です。」

私は、涙目で訴えていた子供の肩に触れた。

土井先生は、その子の肺を音を聞くと、気難しい顔をした。

「確かに風邪だ。だが困ったぞ。下手に風邪薬を飲ませれば、まだ見つかっていない方の病気に、抗体を植え付ける事になるかもしれない。かと言って、ここにこのままいては、他の子供にも風邪が移る。」

「部屋の奥に、隔離しますか?」

「うーん。子供達は弱っている。隔離しただけでは、風邪は防げないかもしれんが、今はそんな贅沢言ってられないか。」

土井先生と私は、その子を薬が置いてある棚の前に寝かせた。


「今日は眠れないな。千奈、おまえさんは夜のバスで、宮殿に帰っていいぞ。」

「いいえ。私も残ります。」

「おまえさんまで倒れたらどうするんだ。」

「大丈夫です。体力には自信があります。」

そう言うと私は、近くにあった紙に、アムジャドへの言葉を書いた。


【今日は診療所に泊まります。

 心配しないでください。】


それを半分に折って、バスの運転手さんに渡した。

「これをアムジャドに。」

「分かりました。」

そしてアムジャドへの手紙を乗せたバスは、サハルを発った。

「私、あの子の側にいます。」

「ああ。くれぐれも感染しないように、気をつけるんだぞ。」

「はい。」

私は頷くと、一番奥に横になっているあの子の側に行った。

「名前は?」

聞いても、じっと私を見るだけの子供。

服装からして、男の子だ。

「頑張って。よくなったら、一緒に遊ぼうね。」

私は、その子供の腕を摩ってあげた。


それから2時間程経った頃だ。

「チナ様!」

どこかで聞いた事のある声に、私は診療所を出た。

「イマードさん!」

「そこにおいでですか。」

イマードさんは馬を降りると、私の側に来た。

「皇太子殿下からの言付けです。」

「アムジャドからの?」

イマードさんは私に一枚の紙をくれた。


【チナ。今日君を抱きしめる事ができないのは、残念で仕方ない。

 だが原因不明の病気がサハルで流行っている事も、今日ジアーの病院から聞いた。隣国にはできるだけ早くの要請を頼んでいる。チナも頑張れ!】


走り書きで書いたような、アムジャドの文字。

「アムジャド……」

それを見るだけで、温かい気持ちになれる。

「イマードさん。ありがとうございます。」

「いいえ。殿下が直々に行きたいと申すので、代わりに私が来たのです。」

私は思わず笑ってしまった。

アムジャドがここに来たいって言ったら、またテントごと来るのかしら。

「よく笑っていられますね。この非常事態に。」

「逆よ。笑ってないと、乗り越えられないのよ。」

私はイマードさんに、作り笑いを見せた。

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