第28話 初恋なの②
「こいつは風邪じゃないよ。」
「風邪だって。熱があるし。」
通訳のアリさんが、子供達の他愛無い話まで、必死に通訳してくれる。
「熱があるのは、気になるわね。体温計で熱計ってみましょうか。」
私はその子を診療所に入れて、体温計で熱を測ってみた。
ピピッと音が鳴って数字を見ても、熱があるとは思えない。
「うーん。熱はないなぁ。身体、熱いの?」
その子は、うんと頷いた。
「こういう時、どうすればいいんだろう。」
私は、土井先生に近づいた。
「土井先生、体温計で熱が無くても、本人が身体が熱いと言っている場合は、どうしますか?」
「チナならどうする?」
質問しているのに、質問で返された。
「……このまま様子を見てもらいます。」
「それでいいんじゃないか?」
「はい。」
私はその子の元に戻ると、今日は大人しく寝ていようねと教えた。
その子は頷いて、家に帰って行った。
「じゃあ、次の子!」
「はーい!」
元気よく手を挙げる中で、手を挙げない子供もいた。
よく見ると、はぁはぁと息使いが荒い。
「ごめんね。」
子供達の山を抜けて、その子を抱きかかえ、診療所のベッドに寝かせた。
「熱計ろうね。」
そして1分後、出た数字は平熱だった。
でもアリさんは、衝撃の事実を伝えた。
「チナ。この子、身体が熱いって言ってる。」
そして気づいた。
さっきの子と同じ症状だと。
「土井先生。」
「なんだ。」
「またです。平熱なのに、身体が熱いって言っている子。」
「なに?」
土井先生は、その子の額に手を当てた。
「少し熱いな。」
「でも体温計は、平熱で。」
「汗で低く出る時もあるんだ。」
続いて聴診器で、肺の音を聞く。
「風邪だと思う。いつもの風邪薬飲ませて、様子を見よう。」
「はい。」
さっきの子と言い、この子と言い、様子を見る事になった子供。
それなのに私は、言い知れない不安感に襲われていた。
その日の診療を終えて、バスで1時間。
私は宮殿に戻って来た。
「お帰り、チナ。」
「アムジャド。」
いつもとは違う、アムジャドの出迎えに、私は驚きを隠せなかった。
「どうしたの?今日は。仕事早く終わったの?」
「ああ。チナに早く会いたくてね。」
抱きしめてくれたアムジャドの温もりに、私は包まれた。
そして気が抜けたのか、はぁっとため息をついた。
「疲れているようだね。」
「うん。」
アムジャドは私を抱えると、部屋に向かった。
「今日は、私一人で歩けるわって、言わないんだな。」
「なんだか今日は、甘えたい気分なの。」
私はアムジャドの首元に、顔を埋めた。
「何があった?」
「……あのね。子供が身体が熱いって訴えてきたの。」
「それで?」
「体温計で測ったら、平熱。でも土井先生が言うには、汗で体温が低く出る事があるって。私、そう言うのも知らなくて。」
そして部屋に着き、アムジャドは私をベッドに寝かせた。
「そう言う経験を重ねて、一人前の医者になるんじゃないのか?」
「そうだけど、私の経験の代わりに、子供がまた亡くなってしまったら?命は一つなのよ?」
するとアムジャドは、はぁーっと大きなため息をついた。
「だったらチナは、どうしたいんだ。」
「えっ?」
私は急いで起き上がった。
「最近のチナは、笑顔が無くなった。」
「そう?……仕事の事で悩んでいるからかしら。」
「僕と一緒にいる時ぐらい、仕事の事を忘れられないのか。」
私とアムジャドは、見つめ合った。
「……できないわ。」
「チナ。」
「医者は、プライベートを犠牲にしてでも、患者の事を考えていなければならないの。あの患者には、どういう治療が最善なのか、常に考えなきゃいけないのよ。」
アムジャドは、悲しい顔をした。
「アムジャド?」
「チナの言う事は理解できる。でも、笑顔のないチナを見るのは辛い。僕と一緒にいても、幸せじゃないのかって。」
「そうじゃないわ!」
「誰だってそう思うだろう!」
重い空気が流れる。
アムジャドは、抱えた頭を激しく振った。
「もういい。僕はもう寝るよ。」
そう言って、本当に背中を向けて、寝てしまった。
アムジャドも疲れているんだ。
なのに彼に甘えて。
でも、どうしたらいいの?
無理に笑っても、亡くなった子供の顔がちらつく。
2度とあんな目に、皆を遭わせたくない。
私の目には、涙が流れた。
「今度は泣くのか。」
寝たはずのアムジャドが、ゆっくりと起き上がる。
「今夜は、自分の部屋で眠る。」
そう言ってアムジャドは、部屋を出て行こうとした。
「待って!アムジャド!」
伸ばした手は、彼によって振り払われた。
「たまには離れた方がいいかもしれない。」
そして扉はアムジャドを吸い込み、容赦なく音を立てて閉じてしまった。
「そんな……」
その晩の夜は、悲しみで一睡もできなかった。
翌日。大きな欠伸をした私に、津田先生が笑った。
「よく眠れなかったのかい?」
「実は……」
頬をピシャッと叩いた私の隣に、津田先生が座った。
「アムジャドと喧嘩でもしたの?」
私は返事をしなかった。
「なあ、千奈ちゃん。この国に来て、本当に幸せか?」
私は津田先生の方を見た。
「なんだかこの国に来てから、千奈ちゃんの笑顔が減った気がするよ。」
「それ、アムジャドにも言われました。」
悩むってそんなに悪い事なのかな。
「ちゃんと息抜きしてる?患者さんの事を考えるのは、医者の仕事だけど、それだけでは潰れてしまうよ?」
「はい……」
分かっている。分かっているけれども、何が今の最善なのか、私には分かっていない。
「千奈ちゃん。思い切って、俺のところに来いよ。」
私は津田先生の方を向いた。
「結婚しよう。俺が千奈ちゃんを、幸せにする。毎日笑顔にするよ。」
「先生……」
蘇る。先生と一緒にいた時間。
毎日のようにお弁当を作って、二人でベンチに座って食べて、笑い合っていたあの日。
「って、これで2回目か。千奈ちゃんにプロポーズするの。」
そう言って津田先生は、笑っていた。
アムジャドだって、仕事で悩んでいるかなのか、いつも疲れたような顔をしている。
私だって、仕事の事で悩んで、難しい顔をしていた。
二人で、笑顔が無くなっていた。
今の津田先生みたいに、どっちかが笑っていたら?
もう一方は励まされ、もう一方は癒されるだろう。
それに気づいた私の目からは、涙が流れていた。
「千奈ちゃん?」
「ごめんなさい。津田先生。私、先生とは結婚できない。」
私が、アムジャドを癒すべきだった。
笑顔でアムジャドを迎えるべきだった。
「もう一度、考え直してくれないか?現に今、アムジャドの事で、千奈ちゃん泣いてるじゃないか。」
「これは、自分がなんて馬鹿だったんだろうって。反省の涙です。」
私は涙を拭った。
「どうしてそこまで、アムジャドに拘るんだ。」
「えっ?」
「アムジャドは、千奈ちゃんがこんなに苦労している事、知っているのか?」
私は返事できなかった。
「俺だったら、苦労させない。同じ医者だ。千奈ちゃんの悩みも一緒に解決できる。」
今回の津田先生は、情熱的だ。
「……先生の言う通りだと思います。」
「だったら!」
「でも、アムジャドじゃないと、駄目なんです。」
そうなんだ。
アムジャドじゃないと、一緒に笑えない。
苦しみも悲しみも、分け合える事もできない。
「私にとってアムジャドは、初恋の人だから。」
「千奈ちゃん……」
「相談に乗って頂いて、ありがとうございました。アムジャドと仲直りしてみます。」
このまま別れるなんて、私は嫌だ。
またやり直したい。
アムジャドと、まだ一緒にいたい。
私は仕事が終わって、宮殿に帰ると、アムジャドが来るのを待っていた。
すると階段を昇ってくるアムジャドが見えた。
「アムジャド。」
「チナ……」
ゆっくりと私の元に来てくれるアムジャド。
「どうしたんだ?こんなところで、僕を待っているなんて。」
「だって今日は、ジャミレトさんの部屋に行く日だから。」
私は息を大きく吸った。
「昨日の夜は、ごめんなさい。私が悪かったわ。」
「いや、いいんだ。」
「ううん。アムジャドが疲れて帰って来た時に、私が笑顔で迎えてあげなきゃ、いけなかったのよ。」
するとアムジャドは、私を抱き寄せてくれた。
「あれから、僕も考えた。チナと同じ考えだ。僕がチナを笑顔にさせるべきだったんだ。」
そんな言葉を聞いて、私は笑ってしまった。
「私達、喧嘩しても同じ事考えていたのね。」
「ああ、そうみたいだ。」
そしてアムジャドは、私を見つめてくれた。
「チナだって仕事を持っているんだ。疲れて帰ってくるのは、お互い様だね。だからこそ二人でいる時は、笑顔でいよう。もちろん僕は誓うよ。チナと一緒にいると言う事は、チナの仕事も受け入れるって事だからね。」
「私も誓うわ。私がアムジャドの癒しになるように。」
互いの顔が近づいて、私達はキスを交わした。
それを見ていた女中達が、はぁっとため息をつく。
「お二人の仲睦まじい事。」
「本当に。愛し合っているのですね。」
私とアムジャドは、微笑んで見せた。
「さあ。分かったところで、ジャミレトには今夜は、遠慮してもらおう。」
「ええ?」
「今夜は、僕達が愛し合うんだからね。」
私はアムジャドの腕を掴んだ。
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