第3話 チェックしなければならないんですか
酒に酔いつぶれた過去を思い出して、頭を抱えながらもそれを振り切って、メタデータの入力を中心にした土曜日の授業もあっという間に終わった。日曜日は撮影許可や企画書の書き方の授業で締められ、あっけなく一日は過ぎた。
最後はプレゼンテーションの授業だ。
授業は二週に渡るものだった。
担当の先生は厳しい人だった。今までの先生は年を取った人が多く、パソコンの使い方すらおぼつかなかった。多少ミスをしても、優しくフォローしてくれたし、あくまで僕たちをお客さんのように扱ってくれた。撮影許可書の授業なんかはコピーアンドペーストをするだけで済むレベルだった。僕は授業の間に自分の使っていたマウスを撮影し、それがいつどこのなんのマウスで、どこで使われていて、誰が授業している時に撮影したのかを入力して保存した。それぐらいの余裕があった。
けれど、最後の授業の先生は、声の張りからして違った。背筋をピンと伸ばし、パソコン画面や教科書ではなく、受講者一人一人の顔を見て話した。保存の仕方について、「私が、受講番号、氏名、授業名の順番で提出してくださいと言ったのに守れていない。こんなんじゃデジタル・アーカイブ以前の問題です」と部屋中に響き渡る声で怒鳴った。おじさんやおばさんの受講者の中には、保存タイトルを適当にしてしまう人が多かった。自分の名前だけとか、授業名だけとか。みんな青ざめた。
「こんなんじゃ、何も一目で分からないじゃないですか。私がいちいちチェックしなければならないじゃないですか?」
先生は訴えるような口調で言い続けた。
「こういう細かいところからきっちりしておかないと、データベースが滅茶苦茶になって、あとで大きな問題になるんです。こういった最初の所は、人間がきっちり入力しなければだめなんです」と、説教はしばらく続いた。
普段は、私語のある教室も、静まりかえった。中学や高校時代の、怖い先生の授業風景を思い出した。生徒たちはみんな良い大人だったが、冷や冷やしていた。
先生は六十代で、白髪染めした黒髪をワックスでぺったりと横分けしていて、目がネコのように大きくて丸い。刃で切ったような深いほうれい線があって、笑うとシワの濃い影が顔中に出来た。
プレゼンテーションの意義を述べた後、「ではレファレンスの問題解決とそのプロセスについてプレゼンテーションをしていただきます。良い本があったので、その本に基づいて問題を出します。そこから、デジタルアーキビストとして、どういった考察ができるか、プレゼンしてください」と話した。プリントを一人一人に配っていく。
プリントを渡された道田さん、林さん、満寺君は、皆苦笑を浮かべたあと、難しい表情になった。
道田さんの問題は、「ピラミッドに『最近の若い者は……』と老人の愚痴が書いてあるという。これが本当かどうか調べよ。またその調査経過をプレゼンしなさい。またそこから考えられるアーカイブのあり方を結論として述べなさい」だった。
林さんには「『月々に』で始まり、月がたくさん出てくる和歌を調べなさい。また、そこから、デジタルアーキビストとしてのリテラシーについて述べなさい」。
満寺君には、「宮部みゆき作、うそつきらっぱという児童書を探しなさい。そこから、デジタルアーキビストとして注意すべきことについて、述べなさい」だった。
僕のところまで先生がやってきた。ドキドキしながら待っていると、プリントはすでに配り終えられており、先生の手には何もなかった。
「石威君だったね。君は図書館で司書をしていると聞きましたが」
「バイトですけど……してます」
「資格は?」
「司書資格は最近取得しました」
「うん、そうか。資格を取得したのは偉いよ。大学で?」
「だ……高卒なんで、通信で、取りました。大学の。科目履修で」
「ああ、そうか。それはもっと偉い。君のレポート、全部読んでますよ。優秀だね」
「あ、ありがとうございます」
先生の口からミントの匂いがした。ネクタイはきっちりしめられていて、ビジネスマンのように張りのあるグレーのスーツを着こなしていた。
「普段から、ああいう風に記録しているのかい? メタデータとデータベースの演習で、君の処理したデータの数と正確さはたいしたものだったよ」
僕は照れてうつむいた。
「あ、はい。その、スマホで、こう、いろんなものを写真に撮って、言葉をひっつけて記録にしていくの、いつもやってるんです。ここにくる途中の雪だるまとかに」
「ふうん……ほお」
先生もなぜか恥じらうような笑顔になった。口をすぼめて笑っていた。
「じゃ、こっちに来なさい」
先生は僕を手招きした。そして、教室から出ていく間際、受講生に、「ではまた来週に。パワーポイントデータをUSBに入れて持ってくること。同時に、私のアドレスに、授業の日の前日までにメールを送信しておくように。しっかりとプレゼンテーションの準備をお願いします」と告げて、席を立つタイミングがわからない僕を再度、手招きした。
先生の後ろについて歩く。教室は五階だったが、エレベーターで三階に移動し、誰もいない事務所を通り過ぎて、カードキーで開ける扉の前で立ち止まった。
先生は振り向いて言った。
「ここはね、アーカイブの本質があるところだよ」
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