第2話 水炊きに何を入れますか

 僕にとって彼は苦手なタイプの男の人だ。喧嘩をしたわけではなく、性格が合わないというほど深くつき合ってもいない。僕より年齢は少し上っぽくて、大学を卒業して、教員として働いていて、いつもカッターシャツとネクタイをビシッとキメている。僕は、勉強に来ているのに、わざわざネクタイをしている満寺君が気に入らなかった。

「普通、勉強しやすい疲れない服装で来るだろ……なんだよ、僕に見せつけているのか?」と、僕は満寺君のほうをできるだけ見ないようにしながら考えた。

 僕は満寺君と初めて会って、簡単に自己紹介しあった後、いきなり「大学は出たほうが良いよ」と、妙に上から目線でズケズケ言われたのを、ずっと引きずっていた。ほっといてくれよ、と思う。色白で背の低い僕と違い、日焼けして体格も良く、坊主頭で見下ろしてくる。声もハキハキしている。


 まもなく授業が始まった。前回受講した撮影の演習で保存した写真をデータベースに保存して、撮影日や名称、材質、テーマなどを入力していく。索引語を、歴史資料のシソーラスを参考に打ち込んでいく。情報を付け加えることでただの写真が正式な「記録」になっていく。正確に記述せねばならない倫理観が必要となるのだ。自分がこの写真にキーワードを付け加え、記入することによって、「記録」となり、誰もが閲覧できるものとなる。社会に貢献できるものになる。でも自分がやらなければ、誰も気がつかずに、「記録」に残らないで消えていく。大きなものを背負った責任感が、僕にとっては心地よかった。

 僕の前の席に座っている道田さんはオシャレひげを生やした恰幅の良い四十代の男性で、博物館で働いている。でかいことを話すのが好きで、「グーグルアース以上の精度で、日本全体を記録に取らないといけない。俺たちがそれをしなければならない」と豪語していた。

 同じく四十代で、図書館で働く女性の林さんは、北海度から通っている猛者だ。受講者らのまとめ役で、飲み会を仕切っていた。道田さんの話をうっとりと聞いている。

 先週の飲み会で、二人ともデジタル・アーカイブの未来について、居酒屋で熱く語っていた。

 もともと日本はすべてをかりそめの物と認識していて、だからこそどんな海外の文化も宗教も受け入れられた。外からのものを取り入れることができたのは、絶えず滅びる感覚がどこかにあるからだ……と、道田さんが熱く語り、林さんが「すごい、大学教授みたい」と褒め、それを満寺君が頭をポリポリ掻きながら鋭い目つきで、ニヤニヤしながら、結論のあたりでいきなり口をはさみ、話を全部持っていく。

「俺の考えではですね。日本こそ、一番デジタルアーキビストが求められている国だと思うんですよ。昔から今まで、どんどんと文化が流れ込んでくる場所です。正倉院に保管されている国際色豊かな品々を見ればわかります。外からやってくるものをアーカイブにして、アクセスしやすいサイトを作ること。これは日本の世界的使命であり、宿命です。これなんです。ここを記録に残す。これがデジタルアーカイブの本質なんですね」

「さすが満寺君」と、道田さんや林さんは彼を誉めた。僕はものすごい勢いで貧乏揺すりをしていた。隅のほうで、氷を多めにして薄めたライムチューハイを何杯もおかわりして飲んでいた。

 僕は彼らの議論に入ることができなかった。何か良いことを言っているようには思える。大きいことを語るのは良いけれども、それがどうしたんだ。雪を踏んだ足跡だけでも、その日のその時だけの雪の柔らかさを記せば、それで、二度とない貴重な記録だ。雪だるま一つだって、重要文化財にだって負けてないと僕は思っていた。僕のスマホを見るか? おまえらに、僕の気持ちなんてわかってたまるか!


 僕は上司の上月さんにメールを送った。一応、研修報告を兼ねてのつもりだ。

《居酒屋でみんなで飲んでますが、ぼっちです》

 すぐに返事が来た。

《なんやねん》

 相変わらず短すぎる。

《居酒屋のごはんがおいしくないです。家で水炊きがしたいです》

《水炊き、何入れるの?》

《牡蠣とかですかね》

《ふーん。キムチは入れないの?》

《それはもう水炊きじゃないです。昆布以外ありえないです》

《あんた、それ以外ありえないってなりがちなのよ。アーキビストに向いてないんじゃない?》

《話が飛び過ぎてわからないです》

 やりとりはそれで終わった。悔しくて再度メールを送る。

《上月さんは何をされてるんですか》

 ちょっと酔った勢いの踏み込んだメッセージだったかもしれない。

《うげ、きも。勉強しに行ってるんだから、飲み会なんかするな。今すぐ店を出ろ。酒飲むな。異常》

 最後の言葉は「以上」だろう。相変わらず言葉がきつい人だと思った。もう慣れたから、はいはいと思って、やりとりはやめた。

 でも、失言を送ってしまったのは確かだった。

 いつの間にか、酒がぐるぐると僕の頭の中をまわっていた。

 僕は大阪から、土曜の始発でJRに乗って岐阜に来て、ビジネスホテルで一泊して、日曜日も授業を受け、その日のうちに帰る。居酒屋帰りはふらふらになりながら受講者らに支えられて電車に乗せてもらって、どう帰ったか思い出せないけれど、目が覚めると実家のベッドの上だった。これが先週の出来事だった。思い出すだけで情けなくて頭を抱えてしまう。

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