第6話
「環さん、あの人ヤバいね」
私にそう言ってきたのは、古賀さんだった。夏の終わりに配置変更があって、私と古賀さんは同じチームになった。私は最初、自分が頼りないせいなのかと傷ついたが、その頃から大村さんはかなり頻繁に配置を動かすようになったので、すぐに気にならなくなった。毎日2回ある社員ミーティングの突っ込みが、日に日にキツくなってきており、正直2人でそれに臨めるのはありがたかった。古賀さんは堂々としたところがあって、大村さんの質問にも
「わからないです」
とはっきり答えた。古賀さん以外の人は、曖昧に誤魔化したり、的外れな答え方をして、ますます大村さんの餌食になった。古賀さんのように堂々と答えると、大村さんの方が一瞬ひるんだ。
「それじゃあ、どのようにしたら、わかるのですか?」
「この後調べて、報告します」
古賀さんは報告すると言ったが、そのことはミーティングが終わる頃には忘れられ、実際に報告がなされることはなかった。私が感心すると、
「心臓ばくばくだよ。正直、生きた心地がしない」
と額の汗を拭う仕草をした。私も同感だったし、おそらく他の社員も同じだろう。大村さんは声を荒げることはないが、その分冷たく、淡々と相手を追いつめた。その日の生産数が、計画よりも下回れば当然突っ込みが入るが、上回っても何が良かったのか明確に分析できてなければアウトだった。
「上回ったということは、作業者に余計な負荷をかけた可能性もあります。ケガをされたら長期的にはマイナスです」
確かに重い物を運んだり、ひどい汚れを落とすために力を込めたりするので、腰や手首を痛めて長期間休んだり、辞めてしまう作業者が何名か出ていた。大村さんも朝礼で「無理は絶対にしないでください」と何度も訴えかけていた。しかし生産数を上げなければ、滞留は減らないし、ミーティングの突っ込みも、下回ったときの突っ込みの方が断然厳しい。そうなると、間に挟まれた社員が、数を作らなければならなかった。私も古賀さんも、入ったばかりの作業者に洗浄方法を教えながら、必死に手を動かした。ミーティングで古賀さんに助けられている分、重い物はなるべく私が引き受けるようにした。
大村さんの態度がきつくなる一方で、鹿山課長は私たちに常に優しかった。鹿山さんの話では、相変わらず工場内の商品はあふれかえっているものの、全体の数は徐々に減ってきているとのことだった。目に見えないのは外部の倉庫に預けた分を引き取っているかららしい。ずっと1万を越えていた商品が、今月の途中から切り始めたらしい。正直数字を言われても全くピンとこなかった。
「生産能力としては、もう他の工場には負けていないです。あと一息です」
鹿山さんはそう言って、私たちを励ましてくれた。私は無意識のうちに大村さんを見たが、大村さんは完全に無表情で、何を考えているのかわからなかった。
「あれはね、課長と大村さんで役割を決めたんだと思う」
休憩時間のとき、古賀さんがそう教えてくれた。私たちは作業場の脇の机に、2人で並んで座っていた。同じチームなってから、生産数の集計などやってるうちに、休憩もそこでとるようになっていた。手を動かしていると大村さんに怒られるが、話をする分には平気だろう。
「役割、ですか?」
「アメとムチってやつだね。大村さんがムチで、課長がアメ」
「ムチムチなのは課長じゃなくて、ですか?」
「あー、はいはい。そういうのいいです」
「そういうのって意味あるんですかね?」
「さあね。課長に言われちゃったんじゃない? 大村さん優しすぎるもん」
それは私も感じているところであり、以前大村さんとも話した。大村さんはお願いするか、放置する、と言っていた。
「勘違いしないでね? わたしだって優しい大村さんのほうがいいよ。大村さん、わたしにもすごく良くしてくれるし」
「わかります」
「だけど、これで大丈夫かなあって思うときがあるの。わたしの前にいたところだと......」
古賀さんは、ここへ来る前は、地元のショッピングモールで働いていて、よくそのときの話をした。古賀さんは離婚して、子供が小さかったこともあり、パートタイムで働いていた。いちばんきつかったのは人間関係で、同僚からの嫌がらせは何度もあったそうだ。
「わかんないけど、やっぱり締めるところ締めてくれないと、変なことになっちゃうしね。あ、そうだ」
何かを思い出したかと思うと、古賀さんは声をひそめた。同時に私のほうへ顔を近づける。甘い香りがする。
「梅島のやつ、今度の更新ないらしいよ」
「え?」
私は思わず大きな声を出してしまった。10分間の3時休憩はもう終わりに近づいており、戻ってきていた作業者が驚いて私の方へ顔を向けた。古賀さんが私のポロシャツの袖を引っ張り、鋭い目で睨みつけてきた
「これ、絶対言わないでね? いい? 昨日本人から言われたの。梅島、更新ないって課長から言われたんだって」
私たちの契約は1年間であり、来月末に満期を迎えるところだった。契約なので切られない保証はなかったが、それでも以前私が契約の話をすると、大村さんは
「あれは会社の決まりであるだけです。自動更新だと思って問題ないです」
と笑っていた。
「それじゃあ、俺らもわかんないってことですか?」
「うん、確かにわからないけど。でも切るんなら昨日のうちに言うと思わない? 梅島だったら絶対に言いふらすだろうし」
古賀さんの言うとおり、梅島はノリが軽いので、言われたことを、黙ってられるわけがなかった。
工場がオープンしたとき、契約社員として雇われたのは、私と古賀さんと、この梅島だった。梅島は生産数を上げることばかりに執着し、商品の扱いが雑だった。パートや年下の作業者を下に見ることがあり、私に対しても、上から目線で話すことが多かった。私は早い段階から距離をとるようになっていた。契約更新がないというのも、まるで唐突な出来事というわけではなかった。
「それでね、梅島をやめさせてって言ったのが、環さんなんだって」
休憩時間は過ぎていたため、古賀さんは早口で伝えてきた。背後でコンプレッサーが動き出す音が鳴っている。
「え? マジですか? そんなことって」
「わかんないよ? だけど、そういう噂なの。環さんは梅島のチームでしょ? 大村さん、何度か環さんと休憩室に籠もってたんだって。何しゃべってたかはわかんないけど。だけど、環さんは、なんか、ヤバいよ。ヤバいっていうか、怖い」
古賀さんの言葉に、私は反射的に自分の行動を振り返っていた。環さんとは、事務所の前でウエハースをもらったことくらいで、それ以外はほとんど接点はない。しかし、通路ですれ違ったときは挨拶をするし、ちょっとした雑用を頼んだこともあった。あのとき環さんは、笑顔で引き受けてくれたが、内心どう思っていたかはわからない。
私の心配をよそに、その日の夕方に大村さんに呼び出され、私も古賀さんも契約の更新が伝えられた。賞与の条件が若干良くなっており、大村さんは嬉しそうに
「タチバナさんが頑張りに応えられて良かった」
と言ってた。確認したら、古賀さんも同じ条件だった。私はそれが、梅島を切った分の上乗せの気がして、素直に喜ぶことができなかった。
大村さんについて fktack @fktack
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