第26.5話 1/2の惑星

 二百年保てば奇跡だよ──初代中央神殿長、ハリル・アムトロンの言葉だ。

 ライカたちの祖先がこの星カイセスに植民を開始したのが百九十五年前。

 入植を開始した当初はあれほど盛んに行われていた入植周年記念祭も、当事者たちが星に還るのと平行して規模はどんどん縮小され、いまではカレンダーに祝日として印されている低度だ。


「五年毎のお祝いぐらいはやったほうがよいとは思うけれど、ね」

「ま、そういうのはエイヌとかの国でやればいいんじゃない? ウチじゃ毎年の立秋祭だけで予算手一杯でしょ?」

「言わないでよ、そういうことは」


イルミナとクレアが言葉を交わすのは、風の神殿から南西に向かった先、ちょうどファルス山脈の南端辺りにある「壁」。

 百九十五年前、この星カイセスに入植したのはライカたちの祖先だけではない。

 いまはマキエスと呼ばれる彼らとは、余計な争いを回避するために文化文明、人、物、金、ありとあらゆる交流を絶ち、それを確実なものとすべく「壁」を建造した。

 見た目だけならば、平均三〇〇メートルほどの間隔で並ぶ金属製の柱。その高さは約五十メートル。内部は「壁」を維持するための装置と作業員用の宿泊施設や娯楽施設などが詰め込まれている。


 ふたりはいま、その塔の屋上にいる。透明なドームで覆われた天井越しに見えるのは満天の星空。星座は入植当時に作成されたが、二百年近く経つもいまひとつ浸透していない。

 

「やっぱりああいうのって神話とかとセットになってないと、親しまれないのよね」


 星空を見上げながらクレアがつぶやく。


「確かあったはずよ。星座早見用といっしょにカイセスの星座にまつわる寓話集」

「そうだっけ? オリヴィアなら知ってそうね」


 ふいに出た名前に、クレア自身驚き、イルミナは少し目を伏せた。


「……あの子の素性には驚いたわ。まさか、ね」

「いちどにふたりも王族を指導するなんて、あたしでも初めてよ」

「オリヴィアさんは、どうするのかしらね」


 どう、とは彼女の進路だ。オリヴィアは入殿時の面接で神楽宮を志望していることを明言し、いまもそのために奮闘している。

 が、神楽宮への道は狭く険しい。オリヴィアのように志望して結局断念してきた者をふたりはこれまで何人も見てきた。

 オリヴィアの素質は目を見張るものがあるし、推薦文ならふたりとも喜んで書くが、それでもなにがどうなるかは断定できない。


「さあ? どれだけ難しくたって神楽宮には毎年新しい人が入ってる。でも王族のことなんて平民出のあたしは知らないし、考えたくもない。オリヴィアの場合は、平民の子とそれほど変わらないだろうけどさ」


 一旦区切って神殿のある後ろを振り返る。もうみんな眠っただろうか、それとも自主トレーニングをしているだろうか。それとも読書などの趣味にふけっているだろうか。

 教官をやるようになってから、より深くひとを愛せるようになったと思う。

 

「オリヴィアじゃなくってもさ、どっちにしても助けを求められたらいつでも手を貸せるようにしとかないと、ってだけよ、あたしたちにできることなんて。まあ、あの子が素直に助けを求めるかは別だけどね」


 そうね、と頷いて、視線を壁向こうへ向ける。

 マキエスとこの星カイセスを「壁」でちょうど半分になるように分割し、それぞれの文化文明をそれぞれに発展させていこう、と盟約を交わしはしたが、ライカたちの祖先はまるっきり信用していなかった。

 

「星なんて半分もあれば足りると思うんだけどね」

「人が人である以上、そして彼らが機械文明を棄てていない以上、目に入る全てを欲するのはむしろ種として当たり前よ」

「あ、そういう哀しいこと言うかな、仮にも神殿長サマが」


 意地の悪い笑みでイルミナの額をつつくと、薄く笑ってそっと肩を寄せて頭をクレアの肩に乗せてささやく。


「あなたといる時はただの風師かざし。就任するときにそう言ったはずよ」


 このぐらいで頬を染めるほど、ふたりの関係は浅くない。

 あほ、と指でクレアの頭をどかして、


「ったく。ライカもこれぐらい、他人に甘えられればいいんだけどね」


 クレアは冗談のつもりだったが、イルミナには深く刺さってしまった。

 神妙な面持ちで苦しそうに、


「……どれだけ手を尽くしても、あの子はわたしにも甘えようとしなかった。やっぱり、自分のお腹を、」

「うちのミューナは、すぐ甘えてくれた」


 遮られ、真正面から肩を掴まれて目をしっかり合わせて言われ、クレアは「う、うん」としか返せなかった。


「……愛されずに育ったライカが、あんたからの愛をちゃんと受け取ってるからこそ、あんたに甘えたくないんじゃないかな」

「どういう、こと?」

「ライカはあんたに保護されるまで独りだった。だから、あんたからの愛を持て余してる。愛されないことが普通だったから、誰かから愛されることに、たぶん、恐怖みたいなものを感じてるんじゃないかなって、あの子の組み手見ると感じる」


 師匠であるクレアからの評に、保護者のイルミナはしばし黙考する。


「ときどき、うらやましく思うわ。あなたたちのように、拳で語れるひとのことを」

「あー、あんた、くそ強いのにそういうとこだけ不器用なのよね」


 イルミナの生家、フォーゼンレイムは豪商として名を馳せている。彼女は跡取りにも政略結婚にも使えない十三番目の子として産まれ、貴族のたしなみとして入殿した。

 そんな彼女が修練生として暮らすうち、才能を開花させ、ほどなくして精霊たちと歌えるようになり、気がつけば史上最年少で風の神殿長に任命されていた。

 自分がどこかへ行ってしまうような不安から、イルミナはクレアに先ほどの言葉を告げたのだった。

 そんな親友にはっきりと言われ、唇を尖らせるイルミナ。


「年齢考えてやりなさいよ、そういう顔は」


 ぴし、とひたいを指で弾かれて、イルミナは照れ笑いを浮かべる。


「クレアとふたりでいると、昔に戻った気がするもの」

「それは、否定しないけどさ。……中身なんて全然変わらないのに、年齢だけ増えてくのって、やっぱどうかしてる」

「責任とお仕事の量ばかり増えて、からだがいくつあっても足りないものね」

「でもあたしはもうすぐ寿退社するから、あとは任せたわ」


 その言葉に、イルミナは心底驚き、目を丸くする。


「あら、ほんとうに受けるの? ディルマュラ殿下からの求婚」

「あの子にはまだ内緒だけどね。いちおう条件付けたから、それクリアしたら正式に受けるわ」

「へぇ。でも王妃様って大変らしいわよ。ルリもよく受けたと思うもの」


 同期でありディルマュラの母の名を出され、クレアはしまった、という顔をする。


「あ、そっか。ルリをお義母かあさまって呼ばないといけなくなるんだ」

「なにそれ。忘れてたの?」

「うん。……あーーーー、どうしよう、お嫁さんになるのはいいんだけど、皇太后としてならともかく、あいつを母親として敬うのは、あーーー……」

「ルリは気にしないと思うけど?」

「そうはいかないわよ。いくらエイヌでも、そういう対面的なことはしっかりしてるだろうし」


 そこでやっと現在のエイヌ王が誰であるかを思い出し、クレアは絶叫する。


「……そっかそうじゃん! アメルテがお義父とうさんになるんじゃん!」


 顔面蒼白。

 いまにも泣き出しそうなクレアに、イルミナは柔らかく微笑みかけ、


「でもアメルテとは同じ班だったわよね、確か」

「うん、あのふたりとも嫌いじゃない。闘ってて楽しい。でも義理でも親になるのは絶対に絶対にやだ! ……ねえいまからでも通い妻とかにならないかなぁ?」


 普段凜々しい親友がこんなにも狼狽しているというのに、イルミナはこの状況をむしろ面白がっているように感じる。


「どうかしらね。エイヌは一子相伝だから、殿下はいずれ王様になるわよね?」

「う、うん」

「それなのに、式典とかの公の場所で王妃様がいない、とか、実は通い妻とか、いい醜聞だと思うけどなぁ」

「もう~、面白がってるでしょあんた」

「うん。こんなクレア初めて見るもの」


 うふふ、と上品に微笑む姿は、クレアからすれば悪魔のようでもあり。


「いいもんいいもん。いじけてやるんだから」

「まあ、あと一年はあるのだから、じっくり考えてみたら?」


 そうだけどさ、と困り顔で返すと、急に困惑から抜け出したように視線を合わせ、


「え、あたし条件言ったっけ?」

「そんなの、風のウワサでいくらでも入ってくるわよ。ほんとみんなウワサ話好きなんだから」


 ほんとね、と苦笑して、深く長いため息を吐く。


「まあいいわ、もう。いくらでも敬ってやるわよ」

「それでこそよ。……ミューナはなんていうかしらね」


 さいごにひとこと、意地悪く言うイルミナを子猫がするように睨んで。


「もういいわ。あの子はライカとうまくやるでしょ」

「……、そう、ね」

「あんたこそさっさと親離れしなさいよ? ライカが甘えないのって案外そういうところかもよ」


 カウンターをもらって、うぅ、とうめくイルミナ。


「だってかわいいんだもん」

「そうやって中途半端に手綱握ってるから、あの子もどうしていいか判らないのよ」

「そんな、こと……」


 発破をかける意味もあって、クレアは品が無いと思いつつも詰め寄る。


「もういっそ抱いてもらったら? あの子、立派なの付いてるんでしょ?」

「抱っ?! だ、ダ、da、そんな、こと!」

「そうやって動揺するってことは、いちどぐらいは妄想したってことでしょ? いいじゃない別に。うちのミューナが正妻。あんたはお妾さん、で」


 実際、こちら側の性や婚姻に関する倫理は祖先たちとは大きく違う。移民船での航海時代は特に、子孫が絶えることの方が問題であったため、重婚は当たり前。条件はあるが、一親等、二親等でも婚姻や子を成すことが認められている。

 星に降りたあともその風習は続き、結果として家系図が複雑化したのはご愛敬。


「だいたいあんたたちの所も血縁はないんだし、大手を振って結婚できるじゃない」

「そ、そうだけど! そうじゃないの!」

「ふうん。ま、あたしはライカを指導しかしないからね。立秋祭やこの間の実習みたいなことはもう願い下げよ」


 ライカにはああ言ったが、ディルマュラやミューナとの試合を見守る間、イルミナの胸中は激しく不安が渦巻いていた。神殿長という立場がなければ、親莫迦の極みではあるが、試合に介入していた。

 行方不明になったときもそうだ。ふと気が緩めば、対策本部のドアノブに手をかけ、軌道エレベーターへ向かおうとしていた。

 それでも、あの子なら大丈夫、と自分に懸命に言い聞かせ、太ももを指で抓って堪えていた。そのことをライカ本人に伝えようとしたのに、結局はぐらかされてしまった。


「う、うん。どうにか、する」


 尻すぼみするイルミナに、クレアは不審そうな視線を向けるだけに留めた。


「な、なによその目は。わたしだって言うときは言うのよ」


 どうだか、とあしらい、ちらりと壁に表示されている時計を見やる。もうすぐ日付が、そして年が明ける時刻だ。

 ふたりは毎年、この「壁」へ来て年を越すのが習慣となっている。

 するりとイルミナの前へ。


「どっちにしても、取り返しのつかないことまでは無かったし、今年も一年お疲れ様でした」


 ふかくお辞儀をする。

 親友の唐突な挨拶に困惑しつつ、イルミナも居住まいを正す。


「あ、え、急に、そんな。えっと、はい。一年間助けてくれてありがとう。お疲れ様でした」


 彼女もふかくお辞儀をする。

 ほんのわずか先に頭を上げたのはイルミナなのは偶然ではない。

 ふう、と息を吐いてクレアはもう一度イルミナの横に。視線は「壁」向こう、マキエスの方へ。


「せめてあの子たちの卒業試練が終わるまでは、待って欲しいものね」

「ええ。ほんとうに」


 諜報部がもたらした情報を精査した結果、遅くともあと二年でマキエスは条約を破棄し、「壁」の突破を試みるという。

 ライカたちは確かに優秀だが、即戦力として使うつもりは毛頭無い。

 単純に、修練を中断したくないだけだ。

 鉄は熱いうちに打て、の言葉通り、伸び盛りの時期に修練を積んでおかないと後の成長にも影響する。

 それだけだ。

 くるりと振り返り、イルミナははっきりと言う。


「でも、いまだけは平和な新年を祝いましょう」


 イルミナの微笑みに、クレアは頷いて答えた。



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1/2惑星カルテット ~乙女は精霊たちと舞闘する~ 月川 ふ黒ウ @kaerumk3

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