コヴェナント・ディスカッション
湫川 仰角
コヴェナント・ディスカッション
結局のところ、生き残ったのは保菌者だけだ。
どれほどの年月を経ようと、その事実は否応なく人々に想起される。
『おはようございます、6時30分です。今日はいい天気ですよ』
感情豊かな合成音声が、いつも通りの目覚ましを告げた。
『気温17℃、湿度58%、体温36度2分、脈拍60
カーテンを開け、欠伸をひとつ。AIの言う通り、今日は良い天気だった。
『保菌検知開始、潜在病態の同定開始、
顔を洗い、学生服に着替え、軽く化粧をする。
『インフルエンザa型、COVID-19、他二種の病原体がアクティブ。ディスカッションを開始。提供された抗薬は取り出し口より全てお取りください。なお––』
アナウンスを最後まで聞かず、布井ユノは自室の扉を閉めた。
「おはようユノ」
リビングへ行くと、母親が朝食の準備をしていた。
「おはよー」
「今朝は何が出てた?」
「インフルエンザと……何か、知らないやつ」
「何型インフルエンザ?」
「a型……いや、bだったかな」
「一応聞いとかなきゃダメ。ちゃんと薬飲んでね」
「んー」
ユノは生返事をしながら、四人掛けダイニングテーブルの隣、壁際に置かれた一畳程もある機械の前に立った。機械の左半分には大きなクリアタンクが取り付けられている。中身はほとんど空だ。その右側、プリンターにも似た乳白色の筐体には、
「お母さん、薬剤スープ無くなってきてるよ」
「うん、今日病院で貰ってくる予定だから。ユノの分出る?」
暫く待っていると、大きさの異なる溶液入りカプセルが十個––朝夕の二回分––がコロコロと受け取り口に出てきた。ユノはそれを専用のケースに分け入れ、鞄に放り込む。
「出てきたー」
「よかった。朝ごはんもうすぐ出来るよ」
「いらない。今日挨拶当番だからもう行かなきゃだし」
「お味噌汁くらい飲んだら?」
「時間ない」
「もっと早く起きないと」
「じゃあいってきまーす」
「あっ、ユノ、薬だけ飲んでいきなさい!」
鞄を掴み、小言から逃げるように玄関へ向かったユノに母親が慌てて声をかけた。
「おっと、そうだった」
慌てて台所まで戻ってきたユノは、仕舞ったばかりの薬ケースからカプセルを五個取り出し、水で飲み込む。
「気をつけてね」
「うん。いってきます」
『服用は、用法用量を正しく守ってください』
玄関口を出る直前、定型文を述べる合成音声が聞こえた。
「おはようございますー」
「おはよー」
「薬飲み忘れた人はいませんかー」
「おはようございまーす」
間延びした挨拶にユノの声が混じる。数人の当番が校門前に立ち、登校する生徒へ行う挨拶運動はユノが所属する風紀委員の仕事だった。
「おはよユノ」
そこへ今しがた登校した、同じクラスのアサナが声をかけてきた。
「おはよーアサナ」
「朝からおつかれ」
「ほんとだよ」
「優等生は違うなー」
「風紀委員なだけだから」
「ユノは結構お堅いもんねー」
「……アサナ、今朝はちゃんと薬飲みましたか?」
意趣返しのように、ユノは委員の仕事を敬語で問いかけた。
「あー、それがさ」
「飲んでないの?」
「持って来るの忘れちゃって。ユノ、今a型インフルエンザの薬持ってない?」
「保健室で貰ってきて」
「保健室のはさぁ……なんか、ばっちい感じしない?」
「しないよ」
「いいじゃん、ね、ちょうだい?」
「でも……」
「大丈夫だって。夜の分は家に帰ればまた作れるんだから」
「しょうがないなぁ。たまたまその薬持ってるからいいけど」
「ありがと! じゃあまた教室でねー」
ユノから薬を受け取ると、アサナは水もなしにそのまま口へ放り込みヒラヒラと手を振りながら校舎へ入っていった。
「……たしか、a型だったと思う」
少々の心配はあったが、ユノはすぐに挨拶運動へ戻った。
昼休み中、生徒全員に一個ずつカプセルが配られた。
担任によれば、それにはCDオペレーター用の標識薬剤が入っており、世界保健機関による国際規模調査だという。今に始まった事ではなく、これまでにも何度か同じ経験がある。そのせいか生徒からの大きな疑問もなく、担任を含めた全員がカプセルを水やジュースで飲み下した。
「ユノ、ユノ」
その中で、斜め後ろの席に座るアサナが耳打ちしてきた。
「何?」
「これ、飲まなくて大丈夫じゃない?」
「何言ってんの、ダメに決まってるでしょ!」
「だってただの調査だよ。前にもあったし、別にいいんじゃない?」
確かに、以前カプセルが配られた時、その調査結果とやらは当たり障りのない健康指標が示されただけだった。
「堅いユノもさ、たまには冒険しないと」
調査に参加しないことが冒険になるのかは疑問だったが、このカプセルに何の意味があるのかはユノも釈然としていなかった。
そうして二人は、そのカプセルを飲まなかった。
「ただいまー」
「おかえり」
ユノが学校から帰ってくる頃には、夕飯の支度はほとんど整っていた。
「今日早いね」
「お父さん残業らしいから先に食べちゃおうと思って。手洗ってきてー」
「はーい」
「あ、ユノ。洗ったら薬剤スープ補充しといて」
テーブルの隣を見ると、CDオペレーターの前に20リットル用の給水タンクが置かれていた。中は薄紫色をしたミルク様の液体で満たされている。
ユノはそれを何とか持ち上げ、クリアタンクに全て注いでいく。この液体からすべての薬が合成される。国から支給されはするが、替えの効かないものだ。溢れることのないよう、慎重に注ぐ。
ツン、と消毒液のような刺激臭が鼻をついた。
「いただきます」
「いただきまーす」
夕飯を食べつつテレビのチャンネルを回すと、ニュースが飛び込んできた。
『新型感染症は世界的に流行する兆候がみられるとの世界保健機関の会見を受け、諮問委員会認可のもとで、政府はCD法の適用を決定。CDオペレーターによる新型感染症の接種ならびに抗薬の服用宣言を発令しました』
真剣な面持ちのキャスターは淡々と事実だけを述べていく。そこに緊張はあれど、不安や焦りは無い様子だった。
「これ、今日学校で出たでしょ」
「え?」
母親の問いは唐突で、ユノは咄嗟に理解できなかった。
「カプセルのこと。ちゃんと飲んだ?」
「え…………」
今日の昼に配られたカプセルのことに思い至る。
「ちょっと、まさか飲んでないの?」
「飲んだ、飲んだよ!」
母親の剣幕に押されて、あるいは自身の瑕疵を隠すようにユノは答えた。
「それならよかった。お母さんも職場で出されたから飲んだけどさ、もう少し説明して欲しいよねー」
「そ、そうだよね」
「飲まない困った人もいるらしいけどね」
「……もしも飲んでなかったら、どうなるの」
「病原体の入ったカプセルなんだから、飲まなかったら何も起きないよ」
「それなら」
なぜ、とユノが問う前に母親は答えた。
「そういう無防備な人が罹るせいで感染が広がるの。薬剤耐性のない早い内から取り込んで、弱いまま飼い慣らすことが流行を防ぐ方法なのに」
「でも、感染したら危ないんじゃ」
「明日の朝には抗薬が合成されるから、発症前に飲めば問題ないのよ。でもそのせいで薬剤スープの補充が行列してて大変だったわー」
『自然感染によって新型感染症に罹患した際は、症状が深刻化する恐れがあります。そうなる前に、管理下での接種及び抗薬の服用をお願いします。尚、著しい逸脱があった場合、CD法により罰則が––』
ニュースキャスターは絶えず報道を続けていた。それから母親と何を話したのか、ユノはほとんど覚えていられなかった。
『エルシニア・ペスティス、他一種の病原体がアクティブ。ディスカッションを開始。また、政府宣言により新型感染症に係る病原体抗薬を合成します。提供された抗薬は取り出し口より全てお取りください』
翌朝、パッチが適用されたCDオペレーターは新たな抗薬を合成した。ユノは受け取り口に転がるカプセルを眺め、その意味を反芻した。
流行しそうな病原体を予め接種し、その活動を抑える抗薬を各人が一斉に飲むことでパンデミックを未然に防ぐ。
それは則ち、病態を表立たせない代わりに病原体を体内で生かし続けるということ。
殺し合わない共生の関係、人類があらゆる病原体と結んだ
体内という管理下に置かれた数多の病原体のうち、活性化しそうな病原体をAIが解析。対抗する薬剤と個人のバイタルを参照した
その日、アサナは学校に来なかった。
それを知ったユノは慌てて保健室に駆け込み、昨日配られたカプセルの予備を貰った。泡を食った様子のユノから事情を聞くと、保健室の養護教諭は酷くユノを叱った。
「今後は必ず接種すること。症状が出てからでは遅いのだからね」
「はい、すいません」
そう謝りつつ薬を飲むと、否応なく突きつけられる。
結局のところ、保菌者だけが生き残った。
『服用は、用法用量を正しく守ってください』
ユノが保健室から出る直前、聞きなれた合成音声が響いた。
コヴェナント・ディスカッション 湫川 仰角 @gyoukaku37do
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