六月、窓の外
藤崎 白楡
六月、窓の外
「位置について、用意――」
パァン、とピストルの音が響く。砂埃舞う茶色いグラウンド、湧き上がる悲鳴にも近い歓声。段々に立っていた彼らは少しずつ距離が分かれていって、速い者から内側に寄る。コーナーで差を付け、真っ直ぐと前を向いて。最近テレビで良く聞くあの曲を背に受け、風に逆らう様に。
私は、それを特等席から眺めていた。日差しの暴力に曝されない室内で、涼しい風が吹き抜ける窓から。灰掛かった簡素な服を着て、乱れた髪を手で梳きながら。
運動会は嫌いだった。運動なんて出来ないし、そもそも体力は無いし。練習だと称して朝早くに集まるよう言われるのも、うなじに容赦なく降り注ぐ日差しも。此方は一切頼んでいないのに「貴方たちの為に付き合っているのよ」と怒鳴る先生の声も、協力しろと机を叩く女子の泣き顔も、何もかもが嫌だった。それでも抜け出したり休むなんて行動は頭に無かったらしく、文句を言いながら体育着に着替えていた。そんなこんなで十二回、一度も休んだ事は無かったのは子供故の正義感か、授業じゃないからという安直な怠惰か。
火照った頬にはじっとりと汗が伝っているのだろう。砂埃が纏わり付く腕や脚は、風呂に入った時に滲みて痛いのだろう。それでも、彼らは叫んでいる。やってやれと立ち上がり、拳を振り上げている。ひとり、またひとりとゼッケンを付けた子にバトンが渡っていく。勝負も佳境といったところか。
あ、トップを走る子がバトンを落とした。青い鉢巻きが背後に迫る。バトンを拾う、咄嗟に逃げる。青も負けじと追いかける。追って追われて、両手を振って……白いテープを切ったのは、僅差で追い越した青だった。後を追う赤、緑、橙、それから……あ、と声を上げる。半周の差を付けられた黄色が勢いよく地面に倒れ込んだ。ああ、あれはかなり痛い……泣きたくなる様な焦りと小さな背中は、何処となくあの時の私と重なる。胸が痛んで、息が詰まって。それから、それから――
『大丈夫、頑張れ!!』
『落ち着いて、いけぇ――――!!』
ざざあ、と緑の葉が揺れる。眩しい日差しに浮かぶのは、あの時と同じ光景。立ち上がって、紅の滲む膝を払って、強く踏み出す一歩。いつも意地悪な彼奴の声が、反りの合わないあの子の声が、真っ直ぐ届いて背中を押す。風が運ぶ幾多の声には、色も学年も関係無くて。とっくに走り終えている同じ黄色の鉢巻きをした勝ち気な女の子が、隣に掛けよって肩を並べる。顔を見ながら、笑い掛けながら。一歩ずつ、確実に。
再び用意されたゴールテープを切る。崩れ落ちる少女を讃えるのは、鳴り止まない拍手の音だった。
――ああ、そんな事もあったな。風に髪を靡かせて、私は青い空を見上げる。過去に戻った所で、あの輪の中が楽しいとは思わないだろうけれど。今の私があの時のふて腐れた私に何かを言ったって、心意気は決して変わりやしないのだろうけれど。
体操着はもう小さくて着られない。ランドセルも制服も、もう何も、何処にも無い。爽やかな風が、分かりきった事を囁く様に頬を掠めた。
そんな、初夏の日だった。
六月、窓の外 藤崎 白楡 @whitelm__
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