禁忌の魔女編(仮)

Act.2-1 不穏~Baby~

神聖戦士ヘラクレス 禁忌の魔女編

Act.2-1 不穏~Baby~

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ここは神々や妖精が暮らす天界オリュンポス。そして、今は真夜中でそろそろ日を跨ごうとする頃、空高くに位置するそこは、白銀の光を放つ満月に明るく照らされている。




「フフフ、ここね……」




白銀の月光に呼応するように”白”を際立たせるオリュンポスの神殿の数々、その一角のとある部屋の前には重装備を施した兵士が二人立っていた。


「……今日も相変わらずだな。侵入者どころか、オリュンポスの者ですら近付こうとしない」


「それはそうだろう。”アレ”のことはオリュンポスでも神々と一部の階級しか知らない、いや知ってはならない”タブー”だからな。誰も近付かなくて当然だ」


2人の兵士は警備のため周囲に目を配りつつも、会話に使われるその声音はどこか飽きたような様子である。しばらく上辺だけの緊張感の中でポツポツとした会話が続いたが、兵士の1人がふと何かを思いついたように顔を上げた。


「……なあ、お前は”アレ”の中身について考えたことはあるか?」


「……何だ?どうしたんだ急に?」


「いや、別に。ただ、俺達は先代から昔話を聞かされ、『”アレ”を守れ』ってしか言われて来なかっただろう?今俺達が守っているものの正体は一体何なのか……、俺はあまり真剣に考えたことがないんだ」


もう1人の兵士は最初豆鉄砲食らったような顔をしていたが、話しかけてきた兵士の話を改めて整理すると少し考え込んだ。


「確かに、今じゃ神々ですら知り得ないあの中身だ。俺達の想像を超えるような何かが眠っているのか、それとも———」




コツ、コツ、コツ、コツ…………




「「……っ!!!」」


考え事に気を取られていた兵士達であったが、足音と共にこちらに近付いてくる何かの気配に気づいた。兵士達は先程とは打って変わり、緊張感を持って颯爽と身構える。


「ムッ、誰かそこにいるな!?」


「姿を現せ、一体何者だ!!」







「あなた達も……”絶望”してみない?」







「アテナ様!緊急事態です!!」


夜の静けさを破るような叫び声が、大きな扉を開く音と共に神殿に響き渡る。


「緊急事態……?一体何事だ?」


「例の”アレ”が……、何者かに盗まれました!!」


報告に来た兵士の言葉を聞き、今まで冷静な様子を保っていたアテナの表情がガラリと変わった。


「何!?保管部屋の前には警備がいたはずであろう!?」


「はい。しかし、部屋の前を警備していた兵士達が気を失って倒れていまして……。発見した者が急いで部屋の中を調べたところ、”アレ”がなくなっていたとのこと。”アレ”を繋いでいた鎖も、全て断ち切られた状態で……」


「倒れた兵士達の状態は?」


「命に別状はない模様。ただ……」


今までスラスラと出ていた兵士の言葉が途端に詰まってしまう。

兵士の様子に気づいたアテナは、そっとその表情を覗き込む。その兵士はまるで、何と言っていいか分からないと言うように少し戸惑いを見せていた。


「看護している者によると、彼らは変に弱音を吐いていたらしいのです。まるで、何か大きな恐怖に怯え、そして諦めているように……」


「…………」


やっと出てきた兵士の報告に、アテナは少し怪訝な表情を浮かべる。数多の戦いを指揮してきた女神でさえも、報告されたような症状を見たことも、況してや聞いたこともなかったのだ。


「とにかくだ。そのまま持ち出したということは、犯人はまだ”アレ”を開けてはいないはず。一刻も早く”アレ”を探し出し、無傷で取り戻さなければならぬ!早急に犯人を特定せよ!!」


「はっ!!!」


アテナの命令を受けると、兵士は敬礼をしてすぐさまアテナの部屋を飛び出していった。


(また新たな敵が……。しかし、何故”アレ”の存在を……?)


飛び出していった兵士の姿を見送ったアテナは、右手を口元に添えて一人考え込んだ。新たなる敵への危機感と疑問、それらは騒動によってどんどん騒がしくなる周囲と共に大きくなり、アテナの脳内を埋め尽くそうとしていた。

しかし、その時だった————


「アテナ。さっきの話、聞かせてもらったよ」


「其方は……!どうしてここに?」


一つの声がアテナの思考を遮り、そしてアテナはその声の主を見て目を見開いた。

驚くその一瞬の間もその声の主はアテナへと近付いていき、そしてアテナの目の前まで来ると胸に手を当てわざとらしく頭を下げる。


「アテナ。今回の件、僕にも手伝わせてほしい。盗まれたのが例の”アレ”だって聞いてね、久しぶりにウズウズしてきたんだ!」


「……全く、其方というヤツは……」


アテナは声の主の言葉と態度に呆れたように溜息を吐いたが、その口元には何故か柔らかい笑みが浮かんでいた。


「緊急事態だというのに相変わらずだな!分かった、よろしく頼むぞ!!」


「ああ!!」


アテナと声の主、2人は信頼し合うように堅い握手を、そして自信に満ちた笑みを交わした。







「———よしっ、やっとこれで1日が終わるわね!」


一方こちらは地上界。街から離れた場所に位置する館パルテノンの周囲は眩しい光に邪魔されることなく、ただ一つ冷たく優しい満月の光に照らされている。

この館の主であるミネルヴァは今日も学校の勉学に励み、伝令役としての仕事をし、そして館の家事をいつも通りこなしていた。全てが終わる頃にはもう日付が変わりそうな時間となり、普段であれば明日に備えてすぐ寝るところであるが、今日の彼女は違かった。


「もうこんな時間だけど、ちょっと本を読んでから寝よう……」


ミネルヴァは熱々の紅茶を淹れると、一冊の文庫本を手に取って大広間の椅子に腰掛けた。すると、紅茶の香りに誘われたのか、将又まだ寝ていないミネルヴァの様子が気になったのか、同じくこの館に住む妖精ルカとダフネがふよふよと近づいてきた。


「あれ?ミネルヴァ様、まだ起きていらっしゃったんですか?」


「ええ、まあね」


「ねえねえミネルヴァ様、何読むの?楽しい本?それとも怖い本?」


「フフフ、それは私もお楽しみ。碧に勧められてね、最近読み始めた小説なのよ!」


そう微笑んで答えたミネルヴァは早速本を読み始めようとした。

しかし、その時だった。まるで夜の暗闇を遮るように、突然眩い白い光が窓から差し込んできたのだった。


(ん?車でも通ったのか?こんな時間に珍しい……)


一瞬外の方へと目をやったものの、たまたま通りかかった車のライトが差し込んだと思ったミネルヴァは構わず読書を続ける。しかし、その光は一向に消えず、寧ろその強さを増していくばかり。そしていつの間にか、窓からは部屋一面を真っ白に覆うほどの強い光が差し込んでいた。


「っ!?何!?」


「「うわっ!?」」


背中越しでも分かるほどのその眩しい光に、ミネルヴァと妖精達は驚いて咄嗟に目を瞑る。目を瞑っている間もその光は強さを緩めず輝き続けていたが、しばらくすると日が沈むが如く徐々にその輝きを弱めていった。


「もう!こんな夜中に……安眠妨害だわ!!」


「…………」


ダフネがキーキー文句を言う傍ら、ミネルヴァは先程光が差し込んだ窓をジッと見つめていた。あまりにも強いその光に、ミネルヴァは明らかな違和感を覚えていたのだ。

自然現象ではないのは明らか。しかし、車のライトのような人工的な光だったとしてもあまりにも強すぎる。思考を巡らせるほど謎は深まるばかりだが、その正体を知りたいのなら直接見に行くしかない……、ミネルヴァは決心する。


「ルカ、ダフネ、ちょっと外の様子見てくるわね!」


「は、はい!ちょっと、ダフネ落ち着いて……!!」


ミネルヴァは妖精達に留守を頼むとサッと立ち上がり、謎の光の正体を確かめるべく急いで玄関から外へ飛び出た。




パルテノンを出てからミネルヴァは建物の周囲をぐるりと回って足元を確認してみたものの、特に不審なものは見当たらなかった。ここでないならばもっと遠くを探さなければ……、そう思ってミネルヴァはふと顔を上げる。すると、建物から少し離れた雑木林の方角が、月明かりに照らされた周囲よりも一段と明るくなっているのが見えた。雑木林を照らす光は眩い白……、間違いないとミネルヴァは確信する。


「……こっちか」


謎の光源を求め、ミネルヴァは雑木林に足を踏み入れた。雑木林の中を突き進む間にもその光は徐々にその強さを弱めていっており、ミネルヴァは逃すまいとその足を急がせる。

汚れなど気にせずに進み続け、道を見失うほどの奥地に入ろうとした寸前、遂にミネルヴァは謎の光源の元に辿り着いた。ミネルヴァは遠くから目を細め、その光源の形を掴もうとする。


(あれは……、籠?)


ミネルヴァが見たのは洋風の籠、いわゆるバスケットだった。

バスケットであれば中に本当の正体が隠されている……、ミネルヴァはゆっくりとそのバスケットに近づいていく。見つけた時には灯火程度の弱い光を放つだけであったバスケットも、ミネルヴァ側まで近づいた頃にはその光でさえもフッと消えてしまった。

光を失い、最早”普通”と化したバスケット。ミネルヴァはそれでも緊張感を失わず、覚悟を決めてその中を覗いた。


「……えっ?」


意外な正体に思わず唖然とした表情をするミネルヴァに、その正体は呑気に微笑みを浮かべた。





「ばあー、ぶーっ!!」




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「起立、さようなら!!」


「「さよーならーっ!!!」」


日が変わり、今は午後の4時を回る頃である。

大空勇輝は今日も学校に通い、授業を終え、そしてこれから部活に向かうところである。何の変哲もないいつも通りの日常である……はずだが、勇輝はとある違和感を覚えていた。


(あれ?そういえば、今日さやかの姿が見当たらなかったなあ……。休みかな?)


勇輝とは別クラスではあるものの、ちょっとした休み時間には何やかんやで顔を合わせるミネルヴァこと”峰元さやか”。しかし、今日は一回もその姿を見なかったのだ。

生徒が何かしらの事情で学校を休むのはごく普通のことであるが、勇輝は今までさやかが風邪などで休んだところを一度も見たことがない。それどころか、さやかは風邪如きで倒れるような人(フクロウ)じゃない。さやかが休むなんて忌引きのような、あるいはそれ以上の何か重大なことが起きたのではないか……?

そんなことを考え何となく気が気でない勇輝に、クラスメイトの成田純が声を掛けてきた。


「勇輝。もし時間あったら、今日一緒に新しくできたカフェに行かない?」


純の提案に勇輝は少々驚いた。今日は夕方まで部活があるので、それから行くにしろカフェで時間を潰していたら晩御飯に間に合わなくなってしまう……。


「カフェ?今日部活あるし、カフェなんて行ってたら帰り遅くなるんじゃ……」


「あっ、正しくは”雑貨屋”だね。カフェと併設の雑貨屋なんだけど、帰り道の途中にあるんだ。話によれば、結構珍しい本とか小物とか色々売ってるんだって。昆虫の標本とか鉱物も———」


「えっ、嘘!?行こう行こう!!」


先程までの躊躇は何処へやら、勇輝は純が喋り終わる前に返答した。勇輝は科学、特に生物を題材にしたグッズが大好きなのである。もちろん、純もそれを承知で提案したのだが……。


「勇輝、食い気味だよ……。でも、それなら決まりだね!じゃあ、早速部活に———」


「……あっ、純ちゃん!ごめん、先に行ってて!」


純が部活に向かおうと歩き出したと同時に、勇輝は何かを思い出して咄嗟に純を呼び止めた。


「俺さ、ちょっとさやかに連絡取りたいんだ」


「峰元さんに?何かあったの?」


「今日さやか学校で見てないから多分休みだと思うんだけど、さやかが休むなんて珍しいし体調崩してたら大変だし……。ちょっと心配なんだよ……」


勇輝は柔らかい表情でそう応えたものの、その顔にはどこか寂しそうな、そしてどこか落ち着かない様子も表れていた。いつもの明るい声色も、今は少し沈んでいるように聞こえた。

そんないつもとは違う勇輝の様子を見て、純はフッと微笑みながら呟いた。


「アハハ。勇輝って、本当に峰元さんのこと気遣ってるんだね」


「……えっ?」


「ううん、何でもない。じゃあ、僕先に行ってるよ」


そう言って純は、キョトンとした勇輝を背に1人で部活へと向かっていった。




勇輝は純と別れると、しばらく歩いて人気のない廊下まで移動した。

移動するまでの間、勇輝は先程の純の意味深な発言に首を傾げていた。しかし、今いる廊下の静けさで勇輝は我に返り、急いで制服のポケットからスマートフォンを取り出した。そして、さやかの電話番号をクリックすると、勇輝はすぐさまそのスマートフォンを耳に当てた。


「…………」


勇輝はしばらく沈黙を貫いたが、耳には呼び出しの音が鳴るばかりであった。心配といえどそろそろ諦めようと電話を切ろうとした瞬間、呼び出しの音が鳴り止むとともに画面に『00:00』の文字が表示された。勇輝は慌てて画面を耳に当て直す。


「あっ。もしもし、さやか?よかった、出てくれ———」


『勇輝!?悪いけど、急用じゃなければ後にしてくれる?』


安心からか調子がいつもより高めな勇輝の耳に、開口一番さやかの焦った様子の声が聞こえてきた。


「えっ?どうかしたの?」


『い、今忙しいから!もう切るわよ!』


「あっ、ちょっ……」


勇輝が慌てて何か言おうとした時には、既に一方的に電話が切られていた。さやかの勢いに押し負けただ呆然としている勇輝の耳には、ツー、ツーという無機質な音だけが流れていた。


(”忙しい”って……、オリュンポスと交信でもしてたのかな?でも、何かちょっとイラついてたような……)


さやかの様子がおかしいことを、勇輝は何となく察していた。さやかもといミネルヴァは、少し苛つくようなことがあっても露骨に機嫌が態度や声色に現れるようなことはほとんどない。

余程のことがあったのかもしれない……。そう思った勇輝であったが、それと同時に特段助けを求めることもなかったので敵に襲われている等のピンチという訳でもないということも感じ取った。


「……取り敢えず部活行こう」


頭の中のモヤモヤは晴れなかったが、勇輝は仕方なくトボトボと部活動場所へと向かっていった。




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「本当、何なのよ……」


さやかは勇輝からの電話を切ると、目の前に広がる悲惨な光景を前に大きな溜息を吐いた。

大広間を飾る豪華なアンティーク調の家具の数々が、その威厳を失ったかのようにバタバタと倒れ込んでいる。取り揃えていた美しい食器も粉々に割れ、その破片が床一面に散乱していた。

さやかだけでなくその場にいたルカとダフネの顔も青ざめていたが、そんな気まずい空気の中に無邪気な笑い声が響き渡った。


「キャッ、キャッ、エヘヘへ!!」


今どんな状況なのか理解していないのか、将又寧ろこの状況を面白がっているのか、昨晩拾った赤ん坊が満面の笑みを浮かべていた。本来純粋なはずの赤ん坊の笑い声が、こんな状況なので今のさやか達にはとても不気味なものに思えた。


(見た目はまだ赤ん坊なのに、これだけの超能力を持つとは……。一体、何者なんだ?)


さやかは赤ん坊を見つめながら、今に至るまでのことを思い返した。




「ミネルヴァ様、この赤ちゃんどうするんですか?」


「どうするも何も……」


「こういう時は、とりあえず警察に相談!それが確実!」


さやかはコクッと深く頷くと、自分のスマートフォンを取り出して”110”を押した。

さやかが真剣な表情で応答を待つ一方、ルカとダフネは赤ん坊を遠目にヒソヒソと会話を始めた。


「……”ケーサツ”?ルカ、”ケーサツ”って何?」


「”ケーサツ”ってのは、悪い人を捕まえる人達のことだよ……」


「ああ、”ポリ公”のことね!光起が言ってた!」


「……多分合ってるんだろうけど、なんか違うような……」


ダフネの滑稽な解答にハアッと溜息を吐くルカ。そんな会話をしている間に、今まで大人しくしていた赤ん坊に動きが見られた。

赤ん坊が小さな腕をゆっくりと上げると、その動きに釣られるように近くのテーブルに置かれていたティーカップがフヨフヨと宙に浮き始めたのだ。よくよく見てみると赤ん坊の身体とティーカップは鮮やかなピンク色のオーラを纏っており、2つの間に何かしらの力が働いているのは明確だった。


「わあ……。あの赤ちゃん、超能力使えるんだね」


「ホントだ〜!すっご〜い!」


妖精2人は小さな赤ん坊に秘められた力に驚き、興味津々にその様子に見入っていた。しかし、それも一瞬のうちで、目の前の光景を見てるうちに2人の表情はどんどん青ざめていった。


「ちょっ!?マズいマズい!!」


「ミネルヴァ様!こっち見て、早く!!」


今までさやかに配慮して静かにしていた2人であったが、流石にマズい状況だと察してさやかに向かって大声で訴え始めた。


「ちょっと、今電話するんだから静かにし———」


さやかは妖精2人の大声に少し苛立った様子で振り返ったが、さやかも視界に入った光景を見て固まってしまった。

予想外の状況に思考回路がショートし、さやかはしばらく何も言えずただ冷や汗をダラダラと流していたが、ちょうどその時、電話の向こうでガチャリという音が聞こえてさやかは我に返った。


「はい、こちら神山警察署です———」


「すすす、すみません!たった今解決しました!では失礼しますっ!!」


「えっ?は、はい……」


電話に出た警察官はさやかの勢いに押されてキョトンとした様子であったが、解決したのであればと余計な深掘りはせず、そのまま通話を終了した。

さやかが目を離したその間にも赤ん坊はさらに超能力を発揮し、普通の赤ん坊では到底動かせない広間のインテリアの数々までも宙に浮かせ始めたのだった。


「あっ!?ちょっと、やめなさい!!」


さやかが急いで止めに入ろうとしたが時既に遅し、赤ん坊は浮かせた物体を次々に振り回し始め、広間にはガシャーン、ドカーンと鼓膜を引き裂くような大きな音が響き渡った。




今までのことを思い出したさやかは、恐怖から身体を硬直させてただ呆然とするばかりであった。すると、さやかの様子を察したルカが横からそっと話しかけた。


「ミネルヴァ様、結局どうするんですか?このままパルテノンに置いたら、この建物自体もタダじゃ済みませんよ……」


「分かっているわ。ただ、普通の人間じゃないと分かった今、この子を野放しにしたら周囲がパニックになるわ……」


さやかとルカはしばらく考えたが、何もいい考えは思い浮かばない。かといって、恐ろしい超能力を持った赤ん坊を抱えて誰かに助けを求めにいくこともできなかった。

2人で頭を抱えながらうーんと唸り声を上げていると、話の輪から離れていたダフネが言葉を投げかけてきた。


「地上界がダメなら、オリュンポスに聞いてみればいいんじゃ……イダダダダダッ!!」


さやかはダフネの提案にハッと驚き振り返ると、いつの間にかダフネは赤ん坊と一緒におり、しかも赤ん坊に弄ばれるように両頬を横に伸ばされていた。


「確かに!アテナ様の知恵ならこの子の正体が分かるかもしれないわ!ありがとうダフネ、”三人寄れば文殊の知恵”とはこのことね!」


やっと解決の兆しが見え、さやかの表情がパッと顔が明るくなった。そして、早速女神アテナと交信するため、交信用の水晶玉を取りに広間を後にした。


「ヴェッ、ミネルヴァ様無視!?イダダッ、ルガ〜、ハヤグダスゲデ〜!!」


「ダ、ダフネしっかりして……あっ!?羽は掴んじゃダメ〜!!」




しばらくして、さやかが水晶玉を持って広間に戻ってきた。

煌びやかな装飾が施された台と共に水晶玉をテーブルの上に置くと、さやかは畏まるように立ち膝の姿勢をとる。いつもなら妖精2人もさやかと共に畏まるはずであるが、赤ん坊相手にすっかり疲弊し、水晶玉から離れた場所でゼエゼエと荒い息を立てながら座り込んでいた。

すると突然、水晶玉がパアッと光り出し、その光は次第にある形を作り始める。鎧兜を身に纏い大きな盾と長槍を携えた女性……、映し出されたその姿は女神アテナのものだった。


「アテナ様。突然の交信、どうかお許しを……」


『おお、ミネルヴァか。丁度良い、私も其方に話しておきたいことが……。ん?其方、その赤ん坊は……?』


アテナは少し不思議そうな表情でさやかを見た。恭しく立ち膝をするさやかの腕の中には、アテナが見たこともない赤ん坊がいたのだ。

いきなり赤ん坊のことを指摘されさやかは少しドキッしたが、それでも覚悟を決めさやかは口を開いた。


「じ、実は、この赤ん坊についてお話があるのです……」


そう言うと、さやかは赤ん坊が来てからのことを洗いざらい話した。謎の光と共に突如として現れたこと、小さながらも強力な超能力を持つこと、そして自分達では赤ん坊について全く見当がつかないことも……。


「———という訳で、この赤ん坊の正体について何か分からないものかと……」


『ふむ、話を聞く限りは確かに只者ではないな……』


さやかの話を一通り聞いたアテナは改めて赤ん坊をジッと見つめ、その視線に気付いたのか赤ん坊もアテナの方を見つめ返した。アテナは赤ん坊相手にも容赦無く鋭い視線を送るが、一方の赤ん坊はそんな緊張感もなく興味津々にアテナの姿を凝視していた。

しばらく沈黙の時が流れたが、ふとアテナが観念したかのようにフウッと溜息を吐いた。


『しかし、残念だが私も今見ただけではその赤ん坊の正体については分からぬ。もっと詳しく調べる必要があるな……。ミネルヴァ、少々時間をくれ。きっと有益な情報を手に入れてみせよう』


「アテナ様……!感謝申し上げます!!」


アテナの言葉を聞き、さやかはサッと頭を下げた。アテナからは見えないその顔は、感激と緊張で少々赤く染まっていた。


『……ところでミネルヴァ、その赤ん坊はこれからどうするのだ?世話が大変なのであれば、使者を派遣してその赤ん坊を引き取ろうか?』


「本当ですか……!それな、ら……」


さやかはすぐ答えようとしたが、ある考えが横切りその口は止まった。

本当は『YES』と言うつもりであった。ルカもダフネもさやか自身も、赤ん坊の世話の仕方を知らないのであるから。しかし、今抱えている赤ん坊は普通の赤ん坊ではない。もしこの強大な超能力がオリュンポスで暴走したら、そして、もしこの赤ん坊が自分も知らない敵だったら……。そう思い、さやかは考えを改め頭を下げる。


「……いえ。正体不明な以上、オリュンポスに送り込む訳にはいきませぬ。この赤ん坊を拾ったのは私、責任を持って面倒を見ます」


『……そうか、無理はせぬようにな』


俯くさやかにかけられた声音は淡々としたものだったが、彼女には届いていない女神の眼差しはどこか不安げな様子であった。

しばらくして、さやかは自分の話が長くなったことに気づきハッと顔を上げる。


「話が長くなってしまいました。アテナ様、それで『話しておきたいこと』とは……?」


『うむ。実は、こちらも今大変なことが起こっているんだ……』


アテナは再び真剣な表情を整え、周囲を緊迫させるような低い声で語り始めた。




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「うわあ……、すっげえ!標本とか鉱石とかいっぱい!!」


部活帰りの夕刻、勇輝と純は約束通りとある雑貨屋に足を運んでいた。

噂通り、その雑貨屋には昆虫標本や鉱石、さらには化石や実験用のガラス器具も売られており、科学好きの勇輝は目の前に並ぶ商品の数々に目を輝かせている。


「勇輝。僕あっちで本見てるから、何かあったら呼んでね」


「りょーかい!」


勇輝は本が並ぶエリアに移動する純を見送ると、再び目の前の商品に釘付けとなった。

飾られている商品を目で追っていると、今度は動物の模型が並ぶコーナーが見えた。そして、その隅の方には頭二つ分ほどの高さはあるであろうフクロウの模型が置かれていた。そのフクロウの身体は、どこかの誰かに似て白かった。


(ミネルヴァ様発見!……な〜んてね)


不意にそんなことを考え勇輝はボーッと模型を眺めていたが……、


「君、こういうの好きかい?」


その意識を引き戻すかのように突然背後から声をかけられた。


「ファッ!?」


釘付けになっているところに声をかけられ勇輝は驚いて振り返る。するとそこには、如何にも好青年という感じの男性がニコニコ顔で立っていた。よく見てみると男性の首にはネームタグがかけられており、勇輝はこの男性がお店の店員であることを理解する。


「あっ、はい!科学全般好きなんで、こういう雑貨とか小物で身近に感じられるのがいいなあって思ってつい……」


「ハハハ、気に入ってくれて嬉しいよ!他じゃあまり売ってない物とかたくさんあるから、気になるものがあれば何でも聞いてね!」


「は、はい!ありがとうございます!!」


緊張気味の勇輝に、男性店員は軽くウインクして去っていった。

先程まで商品に見入っていた勇輝であったが、不意に興味が移り先程の男性店員をチラッと見る。男性店員は客と思われる女性2人組と談笑しており、女性達は店員の顔を見て照れたように顔を赤らめている。そして、話が終わったかと思うと女性達は商品を手に取り、店員に誘導されるがままレジへと並んだ。女性達が手に取っている商品はどれも珍しく、如何にも高価そうなものばかりであった。


(あのお兄さん、イケメンだしすごい話上手だなあ。お客さんも上手く話に乗せられちゃってるし……)


勇輝は男性店員の接客に感心すると同時に、何となく漂う只者ではない雰囲気に少し圧倒されていた。しかしその時、また意識を引き戻すかの如く横から肩をポンポンと叩かれた。


「勇輝。僕買うもの買ったけど、何かいいの見つかった?」


振り返ると、手にビニール袋を下げた純が立っていた。どうやら純は先に買い物を終えていたようで、勇輝は待たせてはいけないと思い急いでレジに行こうとした……が、純が不意に勇輝を呼び止めた。


「ねえ。そっち見てたみたいだけど、何かあったの?」


純は勇輝が近くの棚ではなく、遠くの方を見ていることに気付いたのだ。突然そのことを指摘され、勇輝は焦る。


「あっ、ううん別に!買うものは決まってるから、ちょっと待ってて!」


勇輝は今まで商品ではなく店員に見入っていたことを悟られぬよう、慌てて欲しい商品を取ってレジの方へと向かっていった。







少し時間が経ち、空の色も夕日の”赤”よりも夜の”黒”の方が勝り始めていた。寄り道を終えた勇輝と純は、街灯に照らされた住宅街の道をゆっくりと歩いていた。


「あ〜、楽しかった〜!俺、ああいうマニアックな雑貨とか本、ちょっと値段は高いけど好きなんだよね〜!!」


「よかった、勇輝なら気に入ると思ったんだよ。また今度時間があったら行こうよ」


「そうだね!隣のカフェのメニューも美味しそうだったし、あんな空間で寛げるなんてきっと最高なんだろうなあ……。今度は隆ちゃんとかも誘って、みんなで何か食べようよ!」


「隆弘ならきっとOKしてくれるだろうよ。僕達剣道部の中では、一番食べることに目がないからね!」


「確かに!」


勇輝と純はお互いの顔を見るとクスッと笑い合い、そしてその笑い声は舗装された道に反響して普通の静けさとは違う妙な雰囲気を作り上げていた。

しかし、その時だった。何か大きな黒い影が、まるでこの雰囲気を切り裂くかのように2人の目の前を勢いよく横切った。


「うわっ、何だ……!?」


勇輝は突然のことに咄嗟に目を瞑り、タイミングを見計らって目を開ける。

人型のシルエットをした全身真っ黒な影……、目の前に現れた影の正体を見て勇輝は思わず目を丸くしてた。


(この姿は……、まさか、タイタン族の残党!?)


すぐに倒さなければ……そう思った勇輝は変身ブレスレットを翳そうとしたが、あることを思い出してその動きを止める。

勇輝の隣には自分の”戦士”としての正体を知らない純がいる。戦士のことは関係者以外に知られてはいけない決まり、このまま純の目の前では変身することはできない。敵を目の前にして焦りつつも、勇輝は咄嗟に考えを捻り出した。


「純ちゃん。何かヤバそうなのがいるから、別の道から帰ろう!」


純を連れてここから離れようと、勇輝は隣にいる純の方を向いて呼びかけた。しかし、勇輝の呼びかけに純は何の反応も示さない。それどころか、純はいきなり力が抜けたようにその場で尻餅をつき始めた。


「……純ちゃん?」


純の不審な行動に、勇輝は怪訝そうにその顔を覗く。すると、今まで尻餅をついたまま黙っていた純が、ボソッと消えるような声で呟いた。


「もう、ダメだよ……」


「えっ……、何弱気なこと言ってるんだよ!?ほら、早く立って!!」


勇輝は純の片腕を引っ張るがその腕はぐったりと脱力しており、本人も全然立ってくれる様子がない。それどころか……、


「アハハハ。僕、ここで終わりなんだ……」


純の両眼が光を失いどんどん濁っていくのが分かった。

今の状況が理解できず、勇輝は動揺しながら純と敵を交互に見た。その間にも純はどんどん力を失っていくが、幸いにも敵側はすぐに攻撃は加えずじっとこちら側を観察しているようだった。


(こ、こうなったら……)


今しかない……。そう思った勇輝は持っていた荷物を急いで下ろし、力なくぐったりとしている純を背負った。


「こ、ここは一旦退散!!!」


そして、勇輝は純を連れて一目散にその場から離れた。







「はあ、はあ……。ここまで来れば安全、か……」


幾ら力持ちとはいえ、同級生を背負いながら全速力で走った勇輝はゼエゼエと息を切らしていた。周囲に敵の気配がないことを確認すると、勇輝は純を降ろしてその身体を塀に立てかけた。


「純ちゃん、しっかりしなよ!純ちゃん!!」


「う、ううっ……」


勇輝は肩を叩きながら必死に純の名前を呼ぶ。純は最初こそなかなか反応は示さなかったものの、頭を押さえながら徐々に意識を取り戻していく。

そんなやりとりをしていると、遠くからこちらに迫ってくる人影が現れた。


「勇輝!」


「大空さん!」


その人影の正体は、勇輝の同級生であり、そして同じ戦士としての使命を持つ焔村譲治と水無月碧だった。勇輝は2人の登場にホッとしつつも驚きを隠せなかった。


「譲治!水無月さん!どうしてここが……?」


「『人間じゃない変なのがいる』って目撃情報が広がってるんだ。もしかしてと思って二人で様子を見に行こうと走ってたら、偶然……な」


「大空さん。それよりも成田さんグッタリしてますけど、一体何が……?」


「……分からない。その”変なの”を見た瞬間急に倒れちゃったんだけど、さっきよりは意識はありそうだよ」


勇輝、譲治、碧の3人は情報共有をし、現れた敵の存在に緊張感を募らせる。


「……あれ?僕は今まで何を……?」


すると、その間に純の意識が完全に戻り、目覚めた純は不思議そうにキョロキョロと周囲を見渡す。意識を取り戻した純を見て、勇輝の顔が不安な様子からパッと明るく変化する。


「純ちゃん、さっきいきなり力が抜けたように倒れたんだよ。その場にいたら危なかったから咄嗟にここまで運んだんだけど……、大丈夫?」


勇輝が純の顔を覗き込むと、純は申し訳なさそうな表情でコクッと頷いた。


「うん。今は大丈夫だけど……ごめん、何か足を引っ張っちゃったみたいで……」


「いいんだよ、気にしないで」


勇輝は笑顔でそう言うと、今度は譲治と碧の方を振り返る。その表情は、さっきとは打って変わり鋭く真剣なものになっていた。


「譲治、水無月さん」


勇輝の掛け声に2人はコクッと頷き、3人は純の目の前から勢いよく駆け出した。


「あっ。三人共、一体どこに行くんだい!?」


いきなりこの場を去ろうとする3人に、純は驚いて咄嗟に声をかける。すると、譲治と碧を先に行かせるように勇輝だけが止まり、純の方へ振り返った。


「俺達、まだやらなきゃいけないことがあるから!じゃあ純ちゃん、気をつけて!!」


「あっ、ちょっと!!」


純は勇輝を引き止めようとするも、勇輝はその制止をお構いなしに走り出していった。




————————————————————————————————————




「…………」


誰もいない静かな道に、先程の黒い影は一人ポツンと立っていた。

黒い影は特に暴れている様子はなく、周囲を確かめるようにじっくりと見渡している。そしてしばらくすると、人がいないことに飽きてしまったのか、黒い影は踵を返してこの場を去ろうとした。


「待てっ!!」


ちょうどその時、静寂の道に力強い声が響いた。黒い影が声の方へと振り向くと、その先に白いマントを翻した3人の人間が立っていた。


「輝く勇気の戦士、ソルジャーヘラクレス!!」


「同じく、燃え盛る情熱の戦士、ソルジャーテセウス!!」


「同じく、清らかなる慈愛の戦士、ソルジャーペルセウス!!」


ソルジャーヘラクレス、テセウス、そしてペルセウスの3人は挑むように名を名乗る。黒い影は突如現れたヘラクレス達を不思議そうに見つめていたが、やがて自身に勝負を仕掛けているのが分かると勢いよく飛び掛かってきた。


「っ!!」


ヘラクレスは影の攻撃を両腕で受け止めた。そして、この攻撃を皮切りにヘラクレスと影の凄まじい攻防戦が始まった。互いに一歩も譲らず、2人の拳や脚はまるで火花が散っていると錯覚してしまうほど激しくぶつかり合っていた。

敵の素早い動きに集中していたヘラクレスであったが、至近距離での攻防戦を繰り返しているうちにあることに気付いた。


(何か邪気は感じるけど、タイタン族の時とは違う。これは一体……?)


黒い影は長い髪を左右に束ねた女性の姿をしており、ヘラクレスは最初何の疑いもなくタイタン族の黒い人形だと思っていた。しかし、目と鼻の先にいる敵の邪気は、かつて感じたものとは全く異なっていたのだ。


「くっ……」


邪気に意識が逸れた瞬間、影の力強い拳が襲いかかった。ヘラクレスは咄嗟に防御するもその場凌ぎの体勢では分が悪いと判断し、技の反動を利用して後ろへと跳ぶ。影もそれに応じて軽やかな動きで後退し、まるで何事もなかったかのように悠々と佇んだ。


「ハアッ、ハアッ……」


距離を取った隙に、ヘラクレスは深呼吸をしながら周囲を見渡す。

タイタン族の者は破壊を好む。邪魔がいない間に好きなように暴れたかと思われたが、影を囲む風景は何故か破壊された形跡はなかった。ヘラクレスは確信する、目の前の影がかつての敵ではなく新たな敵であること……。


「今度はこっちの番だ!!パッションストリーム!!!」


「フローズン・ハートブレス!!!」


距離が離れたところも逃さず、テセウスとペルセウスは遠距離攻撃を繰り出した。


「…………」


しかし、炎と氷2つの力が一斉に迫る中でも影は一切の同様は見せなかった。アクロバティックな動きで次々と攻撃を躱していき、影の後を追っていた炎と氷は次第に勢力を弱め、最後にはスッと消えてしまった。


「チッ……。アイツ、動きが早すぎる……!」


敵のあまりの素早さ、そして攻撃を仕掛けられてもなお余裕そうな仕草に、テセウスとペルセウスの2人は苦い表情を見せる。

すると今度は、こちらの番だと言わんばかりに影が動きを見せた。


「っ!?何か来るぞ!!」


ヘラクレスは敵の動きに気付いたが遅かった。影は両手を前に構えると同時に、視界を遮るほどの暗黒の煙を一気に噴射したのだった。

1番敵との距離が近かったヘラクレスは逃げることもできず、その場で顔を防ぎ目を瞑った。しばらくの間煙が波のように押し寄せる感覚があったが、不思議なことにそれ以上特段何も起こらない。強いて言うならば、頭が少し朦朧としたくらいであった。


(……何だったんだ、今の?)


ヘラクレスは何が起こったのか分からないままそっと目を開けたが、それと同時に後ろからバタバタと倒れるような音が聞こえた。後方を見ると、テセウスとペルセウスが苦しそうに頭を抱えながら膝を落としていたのだ。


「テセウス!ペルセウス!大丈夫!?」


「「ううっ……」」


ヘラクレスは倒れ込む2人に声をかけるが、2人は呼びかけに応じる余裕もなく荒い呼吸を繰り返すばかりである。

先程まで万全の状態であった2人、ほんの一瞬の間に何が……?ヘラクレスは2人の容態が心配になり駆け寄ろうとしたが、敵は注意が逸れたその一瞬を見逃さなかった。


「ぐはっ……!?」


影はヘラクレスが後方を向いている隙に一気に近づき、まだ正面を向いたままの胴体を思い切り回し蹴りしたのだ。攻撃を諸に喰らったヘラクレスは、脚の回転に押し出されるように倒れた2人とは逆方向へと飛ばされてしまう。


「ぐっ、いった……」


腹部への衝撃に加え、地面に叩きつけられたことで背中にも強い痛みが走る。それでもヘラクレスは追撃を喰らわぬよう必死に身体を起こそうとし、やっとのことで上半身を起こした。


「うわっ!?」


しかしその瞬間、その努力も虚しくヘラクレスの身体は再び影によって倒された。仰向けになったヘラクレスの上に、影は四つん這いになるように覆いかぶさる。

ヘラクレスは苦しい表情をしつつも、意地でも抜け出そうと必死に身体を動かそうとする。しかし、上から影に固定された身体は、まるで両手両足が釘に刺されているかのように起き上がってくれない。


「くっ……」


ヘラクレスは目の前に映る影の顔を見る。影は一切の表情を見せていなかったが、下にいるヘラクレスに興味があるのか、自身の顔を目と鼻の先まで近づけじっくりと観察している様子であった。攻撃をされている訳ではないもののまるで舐められるような扱いに居た堪れなくなり、ヘラクレスは顔を横に逸らしてギュッと目を瞑るしかなかった。

すると、その時だった————


「ヘラクレスから離れなっ!!」


叫び声と共に、どこからか放たれた眩い閃光がヘラクレスの横を走った。閃光に気付いた影は身の危険を感じたのか、軽い身のこなしでヘラクレスの上から離れた。

重石がなくなったヘラクレスは咄嗟に起き上がり、視界に映った人物を見て目を丸くした。


「アキレス、オデュッセウス!!」


仲間の登場にヘラクレスは口角を上げるが、ヘラクレスを見るアキレスの顔は何故か口角を上げることなく、寧ろ厳しいままであった。


「おいっ、ヘラクレス!まだ終わっちゃいないよ!」


「おっと……!?」


安心し切っていたヘラクレスであったが、後ろから体勢を立て直した影が再び迫っていた。ヘラクレスはアキレスの様子からそのことに感付き、間一髪のところで攻撃を躱した。そしてそのまま、体勢を立て直すためアキレスとオデュッセウスの元に駆け寄った。


「あ、危なかった……」


「ったく。戦闘中だってのに、ボーッてすんなよ?」


アキレスが少々呆れながらも、ヘラクレスの無事を確認してホッと溜息を吐く。一方、オデュッセウスは敵の方をじっと観察している様子で、しばらくして何かを確信したかのように頷き両手を構えた。


「敵は素早いようだね……。僕に任せて! バイントラップ!!」


オデュッセウスが叫ぶと影の足下が緑色に光だし、そこから青々とした蔓が次々と伸び始めた。

影は蔓の存在に気付き、脚を捕られぬよう素早く移動する。しかし、影が移動した地点にも待ち構えるように緑の光が発生し始め、影はその度に光を発していない地点に移動を繰り返していた。

単調な移動の繰り返しに余裕を見せる黒い影は、離れ際に自身を捕らえることができなかった蔓を嘲るように見つめる。しかし、降り立とうとしている地点から目を離した影の様子を見て、オデュッセウスは不敵な笑みを浮かべた。


「予想通り!!」


オデュッセウスが呟いたその瞬間、地上に着いた影の脚が一瞬にして蔓の束に囚われた。影は信じられないといった様子で脚の拘束を解こうとするが、丈夫で太い蔓の束はさらに絡みついていく。

オデュッセウスの策通りであった。光の発生場所が増えるにつれて次の移動場所、そして次に移動するための体勢を立て直しやすい場所は限られてくる。オデュッセウスは影の動きの特徴から行動パターンを読み取り、そして移動する場所を制限して着々と追い込んでいたのだ。


「サンキュー、オデュッセウス!!後は一気に行かせてもらう!!」


ヘラクレスは仲間の作ったチャンスを逃すまいとし、両手を前に構え白く輝く宝剣『ハーキュリーズソード』を出現させた。ヘラクレスが剣を振り翳すと無数の白い光が鍔を伝って刃に纏い、天を貫かんばかりの巨大な白い刃を形成した。


「勇気の光よ、闇を切り裂け!!ハーキュリーズバスターッ!!!」


ヘラクレスの掛け声と共に剣が振り下ろされ、発射された巨大な刃は大地を割くように突き進んでいく。


「!!!」


逃げることも儘ならない影はヘラクレスの放った巨大な刃を正面から喰らい、その白い光と共に静かに消滅してしまった。







「へえ〜。煙を受けても平気だなんて、あの子、なかなか面白そうね……」


どこかも分からない暗闇の中、何者かの溜息混じりの独り言が響く。その人物の目の前には立派な金縁が施された巨大な鏡が立っており、その鏡面には影を倒したヘラクレスの様子が映し出されていた。


「ソルジャーヘラクレス、これから私をいっぱい楽しませてね……。ウフフ!!」


静かな暗闇の中に、上品さを残しつつもどこか裏のあるような高い声が響く。そして、戦いの様子を映し終えた鏡面には、艶かしくうっとりとした笑みが映っていた。




————————————————————————————————————




「…………」


日がすっかり沈み外は暗くなっている時間帯であったが、勇輝は今、帰宅することなくパルテノンの前に一人突っ立っていた。この建物の主であるさやか、つまりミネルヴァのことが気になって仕方なかったのだ。


(念のため来てみたものの、覗いて大丈夫かな……?)


勇輝はミネルヴァの機嫌を少し心配したが、ここまで来ては仕方ないと腹を括る。小窓から室内の淡い光が差し込む玄関の扉を、勇輝は奥まで聞こえるよう力強くノックする。しかし、しばらく間を置いても中から返事は来ない。

不審に思った勇輝は今度は扉のノブに手を掛ける。すると、手の力でノブはカチャッと音を立てながら下に沈み、扉には鍵がかかってないことが分かる。


(部屋の電気は付いてるし、玄関の鍵も空いてる。用心深いミネルヴァ様のことだし、中にはいるよな……)


これ以上待っても埒が明かない……、そう思った勇輝は手に掛けたノブを握りしめて思い切り扉を開けた。


「ミネルヴァ様〜!お邪魔しますよ……って」


扉を開けた瞬間飛び込んできた光景に、勇輝は思わず驚愕してしまった。


「なななっ、何じゃこりゃあああぁぁぁ!!??」


いつも綺麗にされているはずの大広間が、まるで強盗の被害にでもあったかのように———いや、それ以上に悲惨な現場と化していた。床には割れた食器やガラスの破片が所々に飛び散っており、大広間を彩るはずのインテリアも無惨に倒れてしまっている。


「ちょっ、これどうなってんだよ!?」


散乱する破片の海から辛うじて垣間見える僅かな床を掻い潜って、勇輝は広間の奥へと進む。何とかして中央のテーブルに辿り着いて手を付いたその時、建物の奥へと繋がるドアがゆっくりと開いた。勇輝がそちらに目をやると、そこには何やら溜息を吐き憔悴した様子のミネルヴァの姿があった。


「ミネルヴァ様!!」


「ゆ、勇輝!?何でここに……?」


自分を呼ぶ声と共に勇輝の姿を捉えたミネルヴァはハッと驚いた。


「”何で”って……、そりゃミネルヴァ様が心配で来たんですよ!学校にも来ないし電話でも焦ってたみたいだから、何か変なことでもあったんじゃないかって———」


やっと目的の人物を拝めた勇輝は、今度は破片なんてお構いなしにガチャガチャと音を立てながらミネルヴァがいるドアへと向かう。そのあまりにも真剣な表情に思わずタジタジになるミネルヴァに、勇輝が目と鼻の先まで詰め寄った、その時だった———




「ばぶぅ〜!!」




「……へっ?」


勇輝は自身の背後から突然聞こえてきた声に思わず唖然としてしまう。

今目の前にいるミネルヴァでもない、はたまたこの建物に住むルカやダフネでもない赤ん坊のような声……、明らかに聞いたことのない声を不審に思った勇輝はゆっくりと背後を振り返る。するといつの間にか、先程までいたテーブルの上にちょこんと座る1人の赤ん坊の姿があった。

そして、勇輝がその赤ん坊に目をやったと同時に、ミネルヴァは焦りと諦めが混じった表情を浮かべながら頭に手をやった。


(しまった、見つかってしまった……)


できるならば見なかったこと、聞かなかったことにしてほしい……そんなミネルヴァの様子にも気持ちに気づくはずもなく、勇輝は視線を変えぬままその赤ん坊の方を指差した。




「この子……、誰?」




To be continued…









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神聖戦士ヘラクレス 卯月ドラ @DraUduki

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