Act.1-13 光輝~Soldiers~

神聖戦士ヘラクレス

Act.1-13 光輝~Soldiers~

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「えっ、譲治君もなの!?」


「そうなのよ、電話にも出なくって・・・。あの子、いつもならあの時間帯には家に帰って来てるはずなのに・・・」


避難所に到着していた勇輝の母幸恵は、偶然居合わせた譲治の母茜(あかね)と二人で話していた。二人はお互いに息子が帰って来ない上に連絡も取れないという状況に、今まで経験したこともないような焦りに苛まれていた。


「旦那は仕事でいないから、私が譲治を守らないといけないのに・・・。一人で避難してきちゃったけど、やっぱり私譲治を探しに・・・」


心配で頭がいっぱいだった茜は、どこにいるかも分からない息子を探しに行こうと、自分の言葉が終わらないうちにその場から離れようとした。しかし・・・、


「ダメよ!今外に出たら、茜ちゃんも危険な目に遭っちゃうわ!」


走り去ろうと後ろへ振り返った茜の肩を幸恵はガッと掴んだ。茜はいきなり強く肩を掴まれたことに驚きそのまま固まってしまったが、すぐに幸恵によって身体の向きを元に戻される。

茜の目の前に幸恵の顔が映る。その表情は強く真剣でありつつも、どこか悲しそうにも見えた。


「辛いけど、ここはグッと堪えないと・・・」


幸恵の声は、震えていた。

そして、茜は気づいてしまった。探しに行きたいと口に出している自分よりも、心を鬼にして誰にも言わずじっと我慢している幸恵の方がよっぽど苦しい思いをしていることに・・・。

茜は譲治を探しに行きたいという気持ちでいっぱいだったが、幸恵の言う通り自分までもが巻き込まれてしまってはいけない、そしてこれ以上幸恵に辛い思いをさせてはいけないと感じ、決意を固めた。


「・・・そうね、そうよね。ごめんなさい、呼び止めちゃって。じゃあ、また・・・」


「ええ、また後で・・・」


そう言葉を交わすと、二人は別れた。

茜が避難所の部屋に戻ろうとするところを見送って、幸恵はホッと息を吐いた。そして、自分もいざ自分の持ち場に戻ろうとした時、後ろからまた別の声に呼び止められた。


「あ、あの。もしかして、幸恵さんですか?」


振り返ると、その声の主は勇輝の長年の友人である成田 純(なりた じゅん)であった。

自分の息子ではないものの、やはり知人が無事であることは大いに喜ばしいことで、幸恵の顔が一気にパアッと明るくなった。


「純くん!あなたも無事だったのね!よかった・・・」


「はい!あの、勇輝は今どこに・・・?」


「・・・・・・」


「・・・幸恵さん?」


「避難する時、勇輝は家にいなくてね。探しに行くのは危険だからって、先に他のみんなで避難したのよ・・・」


「・・・あっ」


純は自分がマズいことを聞いてしまったと知り、思わず目を逸らしてしまう。

幸恵の方も純が気まずい表情をしているのに気づき、気にしないように何か声をかけようとしたが、その前に言葉に詰まっていた純が口を開いた。


「あの、僕も勇輝のこと心配ですし、何より一番不安になってる幸恵さんに言うのもあれなんですけど・・・。その・・・」


純は一呼吸置き、幸恵と目と目を合わせた。


「勇輝なら、きっと大丈夫ですよ!誰よりも、ずっと強いですから!!」


純からの言葉に、幸恵はハッと驚いてしまった。

避難所に来てからいろんな知り合いに勇輝のことを尋ねられた。返答を聞くと、皆自分を気の毒に思い慰めてくれた。「辛いわよね」「早く戻ってくるといいわね」・・・、いろんな言葉をかけてくれたが、「大丈夫」と言ってくれたのは純だけだった。

「大丈夫」は、場合によっては無責任にいくらでも言える言葉である。最悪な場合を考えて、ある意味皆気を使って言うのを避けたのだと思う。しかし、純の「大丈夫」は自信に溢れていた。それに「勇輝は強い」とも言ってくれた。出発前に夫が言ったことと全く同じだった。多分、ずっと勇輝と一緒にいるからこそ言える言葉なんだろう。幸恵はそう思った。


「うん。ありがとうね、純くん」


「はい。では、失礼します」


純は最後に軽く一礼すると、急ぎ足でどこかへ去っていった。

幸恵は純を見送ると、近くにあった窓から空を見上げた。暗黒に包まれたかのような黒い空、まるで勇輝の行方を遮るかのようだった。




(勇輝、あなたはきっと大丈夫・・・。必ず、生きて帰って来てちょうだい!)




幸恵はそう心で呟くと、自身も自分の持ち場へと向かっていった。




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オリュンポスではいよいよ主神ゼウスが動こうとしていた。今までゼウスはオリュンポスから地上の兵士達を見守るだけであったが、サターンが復活したことでさらに強い危機感を感じ始めていたのだ。

魔王サターンは、かつて神である自身と死闘を繰り広げた宿敵。サターンの力を前にして、人間である戦士達やオリュンポスの兵士達はおろか、自らも苦戦を強いられることは目に見えていた。ゼウスは覚悟を決めるように静かに息を呑むと、自身の右手から何やら強い光を放つものを召喚した。


「わあ・・・。すごい光・・・」


「うん。でも、心なしか暑くなってきたような・・・」


その様子を見た妖精二人がヒソヒソ声でそんな会話を繰り広げていると、光から目を逸らしていたアテナが淡々と言い放った。


「ルカ、ダフネ、あまり近づくな。焼死するぞ」


「「・・・ええっ!?」」


”焼死”という言葉にすっかり気後れしてしまったルカとダフネは、二人揃ってアテナの陰に隠れてしまう。


「まだ力を抑えておる。其方達くらいの妖精ならば、焼死の心配はないぞ。失明はするかもしれんが・・・」


「「ひえっ・・・」」


“焼死”とまではいかないものの”失明”という残酷なことをサラッと言った上に、いつもの温厚な口調とは違い少し感情を押し殺したような威圧感のある口調で話すゼウスに、ルカとダフネは安心するどころか更なる恐怖心に煽られてしまった。


「父上の雷霆(らいてい)は、一度地上界へ降り注げば全てを焼き尽くすほどの大きな力となる。かつてのサターンとの戦いをはじめ、父上はこの雷霆と共にありとあらゆる戦いを切り抜けてきたのだ・・・」


動揺する妖精二人とは対照的に、アテナは冷静さを保ったまま静かに語った。

雷霆、それは雷神であるゼウスの象徴とも言える武器である。腕利きの鍛冶職人によって作られた雷霆は、大地を揺るがし大海をも干上がらせる程の大きな力と熱を放つ。この力のおかげで、ゼウスは主神としての絶対的な地位を築いたと言っても過言ではなかった。


「其方達、下がっておれ。今度こそ焼け死ぬぞ!」


ゼウスは地上にいるサターンに狙いを定め、自身の右手の中で一層輝きを増していく雷霆を振り翳そうとした。

その時だった・・・。


「ゼウス様、アテナ様、大変です!!」


一つの大声がゼウスを止めた。振り返ると、それはオリュンポス軍の司令に当たっていた兵士の一人であった。その兵士は大慌てでゼウスとアテナの所まで近づき跪くと、抑えきれない焦りが滲む声で報告を始めた。


「ソルジャーヘラクレスとミネルヴァが、サターンに飲み込まれました!!!」


「「・・・何だと!?」」


あまりにも予想外の内容に、ゼウスとアテナは動揺を抑えきれなかった。


「はい。おそらく彼等はまだサターンの体内にいると思われますが、安否は未だ不明のままです!」


「くっ、サターンめ・・・。ヘラクレスとミネルヴァの力も吸収するつもりなのか・・・」


アテナは最悪の事態を予期し、抑え切れない悔しさに唇を噛み締める。すると、アテナの後ろで話の一部始終を聞いていたダフネが急かすように叫んだ。


「それじゃあ、早くサターンを倒してヘラクレスとミネルヴァ様を助けましょう!ゼウス様の力なら、あのサターンだって大ダメージですよ!」


「待ってよ、ダフネ!サターンに雷霆を当てるってことは、中にいるヘラクレスとミネルヴァ様も巻き込まれるんだよ?そんなことしたら・・・」


勢い任せに言ったダフネであったが、咄嗟のルカの反論に言葉を詰まらせてしまう。ルカとダフネは答えを求めるようとゼウスとアテナを見つめた。すると、二人はその表情を曇らせながら首を横に振った。


「雷霆が、サターンに直撃したその時は・・・」


「彼らは・・・、無事では済まぬだろう・・・」


「「・・・っ!!」」


訥々と語られた答えに、ルカとダフネは絶句してしまう。そして、神々もそれきり口を硬く閉じてしまった。

大切な仲間の命を守るためならゼウスの攻撃を止めるべきであるが、かと言ってゼウスが攻撃しなければいつまでもサターンは倒せないままである。しかし、このまま決断に迷い続ければさらに状況は悪化するだけである。ゼウスは自分が決断しなければならないことは十分承知であったが、飲み込まれたヘラクレス達を思うとそれができなかった。

神とは時に人間に無慈悲で、多少の犠牲は厭わない。普段のゼウスならば、人間からすれば無慈悲な判断をあっさりしてしまうかもしれない。しかし、今のゼウスは少なからずヘラクレス達に情が移っていた。ミネルヴァは、愛娘アテナが実子のように可愛がっている忠実な部下であり、そしてヘラクレスは・・・、自分の子の力を宿す戦士であった。


(彼等を信じるべきか・・・、それとも・・・)


ゼウスは焦りと悔しさを噛み締めながら、右手に持つ雷霆をただ強く握りしめるしかなかった。




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(・・・・・・)


ヘラクレスの目が覚める。目は覚めたものの、視界は相変わらず暗い。しかし、先程のような圧迫感はなく、身体は鈍いながらも動かすことができるようだ。ここは・・・何処なんだ?どうして俺はこんな所に・・・?俺は、今までサターンの前にいたはずなのに・・・。

朦朧とする意識の中、ヘラクレスは自分の置かれた状況を把握しようと思考を巡らした。その時だった・・・。


(・・・!?何だ、呼吸が・・・)


呼吸ができない。苦しい。それにこの鈍い感触、もしかして・・・水の中なのか?とにかく早く水面に出ないと・・・。ヘラクレスは息苦しい中無我夢中で踠き、何とか水上へ顔を出した。


「ぷはっ・・・!!ゲホッ、ゲホッ・・・」


求めていた空気が一気に口に流れ込み、ヘラクレスは思わず咽せてしまう。


「ゲホッ・・・、はあ、死ぬかと思った・・・」


しばらくして呼吸が落ち着くと、ヘラクレスは再び今までのことを思い出し始める。


(ミネルヴァ様を助けようとしてサターンと戦っていたら、いきなり真っ暗闇で動けなくなって・・・。それで、今は黒い水の中って・・・。ああっ!?)


そう思い返しているうちに、ヘラクレスは重大なことを思い出した。


(そうだ!ミネルヴァ様は何処に・・・)


自分の側にいたミネルヴァも巻き込まれているかもしれない・・・。ヘラクレスは黒い波に飲まれながらミネルヴァの姿を探す。すると、少し離れたところの黒い水面に白銀の波が起きているのが見えた。よく見てみると、その波の正体は長い髪の毛であった。白銀の長髪・・・、間違いない、あれはミネルヴァのものであるとヘラクレスは確信した。


「ミネルヴァ様!!」


ヘラクレスは急いで泳いだ。ヘラクレスはミネルヴァの側まで行くと、波に飲まれて離れないように彼女をしっかりと抱きかかえた。そして、周囲を見回してなんとか岸のような場所を見つけると、すぐさまその場所まで泳いで黒い水から這い上がった。

ヘラクレスはぐったりしているミネルヴァを横にすると、彼女の肩を叩きながら必死に叫んだ。


「ミネルヴァ様、しっかりして下さい!!ミネルヴァ様!!!」


「・・・・・・」


しばらくすると、ミネルヴァの両眼が薄らと開き始める。僅かな視界にぼやけながらも映るヘラクレスの姿にミネルヴァは意識を取り戻し、横たわる身体をゆっくりと起こした。


「ミネルヴァ様!目が覚めたんですね、よかった・・・」


「・・・ヘラクレス。ここは、一体・・・」


ミネルヴァは少しぼんやりしながらヘラクレスの顔を見たが、意識があった時とは違う場所にいることにハッと驚き、自分達が放り込まれた薄暗い空間を不審な表情で見渡す。


「・・・俺も、よく分からないんです。気づいたら、あの黒い水の中に浸ってて・・・」


ヘラクレスはそう言って目の前に広がる黒い海の方を指差す。黒い海は静かに、そして不気味に波打っていたが、その波の中に黒とは別の色が混じっているのを見つけた。

別の色・・・、それは白だった。丸みを帯びた白い物体がと黒い水に浮いていたのだった。ヘラクレスは不思議に思いその物体を凝視する。そして、その物体の正体に気づくと、ヘラクレスは一気に血の気が引く感覚に陥った。


(なっ・・・。あれは・・・、頭蓋骨!?)


ヘラクレスが見たものは、真っ白な頭蓋骨だった。それも一つではない、周囲にも大小様々な頭蓋骨と他の身体の骨が波に飲まれながら浮いていたのだった。

経験したことのない悍ましい光景に思わず目を逸らしたヘラクレスであったが、その視線の先、自分達が這い上がってきた岸に何かが打ち上げられていた。骨の一部が打ち上げられたのかと思われたが、そうではなかった。しかし、その打ち上げられた物は、目の前の大量の骨よりもずっと見覚えのある物だった。金色で、菱形のその物体は・・・、


「これは・・・、アイツらが身に着けていた・・・」


ヘラクレスは岸辺に上がったそれを急いで拾い上げた。ヘラクレスは警戒しながらもじっくりと観察し確信した。間違いない、これはディオーネ達が身につけていた、タイタン族の証である装飾であった。しかし、ヘラクレスはその装飾にある違和感を覚えていた。


(この装飾、ヒビが入ってるな・・・。それに、アイツら自身が身に着けてい時と違って何の魔力も感じない・・・)


違和感に疑念が拭えず、ヘラクレスは光を失った装飾を手に黙りこくったままだった。すると、今まで座っていたミネルヴァがそっと立ち上がり、黒い海を目の前にその口を開いた。


「ヘラクレス。どうやら我々は、サターンに飲み込まれたんだ。そして、今いる場所はヤツの”腹の中”なんだろう・・・」


「・・・腹の、中!?」


ヘラクレスはミネルヴァの言葉が信じられず、思わず聞き返してしまう。驚くヘラクレスとは対照的に、ミネルヴァは冷静さを保ちながら言葉を続ける。


「あの大量の骨、もう一度よく見てみろ。形や大きさから考えて、明らかに人間のものとは異なるものがあるだろう?」


「えっ・・・」


ミネルヴァにそう言われ、ヘラクレスはもう一度黒い海に浮かぶ数々の骨を見つめた。すると、確かに自分がイメージする骨とは違う形のものが混じっているのが分かった。いつか標本で見たような牛の頭部や鳥の翼・・・、しかし、それらはその標本の一回りも二回りも大きいものばかりであった。

ヘラクレスは気づいてしまった。この骨はただの”動物”のものではなく、かつて敵対していた”モンスター”のものであること。そしてもう一つ、何故モンスター達の骨が大量に浮かんでいるのかということを・・・。


「じゃあ、これは・・・復活の生贄に捧げられたモンスター達の骨ってことか・・・」


ヘラクレスの呟きに、ミネルヴァはコクっと頷く。


「それに、今其方が持っているその装飾、タイタンズ4が着けていたのは分かっているだろう?おそらくだが、奴らはサターン復活の最後の犠牲としてその身を捧げ、モンスター達と同じくサターンに吸収されたんだろう・・・」


「・・・・・・」


ヘラクレスは何も言えないまま、もう一度手に持っていた菱形の装飾を見つめた。

かつての輝きを失い、今は色も燻んでヒビも入っている装飾。それは、ディオーネ達タイタンズ4の魔力が完全に失われた証拠であった。そして、彼らの肉体もまた、ここにいるモンスター達と共に完全に消滅してしまったのだろう。彼らにとって偉大なる”祖”の力となるべく・・・。


(アイツら・・・、ここまでしてサターンの復活を成し遂げようとしていたのか・・・)


ヘラクレスはボロボロでもう何の恐ろしさも感じないはずの装飾から、タイタン族のそこはかとない誇りと、そして執念深さを感じた。そして、自分達も意識が戻らなかったら、タイタン族やモンスター達と共にあのまま白い骨と化していたのだと悟り、思わずゾッとしてしまった。


「とっ、兎にも角にも、こんな危険な場所早く脱出しないと・・・」


迫り上がる恐怖と焦りに心が支配されそうになり、ヘラクレスが無理にでも己を奮い立たせようと声を張り上げた。

と、その時だった・・・。




ブクッ・・・、ブクッ、ブクブクブク・・・




静けさを保ったままだった黒い海から、突然として激しく泡立つ音が聞こえてきた。そして・・・、




ボウッ・・・!!!




その泡立っていた場所から、勢いよく何かが飛び上がった。

水面から現れたそれを見てみると、何やら黒い鬼火のようなものであった。突如現れた得体の知れない物体にヘラクレス達は思わず顔を顰めたが、その鬼火から漂う禍々しいオーラによって二人はこの鬼火の正体に感づいた。


(・・・あれが、魔力の”塊”なのか・・・)


その鬼火、魔力の塊は飛び出た時のスピードを緩めず、暗闇の空間を割くような勢いで上昇していった。そして、この瞬間にも黒い海から泡立つ音は鳴り止まず、また新しい魔力が後を追うようにどんどん上昇していった。

突然の現象を前にただ呆然としていたヘラクレス達であったが、何の迷いもなく同じ方向へと向かう魔力を見ているうちにヘラクレスにある考えが浮かんだ。


「・・・もしかして、上に何かあるのか・・・?」


魔力が向かった空間の上部を見つめながらヘラクレスがそう呟いた。それを聞いたミネルヴァも同じことを思ったのか、一層真剣な表情でコクっと頷いた。


「うむ、行ってみる価値はあるかもしれない・・・」


「よしっ!そうとなれば、行きましょうミネルヴァ様!!」


ヘラクレスは覚悟を決めて上へと向かって飛び立とうとしたが・・・、


「あっ、待ってくれヘラクレス。今更なのだが、その・・・、杖がないんだ。サターンと戦っていた時に、落としてしまった・・・」


「・・・あっ」


ミネルヴァに呼び止められて気づいた。いつも彼女の傍にあるはずの魔法杖が、今はなかった。彼女は杖を武器に様々な魔法で戦っている、その杖がなければミネルヴァはまともに戦うことができないのだ。

ミネルヴァは申し訳なさそうな表情で目を逸らしていたが・・・、


「大丈夫ですよ!さあ、早く行きましょう!!」


ヘラクレスはそんな様子を気にせずミネルヴァの方へ近づく。そして・・・、


「・・・えっ、ちょっ・・・!?」


ヘラクレスは狼狽えながら立っていたミネルヴァを、何の躊躇いもなく”お姫様抱っこ”の形でヒョイっと持ち上げた。

最初はヘラクレスの予想外の行動にただ驚き硬直していたミネルヴァであったが、自分が何をされているかを理解した瞬間、その顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていった。


「へ、ヘラクレス!何をやってるんだ、降ろしてくれ!!自分で飛べるから・・・」


お姫様抱っこされるなんて・・・、本来ヘラクレス達戦士を援護する立場の自分が逆に”守られている”感覚に陥り、ミネルヴァは恥ずかしさのあまりヘラクレスの両腕の中でジタバタしたが、


「大丈夫!」


「・・・!!」


ヘラクレスの静かながらも力強い言葉に押され、ミネルヴァは暴れるのをピタッと止めて大人しくなった。

ミネルヴァの目にヘラクレスの横顔が映る。ミネルヴァにとっては少し危なっかしくて、戦士としてもまだ完璧ではないヘラクレスであったが、彼の横顔は何故だかいつもより頼もしくそして凛々しく見えた。その顔を間近で見て、まだ多少の恥ずかしさはあるものの、ミネルヴァは身体をヘラクレスの預けることにした。

ミネルヴァが大人しくなると、ヘラクレスは再び闇に覆われた天を見上げた。


(あの先に脱出の手掛かりがあるかもしれない。もしかしたら何もないかもしれないけど、それでも、何もしなければこの最悪な状況は変わりはしない。行こう、あの闇の先へ。そして・・・)


ヘラクレスは深く深呼吸する。




(・・・絶対、生きて帰る!!)




ヘラクレスは心の中で堅く決意を示すと、黒い鬼火を追いかけてミネルヴァと共に飛び立っていった。




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「お願いだ、離してくれ!このまま放っておいたら、ヘラクレスとミネルヴァ様はサターンの中で溶けてなくなってしまう!!」


仲間の命の危機を前に、情に厚いテセウスが黙っていられるはずがなかった。テセウスはたとえ一人でもヘラクレス達を救出しに行こうとするが、周囲にいたオリュンポス軍の兵士に押さえられてしまう。テセウスはそれでも諦めず制止を振り切ろうとするが、その様子を見兼ねた別のオリュンポス兵士の一人がテセウスの前まで近づいてきた。


「いい加減にしなさい、ソルジャーテセウス!退避命令が出ているのはお分かりでしょう?アテナ様のご命令は、我々を危険な目に遭わせまいが故のものです!」


「今更、何が『危険な目に遭わせまい』だ・・・。俺はとっくに戦士としての覚悟決めてるんだ!その戦士がビビったままじゃ、守りたいもんも守れないじゃないか!!」


「そうではありません!アテナ様が我々に離れろと仰ったのは・・・、おそらく、ゼウス様が雷霆をお使いになるつもりだからでしょう・・・」


「らい・・・てい?それは・・・」


聞いたことのない単語に、テセウスは思わず聞き返す。


「ゼウス様の武器です。地上に降り注げば、大地を揺るがし海をも干上がらせるほどの大きな雷(いかずち)となります。その光を直視すれば、我々は確実に失明してしまいます。これ以上近づき巻き込まれてしまえば・・・焼死は、免れません・・・」


訥々と語るオリュンポス兵士の表情は曇り、遂にはその顔を俯かせてしまった。


「何だよ、それ・・・。それじゃあ、ヘラクレス達は・・・」


オリュンポス兵士の言葉を聞き、テセウスは雷霆の恐ろしさ、そしてサターンに直撃したその時のことをすぐに理解した。テセウスの声が絶望で上ずってしまう。

サターンに対抗する術はもはやゼウスの力しかないことは分かっていたが、それでもテセウスはヘラクレス達を諦めきれなかった。何か希望はないものか、テセウスは答えを求めるように他のオリュンポスの兵士達を見つめる。しかし、兵士は誰一人として何か言おうともせず、ましてや顔すらも合わせようともしなかった。


「っ・・・、クソッ!!」


テセウスは怒りと悔いの篭った声で言葉を吐き捨てた。諦めろ・・・、テセウスには兵士達がそう言っているのかが分かったのだ。

事の一部始終を見ていたペルセウス、オデュッセウス、アキレスの三人はテセウスにかける言葉が見つからなかった。戦士としても仲間としても、ヘラクレス達を助け出すことができない・・・。黙ってはいたものの、テセウスと同じ悔しさが三人の中でも渦巻いていたのだった。


「「テセウス・・・」」


「・・・すまん。情けないとこ見せちまったな・・・」


テセウスは三人の前まで来ると、そっと自分の情けなさに嘲笑を漏らした。


「・・・いや、いいんだ。テセウスが悔しがるのは当然だし、僕達も同じだよ・・・」


オデュッセウスから辛うじて慰めの言葉が出てきたが、テセウスは俯いたまま顔を上げようとしない。声をかけたオデュッセウスも、それを横で見ていたペルセウスとアキレスもどう言葉を続けて良いか分からず重苦しい沈黙が続いたが、しばらくして顔を俯かせていたテセウスの口から掠れた声が発せられた。


「俺は昔、モンスターからヘラクレスを庇おうとして、そん時に覚醒したんだ。あん時は必死で気にも留めてなかったが、俺はその時から世界を救う”使命”なんてとんでもないものを背負うことになっちまった。ただ、友人一人を助けようとしただけなのにな・・・。こんな大きなもん背負って戦うなんて正直今でも怖えけど、アイツの、ヘラクレスの懸命な姿を見てたら『親友だけにこんなもん背負わせてたまるか』って思った。だから、俺は覚悟を決めて戦士になった・・・」


「「・・・・・・」」


「だが思い返してみれば、俺は助けられたり頼ったりするばかりだった。特にヘラクレスと・・・、戦士を守る役目を背負ったミネルヴァ様にはな。大きな使命だからこそ支え合って戦わなきゃならないのに、こんなに不甲斐ないことはない。だから、その二人が死の危機に陥っている今、今度は俺が助ける番なのに・・・。なのに、こんなんアリかよ・・・」


テセウスの掠れていた声はいつの間にか震えており、そして、その足下にはポタッ、ポタッと熱い雫が零れ落ちていた。いつもクールで強気なテセウスが、泣いていたのだった・・・。

四人の間に、テセウスの啜り泣く声がだけがただ小さく響く。悲しみと悔しさに満ちたテセウスに、いよいよかける言葉がなくなったと思われた、その時だった・・・。


「あの・・・。私は、大丈夫だと思います」


ペルセウスが予想外の言葉を発したのだった。

オデュッセウスとアキレスの二人は驚いて一斉にペルセウスの方を向いた。テセウスは依然顔を上げないままであったが、ペルセウスは三人が自分の言葉に呆気に取られているのが分かった。

マズい言葉を言ってしまったか・・・、普通はそう考えるところかもしれない。しかし、今のペルセウスには不安や恐れはなかった。そのまま怯まずに言葉を続ける。


「”大丈夫”なんて無責任なこと言っているかもしれない。仲間の危機にただ見つめているだけなのは白状なのかもしれない。でも私、二人のこと信じています!ヘラクレスもミネルヴァ様も、ここで死ぬなんて思えません!だって、彼等は”強い”から・・・!!」


「「ペルセウス・・・」」


「今まで、ずっと一緒に戦ってきたから分かります。彼等はどんな困難であっても屈せず立ち向かい、その力と心の強さで乗り越えてきた。そしてそれは・・・、テセウス、貴方も分かっているはずです!!」


「・・・・・・!!」


テセウスがハッとして顔を上げ、思わずペルセウスの方を見た。テセウスの目に映ったペルセウスの表情は、いつもの穏やかなものとは打って変わってとても真剣で逞しいものであった。


「きっと今も、彼等は頑張っています!だから今は・・・、彼等を信じましょう!!」


ペルセウスは今まで以上にはっきりと言い放った。そして、その声は戦士三人だけでなく、周囲のオリュンポス兵士達の注目をも集めた。

戦士三人、特にテセウスは至極驚いた。普段は天然で物腰の柔らかいペルセウスが、こんなにも力強く言い切ったからだ。そして、それと同時に三人の脳裏にはペルセウスのある言葉が焼き付いていた。

『信じる』・・・、絶望のあまり三人の頭の中からそんな言葉はすっかり抜け落ちていた。いや、仲間がサターンに飲み込まれ、さらには雷霆による焼死の危機が迫っている最悪な状況でこの言葉が思い浮かぶ方が不思議かもしれない。だがペルセウスの言う通り、今までずっと一緒に戦ってきた三人にはヘラクレスとミネルヴァが諦めていると思わなかった。どんな状況にも自ら立ち向かう彼等の姿・・・、きっと今も彼等は自ら動いているはず、あの巨大な闇から脱出するために・・・。


「・・・そうだな、そうだったな。俺は、大事なことを忘れていたようだな・・・」


テセウスはペルセウスを見据えた。目を赤く染めながらも涙はすっかり消え、その瞳には僅かながらも希望の光が差し込んでいるようにも思われた。


「『信じる』か・・・。それが、私達が今できる二人への”支え”なんだな・・・」


アキレスもオデュッセウスも、ペルセウスの言葉のおかげで決心をつくことができた。ペルセウスは三人の表情を確かめると安心し、コクッと頷いた。戦士四人の様子を見ていたオリュンポス兵士達にもこの思いが伝わったのか、彼等もまた深く頷いていた。

自分達は二人を助けに行くことはできないが、彼等を信じ、そして祈ることはできる。それならばせめて、全力で祈ろうではないか・・・。


(絶対に、生きて帰って来いよ・・・)


そう心の中で祈りながら、四人は再びオリュンポス軍の兵士達と共に遠くに聳え立つサターンの姿を見つめ始めた。




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鬼火の後を追って飛び立ったヘラクレス達は、しばらくすると先程のものとはまた違う広い空間を見つけた。どうやら鬼火はこの空間に吸い込まれていくようだった。この先に一体何があるのか・・・。地に降り立った二人は、意を決してその空間内へと進んだ。


(!!、あれは・・・)


空間内へと入ったヘラクレス達の目の前に現れたのは、何とも巨大な金色の像であった。自分達の身長の軽く3、4倍の高さがあったが、よく見てみるとそれはタイタン族が身につけていたあの菱形の装飾とそっくりであることが分かった。

そして、肝心の鬼火の数々はその金色の像にどんどん吸収されており、鬼火を吸収した像は僅かな点滅を繰り返しながら不気味な光と禍々しいオーラを放っていた。

異様な光景を目の当たりにした二人は顔を顰めるが、その光景から何かに感づいたミネルヴァが不意に呟く。


「・・・もしや、あれはサターンの魔力の供給源なのか?」


ミネルヴァの呟きに、ヘラクレスはハッとしたように振り返る。


「供給源・・・、つまりは”心臓部”ってことか・・・」


ヘラクレスはもう一度目の前の像を見つめ、考えを巡らせる。

人間のものとは違うものの、この巨大な像が魔力を全身に供給する“心臓”であれば、破壊しその機能を停止させてサターンに致命傷を負わせることができるはず・・・。神をも凌駕する力を持つサターンであっても、無防備な体内から攻撃すれば手応えはあるはず・・・。


「・・・よしっ!!」


ヘラクレスは大きく息を吸うと、巨大な像に向かって全速力で走り出した。いきなり走り出したヘラクレスにミネルヴァは驚いたが、彼の様子からすぐに何をしようとしているのかを悟った。


「待て、ヘラクレ・・・」


ミネルヴァは悪い予感がして慌ててヘラクレスを制止しようとしたが、遅かった。

ヘラクレスは走った勢いで高く跳び上がると、右腕を後ろに引いて攻撃の体勢を取った。そして・・・、


「はあああああっっっ!!!」


ヘラクレスは渾身の右拳を巨大な像に喰らわせた。ヘラクレスは全力を出した、はずだったが・・・、像はヘラクレスの攻撃を受けても傷がつくこともなく、ビクともしていなかった。

ヘラクレスは衝撃のあまり攻撃した体勢のまま固まってしまったが、すると、静かに点滅を繰り返していただけだった像が突如としてその不気味な光を大きくした。


「なっ・・・、うわっ!?」




ブワッ・・・・・・!!!




金色の像が、纏っていた邪悪なオーラを光と共に一気に放出した。ヘラクレスはその勢いに耐えられずそのまま吹き飛ばされ、強い衝撃とともに全身を地面に引きずらせてしまった。

痛みに身体を蹲せるヘラクレスの元へ、一部始終を見ていたミネルヴァが急いで駆け寄ってきた。


「ヘラクレス!!」


「いっ・・・、つぅ・・・」


「馬鹿者!あの像はサターンの魔力の全てを纏っているのだぞ。生半可な攻撃をすれば返り討ちにあうだけだぞ!!」


「くっ・・・。なら、ハーキュリーズソードで一気に・・・!」


ヘラクレスは今度はさらに強い攻撃で仕留めようと考え、両手を前に構え古代戦士の剣:ハーキュリーズソードを召喚しようとした。しかし、それもミネルヴァによって制止される。


「・・・ヘラクレス。残念だが、今のままではハーキュリーズソードでも破壊することはできないだろう・・・」


「えっ・・・、何でですか!?そんなの、やってみなきゃ分からな・・・」


「剣の力の糧となる『勇気の力』を、テセウス達四人に分け与えた時に使い切ってしまったんだ。サターンと対峙した時、其方は剣を使おうとしたが光は集まらなかった。それが証拠だ・・・」


「そんな・・・。じゃあ、一体どうすれば・・・」


ヘラクレスは答えを求めてミネルヴァに詰め寄ったが、ミネルヴァはそっと俯き無言のまま首を横に振るだけであった。


「手がかりは見つかったが、残念ながら今の我々にはどうにもできないようだな・・・」


ミネルヴァは自嘲の笑みを浮かべながらクルッと振り返り、魔力に満ちた巨大な像から離れるようにゆっくりと歩き始めた。

ヘラクレスは悩んだ。確かに自分の拳でも像はビクともしなかったし、剣に光が集まらなかったことも分かっていた。中途半端な攻撃では先程のように返り討ちに遭い、それを繰り返せばいずれ自分の体力は尽きてしまうだろう。だからと言って大人しく助けを待ったところで、サターンに近づくことすら命取りなのにその体内から自分達を引っ張り出すなんて無理に決まっていた。動くにしろ動かないにしろ、多分自分達が再び外の光を見ることはないのだろう。いつも強気な彼女が、こんなにも絶望的な表情を浮かべているのがその証拠だった。


(本当に、このまま死ぬしかないのか・・・?)


ヘラクレスは悔しくて涙が溢れそうになる。

テセウス、ペルセウス、オデュッセウス、アキレスの4戦士、ルカとダフネ妖精達、これまで共に戦ってきた仲間達。純や隆弘ら友人、学校のクラスメイトや部活のチームメイト、一緒に楽しい日々を過ごした人々。そして、父さん、母さん、知奈美。時には喧嘩もするけれど、同じ屋根の下で笑い合いそして支え合ってきた家族。ヘラクレスの脳裏にたくさんの人々の顔が思い浮かぶ。


お帰りなさい、無事でよかったわ・・・


以前、勇輝がミマスの襲撃に遭った時、幸恵は息子が何の連絡もなしに遅く帰ってきたことに激怒した。しかし、その後すぐに穏やかな表情で息子の無事を心から喜んだ。

ヘラクレスは、その時の母を覚えていた。あそこまで怒るのはいつ以来だろう。警察まで呼ぼうとしてたなんて少し大袈裟にも思えたが、その後の安堵の表情を考えれば、これも母が心から自分のことを心配しているが故のことなのだと気づいた。

仲間、友達、家族・・・、この世界には大切な人達がたくさんいる。そして、こんなにも自分を大切に思ってくれる人がいる。


(ここで、死にたくなんてない。早く、みんなに会いたい・・・)


ヘラクレスは静かに、そして強く誓う。


「俺は・・・、生きて帰る!!」


「ヘラクレス・・・!?」


ヘラクレスが静かに呟いたのを不審に思ったミネルヴァが振り返ったその瞬間・・・、


「はああああああああああぁぁぁぁぁっっっっっ!!!」


ヘラクレスは禍々しいオーラを放つ像に挑まんと全速力で走り出した。


「おい、やめるんだ!!」


ミネルヴァは急いで止めようとするが、そのより前にヘラクレスの一撃が像に加わる。ヘラクレスは先程と同じように右拳を大きく振り上げ力一杯に殴りかかったが・・・、結果は同じだった。ヘラクレスはまたもや黒いオーラの魔力によって吹き飛ばされ、思い切り身体を地面に滑らせてしまった。


「ぐっ・・・!」


引き摺った時の痛みに加え、真正面から浴びたサターンの魔力がヘラクレスの身体をどんどん蝕んでいく。しかし、ヘラクレスはそんな己の身体をよろけながらも懸命に起こそうとする。そして、自分の身体の傷を一切気にしないかのように、ヘラクレスの両目は目の前に聳え立つ巨大な像だけを捉えていた。


「ハアッ・・・ハアッ・・・、うおおおおおぉぉぉっっっ!!!」


荒い息を上げながら、ヘラクレスは再び像に向かって突進した。攻撃して、そしてまた吹き飛ばされ・・・、そう繰り返すうちにヘラクレスはどんどんボロボロになっていった。

初めうちは声だけで止めようとしていたミネルヴァも、なおも攻撃を止めようとしないヘラクレスに痺れを切らした。ミネルヴァは吹き飛ばされたヘラクレスの身体を受け止め、像ばかりに気を取られている目を覚まさせようと、彼の両肩をガッと掴んで自身の方に顔を向かせた。


「ヘラクレス、もうやめろ!!ただ闇雲に技を放っても、其方の身体が壊れるだけだぞ!!」


強い口調で叱るミネルヴァにヘラクレスは気後れしてしまう。

ヘラクレスは、ミネルヴァはいつも以上に本気で怒っているのが分かった。立場が上である彼女の制止はいわば命令、それを何度も無視したのであるから当然だ。しかし、今のヘラクレスはどんなに叱られようが彼女の命令には従えなかった。


「でも、これ以外に何ができるって言うんですか!何もやならければ、いつまで経ってもこの状況は変えられないんですよ!?」


ヘラクレスはミネルヴァに真っ向から反論し、自身の両肩に置かれた彼女の手を振り解こうとした。ミネルヴァはまさか自身の制止を振り解かれるとは思わず呆気に取られてしまうが、それは一瞬のことだった。直接諭してもなお制止を振り切ろうとするヘラクレスに、ミネルヴァの中から怒りを通り越して何か別の感情が込み上げていた。


「だからって・・・、自分から死にに行くような真似をしてどうするんだ!!」


ミネルヴァは再び怒ったように荒々しく叫んだが、その瞳からはポロポロと大粒の涙が溢れ出していた。彼女の心の中はもう怒りではなく、哀れみと情けなさで満ちていたのだった。

戦士を支え守ることが自分の役目だというのに、魔法杖がない今、自分はヘラクレスを助けるどころか碌に戦うことすらできない。そのせいで、ヘラクレスに命知らずなことをさせてしまっている、彼の身体を傷つけてまで無理をさせている。ヘラクレスがボロボロになっていく姿を見るのはもう嫌だ、このまま自分を差し置いて息絶えてほしくない・・・。ミネルヴァはそんな感情でいっぱいいっぱいだった。


「・・・ミネルヴァ様」


ヘラクレスは初めて見るミネルヴァの涙に動揺した。そして、彼女の心の内を何となく理解した。彼女は言っていた、『自分の使命は戦士達を、世界を救う”希望”を支え守ること』と・・・。それ故に、戦士である自分の身を案じ、そして自分が無理しているのを見たくないのであろうとヘラクレスは感じていた。

ミネルヴァに心配をかけさせているのは十分わかっていたが、それでもヘラクレス自身の覚悟と意志は変わらなかった。ヘラクレスは自身の両手を、今度は泣き崩れるミネルヴァの両肩へと置いた。そして、それに気づいて顔を上げたミネルヴァとしっかり目と目を合わせた。


「ミネルヴァ様、俺のことを心配してくれるのは嬉しい。でも、俺は・・・諦めないよ。みんな、俺のこと待ってるから!!」


ヘラクレスはそう言うとミネルヴァの両肩から手を離し、再び巨大な像へと目を向けゆっくりと立ち上がった。


「俺の使命は、この世界を・・・大切な人達を守ること。それは、自分の命を犠牲にしてでもやり遂げなきゃいけないことなのかもしれない。でも俺は、普通の人間でもある。仲間や友達、そして家族、毎日たくさんの人達と一緒に笑い合って、そして支え合って生きている。こんなに楽しくて、温かいものなんてない・・・」


「・・・ヘラクレス」


「俺はここで諦めたくない、死にたくない!大切な人達と、ずっとこの世界で生きていきたい!!だから俺は、自分の使命を全うして・・・」


ヘラクレスはもう一度、目の前の巨大な像を挑むように見据える。そして深呼吸し、自身のありったけの力を振り絞って叫んだ・・・。




「絶対、生きて帰ってみせるんだ!!!」




ヘラクレスの心からの叫びは、まるで闇に覆われた空間を突き抜けるかのように響き渡った。その叫びは止めどなく溢れ出ていたミネルヴァの涙までもすっかり乾かし、その晴れた視界にヘラクレスの後ろ姿が映る。その背中は、以前よりもずっとずっと逞しく見えた。

ヘラクレスはもう、自分が想像していたよりも遥かに成長していたのか・・・、ミネルヴァは感銘を受けると同時にあることを悟った。ヘラクレスをここまで成長させたのは、大切な人達のために頑張ろうとする彼の思いやりの強さと、どんな困難にも立ち向かう”勇気”であることを・・・。


(ソルジャーヘラクレス・・・。其方は本当に、”勇気”の戦士なのだな・・・)


ミネルヴァはある決意を固めた。自分は戦うことができないが、彼のために力を、”勇気”を捧げることはできる。そして、皆に自分の声を届けることができれば、彼にもっと大きな力を与えることができるかもしれない・・・。

ミネルヴァは目を瞑った。そして、祈るように両手を目の前で合わせ心の中で皆に語りかける。


(皆、聴こえているか?今、ソルジャーヘラクレスが魔王サターンを倒さんと立ち向かっている。しかし、彼は今本領を発揮することができない。それは、彼の力の源が足りないからだ。彼が真の力を発揮するには、皆の心の中にある”勇気”が必要なんだ・・・)


ミネルヴァは言葉に想いを込め、ギュッと両手を硬く握りしめた・・・。


(だから、お願いだみんな。どうか、彼に力を・・・”勇気”を与えてくれ!!)







「・・・・・・?」


今、誰かが自分に語りかけた気がする・・・。避難所にいた幸恵はハッとして周囲を見渡すが、自分に声をかけたような人の姿は見当たらない。気のせいなのかと思ったものの、しっかりと耳に残るその声に幸恵はすぐにその考えを撤回する。それに、この芯のある女の子の声・・・、口調こそ違えど幸恵はこの声色に何となく覚えがあった。


(この声は・・・さやかちゃん?)


幸恵はさやかのことを、ミネルヴァのことを覚えていた。息子の帰りが遅くなった時、自分に叱られる息子を庇ってまで謝ってきた子だ。そういえばあの時、彼女はこっちに来たばかりで息子に街を案内してもらったと言っていた。部活が同じと言えど、息子が女の子と二人っきりでいたことに内心驚いたが、それだけ息子は彼女のことを気にかけているのだと思った。

彼女の言っていることには分からないところも多かったが、今彼女の側で誰かが頑張っていることだけは分かった。そして、彼女を気にかけて今息子は彼女と一緒にいるかもしれない。もしかしたら・・・、幸恵は何となく確信した。


(今、勇輝が頑張ってるのね・・・)


息子はまだ生きていて、こんな酷い状況の中でも今頑張っている。そして、迎えにいけない今、自分は息子の頑張りを心の中で応援し、息子が無事に帰ってくることを祈るしか他ない。幸恵は胸に手を当てると、心の中で力強く叫んだ・・・。


(頑張って、勇輝!!)







「・・・この声は、まさか!!」


一方で、ヘラクレス達の行方を見守っていたアキレスもその声を聞き取っていた。アキレスはその声の主と意味がわかった瞬間、喜びと自信に満ちた笑みを浮かべた。


「・・・なあ、みんな聞こえただろ?」


自分に届いたこの声、みんなにも届いているはず・・・。そう確信していたアキレスは、共に見守っていた戦士達に問うた。


「うん、ちゃんと聞こえたよ・・・。ヘラクレスが今、頑張っているんだ!」


アキレスの隣に立っていたオデュッセウスもミネルヴァの声を聞いて笑顔になった。それは、ヘラクレスとミネルヴァがまだ生きていること、そして今、ヘラクレスがサターンの体内から脱出しようと頑張っていることが分かったからだ。


「ヘラクレスは、私達がピンチの時たくさんの力を、”勇気”をくれた。そして今、彼はその力を必要としている・・・」


「なら今度は・・・、俺達がやるぞっ!!」


4戦士は互いに確かめ合うように頷くと、そっと両手を握り祈り始めた。大切な人のために、ヘラクレスのために彼等は”勇気”を捧げ始めた・・・。


((頑張れ、ソルジャーヘラクレス!!!))







ホワッ・・・、ホワッ・・・


祈りのために目を瞑っていたミネルヴァは、周囲が少しずつ明るくなっていることに気づいた。もしやと思い瞑っていた目を少しずつ開けていくと、ミネルヴァはヘラクレスの周囲に無数の白い光が集まっているのが分かった。その白い光は、ヘラクレスの剣に宿る光と同じだった・・・。


「この光は・・・、皆が勇気の力を分け与えてくれているんだ!!」


ミネルヴァの願いの声は、皆に届いていたのだった。

幸恵や4戦士だけではない、この世界に生きるありとあらゆる人々にミネルヴァの声は響いており、声の主が、言葉がはっきり分からなくとも、皆には誰かが頑張っていることが何となく分かった。そして、頑張っているその人のために力を、皆の心にある”勇気”を捧げてくれたのだ。


「・・・・・・」


無言で像を見つめるヘラクレスの身体に、皆が捧げた無数の白い光が纏い始める。ヘラクレスは疲労しきっているはずの身体から、今まで以上に力が漲ってきているのが分かった。

ヘラクレスは今だと言わんばかりに両手を前に構え、その構えた両手の中から古代戦士の剣:ハーキュリーズソードを召喚した。すると、無数の白い光はその剣へとどんどん吸収されていき、それに伴い剣の刃も光を纏ってどんどん大きくなっていく。


「・・・・・・くっ」


ヘラクレスは攻撃体勢を取ろうと剣を構え直したがよろけてしまった。世界中の人々の勇気を纏った刃は、まるで世界を命運を背負っているかの如くその重みを増していたのだ。

この剣を振り切れるのか・・・。少し不安になったヘラクレスであったが、その時、ヘラクレスの横から二つの手が差し伸べられた。そして、その二つの手は剣の鞘をしっかりと掴むヘラクレスの両手にそっと添えられた。驚いたヘラクレスは横を見ると、そこにはミネルヴァの横顔が映っていた。


「・・・ミネルヴァ様」


ヘラクレスの呟きにミネルヴァは何も言わなかったが、その代わりに横目でコクっと頷いた。最後まで付き合おう・・・、ヘラクレスはミネルヴァがそう語りかけているように感じ、一層心強くなった。

ヘラクレスとミネルヴァは、両手に携える大きな剣の切先をゆっくりと像に向ける。目の前に聳え立つ像は、まるで二人の挑戦を受けるかのようにその身に纏う黒いオーラを噴き上げる。


「いくぞ、ヘラクレス!!!」


「はい!!!」


2人は呼吸を合わせ、禍々しいオーラを放つ像に向かい突進していく・・・。


「「ハアアアアアアアアアアァァァァァッッッッッ!!!」」


そして今、世界中の人々の勇気を乗せた切先が巨大な像に突き刺さる・・・。




・・・バキッ、


・・・バキッ、バキッ、


・・・バキッ、バキッ、バキバキバキバキッ・・・







「・・・あれは!?」


オリュンポスから地上の行方を見守っていたゼウスは、信じられない光景を目の当たりにしていた。なんと、あらゆる攻撃にもビクともしていなかったサターンが突如として苦しみ始めていたのだ。誰が攻撃を加えた訳ではない、一発の雷霆でさえあそこまでのダメージはないはずなのに、サターンは自身の心臓部を押さえながら大暴れていたのだった。

そして、今度は首元を押さえたかと思うとサターンは暗闇の空を見上げながらその口を大きく開き、開かれたその口から眩い光と共に何かが飛び出してくるのが分かった。その正体は・・・、


「ソルジャーヘラクレス!!ミネルヴァ!!」


ゼウスはその正体を見て至極驚いた。まさか、彼等は自分達の力でサターンを・・・。一瞬そう思ったゼウスであったが、ヘラクレス達の姿を見たことでその考えはかき消される。

ハーキュリーズソードに集まる白い光は、人間の心に宿る”勇気”を具現化したもの。そして、今ヘラクレス達が携えている剣の刃は、通常戦士達が発揮できるものよりもずっと大きい。これほどまでに多くの光は、最早地上界のあらゆる人々の勇気の心がなければ生み出すことはできない。ゼウスは思った、彼等は人々の”勇気”に支えられたことでこの危機を脱したのだと・・・。


ヘラクレスとミネルヴァはぐんとスピードを上げてどんどん上昇していく。そして、遥か上空まで辿り着くと、二人は呼吸を合わせ、空を見上げたサターンの目に焼き付けんとばかり携えた剣を振り翳した。


「魔王サターン、これで最後だ!!!」


「この世界に溢れる全身全霊の勇気の力、しかと受けてよ!!!」


二人は天を貫く巨大な柱となった白い刃を、サターンの脳天目掛けて思いっきり振り下ろした。




「「ハーキュリーズ、バスタアアアアアァァァァァッッッッッ!!!」」







スッ・・・




シュワアァッッ・・・・・・





————————————————————————————————————



「・・・終わった、のか?」


束の間のことだった・・・。

サターン・・・。世界を破滅に陥れんと企み、かつて神々と激闘を繰り広げたタイタン族の祖。奈落の底から這い上がり、破壊の限りを尽くした古の魔王。その身体が今、ヘラクレス達の一撃によって頭から一刀両断にされたのだった。

しばらくすると真っ二つに割れて硬直していたサターンの身体は、切り口から白い光に包まれながら蒸発するように消滅し始めた。蒸発した身体からはもう、先程のような禍々しい魔力は感じられなかった。


長い戦いに終わりを告げるかのように、闇に覆われていた空から暖かい光が差し込んできた。それと同時に、サターンをはじめとするタイタン族の襲撃によって荒廃した街は修復し始め、破滅のオーラによって世界各地で発生していた異常気象や災害も全て終息の一途を辿っていた。

一部始終を見ていた戦士や兵士達は目の前の光景にただ呆然としていたが、光を取り戻した上空から一つの影がこちらに向かって来ているのが見えた。その存在に気づくと、皆は歓声を上げてその人を迎えた。


「「ヘラクレス!!!」」


「みんな、ごめん。遅くなっちゃった・・・」


その身体は傷だらけで今にも倒れてしまいそうなほど痛々しいものであったのに、ヘラクレスはまるで何事もなかったかのように微笑みを返した。


「お前、本当に無茶しやがって・・・。本当に、心配したんだからな・・・」


ヘラクレスの前まで歩み寄ったテセウスは今にも泣きそうな声を振り絞ってそう言うと、思いっきりヘラクレスを抱き締めた。ヘラクレスは体勢を崩しそうになりながらもテセウスを抱きとめ、自身の肩に顔を埋めて啜り泣く彼の背中を優しく撫でた。

テセウスに続き他の戦士達や兵士達も皆ヘラクレスの周囲を囲んだが、兵士の一人がある違和感に気づいた。ヘラクレスと一緒にいたはずのミネルヴァがいなかったのだ。


「ソルジャーヘラクレス、ミネルヴァ殿は何処へ・・・?」


その兵士がミネルヴァの居場所を問うと、ヘラクレスは穏やかな表情で答えた。


「ミネルヴァ様はオリュンポスに向かいました。何でも、ゼウス様とアテナ様に直々に報告したいと・・・」







ヘラクレスが皆に祝福されているその頃、オリュンポスではミネルヴァが神々に戦いの報告を行っていた。じっくりとその報告を聞いていたゼウスは、ミネルヴァが話し終わると感心したように唸りながら深く頷いた。


「ミネルヴァよ、其方とヘラクレスの戦い、実に見事であったぞ!しかし、この勝利は其方達だけの力ではない、地上界の皆の”勇気”が一つになったからこそ掴めた勝利である」


「はい、ご尤もでございます。力を授けてくれた彼等には、感謝してもし切れません・・・」


先程までの緊迫した空気が、一気に和やかなものとなった。ゼウスの隣で報告を聞いていたアテナからも思わず笑みが溢れ、その後ろにいたルカとダフネの二人も緊張から解放されたせいかブワッと歓喜の涙が溢れていた。


「ううっ・・・、ミネルヴァ様もヘラクレスも、無事でよかったわ・・・」


「うん。早くヘラクレスにも会いに行きたいな・・・」


妖精達がそんなことを呟いていると、この和やかな空気を壊すかのようにゾロゾロと足音が聞こえてきた。その足音は次第に大きくなり、気がつくとルカとダフネはアテナとその足音の主達の間に挟まれてしまった。この状況を不審に思ったルカ達を見ると、今まで黙っていたアテナがそっと口を開いた。


「ルカ、ダフネ、突然のところ申し訳ないが・・・」


「「は、はい・・・何でしょうか?」」


「どうやら、其方達を”裁く”時がやって来たようだな・・・」


「・・・あっ」


ルカは一瞬何のことを言われているか理解できなかったが、今自分の目の前にいる足音の主達の正体を知ると、みるみるうちにその顔は青ざめていった。

この人達の正体は、住人の不祥事を裁く審査をするオリュンポスの裁判官。そして自分はかつて、戦士を探す妖精の心得に反くような重い罪を犯したのだ。厳重に保管しなければならないヒーローストーンを、何の断りもなく、戦士探しとは関係のないダフネに預けてしまったのである。


「ひいいいいいっっっ、ごっ、ごっごめんなさい!!な、何でもしますから、オリュンポス追放だけはやめてください!!!」


ルカはいよいよ自分が裁かれることを悟ると、泣きじゃくりながら必死に許しを乞うた。そして、ルカの隣でアテナの言葉を聞いていたダフネも嫌な予感がした。


「あ、あの、其方”達”って・・・。もしかして、私もですか?」


「当然だ。重大なものだと知りながら、我々の知らぬところでヒーローストーンを持ち出したのだからな・・・」


「えええぇぇぇっっっ!?」


ダフネはまさか自分がいきなり裁かれるとは思いも寄らなかった。ダフネは恐怖の余りルカに抱きつき、二人でガタガタと震え上がっていた。しかし、妖精二人が怯える姿を見ても彼等の表情が変わることはなかった。全ての戦士を覚醒できたとはいえ、ルカとダフネが重大な罪を犯したことには変わりなく、アテナと裁判官達の判断は感情ごときでは揺るがなかった。


「ここにいる裁判官達と話し合った結果、其方達への罰が決まった。ルカ、そしてダフネよ、其方達の過ちを反省するがよい・・・」


「「ううっ・・・・・・」」


もう、ダメだ・・・。ルカとダフネは目を瞑り、罰が言い渡されるのを待った。目の前で怯える二人を冷静に見据えたアテナはスッと息を吸うと、静かにその判決を言い渡した。


「・・・早くヘラクレス達の元へ行ってやれ。それが其方達の償いだ」


「「・・・えっ?」」


今、何て・・・?意外な判決に二人はキョトンとしてしまった。オリュンポスから追放され、家族や友人、そしてヘラクレス達戦士にも会えなくなることを覚悟していたのに・・・、アテナから言い渡された判決は今の自分達にとってはただの”ご褒美”だった。

妖精達が呆気に取られている間にも、アテナは自分の側に控えていたミネルヴァにも次の指示を出していた。


「ミネルヴァ、其方も彼等の元へ行ってやりなさい。さあ、早く!」


「はい、承知いたしました」


ミネルヴァはアテナに対し立ち膝で深々と頭を下げるとスッと立ち上がった。そして、依然気が抜けたように棒立ちになっているルカとダフネに笑顔で呼びかけた。


「ルカ、ダフネ、行くぞ!遅れたら、承知しないからな!」


呼びかけられたことで我に返ったルカとダフネからは、次第に満面の笑みが溢れ始める。彼等の頭はもう、罰を逃れたことへの安心感よりも仲間に会えるという期待でいっぱいだった。


「「は、はいっ!!」」


ルカとダフネはアテナに感謝の一礼し、ミネルヴァの元へと飛んでいく。そしてその三人は、地上界へと向かうためにオリュンポスを急いで飛び出して行った。

アテナは三人の後ろ姿を見送っていた後、ふと隣にいる父親が気になりその姿を見る。彼は腕を組みながら、何やら考え事をしているようだった。


「・・・?父上、どうかされましたか?」


娘に問われると、父親は深く溜息を吐いた。


「・・・人間は、限りある力、そして命の中で生きておる。そして、地上界には人間一人の力では超えられない壁が山ほど存在する。だからこそ、人間は互いに協力し支え合うことで生きており、時に我々の想像を超えた大きな力を生み出していく・・・。全く、人間の底力というものは我々神々にも計り知れないのだな・・・」


「・・・ええ、そのようですね」


『人間の底力は計り知れない』・・・。今までたくさんの人間達の活躍を目の当たりにしてきた神々は、改めてこの言葉を胸に刻み込んだのだった・・・。







闇に包まれ時を感じさせなかった空は、もうすっかり晴れ渡っていた。

避難所いた人々は空の色が変わったのを機に次々と外へと飛び出していく。先程までの戦慄した世界が、まるで夢だったかのように元通りになっている。信じられないとばかりに皆は周囲を見回していた。

その中には譲治の母親茜と、勇輝の父親晃、そして妹の知奈美もいた。三人が避難所の敷地の入り口の方をふと見た時、その先から二人の人物がこちらに向かって走って来ているのが見えた。近づくにつれて二人の正体が分かると、三人はハッと息を呑んでその二人を迎えに行った。


「おふくろ!!」


「譲治!!」


茜の目の前まで走って来たのは愛息子の譲治であった。茜は走ってきた息子を一度ギュッと抱き締めると、その手を息子の両肩に置いて目と目を合わせた。


「よかった。一人で、寂しかったのよ・・・」


「ああ、ごめん。本当に、心配かけた・・・」


そしてもう一人、晃と知奈美の方へ走って来た。彼等の家族、勇輝であった。


「勇輝!!」


「お兄!!」


勇輝は晃と知奈美の前まで全力疾走したせいか、二人の目の前で手を膝について荒い呼吸を繰り返す。そして、深呼吸して落ち着かせると勇輝は父親と妹に笑顔を振り撒いた。


「父さん、知奈美。ごめん、遅くなっちゃった・・・」


「勇輝、無事でよかった!どこも怪我はないか?」


「へへっ・・・。ちょっと掠ったけど、大した怪我じゃないよ。大丈夫!!」


勇輝の顔や手には灰色の掠ったような痕がいくつかあったがもう痛みはなく、勇輝は家族に心配かけさせまいとその傷を拭って消そうとした。

とその時、避難所建物の入り口から見覚えのある人物が出てきた。幸恵であった。勇輝は母親の姿を久しぶりに見たような感覚になりパアッと表情が明るくなったが、それとは対照的に、幸恵は顔を俯かせ何も言わずズカズカと勇輝達家族の方へと歩いて来る。


「母さん!俺、帰ってきたよ!!」


歓喜のあまり勇輝が母親の前まで走って近づいた、その時だった・・・。




バシッ・・・




鋭い音が響き渡ったと同時に、勇輝の顔は横を向いていた。一瞬何が起こったか分からず勇輝は呆然とするが、その後すぐに左頬に激痛が走ったことでこの状況を理解した。自分は今、母親に思いっきり頬を叩かれたのだ。


「ママ!?ちょっと、何やってんの!?」


幸恵の予想だにしない行動に晃と知奈美も呆気に取られてしまう。勇輝本人からは見えなかったが、彼の左頬にはくっきりと赤い痕がついており、晃と知奈美の二人にも彼が受けた痛みがひしひしと伝わってきた。


「・・・何よ、何でそんなにヘラヘラできるのよ。探しに行こうにも行けなくて、心配でずっと苦しかったのに・・・」


しんと静まり返る中、これまで黙っていた幸恵が口を開いた。その声は、何か高ぶる感情を抑えるかのように静かに震えている。

母親を心配させないつもりが逆に怒らせてしまった。いや、今思えば当たり前だ。以前帰りが遅くなった時も何事もないように振る舞う自分をこっ酷く叱ったのだから。勇輝はまた同じことを繰り返した罪悪感に何も言えなくなり、ただ突っ立っているしかなかった。

また、怒られるのか・・・、勇輝はそう覚悟して目を瞑った。しかし次の瞬間、覚悟を決めた勇輝が受けたものは激しい叱責でも、平手打ちでもなかった・・・。


「・・・本当に、無事でよかった・・・」


目を開けてみると、勇輝は母親に強く抱き締められていた。


「・・・母さん」


母親に抱き締められるなんていつ以来だろう・・・。勇輝は少々照れ臭かったが、それよりも今は嬉しさでいっぱいだった。母親は自分のことを心配し、そして大切に思ってくれている・・・、そのことを改めて実感することができたのだから。


(ありがとう。本当に、生きて帰って来てよかった・・・)


勇輝はそう言うように母親を優しく抱き返した。







(『大切な人達と、ずっとこの世界で生きていきたい』、か・・・)


勇輝達家族の様子を遠くから見ていたミネルヴァ、いや、峰元さやかは、ヘラクレスが言い聞かせてくれた言葉を思い出していた。

勇輝には、どんなに長く辛い戦いでもずっと待っていてくれる人達がいて、そんな人達と一緒に過ごす時間は、彼にとって幸せで掛け替えのないものである。そして、それは彼のことを待っている人達にとっても・・・。遠くに映る家族の笑顔を見て、さやかは改めてそう実感していた。

しばらくすると、勇輝や譲治が家族と共に避難所の中へと向かい始める。それを見て自分も帰ろうとさやかが敷地の出口の方へと振り向いた、その時だった。


「あら、さやかちゃん!」


さやかの存在に気づいた幸恵に呼び止められた。

さやかは勇輝達戦士とはもう話し終えていたので、家族の邪魔をしないようにさっさと帰るつもりだった。しかし、呼び止められたのを知っておいて無視は失礼だと思い、挨拶だけでもと振り返った。勇輝や他の家族達は先に戻ったようで、幸恵だけが笑顔でこちらへと走って来た。


「勇輝君のお母さん・・・。すみません、呼び止めさせてしまって・・・」


「ううん、いいのよ。それよりも、さやかちゃんも無事だったのね、よかったわ!」


「あっ、ありがとう、ございます・・・」


まさか幸恵が他人である自分にも気を遣ってくれるとは・・・、慣れない優しさにさやかは焦りと緊張で赤面してしまう。


「さやかちゃんは、これからどうするの?」


「私は、一旦家に帰ろうと思います。長い時間家を開けてしまいましたし、道路も問題なさそうだったので・・・」


「そう。私はこっちで色々片付けないといけないから・・・じゃあ、気をつけてね」


そう言うと、幸恵は避難所内へ戻ろうと後ろへ振り返りゆっくりと歩き始めた。さやかは突如襲った謎の緊張感から解放されてホッと息を吐く。さやかもこの場を去ろうと再び振り返ったその瞬間・・・、


「あっ、それから・・・」


幸恵は振り向きざまに、微笑みながら言った。




「ありがとう。最後まで、勇輝を支えてくれて・・・」




それだけ言って、幸恵は避難所へと戻っていった。


「・・・・・・!!」


さやかは一瞬ドキッとしてしまった。

あの言葉の意味・・・、まさか、あの時の祈りで私とヘラクレスの正体がバレてしまった?いやでも、自分は勇輝と一緒に”戦っていた”どころか”いた”とも一言も言っていないはずなのに・・・。

考えるところは多々あったが、それでもさやかは何となく嬉しいかった。以前見た時よりも、ずっとずっと深い親子の愛と絆を見れた気がして・・・。


「・・・ありがとう」


さやかは幸恵に聞こえぬくらい小さくそう呟くと、またゆっくりと歩き始めた。




Fin.

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