第9話・つぎのわたしへ

 キタキツネは、夢を見ていた。

 特に理由はないが、彼女にはそれとなく自分が夢の中にいるという確信があった。

 そこは、何もない雪原だった。彼女は辺りを見回したが、強く吹く風が足元の雪を巻き上げて視界を阻んだ。

 しかし、少し経つとその吹雪の中から一人のフレンズが近づいてきた。

 長い白髪に大きな耳と尻尾、黄色く輝く瞳の持ち主は、キタキツネのよく知る相手だった。

「オイナリ、サマ……?」

 フレンズは互いの姿がよく見える距離まで近づくと、キタキツネを安心させるように軽く微笑んで見せた。

「キタキツネ。よくぞここまで頑張りましたね。素晴らしい活躍でした」

 しかし、オイナリサマのわずかに憂いを帯びたような口調や表情は、キタキツネの現状をすべて理解しているかのようだった。キタキツネはそのことに気づくと、膝から崩れ落ちそうになるのをどうにかこらえて、ふらつきながらオイナリサマの方へと走った。

「オイナリサマ、ボク、ボクは……」

「ええ。すべてわかっています」

 倒れ込むように胸に飛び込んだキタキツネの頭を、オイナリサマは優しく撫でた。

「イナ、でしたか。あなたはなぜあの子をそうまでして守ろうとしたのですか? 私に似ていたからですか? それともギンギツネに認められたいからですか?」

 キタキツネは少しだけ考えるように黙り込んだ。しかし一度だけ鼻をすすって呼吸を整えてから、オイナリサマの胸に顔をうずめたまま言った。

「……最初は、そうだった。あの子のこと、もっと知りたくて。それで、お姉ちゃんみたいにかっこよくなりたくって」

 言葉を吐き出すごとに、彼女の声は震えた。

「でも、何もできなかった。ナナにも言われたんだ、ボクはお姉ちゃんとは違うって」

 彼女はそこまで言うと少し落ち着いたのか、オイナリサマを両手で突き飛ばすようにして一歩離れた。

「だから、なんかもうどうでもよくなっちゃった。お姉ちゃんになりたいとか、妹を守りたいとか。……それでもね、なんでかな、放っておけなくなったんだ。イナが苦しんでるのを見て、助けたくなっちゃったんだ」

 キタキツネの姉に対する憧れや嫉妬は、確かに他の目標よりも強いものだった。しかし、巨大セルリアンとの戦いが、彼女の気持ちにわずかな変化を起こした。姉の活躍を同じ戦場で見た彼女は、ギンギツネの持つ姉というステータスに関係ない強さを感じた。周りを見れば他のフレンズたちもそうだった。ホッカイチホーの大掃除も、セントラルでの最終決戦においても、姉妹でも何でもない、つい先ほど出会ったばかりのフレンズたちが、互いを守って戦っていた。

彼女たちの戦う動機はそれぞれかもしれない。しかしキタキツネの目には、彼女たちに共通する感情が見て取れた。

 群れの仲間を守りたい。

 それは、群れでの経験が少ないキタキツネにとって初めての感情だった。そして、イナの存在を通して、その感情は彼女を突き動かすほどに強くなっていた。

「お姉ちゃんは、お姉ちゃんだから強かったわけじゃないんだ。仲間が、みんながいたから強いんだ」

 自分も、自分なりに姉に近づきたい。その覚悟の強さに呼応するように、吹雪は勢いを増した。

「ならば、あなたはどうしたいですか?」

 オイナリサマの声に反応したキタキツネの瞳には、確かな『輝き』が宿っていた。

「みんなを、守りたい!」

 その直後、キタキツネの体は目が眩むほどの激しい光に包み込まれた。


 イナに纏わりついた紫色の光は、少しずつキュウビギツネの腕を通って彼女の体に移り始めた。

「いいわよ……。守護けものと大妖怪、二人の力が合わさればどんな災いにも打ち勝てる!」

 キュウビギツネが高笑いするその足元で、ハシビロコウとリカオンは拘束から抜け出すべく、歯を食いしばって藻掻いていた。

「あなたたちはそこで見ていなさい。わたしが究極の……」

 キュウビギツネがそこまで言いかけた時、別の方向から彼女の下半身に何かが絡みつくような感覚を覚えた。彼女がその方向を見ると、ナナが脚にしがみついていた。

「ふっ、ただのヒトごときに何ができると言うのよ」

 冷たくあざ笑うような顔に見下されながらも、ナナはそこから動こうとしなかった。しかしまだ涙の浮かんだ目で相手を見上げ、振り絞るように言い放った。

「何もできないよ!」

 しかしその一言で気力を使い果たしたのか、ナナの腕は次第にキュウビギツネの脚から落ちていく。

「何も、できないよ。そんなの、私が一番わかってる……。それでも、あの子の、キタキツネがやりたかったことを、少しでも……!」

 ナナの体力以上の強い意志が、キュウビギツネの集中をわずかに乱した。

「無駄なあがきを!」

 キュウビギツネがナナを振り払おうとした、その時。

「ほーげき!」

 声と同時に、彼女の脇腹に鋭い衝撃が走った。予想外の出来事に、彼女は思わずバランスを崩す。

 ナナが見上げると、そこでは両手を大きく横に広げ、キュウビギツネに右掌底を叩き込むキタキツネの姿があった。

「なっ!」

 キュウビギツネが驚きのあまり声を上げたその一瞬、キタキツネは素早く彼女の反対側に移動し、今度は背中で押し倒すように体重を乗せた一撃を仕掛ける。

「うんしん!」

 全身に電気が走るような痛みで、キュウビギツネはイナを手放した。それを見てか、キタキツネはさらに体を反転させ、両掌で力の限り相手を突き飛ばした。

「そーこしょー!」

 実時間にして二秒にも満たない出来事だった。しかしキタキツネは正確に三連続の攻撃を命中させ、キュウビギツネを追い詰めた。

「キタキツネ!」

 ナナはその挙動を見て、すぐに思い出した。それはキタキツネがホッカイチホーを出る直前まで必死にやっていた格闘ゲームの技だった。彼女は確実に、ゲームから知識を得ていたのだ。

「……コンティニューだよ」

 空中に放り出されたイナの体を受け止めると、キタキツネは静かに告げた。


 イナの意識は、再びセントラルの風景の中にいた。

 やはり、目の前には白いキツネのフレンズが一人。他に気配はない。

「……あ、あのっ!」

 今度は自分から、イナはキツネのフレンズに声をかけた。しかし相手がそれに反応する様子はなく、彼女に背を向けたまま、どこかへと歩き出そうとしていた。

 イナはそれを引き留めようとしたが、待てとは言わなかった。代わりに、彼女は相手の名前を呼んだ。

「オイナリサマ!」

 キツネのフレンズが足を止め、驚いたような顔で振り向いた。しかし、彼女はイナの顔を見ると、どこか安心したように表情を緩めた。

「私、すべて思い出しました」

 イナは自らの胸に手を当て、何かを確かめるように、一言ずつ考えながら続けた。

「初めからすべて、私が選んだことだったのですね」

 そして、彼女はキツネのフレンズに歩み寄り、その手を強く握った。

「ならば私は、もう一度選びます」

 イナの瞳に覚悟の光が宿ると同時に、周囲の風景は一変して炎に包まれた。

「私は、あなたの力を受け入れます。……いえ、取り戻します!」

 キツネのフレンズは口を動かして何かを伝えたが、その声は炎の轟音にかき消された。

 やがて、二人の姿は炎の中に消えた。


 キタキツネの連続攻撃は確かに命中し、イナを取り返すことに成功した。しかし、その場にいる誰もが、それがあくまで不意打ちであったからということを理解していた。キタキツネも、自らの力の限界を知らないわけではなかった。

 そもそも、彼女の戦いは、キツネの狩りとは、連続攻撃や長期戦を想定したものではない。雪上など相手に察知されない位置から不意打ちの一撃で仕留める。それが本来のやり方である。

 つまり、キタキツネに二撃目以降の作戦はなかった。

 それでも、彼女はイナの体を背後の地面に寝かせて、再び戦闘体勢をとった。目の前のキュウビギツネは紫色の光を両手に纏わせ、ティルセルたちを引き連れて迫り来る。キタキツネが圧倒的に不利であることは、もはや誰の目にも明らかだった。

「やめろ、キタキツネ……」

 ハシビロコウが苦し紛れに声を出すが、キタキツネは少しも退く素振りを見せなかった。

「嫌だ。ボクは……!」

 キタキツネが言い終えるよりも先に、キュウビギツネが地面を強く蹴った。すると彼女の体は低空を滑るように、浮遊状態のままキタキツネと距離を詰めた。

 妖しく輝く爪がキタキツネに切りかかろうとしたその時、彼女の耳に声が聞こえた。

――ならば、少ししゃがんでみてください。

 どこから聞こえたのかわからない。まるで心に直接語り掛けるような声だったが、キタキツネは瞬時に反応した。そして言葉通りに身を低くした直後、彼女の頭上を強い熱風が吹き抜けた。まるで背後で爆発が起こったかのような強烈な熱風に、彼女は尻尾の先が焦げるような感覚を覚えた。

 キタキツネ以外にその声は聞こえなかったのか、目の前のキュウビギツネは熱風に押し戻されるように、ティルセルたちは体を転がされながらはるか遠くへと後退した。

 熱風が止むのを待ってからキタキツネが体を上げて振り向くと、彼女の背後、先ほどまでイナがいた場所には、イナよりもはるかに背の高い白いキツネのフレンズ、オイナリサマが立っていた。

「えっ」

 キタキツネは目を白黒させながら、その姿を何度も見直した。彼女だけではない。ナナも、警備隊の二人も、同様に驚きを隠せずに唖然としていた。

「いや、さっきまでそこにイナが、もしかして、えぇっ!?」

 ナナが座り込んだままの姿勢であたふたしていると、オイナリサマは彼女の肩を優しく撫でた。そしてキュウビギツネの方に向き直り、口を開く。

「ちゃんと説明しますよ。彼女も知りたいところでしょうし」

 彼女の視線の先では、キュウビギツネが熱気を払うように尻尾を振ってから、片手で眼鏡の位置を直していた。

「何が、何が起こったって言うのよ……」

「セーブモードですよ」

 オイナリサマは得意げに続けた。

「確かに私は、巨大セルリアンとの戦いで消耗していました。そこで私は、自らの力と記憶を精神の奥底に封じ込め、それ以上の消耗を防いでいたのです。イナの姿は、私が守護けものの力を手に入れる前のものです」

 オイナリサマは淡々と話すが、それがどれほど危険な選択か、キュウビギツネはよく知っていた。守護けものの強大な力を幼いフレンズの体に預けるということは、それがいつ他のフレンズやセルリアンに奪われてもおかしくない状態になるからだ。彼女がイナを狙ったのも、それを好機としたからだ。

 また、その力が再び必要になった時、守護けものの記憶を持たないフレンズに、力を受け入れることを決心させなければならない。それは決して容易なことではなく、ともすれば彼女は永遠にイナの姿のまま、戻れない可能性すらあったのだ。

「私にとってもこの選択は勇気のいるものでした。ですが……」

 オイナリサマはナナや周囲のフレンズたちを見てから、両手を大きく広げた。

「私には皆さんが、ジャパリパークのフレンズたちがいます。彼女たちなら、私や周りの子たちが危なくなった時に、私を、イナを勇気づけてくれると、信じていました」

 彼女がいかに危険な橋を渡ることに成功したか、それはキュウビギツネの戦慄した表情がすべて物語っていた。

「ちなみに、この方法を思いついたのは私ではありません。ギンギツネです」

 巨大セルリアンとの戦いの後、イナも見ていたあの光景の中で、ギンギツネはオイナリサマの身を案じて助言をしていた。ギンギツネ本人にはそれが可能なのか確証はなかったが、オイナリサマには自信と、それに足る周囲への信頼があった。

「そして、最後に私の背中を押してくれたのがキタキツネです。そもそも彼女がいなかったら、私はホッカイチホーに取り残されるところでしたし」

 いまだに口を開いたまま動かないキタキツネを見て、オイナリサマは微笑んだ。

「ありがとう、お姉ちゃん」

 そう言われると、キタキツネは我に返ると同時に、顔を真っ赤にさせた。

「ちょ、お姉ちゃんって、その見た目で言われると、なんか……」

「ふふっ。妹というのも悪くないものでしたよ」

「や、やめてよそういうのー!」

 巨大セルリアン戦以来の再会に、警備隊の二人にもわずかに笑顔が戻りつつあった。

 しかし、地面に叩きつけるような強い足音がフレンズたちの意識を戦いに戻した。足音の主であるキュウビギツネは、両手に纏う紫色の光をさらに強め、その体は怒りに震えていた。

「つまり、わたしは初めから踊らされていたというの? 守護けものでも何でもない、ただのフレンズたちに……?」

「まあ、そういうことになりますね」

 キュウビギツネの燃えるような気迫に動じることなく、オイナリサマは言い返した。

「おっと。これ以上の争いは無意味ですよ。この姿に戻ればあなたと私の力はほぼ互角。どちらかが倒れるまで戦うなど、お互いに望ましくないはずです」

 キュウビギツネが再び飛びかかろうとしたのを察してか、オイナリサマは手を伸ばしてそれを制止した。キュウビギツネが戦意を失ったのは、その直後に警備隊の二人の拘束が解けたことが証明していた。

「あなたが何を求めていたか、何を恐れていたか。私にも少しはわかります」

 キュウビギツネがイナの体からオイナリサマの力を奪おうとした時、二人の精神は短時間ながら繋がっていた。その際、イナはキュウビギツネの計画の一端を見ることができたのだ。

「パークのためとあらば、私はこの力をあなたに譲ることも考えました。ですが、そのために他のフレンズたちを傷つけることは見逃せません。そして恥ずかしながら、私を傷つけることを許してくれない子もいるようですし」

 オイナリサマがそこまで言い終えると、キュウビギツネは警備隊の二人を拘束していた力を弱めた。彼女自身、それが失意によるものかどうかはわからない。だが少なくとも、警備隊による度重なる抵抗、ナナの無力なあがき、そしてキタキツネの復活が、彼女の集中力を著しく乱していたことは確かだった。

 ハシビロコウとリカオンは拘束から逃れると、すかさずオイナリサマのそばに移動し、戦闘の構えをとった。双方に戦う意思がないことは明らかだったが、二人は脱出する時に感じた違和感をぬぐい切れずにいた。

 直後、オイナリサマの熱風によって吹き飛んだティルセルが異様な動きを見せた。

 九体の内の一体が、突然激しく振動を始めたのだ。その幅は次第に大きくなり、残像で姿が大きく見えるほどだった。それに反応してか、残りの八体は散開し、キュウビギツネやオイナリサマたちを囲むように移動した。

「お前、やはりまだ……!」

 ハシビロコウがキュウビギツネに飛びかかろうとしたのを、オイナリサマはその前に踏み出て制止した。

「いえ。これは彼女によるものではありません。そうですよね?」

 キュウビギツネは何も言わなかった。しかし、彼女の恐怖に染まった表情がすべてを物語っていた。

 ティルセルの集団は、キュウビギツネがオイナリサマの力を奪うため、その邪魔をする者を排除するために作ったものだった。本来であればその行動は彼女の意思によって操作され、自由に消すことも可能だった。しかし、持ち主の集中が切れたこと、そして一瞬でもその目的を見失ったことで、集団は持ち主の手から離れた。彼らは今、キュウビギツネの能力を分け与えられたセルリアンとして、持ち主から独立しようとしていた。

「おそらく、中心で振動している一体が司令塔でしょう。ハシビロコウ、リカオン、他の相手をお願いできますか?」

「わ、わかった」

 ハシビロコウはリカオンに短く合図を送ると、オイナリサマの左右に立った。その間からオイナリサマはゆっくりと中心のティルセルに、その手前に立つキュウビギツネに歩み寄った。

 キュウビギツネは背後で振動するティルセルと正面から向かってくるオイナリサマを何度も見た。その表情は振り返るたびに恐怖の色を強め、今にも消えそうなほどになっていた。

 しかし、オイナリサマはその手を素早く握った。

「こうなったのも、私たちの責任です。あなただけではありません。他のフレンズを巻き込んでしまった、私のせいでもあります」

「だが、あれは……」

 キュウビギツネの手は緊張のせいかすでに冷えきり、弱く震えていた。

「あら、もう忘れてしまいましたか? 守護けものと大妖怪、二人の力が合わさればどんな災いにも打ち勝てる。今からでも遅くはありません。共に戦いましょう」

 オイナリサマの体から臨戦態勢の弱い光が出始めたのを見て、キュウビギツネの震えは止まった。恐怖に染まりきっていた表情も安堵とまではいかないが、冷静さを取り戻していた。

 二人の目的が一致したのを察してか、ティルセルたちは少しずつ包囲の輪を狭め始めた。それと同時に、ハシビロコウとリカオンが左右の四体ずつと戦闘を始めた。

 だが、目的達成まで復活を繰り返す彼らの性質はキュウビギツネの術を離れてもなお変わることなく、ティルセルたちは何度倒しても立ち上がった。

「さあ、決着をつけましょう。キュウビギツネ」

 オイナリサマは左右の様子を見てから、キュウビギツネを避けるように彼女の背後、残り一体のティルセルの前に立った。

「でも、どうやって」

 ティルセルの振動は最初よりもはるかに強く、周囲の草木を激しく揺らし、砂塵を巻き上げるほどになっていた。風に乗って飛来した枝葉や巻きあがった小石はその体に触れると同時に粉砕され、とても直接攻撃を仕掛けられるような状態には見えなかった。

「私が相手の周囲に小さく結界を作ります。それをあなたの力で押しつぶし、中身ごと破壊してください」

 キュウビギツネの返事を待つことなく、オイナリサマは深呼吸を始め、結界の準備をした。その背中を見て、キュウビギツネもようやく普段の不敵な笑みを取り戻した。

「……まったく、変わらないのね。周りを変に信用して無茶するその性格」

 オイナリサマがその言葉に応えることはなかったが、彼女が胸の前で両手を合わせた時、わずかに口角が上がった。

「いいわ。乗ってあげる」

 キュウビギツネは片手で眼鏡の位置を直し、オイナリサマの隣に立った。

「いきますよ」

「ええ」

「稲荷……大結界!」

「はあっ!」

 二人は目を合わせることもなく、最低限の合図だけで行動を開始した。しかしそのコンビネーションは限りなく完璧に近かった。オイナリサマが両手をティルセルに向けると、その周りにシャボン玉のような光の壁、結界が現れた。それとほぼ同時にキュウビギツネが片手で握りつぶすような動きをすると、広く展開されていた結界は瞬く間にその範囲を狭め、ティルセルの振動とほぼ同じ大きさまで迫っていた。

 しかし、ティルセルの力は二人の想定をわずかに上回っていた。

 結界の内壁にティルセルの体が衝突する際、その衝撃は結界を操作する二人に伝わる。激しい振動により何度も叩きつけられる衝撃は、確実に二人の余力を削っていった。

 結界を視覚化する光の壁は次第にその鮮明さを失い、狭まる速度も同時に勢いが衰え始めた。

「オイナリサマ、あなた復活直後だからって手を抜いてないかしら?」

「あなたこそ、自分が作ったセルリアン相手に、情でも湧いたのではないですか?」

 言い合いながらも、二人は結界への集中を切らすことはなかった。しかしティルセルの振動を止めることはできず、結界の一部にはガラスを叩いたようなひびが入り始めた。


 一連の戦いを、ナナとキタキツネは中心で見ていた。

 復活するティルセルに止むことない攻撃を加え続ける警備隊、正面で結界を展開するオイナリサマとキュウビギツネ。彼女たちの体力は想定以上の長期戦によって削がれ続け、包囲網はわずかに狭まり始めた。

 戦況を理解してか再びおびえ始めたナナを尻目に、キタキツネの視線は一点に集中していた。

 司令塔と思わしき、振動するティルセル。その行動は周囲の木の葉や砂塵を巻き込み、また結界の光によって視覚による情報を極限まで減らしていたが、キタキツネにはそのすべてが「見え」ていた。

 激しい振動によって発生する熱、揺れる空気や障害物は、ティルセルを中心にある程度規則的な動きをしていた。そして何より、激しく乱れる周囲の磁場がその中心点、セルリアンの核を示していた。

 結界の縮小によってティルセルの振動がほんの少しだけ妨害された一瞬、キタキツネは走り出した。

「……っ! 無茶だキタキツネ!」

 最初にそれに気づいたハシビロコウが声をかけるが、キタキツネは止まらなかった。彼女はただ一直線に結界に、その手前にいるオイナリサマの背中目がけて走り続けた。

 一方で、ハシビロコウの声がした一瞬、ナナの思考は冴えわたっていた。自分が今何をするべきか、その結論は限りなく短時間で導き出された。いや、あるいはキュウビギツネに抵抗したあの時から何も変わっていなかったのかもしれない。

 心の向くまま、ナナは大きく息を吸い込んで、叫んだ。

「やっちゃえ! キタキツネーーーっ!!」

 キタキツネはオイナリサマの数歩後ろで跳んだ。そして彼女の肩を踏み台代わりに、さらに一歩大きく跳ねた。

 予想外の方向。キタキツネに踏まれたことで、オイナリサマは体勢を大きく崩した。そして、すでに限界を迎えようとしていた結界は完全にその光を失い、一瞬でティルセルを解放した。

 オイナリサマはすぐに結界を再構成しようとしたが、その時にはすでにティルセルが目の前まで迫っていた。激しい振動によって舞い上がる砂埃は、砂嵐と呼べるほどの規模に達していた。

 キタキツネは、その中に飛び込んだ。

「キタキツネ!」

 思わず声を上げるオイナリサマ、しかしその時彼女の目に映ったキタキツネは、耳を畳んで目を閉じていた。

 振動と砂嵐によって阻害されるあらゆる感覚を閉じ、自らの信じる最も鋭い感覚、磁場だけを信じて飛び込むキタキツネのけものミラクル、ジバっとジャンプ。刺すように両手を突き出した彼女の体はティルセルの胴体を貫通し、正確に核を叩き割った。

 一瞬の出来事だった。ティルセルを倒したキタキツネが着地すると同時に舞い上がった砂嵐は止み、周囲にいた残り八体のティルセルは霧のように消え去った。

「……よしっ」

 キタキツネは、手ごたえを確かめるように両手を何度か握ってから、小さくガッツポーズをとった。


 数日後、キタキツネとナナはセントラルのとある喫茶店のテラス席にいた。

 キタキツネは落ち着かないのか、ジュースのコップに刺したストローをくわえたまま止まっている。

 しばらくすると、道の向こうから二人のフレンズが歩いて来た。

 ギンギツネと、彼女の所属する警備隊の隊長ライオン。キタキツネの鋭い感覚は、ナナよりも先に二人の正体を察知できた。

 大けがをしたことによるキタキツネの療養検査期間と、別の任務でセントラルに来れなかったギンギツネは、この日ようやく再会することができた。


 ティルセル討伐直後から、再びオイナリサマとキュウビギツネの目撃情報はなくなった。


 岩山地帯であるホートクチホーには、各所に広範囲を一望できる高山がある。彼女たちはその頂上からすべてを見ていた。

「なるほど。セルリアンを支配する、か」

 一人は強風にマントをたなびかせながら、足元に突き立てた槍を引き抜いた。

「おい、どこ行くんだよ」

「次の計画は決まった。奴らを追うぞ」

「ま、待ってよ。ここ風が強くて……」

 やがて三人のフレンズはその場から姿を消した。

 彼女たちがキツネロイドの設計図を手にするのは、まだしばらく後の話である。

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ニアザフレンズ 史郎アンリアル @shiro_unreal

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