黒い石の盆栽

 鮟鱇駅の南側は、安酒場が連なる繁華街で、少し先は工業地帯が広がっている。

 それに対して北側は、できたばかりのショッピングモールや高層マンションがあり、全体に上品で高級感のある街並みになっていた。周囲は閑静な住宅街である。

 そんな中、駅近くのとある小奇麗なオフィスビルの一階に〈ギャラリー灯〉という画廊があった。ここでは現在、れいみゅら原画展が開催されている――はずだった。

 〈れいみゅら〉というのはネット上でイラストを発表していた時のハンドルネームだが、プロになった今もその名を使っていた。大人気オンラインゲーム『31タワーズ』のイメージイラストを一手に引き受けて注目を集めていた。

 楠律央(くすのきりつお)も、そんなれいみゅらの大ファンで、この原画展を楽しみにしていた。版画の販売もあると聞いて、何とか買えないかなどと考えていた。

 だが、〈ギャラリー灯〉についてみると、どうも様子がおかしいことに気づいた。幻想的なれいみゅらのイラストが、まったく視界に入ってこない。

 受付の人に聞いてみると、れいみゅら展は昨日で終わったとか。日付を間違えて記憶していたらしい。今やっているのは盆栽展だった。せっかく来たのだから、見ていってください、と受付の女性に勧められ、律央は会場へ入った。盆栽なんかジジイの趣味に興味ねえよと思ったが、どうせ入場は無料だ。

 だいたいなんで画廊で盆栽展なんかやってるんだと思いつつも、とりあえず一周してみる。ほとんどは、まあふつうの盆栽だった。そんな中で一つ律央の目を引いた作品があった。

 それは盆栽と呼ぶにはあまりに奇妙な作品だった。そもそも木が植えられてない。四角い鉢に苔むした土は普通の盆栽だが、中央部に埋め込まれているのは黒い石だった。それも自然石ではなく、幾何学的に成形された高さ十五センチほどの正八角柱だった。

 作者名は宇都宮克季、タイトルは「黒い石」となっていた。

 何だこれはと思いながらも、妙に惹かれるものを感じた。盆栽というより実際の風景をミニチュア化したジオラマみたいだった。

 苔もいい感じに生い茂っていて、少し青みがかった色にも独特の風合いがあった。

 結局、律央は黒い石の盆栽の印象だけを記憶して家へ帰った。


 律央は、その後もあの盆栽のことが頭から離れないので、作者名をネットで検索してみた。

 するとこの宇都宮克季という盆栽作家の書いているブログを見つけた。それを読んでわかったのは、この人は黒い石の盆栽ばかり何十個も作っているということだった。黒い石は同じ十数センチの八角柱だが、鉢の上での配置や、苔とのバランスがそれぞれ違って、どれも独自の美しさがあった。

 そしてもう一つ、この黒い石の盆栽は、キットを通信販売していることも判明した。これを買えば誰でも自宅で黒い石が鑑賞できるというもの。苔は自分で育てることになるので、世界に一つだけの情景を所有できるのだった。

 こんなもの買う人いるのかな、と律央は思った。値段も安くはない。だが、あの黒い石の盆栽を自分の部屋に飾ることを想像してみると、急に欲しいような気がしてきた。高目の金額も芸術作品と思えば、安いぐらいではないかなどと考えているうちに、いつしかクレジットカードの情報を入力し購入ボタンを押してしまっていた。


 数日後、律央は宅配便で届いた盆栽のキットを受け取った。

 早速作ってみる。説明書を読むと難しい作業はなさそうだ。四角い鉢に土を入れ、黒い石を埋め込んだら、その周りに苔を配置するだけだ。

 石をどこに置くか迷ったが、ここはシンプルに中央に建てることにした。そして苔を周囲に軽く押し付けるように植えていく。あとは、霧吹きで水をかけたら完成だ。

 出来上がったものを眺めてみる。何となく作り物めいて安っぽく見えた。まだ苔が馴染んでないせいだろう。日が経てばいい感じになるのではないか。

 律央は、本棚のガンプラを置いていたスペースを片付け、そこに黒い石の盆栽を置くことにした。それで部屋の雰囲気が大人っぽくなった。その夜は日課であったネットゲームもやらずに寝に就いた。


 そして彼は夢を見た。烈風吹きすさぶ荒野をさまよう夢だった。やがて彼はそびえ立つ黒い石を見出した。空は赤黒く異様に輝いていた。彼は吸い寄せられるように黒い石の前に立った。滑らかな石柱の表面を眺めていると、不意に遠近感がおかしくなったような奇妙な感覚に陥った。石の表面がまるで宇宙空間とつながっているような、そう思った直後には、彼は暗黒の中へと落下していた。どこまでも無限に落下していく……。

 圧倒的な恐怖感に包まれて彼は目を覚ました。その時にはもうどんな夢を見たのか忘れていた。ただ黒い石のイメージだけが、かすかに記憶に残っていた。


 律央はOA機器のメンテナンスが仕事だった。特にやりがいがあるわけでもなく一日が長かった。

 家に帰って盆栽を見ると、苔が育っているのがわかった。土にへばりついた緑の苔の中から紫がかった茎が伸び始めていた。一日でよくこんなに育ったなと思うほどだ。

 その夜もまた彼は夢を見た。風の吹く荒野だ。遠くにあの黒い石が見えた。自分はあそこへ行かなければならない、そんな気がして彼は歩きだした。空は不気味な黄色に光っていた。石に近づくと前方に人影が見えた。黒いコートを着た長髪の男がこちらへ歩いてくる。

「きみは楠律央だね」律央の前で立ち止まり男は言った。

 男の顔に見覚えがあった。それは、ブログで顔写真を見た盆栽作家、宇都宮克季だった。

「なぜ、ぼくのことを……?」律央は聞いた。

「きみは、黒い石の盆栽を買ってくれたじゃないか。そして夢を見る能力もある。私はそんな人間を探していたのだよ」

「探していた?」

「そうだ。そんな人間でなければ《旧支配者》と戦うことはできないからね」

「《旧支配者》……?」ただ相手のいうことを疑問形で繰り返す以外、彼にできることはなかった。

「人類誕生以前の地球へ到来した神のごとき存在のことだ。ルルイエにて眠るクトゥルー、名状しがたきものハスター、闇に棲むものナイアルラトホテプ、そうした名で呼ばれるものたちだ。今、かれらの多くは眠っているか力を弱められている。それはより強力な別の神によって封印されているためとする説もあるが、あるいは気まぐれな午睡のようなものかもしれない。そして《旧支配者》たちが目覚め、その能力をすべて発揮すれば、人類などは簡単に滅ぼされてしまうことになるだろう。その目覚めの時とはいつなのか。明日かもしれないし、千年後かもしれない。どちらであれ神々にとっては大した違いではないのだ。つまりわれわれ人類は今すぐにでも《旧支配者》と戦う能力を身につけなければ、未来などないも同然なのだ」

「ええ、ぼくにどうしろと?」

「まずは知識を得ることだ。手始めにラヴクラフトを読みたまえ」

「ラヴクラフトって……あの小説家ですか?」

「そうだ、もちろんそれはほんの入り口にすぎないがね……」

 声は遠ざかるように消えた。いつの間にかあたりは闇に包まれていた。彼は一人、宇宙空間を漂っていた。


 そして目が覚めた。

 今度は夢の内容をよくおぼえていた。黒い石の近くで宇都宮克季と出会いラヴクラフトを読めと言われたのだった。律央は、クトゥルー神話の世界観に基づくゲームが発売されるというようなニュースをたびたび目にしていて、それでラヴクラフトの名も知っていた。そんな記憶が夢に紛れ込んだのかもしれない。

 その日、仕事では得意先とトラブルがあり、なかなか大変な一日だった。帰宅も遅くなってしまった。

 黒い石の盆栽を見ると、苔は順調に成長していた。紫色の茎がゼンマイのような渦になって石の左右を囲っていた。全体に色合いも落ち着いていい雰囲気になってきた。

 しばらくぼんやりと盆栽を眺めていると、眠気がさしてきて、すぐに寝てしまった。

 夢の中で彼は、ディープパープルの空の下を歩いていた。いちめん星がきらめいていた。

 星空を背景に黒い石柱がそこだけ暗黒のシルエットを浮かび上がらせていた。彼は歩き出した。

 またその途中で宇都宮克季と出会った。

「君、ラヴクラフトは読んだかね?」と聞かれた。

「いや、忙しいもので、休日にでも読みます」

「そうか、それもいいだろう。では今日はあの黒い石についてでも説明しようか」

 そう言って宇都宮は歩き出した。律央も後をついていった。

「ところで君は、ここがどこかわかっているのかな?」

「どこかって……夢の中ですよね」

「ふむ、まあ、君にとってはそうかもしれないが、ここは現実の土地なのだ。グリーンランドだよ」

「あ、そうなんですね」

「あの黒い石はハンガリーのシュトレゴイカバールにも同じものがある。そうした超古代の遺物は形は違えど世界中に点在しているのだ」

「レイラインとかいうやつでしょうか?」

「まあ、そうだ。だが、線状というよりネットワーク状に地球を覆っている」

「イースター島のモアイとかですか?」

「そうだ。そうした謎めいた遺跡は、超古代文明の名残なのだ。アトランティスやムーといった大陸の沈没とともに滅びてしまったがね。そこにはわれわれ人類が《旧支配者》に対抗するための叡智が隠されているのだ。場合によってはそれらが邪教徒によって悪用されていることもあるが」

「邪教徒……?」

「《クトゥルー教団》などと呼ばれることもある。恐ろしいやつらだ。《旧支配者》に仕えることで自分たちだけ生き延びようとしているのだ。しかしそれは今日まで文明を発展させてきた人類を裏切る行為じゃないか。たしかに今の文明すべてが正しいとはとても言えないが、それにしたって……。君も気をつけたまえ、秘密を知りすぎた者には暗殺者が差し向けられるからな」

「えっ、暗殺……」

「まあ、君はまだ何も知らないのだから大丈夫だろうが……、ん、待てよ……おかしいぞ、ここは……」

 と、宇都宮はあたりを見回した。

 二人は黒い石を目指して歩いていたはずだったが、行く手をさえぎる茂みなどを迂回しているうちに、いつの間にか森に迷いこんでいた。左右にはけわしい崖があり、周囲は奇怪な植物が生い茂っていた。

「ここはサングカの谷だ!」

「何ですか、それは?」

別名魔蟲の谷とも呼ばれる恐ろしいところだ……これは罠だ……黒い石にたどりつければ、メイハーンへと脱出できるのだが、今となってはもう……」

 その時、ガサガサと茂みの中を大きな生物が動くような気配があった。

「あ、ぐあああぁっ」宇都宮が叫び声をあげた。

 黒い影が飛びかかっていた。よく見るとそれは巨大なサソリのような怪物だった。ハサミが何度となく首を切りつけていた。やがて被害者の首は切り落とされ、血が噴き出した。

「う、うわっ」

 サソリが向きを変えた。明らかに律央の方へ目を向け、飛びかかろうとしていた。律央は金縛りにあったように動けなかった。

「うわあああぁっ!」


 そこで目が覚めた。

「ゆ、夢か……本当に殺されるかと思った……」

 時刻はまだ真夜中だった。

 翌日もまた仕事だった。彼は昼休みに何気なくスマホでニュースを見ていた。するとこんな見出しが目に飛び込んできた。

〈日本人盆栽作家グリーンランドで謎の死〉

 記事を開いて読む。

 グリーンランド北西部の町カーナーク近郊で盆栽作家の宇都宮克季さんの変死体が発見された。地元警察の発表によると、死体は首を切断された状態で、死因は出血多量による失血死とみられている。傷口の様子から野生動物に襲われたのではないかとの説が出ているものの、どんな動物かは見当がつかないという。宇都宮さんは盆栽なのに木を植えないという前衛的な作風で話題になっていた。氏は最近、神話伝承についての研究もしておりグリーンランドへの旅行もその一環と見られている。

 そんな内容だった。

 グリーンランド……首の切断……あの夢は現実だったのだろうか。

 だとすれば、律央が宇都宮克季から聞いた、目覚めれば人類など簡単に滅ぼすという《旧支配者》の話も本当だったのかもしれない。

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溶解する地図 小倉蛇 @tada7ka

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