第4話 次郎


 私は一郎の家に戻った。四郎や五郎と付き合っている間も、夜はこの家に戻って過ごしていた。なんでだか、一郎が使っていた布団でないと、なかなか寝付けなくなってしまっていた。


「う~ん。どうしましょ。思うように良い寄生先が見つからないわ。このままじゃ私、消えてしまいそうだわ」


 ゴロンと横になって天井を仰いだとき、微かな声と羽音がした。


「……―――さま。姉さま! ミノ子姉さま!」


「え?」


 起き上がって声を探してみる。


「こっち、こっちですよ!」


「あら」


 枕の上に、一匹の虫が止まっていた。妹分のサナ美だった。背中のまだらな斑点が、彼女の特徴だ。


「サナ美じゃない! どうしたの? 久しぶりね」


 手を差し出す。サナ美はちょっと苦労しながら、私の指に捕まって、手のひらまで登った。


「ミノ子お姉さま! あなたはのんびりしすぎですよ! あなたが人型になられて、今日が三度目の満月であるとお気づきですか!?」


 サナ美は細かい足をブンブン振って喚いた。


「あー……もうそんな時期に差し掛かっちゃったのね」


「なにを悠長な……! だからサナ美は反対したのです! ミノ子姉さまにはまだ早すぎると! 今日中に寄生先を見つけなければ、ミノ子姉さまはその肉体を失うのですよ!?」


「だって、なかなか良い相手が見つからないんだもの」


「なにを選り好みしておられるのです! 寄生先なんて、なんでもいいではありませんか! もう……こうなったら……!」


 サナ美はバッといきなり羽を広げて飛び出し、器用にふすまの隙間から出て行った。


「なにかしら?」


 追いかけてふすまを開ける。サナ美は庭の隅の方から、その糸のように細い前肢で小瓶を抱え、ふらふらと戻ってくる。


「サナ美! 無茶しないで!」


 慌てて駆け寄り、彼女から小瓶を受け取る。サナ美は疲れたように手のひらに横になって、苦しそうに言った。


「その中に、あたし達が集めて加工した鱗粉があります」


 小瓶を見てみる。さらさらの砂のような黄金の粉が、半分ほど入っていた。


「鱗粉をかけられたオスは、たちまちに自我を失い、ミノ子姉さまの支配下となって、思いのままに操られるようになるのです。我ら種族に伝わる最終手段です」


「まあ便利!」


「そうでしょう。今からでも遅くはありません。その辺のオスにこれを振りかけてください!」


 サナ美がそう叫んだとき、玄関の方で音がした。


「……なに?」


 耳を澄ませてみる。足音は家に入ってきたようだった。その足音はこの家の構造を熟知しているみたいに慣れた動きをし、月明かりの染める廊下に現れた。


 はたして、そこに現れた人物を瞳にいれた途端、私は大きく目を見開いて、スうー……と密かに息を吸い込んでいた。


「一郎……?」


 一郎……一郎だ。いつもの古い服じゃなくて、綺麗なスーツに身を包んでいる。それに髪だって、いつもはボサボサ無造作ヘアーだったのに、清潔に整っていた。


「一郎……? 一郎なの……? 一郎!!」


 私は無我夢中で彼に飛びついて、ぎゅうぎゅう固く抱きしめた。そうした時、サナ美は「わあ!」と言って振り落ちていった。


「良かった……本当に良かったわ! 一郎! 私、嬉しい!」


「俺は一郎じゃありません」


 綺麗になった一郎は、妙に他人行儀で私をそっと引き離した。


「なに……なに言ってるの! 一郎じゃない! ほら、歯だってこんな……あら? 綺麗だわ」


 唇を引っ張って見てみる。真っ白とはいかずとも、彼の歯は綺麗なものだった。


「だ、誰!? あなた誰なの!?」


 一郎じゃないと分かると、急に警戒心が高まって、私は2・3歩後ろへ下がる。小奇麗な一郎は、小さく溜息を吐いた。


「一郎は俺の兄貴。俺は次郎ですよ」


「兄貴? 一郎、兄弟がいたのね……」


「兄貴にあんたのことは聞いてる。聞いたって言っても、死ぬ直前だったんだけど」


「え? そうなの? 一郎、私のことなんて言ってたかしら? うんと可愛いとか、天使のようだとか」


「若い変な女が庭に落ちてたって」


「……そう」


 なんだ、つまんないの……。


「突然で失礼だけど、ここしばらくのあんたの動きを、興信所で調べさせてもらいました」


 彼の語り口調は、淡々としたものだった。冷静でそっけない。


「興信所って……」


「素行調査したんだよ。これくらい当然と思いますよ。どこの誰かも分からない素知らぬ女を、両親が残したこの家に居座らせてたっていうのが、俺には信じられませんがね。まったく、死ぬまで馬鹿な兄貴だったよ」


 彼は両手を背広のポケットに入れて、部屋の中を見回した。両親が残した家ということは、次郎もここで子供時代を過ごしたのだろう。その目に懐かしむような色はなかったけれど、家に広がる遠くの思い出を、客観的に観察しているようだった。


「兄貴が言うには、あんたの名前はミノ子で、素性はまったくの謎。家事が得意で、黄色のものが好き。死ぬ直前の一本の電話で聞いただけじゃ、まったく要領を得なかったよ。兄貴はついに頭がおかしくなって、都合のいい妄想にとりつかれていると思いましたね」


「それで、私を調べたのね」


「信頼のおける興信所の報告によると、あんたは確かに変な女だった。大抵はチェックのワンピースを着ていて、その姿であらゆる男を漁り探し、節操もなく尻尾を振ってついていく。それなのに、夜には必ずこの家に戻り、兄貴の使い古した煎餅布団で就寝する。とんちんかんな行動だと思いましたね」


 彼は立ち話だけで済ませるつもりらしかった。くつろごうともせず、規則正しい早口で用件のみ伝えているようだった。一郎と似た顔が冷たい表情を浮かべているのは、少し奇妙で怖かった。


 でも、そのギャップもいい。


「次郎。ステキ……! あなたって、一郎に似てるけど、中身は全然違うのね。あなたとなら、地獄までもお供するわ」


 なにが良いって、懐かしさを感じる目が好き。喋り方は違っても、鼓膜に残る声の響きが、よく似ていて愛おしいわ。


「きっと、次郎が私の運命の相手なのね」


  恍惚と見つめる私の視線を置いて、次郎は部屋の中へ立ち入った。


「あんたって本当に変な人だね。興信所の報告を見てると……なんていうの? 痛々しくってさ。きっと、自分の気持ちが見えないんですよね」


 彼は部屋の荷物を点検するみたいに見て回った。その隙に、サナ美が私の耳に止まって、ちょっと悪い声で囁いた。


「ミノ子姉さま。ちょうどいいじゃありませんか。やってやりましょうよ。鱗粉を振りかけるのです」


 私は小瓶をぐっと握る。

 そうね。本当にちょうど良かったわ。サナ美の言う通りよ。さあ、次郎。あなたはこれから、私の寄生宿として、私の思いのままになるのよ。

 小瓶のコルク蓋を開けたとき、次郎は声を上げた。


「あ、やっぱりあった」


  彼は部屋の隅にあるタンスの一番上を開けて、そこからなにかを取り出した。タバコの箱だった。彼が振ってみると、カラカラと乾いた音を立てた。


「一郎のタバコだわ」


「はい、中身はタバコじゃないですが」


 彼は箱の中身を出した。小さく四角に折りたたまれた紙だった。紙を開いて中身に目を通し、次郎は微かに笑った。


「兄貴からあんたへの手紙ですね。『もしも生まれ変わったなら、今度は長いことあんたの寄生宿にしてくれ』ってさ。寄生宿って……変な言い回し。二人の間では、そう言うんですか?」


 次郎が言っている途中から、私は固く拳を握って硬直していた。瞬きをしてしまわないように、うんと目の淵に力をこめたんだけど。


「兄貴も変な奴でさ、大事なものはタバコの空箱にしまうんだよね。本人としては、そのまま中身を確認せずに捨てられるっていう可能性も、考えた上でそうしてるみたいですよ。とくに自分の気持ちを記すものなんかは、捨てられてもいいって思ってるみたいですね」


 次郎は、そのちっぽけな紙切れを私の手に握らせた。


「兄貴がね、あんたが望むなら、ここに住ませてやってほしいって。勝手なもんですよ。この家を引き継ぐ権利のある塚間家の人間は、俺だけなんですけどね。ま、いいけどね。あんたが塚間ミノ子ってことでも」


 少しの間、次郎は部屋の中を見て回り、「あーあ。ここ母さんと父さんの部屋だったのに」と山積みになった一番上の本を、指で摘んで開き、すぐに落とした。それから立ち上がり、私の横を過ぎて入口に向かった。


「それだけだから。俺は帰りますね」


 そうして出ていこうとした次郎だが、彼は入口のところで振り返った。そして一郎とよく似たその顔その声で、最後に言った。


「あんたも、帰りなよ。兄貴のところに。気持ちを、還してやりな」


 静かにふすまが閉じて、月明かりが途絶える。豆電球だけのぽう…っとオレンジの部屋で、私は立ち尽くした。


 ついさっきまで、次郎が運命の人だと思った。それなのに、私は地面から根が生えたみたいに、そこを一歩も動けなかった。


「なにをやってるのです、ミノ子姉さま! はやくしないと、あなたは思念体に逆戻りですよ!? 我々種族が、煙みたいに実態のない思念体として、宇宙の隅っこでどれほど惨めったらしい永遠の孤独を過ごしてきたか……永遠の時よりも、いつかは崩れてしまう形ある生命として生きると、そう決めたではありませんか!」


 サナ美が叫び、急かす。

 私の右手には小瓶が、左手には紙切れがあった。私は部屋を出て、窓を開けた。まん丸の月が、その神秘的な光で私を染める。


「ミノ子姉さま、急ぎましょう!」


 私はサナ美に微笑みかけてから、小瓶をひっくり返し、中身の鱗粉をばら撒いた。


「ああ……っ! なんてことを!」


 さらさらと流れる金色の粉の中に、寄生宿のオスたちが思い浮かぶ。

 キンピカ歯の四郎に、無頓着な五郎。なにを言っているか分からないROKURO……。彼らという宿を、巡りめぐって……。


『もしも生まれ変わったなら、今度は長いことあんたの寄生宿にしてくれ』


 彼の言葉を抱きしめるように、紙切れを胸に押し当てて目を閉じる。


「一郎……ミノ子は、あなたの魂に嫁ぎます」


 結局のところ、私は『塚間一郎』という宿に帰りたがっていることに気がついた。






 『寄生宿めぐり』-END-



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寄生宿めぐり 秋月 春陽 @chiaroscuro_a2

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