第44話 あかごは寝て学ぶ。効率のいい方法だ

 「我らが関わった者、またはその者が強く望んだ時、その者に関わった者の中から、ひとつを選択し、幾らかを削ぎとり、風前の燈火に陥った蝋燭に付け替えること。上手く火が灯れば、その者は誰かの分だけ、延命できるということになる。勿論、死神が気付けば元の木阿弥じゃが、奴らとて、担当が多く、そこまで気がまわらないというのが現状じゃよ」

 「そんないいかげんな」

 「まぁ、そう言うな。生死のやり取りを常とする死神にとっては、命など書類を右から左に受け流すのに等しいは。言ったであろう、立場が変われば、物の見方も変わると」

 「そんな無慈悲な…」 

 「だから、儚いというではないか」

 「人が夢を見ると書いて儚い、か…」

 「生命体の数は、我らが推し量ることのできない世界の方々が、管理していると聞き及ぶ。そのやり取りは、まるで金融政策のように調整されていると聞く。彼らの意図に沿わない結果が、出れば、戦争や大事故、大地震や大きな台風などの災害を用いて、調整を行っているらしい。完璧な世界ではない。人は人と接し、またその人が誰かに接する。無限の展開が広がる。そこに、餓鬼などの勢力が介入してくる。そうなれば、予測は予測。常に微調整を必要とすることになる。さらに、火の国、日本は萬の神々がおられる。それだけ自由な発想が存在する、と同時に、それに反する餓鬼の発想も存在する。世の中は、萬の神々に対し、餓鬼の数は極端に少ない。ただ、低級霊や邪鬼などは多い。この図式を例えるなら、こうだ。万人に降り掛かる災難は、病や怪我だ。病や怪我の被害の大小を、低級霊や邪気の力の強弱と例えよう。人は、手術や薬によって、病を克服する。医学の発展、進歩が、幾多の病を不治の病から、完治可能な病へと導いておる。他人を思いやる気持ちや良心が蔓延すれば、妬みや憎しみなどの悪意の発生を抑制できる。即ち、低級霊や邪鬼は克服できる範疇にあり、いまだに不治の病や殺人ウイルスなどの特異な存在が、餓鬼ということになる。人が生きるとは、発展、進歩を遂げること、それが、結果として、皆が住みよい世界を創造すると、我らは教えられておる。簡単に言えばだが」

 「何か言えぬことが含まれているような言い回しですが…ああ、これは何ですか。頭の中が膨らむような気がするのですが」 

 「それでいい。私の一言一言が、聞こえる言葉でなく、その真意をそなたの脳へ送り込んでおるのじゃから。現に私の言えぬを悟ったではないか、順調よ。これも修行の一環じゃと思うて受け止めよ」

 「空界の修行とは学問を学んだり滝行のようなものではないのですね」

 「だいぶ、分かってきたようじゃな。寝る子は育つと言うじゃろ~て」

 「私は子供ですか…確かに私は、ここでは四歳半…ですね」

 

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