第16話 儚さは、人の夢

 「ありがとうございます。これで龍之進様と一緒になれるんですね」

 「さぁ、夜も更けている。道中が大変だ。早く渡しておいで。人目に付くといけない。私は、約束の場所に先に行って待っているよ。場所はわかるな」

 「はい。すぐに返して、追いかけます」

 「それじゃ、先に行く」


 ふたりの置かれていた状況は、常に人目を憚るものだった。それが、ふたりの関係であり、もはや習慣めいたものになっていたのです。


 絶望と夢の狭間で、夜道を目的地へと竜之進は、急いだ。その時、懐から、布包が落ちた。かんざしだった。新たな旅立ちの証として、おみねに贈ろうとしたものだった。

 会ってからでもいい、そう思った。しかし、必ず現れるという自信はなかった。龍之進は、その不安に押し潰されそうになり、居てもたってもおられず、引き返すことにした。


 虫の知らせ?


 胸騒ぎ?


 苛立ちに似た喪失感が、龍之進を包み込んでいた。

 会えなければ、遊郭の出入り口付近で待てばいいと思っていた。


 裏木戸に着いた。


 声がした。


 そっと覗いて見た。


 行灯の灯りに照らされた縁側に座る人影が見えた。

 佐吉とおみねだった。一瞬、我を疑った。でも、紛れもない現実だった。

 おみねは、佐吉の膝に体を委ねていた。佐吉の右手は、おみねの胸元に滑り込み微

かに動いていたのに反応するように、おみねの頬は昂揚していた。


 「思ったより、簡単だったわね」

 「ああ、馬鹿な小僧だ。今頃、期待して、愛しいお前を待ってるぜ」


 佐吉は、羽交い締めしたおみねを左右に揺さぶった。


 「言わないでよ、これでも少しは胸が痛んでいるんだから」

 「そんな奴が、こうして胸を揉まれるか」

 「ばか」


 龍之進の頭の中には、絶望感という蛆(うじ)虫が無数に繁殖し、蠢いていた。


 夢だ、夢だ、これは夢だ。夢なら早く覚めろ、こんちくしょうめ…あぁぁぁ。


 「本当に悪い人ねぇ、私からだけでなく、あの商人からも、がっぽり手数料をふんだくっているんでしょ、本当にワルなんだから」

 「嫌いかい」

 「もう、意地悪」

 「こんな時、侍だったら、お主も悪じゃのう、とか言うんだろうぜ」

 「ばか」


 あはははは。

 ふたりの高笑いは、龍之進の精神を完全に崩壊させた。自暴自棄になった龍之進は後退りし、尻餅をついた。一刻も早く、その場を離れたかった。立ち上がると、無我夢中で走った。走って、走って、走り続けた。涙が溢れ、前が見えないのもお構いなしに走った。


うおぉぉぉぉー


 内蔵が引き裂かれるような苦悩の叫びは、闇夜に溶け込んでいった。


 「いま、何か聞こえなかった?うぉーって」

 「何も聞こえねぇぜ。犬の遠吠えじゃねぇのか」

 「そ・そうね…気の…せいね」


 おみねは、龍之進の声を聞いたような気がした。


 場面が、歪んだ。朽ち果てた龍之進の魂に大言厳法師の声が入ってきた。


 『龍之進よ、この場面を覚えておくがよい。これが「分岐点」となるゆえ』

 場面が再び歪み、映像が再開した。

 

 

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