第146話 行先 【3/4】

「方法は、あります」


 アンがそう返したのは、十分にカナリアとシャハボが触れ合ったのを見終えてからであった。


「とはいえ、先ほども申しましたが、ルインとウールーの間に、まともな国交はありません。

よって、通常の手段でウールーに行くことは不可能なのです」


 少しだけ困ったような表情を見せながら、彼女は広げた地図に再度手を置いた。


「実はウールーの首都ラガシュと、このノキは、地図上で見れば近い位置にあります」


 カナリアが目を向けたのを確認してから、アンは、地図上で首都ラガシュからノキに向かってまっすぐに指でなぞる。

 確かに地図上で見る分には、その二つは比較的近いものであった。しかし、両地点を繋ぐ街道はもちろんのこと無く、それよりも、問題ははっきりとその上に明示されていた。


「ええ、問題は、ウールー側の方にかなり近いですが、両者の間に竜の背骨と呼ばれる長い山脈があることです。

 これをまともに登って反対側に抜けることはできません。山が非常に高いということと、そこには無数の竜の巣があるのです。

 どちらか片方だけであれば、力押しが出来る可能性が万に一つでもあるかもしれませんが、両方ともなると無理です。流石のカナリアさんであろうとも相当難儀するかと思われます」


 無理を提示しておきながら、既にアンが解決策を持っていることを知るカナリアは、【それで?】と石板で問い返す。


「はい。山脈のある地点に、山脈を貫く形でルインとウールーを繋いでいる抜け道があります。

 山脈のふもとに、イトドリという小さな街があるのですが、そこの近くにウールー側へとつながる洞窟があるのです」


【その洞窟を使うってこと?】


「ええ、そうなります。イトドリへはここからであればそう遠くはないですしね。

 もしその道を使わないのであれば、ここから街道を上って、一旦ルインの王都であるラッカンへ行き、そこから竜の背骨を迂回するような形でウールー領に向かうことになるでしょう。

 道程だけで見ても、相当な距離になります」


 アンは、説明をしながら、街道沿いにラッカンを経由する道筋も指で示していた。

 確かに、距離でいえば明確に違いがある二つの案である。

 単純に選択するのであれば、それもまたわかり切った答えであるが、あえてカナリアはアンに石板を突きつける。


【おすすめはどっち?】


「もちろん、イトドリからの密入国かと。

 両国にまともな国交は無いとは言いましたが、実の所、イトドリはウールーへの密入国の為にできた街なのです。なので、手間は多少の金でなんとかなります。

 ちなみに、ラッカン経由で行こうとすると、距離が遠い上に国境でも一苦労かかることになります。

 こちらはまともな断交の真っただ中です。やりようはありますが、国境線を渡るのは少し骨かと」


 回答は素直であり、裏も無いことを確認したカナリアは、改めて石板を頭上に居るシャハボに見せる。


【ハボン、それでいい?】


 シャハボは何も言わず、ただ頷いて返す。

 最後に【じゃあそれで】とカナリアが返すことで行く先は決まり、この場の話は終わりであった。


「それでは、さっそく用意を始めましょうか」


 アンはそう言って立ち上がる。

 自らの仕事をしようとこの場を去るつもりであったのだが、立ち上がった所で、彼女は向けられた視線に気づいて動きを止めた。


 この場にいるのは、アンとカナリア、そしてシャハボだけである。

 アンに向ける視線の主は、当然というかカナリアに他ならない。

 その顔に浮かぶは相変わらずの無表情。しかし、アンは向き合う目の奥底に潜む、ある感情を見つけていた。


【アン、ちょっと聞きたいの】


「なんでしょう?」


 今までと何も変わらない石板の言葉を前に、アンはにっこりと笑顔で返す。


【あなたがここまでしてくれるのは、タキーノの恩返し?】


「ええ。そうです」


【そっか】


「それだけでは理由になりませんか?」


【ううん。大丈夫】


 大丈夫。返した言葉が意味するのは、理由になっているというだけのこと。

 アンはすぐにカナリアの内を察する。

 カナリアは何かを抱えている。他に何か大丈夫でないものがあるのだと。

 それが吐き出されようとしている今、アンの取るべき行動は急かさずに待つことであった。

 そのまま、少しの空白の時間をあけてから、アンは石板に新たな言葉を見るになる。


【ただね、もし、もしだけれど、今の私が、あなたの知る私でないとしたら、どうなんだろうって思って】


 ゆっくりと石板を読んだアンは、表情を変えることは無かった。


「それは、どういうことでしょうか?」


 カナリアはそうだよねと同意するように頷き、静かに石板を向ける。


【アン、あなたにだから言うけれど、私は多分、人間ではない】


 同時に、カナリアはシャハボに手をやり、同じ言葉を伝えていた。

 動揺したのは、シャハボだけ。


「それは、どうして?」


【わからない。多分としか言えない】


 カナリアは、アンにそう告げたあとで、ノキに戻る前、ウフの村で目が覚めた時の話を再度繰り返していた。

 ただし、話の内容は若干違う。


 戦いが終わってから、重傷を負った自身が長く昏睡状態にあったこと。

 目が覚めてからも、しばらくの間、ほとんど飲まず食わずで寝続けていたこと。

 その二つの事柄を、カナリア自身が疑問に持ったという話であった。


【わかっているの。普通の人間はね、そんなに長い間、飲まず食わずで生きられることは無い。

 たとえ魔法があったって、食べ物が無いと生きられないの。

 ハボンは、私のことを大切に思ってくれているのはわかっているけれど、でも、飲食については手助けするのは無理のはず】


 文字を追うアンの目を見ながら、カナリアは言葉を映し続ける。


【寝ている間に、誰かがこっそり助けてくれた可能性も、無くはないと思っている。

 でも、多分それもない。あのウフには、そんなことをする人はいない。

 それに、一番おかしいと思うのは、私が寝ている間、何もしていないはずなのに、私の中から力が、活力が湧いてきてきたことなの。

 それが何かもわからないけれど、わかるの。不思議な力に私は癒されたんだってことだけは間違いない】


 文字は文字であり、そこに感情がこもっているわけでは無かった。

 けれども、アンは、そこからカナリアの様々な感情を受け取っていく。

 無表情面のカナリアと、微笑を張り付けたアン。対面する二人は、はた目には動きのない状況で、互いの視線のみで無言のやり取りをする。


「なるほど。飲食なくして回復できたから、人ではないと?」


 アンの言葉に、カナリアはしっかりと頷き返していた。

 するとアンは、少しだけ首を横に振った後に、落ち込んだ子供を宥めるような目でカナリアを見つめる。


「その程度、無理を押せばどうとでもなります。

 私であれば、私がその場にいたのであれば、どうとでも手を尽せられたでしょう」


 言ったことは、カナリアの疑念への反証であった。けれども、アンはそれをすぐに翻す。


「ですが、私はカナリアさんのおっしゃったことを信じます。

 きっと、カナリアさんはヒトではないのでしょう」

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