第144話 行先 【1/4】
「ごちそうさまでした」
そう言ったのは、アンであった。
なんのことはない。
アンがカナリアの用意を待つ間に、一晩中手を付けられずにテーブルの上に放置されていた、ハムと白い何かの挟まったパンを食べただけのことである。
「やはりこれは良い味ですね。日持ちしなさそうなのが難点ですが」
その食べ物は、カナリアの夕食として用意されていた食べ物であった。
もちろん食べる前にはしっかりとカナリアに断りを入れていた。そのままアンは、ゆっくりと用意するカナリアを横目に、食べた物の吟味を続ける。
「製造方法を聞き出して……いえ、それよりはここを生産地にして販路を開拓する手伝いをするか、それとも技術を輸出する方が良いですかね」
途中から、食べ物の味から商売の方に思考が流れているのが彼女らしいところではあった。
一通り吟味を終え、ちょうどカナリアが服を着た頃を見計らって、アンは持って来た手籠から同じくハムと白い何かの挟まったパンと果物を出していた。
「朝食です。何も食べていないと頭が回らないでしょうから、食べながらお話ししましょう」
皿に並べられたそれらを見たカナリアは、首からかけた石板を手に取って見せつける。
【パン、同じもの?】
「ええ。いえ、私が作りました。この白い食べ物はロマーユという名前の、ここの街の名産品だそうです。
カナリアさんの朝食用にと思って用意してきたのですが、同じものが置いてあったので古いものは私が食べました」
言いながら、パンを乗せた皿をすっとカナリアに寄せて来るあたり、アンの意図は明白であった。
こちらを食べろ、ということなのだ。
毒が入っているかもしれないから、不用意な事をせず、安全な物を食べろという事なのかな。と、カナリアはその程度に考えはしたものの、後は深く考えずにパンを受け取り、ゆっくりと食んでいく。
実際のところ、カナリアはここの宿屋の主人が毒を盛るとは考えていなかった。ノキでは十分に恩義を売っているのだし、そもそも自身には毒は効かないのだから、警戒をする必要はないのだ。
素性だけで考えればよっぽどアンの方が警戒に値する相手ではあるのだが、アンの忠誠を知るカナリアは、《
アンの用意したパンは、はた目には全く同じものが使われていた。恐らくは前の日に焼いたであろうパンと、薄切りのハム、名こそ聞いたが未だに正体のわからない白いペースト、少しの香辛料だけである。
宿屋から出されたものも、恐らくは以前パウルから朝食として出されたものも同じであったろう。
けれども、カナリアは、アンから貰ったものを美味しいと、はっきり感じて食べていた。
カナリアはそれを表情に表すことはない。けれども、手を止めることなくすべてを食べきったことで、自らの感想を表現する。
「美味しかったですか?」
【うん】
「それは良かった。作ってきた甲斐がありました」
用意周到なアンは、話しながら手荷物から茶葉の袋とお茶用のポットを用意していた。
湯の用意だけはカナリアにお願いし、その後は慣れた手つきでお茶を淹れていく。
目覚まし用なのか、鮮烈な香りのするお茶を受け取ったカナリアは、お返しとばかりに石板をアンに向けた。
【朝ごはんを用意する余裕があったってことは、解読は簡単だったの?】
読んだアンはすぐに首を横に振る。
「いえ、全く。
ですが、カナリアさんの朝食を作る時間は必須なこととして、計算の上で対応いたしました」
【どういうこと?】
「どういうことでしょうね? いえ、単に私が元から世話好きなだけですよ」
心中をそのままに表したアンの微笑は、とても柔らかくカナリアに向けられていた。
そして、カナリアは理解も半分に、【そっか】とだけ見せてお茶に手を付けたのだった。
* * * * * * * * * *
カナリアが渡された茶を飲み切った頃合いを見て、アンは例の本を取り出していた。
「これはカナリアさんにお返しいたします」
【大丈夫なの?】
「ええ、今必要だと思われる情報は出てきましたから」
直截なアンの回答に、カナリアは頷く。
【じゃあ、聞かせて】
そして、同じく迂遠のない言葉にアンも頷いてから、彼女は手荷物の中から紙束を取り出していた。
「この金属の栞に書いてある情報は、ある場所を指していました」
カナリアが《
アンは、その地図の上のある地点を指す。傍らに記載されている国名は、ウールー獣人国という名であった。
『おい、ここは……?』
「ええ、この指す所はルイン王国の隣国であるウールー獣人国の首都、ラガシュ。それどころではなく、その王城、王宮のど真ん中の位置になります」
最初に声を上げたのはここまで無言を保っていたシャハボであり、それにアンは淀みなく答えを告げる。
【と言うことは、[組織]は獣人国と関係があるの?】
カナリアの何気ない質問。それを見せた先は、アンであった。
一瞥したアンは、そのまま視線をシャハボに向ける。
アンの視線に気づいたカナリアがシャハボの方を向いたのは、一瞬遅れてから。
カナリアは手触りのみで同じ質問を彼にするも、無言のまま答えは返されない。
「なるほど」
と、言う必要のない声を上げたのは、アンであった。
静寂は一瞬。
視線のみで誰も口を開かない事を確認したアンは自らの番を確認し、改めて場の目を集めてから言葉を続ける。
「カナリアさんの質問ですが、今のところそれを明言できる情報はありません。とは言えども、場所が場所ですので関係はあるかと。
まずは、この場所を特定した経緯をお話ししましょう。判断はそれからがよろしいかと思います」
【じゃあ、教えて】
栞にあった情報は、アンの知る暗号と類似するものだったというところから、話は始まっていた。
ただし、今使っている暗号ではなく、相当昔に使われていたものだったらしい。
そして、暗号を解読して出てきた情報を、アンはすぐに地図に関係する内容だと判断したのだ。
「完全に同じではなくても、地図で場所を指す際に使う情報と類似していましたからね。
まずはそれを、今一般的に使われている地図で試してみました」
カナリアが頷くなか、アンは地図上で別の位置を指差す。
その場所は、辺鄙な平原のど真ん中であった。
「ここになります。ええ、直感ですが、これは違うとすぐに判断しました。
この平原は大きく開けており、大きな施設を隠すのに不向きな場所なのです。
一応、隠ぺい魔法なり、魔道具なりを使って存在を隠すことや、施設が地中にあるなどという可能性もないわけではないのですが」
【理由はそれだけ?】
「そうですね、強いて言えば、もっと単純だと感じたのです。
確かに暗号化されてはいましたが、この栞は、情報を隠す為ではなく、知る人にはすぐに知れるように作られているのではないかと思ったのです。
ある意味で、案内状や招待状のようなものなのではないかと。
まぁ、それ以外にも気になる点があったのですが」
【何?】と石板を向けたカナリアに、アンはにこりと深い笑みを見せた。
「いえ、答えは地図が違っただけでした」
視線のみで続きを促すカナリアの頭上には、静かにしているシャハボが陣取って話の行く末を見守っていた。
あまり動きを見せないカナリアたちを前に、アンは開いてある大きな地図に手を当てた。
「今、各国や冒険者協会などでは、基本的にこの地図を使っています」
シャハボが頭から落ちないように気を使いながら、カナリアは頷く。
それは知っていることであった。手持ちこそせずとも、今目の前にある地図は、時折見た事があったからだ。
「これは、冒険者協会が取り扱っているものになります。
故に、その活動範囲が主になってはいますが、山脈、河川や大きな都市、街道、大体の国境などが収まっています。
これの用途は単純に、冒険者達の活動の手助けや、一般的な物流、経済活動への利用、あとは、大規模な怪物の襲撃や天変地異など、災害対応の為にですね。
細部はかなりぼかしてあります。詳細な地図は、軍事的な観点では大変重要ですからね」
カナリアは再度頷いた。話の筋は読めたが、割り込んで腰を折る事を望まない彼女は、視線のみで先を促す。
「お察しの通りです。この他に、各国では仔細まで細やかに記載された地図を持っています。
もちろんそれらは国の重要機密情報になります。
ええ、繰り返しになりますが、詳細な地図は軍事的に必要な情報ですからね」
【その中にあったの?】
カナリアは単刀直入に、聞きたい事を聞く。
機密情報を持っている事自体には疑問をぶつける事はしなかった。
アンの手腕ならば、その程度出来てしかるべきだと思っているからである。
しかし、一つは問いたが、カナリアはもう一つの先を疑う。
「いえ、全て調べたのですが、該当する情報が使えそうな地図はありませんでした」
勿体ぶった雰囲気を一旦は出すが、アンはすぐに答えを出した。
「栞から出てきた情報が使える地図は、このルインの建国前、そして、冒険者協会が今の形になった頃の古い地図だったのです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます