第142話 アン 【2/3】
【気にしないで】
『気にするな』
噴き出した後、一人と一匹がアンに返したのもほとんど同じタイミングであった。
「それならばいいのですが」
そんなカナリア達を温かい目で見ながら、空気を変えるという目的を達成したアンはするりと引き下がる。
「ところで、カナリアさん。長話でお疲れ様でしょう。飲み物はどうですか? 必要であれば、気付け程度のものであれば、すぐにでも用意しますが」
【ん、いらない。大丈夫】
しっかりと機を読んで行われるアンの気遣いは変わらなかった。むしろイザックの時よりも丁寧になってさえいる。
そして、カナリアの周りに漂いかけた緊張感は消え去り、程よく空気が入れ替わったところで、アンはこう切り出したのだった。
「大口を叩いた後で大変申し訳ないのですが、私には[組織]とやらの場所はわかりません」
その言葉をカナリアが解釈するには、三呼吸、いや、もっと。普段よりは確実に長い時間がかかる。
その上で石板に写された言葉も、カナリアの困惑を如実に表すものであった。
【わからない?】
「ええ、残念ながら」
お互いに言葉は多くはない。しかし、伝わってはいる。
アンは、わからないと言った。それは文字通り、わからないのだ。
カナリアは理解している。アンであれば、わからなければ、「今のところはわかりません。お時間を頂く事になりますが、調べてみましょう」などと前向きな対応をするはずなのだ。
そう言わずに、アンは「わからない」と明言した。
だから、その言葉をカナリアは文字通り解釈する。アンがこの後で弁明するであろうことも含めて。
「お察しの通りです」
アンはそう前置いた後で、理由を説明し始めた。
「私はカナリアさんの身辺調査、情報精査は既に行っています。この姿になる前からも、この姿になってからもですね。
タキーノに居た頃に、カナリアさんから[組織]なる存在の話を聞いた後、その存在に関しても調査は行っていたのです。
色々と[組織]なる名前のついた組織の情報はありました。新旧、場所を問わずにです。
しかし、カナリアさんのおっしゃったような、未知のモンスターから人類を救うなどという善行を目的とした組織は見つからなかったのです」
【それで?】
「それ以上は何もしませんでした。私はカナリアさんの実力を信じましたが、その[組織]に関しては特に興味を持ちませんでしたから。
カナリアさんはたぐいまれなる能力の持ち主です。そのような方が在籍する組織であれば、情報が完全に隠蔽されていてもおかしくはないと解釈いたしました。
であれば、無理に探して藪にいる蛇をつつくよりは、その力だけを利用させて頂いた方が私にとっては有用だと判断しましたので」
カナリアは再度言葉を止めて考える。アンの弁明自体に問題はなかった。
嘘偽りを考えるより前に、アンならそうするだろうと理解すらできたのだ。
その上で、答えがわかっていても、カナリアは再度試す。
【もう一度調べてと言ったら、できそう?】
「やってみますとは言いましょう。ですが、今のままでは手がかりが無さすぎます。
時間と金を浪費するだけかと」
アンの答えは、カナリアの予測を外れることは無かった。けれども、一つだけ、その言葉の中にカナリアは微かな光を見出す。
【手がかり、かどうかはわからないけれど、これはどう?】
石板を見せた後で、カナリアが自分のリュックから取り出したのは、一冊の本であった。
『それを、見せるのか』
シャハボの合いの手に、カナリアは頷く。
渡されてなお、読んでもいいですか? と仕草で確認を取るアン。
カナリアが頷いて読む様に押し付けたその本は、ウフの村で出会った魔道具作成者であるシェーヴが残した研究内容の詰まったものであった。
《
シェーヴが然るべき人間に渡せと言っていた代物である。つまりそれは、シェーヴと同じような魔道具作成者に渡して研究を引き継げということであったはずなのだが、カナリアは門外漢であるアンにそれを見る様に勧めたのだ。
表紙をめくり、一枚二枚とページをめくったアンは、こう言った。
「読めませんね」
カナリアもそれに一旦は同意する。
そして、同意した上でもう一度石板を見せつけた。
【読める?】
アンは石板を一瞥した後で、返答もせずに意識を本に向けなおす。
読めないと言った事。その理由は、内容が専門的であるということではなかった。
カナリアはもとより、アンも多少なりとも魔道具なり魔法に関しては知識をもっていた。故に、よほど専門的で難しい領域の話にならない限り、些少であろうとも何かしらの事は目に留める程度には出来たはずなのだ。
それすら言わずに、アンが読めませんと言った理由。それは、単純に記述内容が暗号化されているからであった。
暗号解読はカナリアの範疇ではない。だからカナリアはシェーヴの残した情報を読めず、それ故に、価値の有り無しすら判断も出来ないでいたのだ。
ただ、そうはいっても、例え中身が正しかったとしても、所詮は魔道具やシャハボに関する研究記録である。
暗号を読めた所で、今の組織の話には関係がないはずの代物をアンに見せた理由。
それを、本を眺め、ページをめくるアンは発見する。
アンが見つけ、本から出して手にしたものは、装飾のような模様が刻まれた薄い金属板であった。上部に丸穴が開けられ、短い紐が通してあることから、どう見てもその物体は本の栞である事を意識させられる。
「この栞は、このページに挟まっていたのですか?」
アンの質問に、カナリアは頷く。
「なるほど」
そう言ったアンはもう一度そのページを見たものの、すぐに意識を向けたのは栞の方であった。
カーテンがかけられたまま、朝闇すらも入って来ないランタンだけの明かりの部屋の中で、アンは栞をしげしげと眺め、刻まれた何かを読み解こうとする。
「なるほど」
二度目の言葉の後で、アンは栞を元の場所に挟みなおし、本を閉じてからカナリアに向き直った。
「まずはお聞きしましょう。この本は何でしょうか? どのような意図でこれを私に?」
【それは】
『それはシェーヴの研究記録だ。奴は死んだ。だが、死に際に奴はそれを残したんだ』
言いかけたカナリアの石板を遮り、シャハボが口頭で答える。
アンはそんな彼の方を向き、脚が片方しかない事を目にすると、カナリアの目的が未だ完遂されていない事を再認していた。
「なるほど。端を埋めて解釈すると、シェーヴは魔道具作成者で当たりだった。
しかし、修復の最中に何か問題が起きてシェーヴは死に、その研究資料だけをカナリアさんは引き継いだ。
そんなところでいいでしょうか?」
アンの早く鋭い読みに、カナリアは頷く。
「この研究記録があれば、シャハボさんを修復できるから、まず一旦、[組織]とやらに戻ろうということでしょうか?」
続けられるアンの言葉には何ら変わった所はなかった。けれども、カナリアと合わせ続けるその目の奥だけがこっそりと自らの言葉の否定を伝えていた。
視線のみで促されるままに、カナリアはアンの質問に答える。
【ううん。違う。
でも、うん。まずは私からも詳細を話すね。この本の事や、ここで何があったかも】
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