第140話 小都市ノキへの再来 【3/3】

 カナリアの帰還祝いは、単なる宴会どころではなく街を挙げてのお祭り騒ぎであった。

 カナリアが拒否したくなったのも、それを予測できたからである。


 最低限、シャハボには絶対触らせない、縁談話はしない、の二つだけは固く約束させたものの、街の民総出の祭りは大変なものであった。


 飲め、食え、飲め、食え。


 その後の歌えとまではさすがに言われなかったが、一緒に踊らぬかと誘いが入り、カナリアは周囲に助けを求めてみたものの、助けが入ることは一切無かったのである。


 それは、ある意味で幸せな拷問の時間であった。

 だが、カナリアは嫌がりはしたものの、結局のところは逃げること無く応対する。


 人々にはこういう場が必要なのだと、彼女は知っていた。

 辺境の街や村では、日々の生きることに精一杯で、楽しみらしい楽しみは祭りの時ぐらいだからだ。

 カナリアは自身が祭られる側に回っている事は釈然としなかったが、それでも、民の喜びの糧になるのは悪い事だとは思っていなかった。


 宴もある程度落ち着き、女子供たちが家に帰った頃になって、ようやくカナリアは誰もいない端のテーブルで一息ついていた。



「おお! 楽しんでいるか!!」



 休めると思ったのもつかの間、大声を出して現れたのは、顔見知りである双子の老冒険者の片割れだった。

 彼はゴス、もしくはガスどちらだったかとカナリアは思い起そうとしたが、その前に、両手で持った二つの木製の大きなジョッキを目にする。

 一緒に飲み交わそうと言いに来たのだろう。カナリアはげんなりした面持ちで石板を見せ、その先の事を拒否するとさらに表情で告げる。


【疲れた。食べ過ぎた】


「食べ過ぎたなら飲んで流せ!」


 案の定ではあるが、大声と一緒に突きだされたのは、ジョッキの片方であった。

 すぐには手を出さないカナリアに向かって、彼は、ふん! と大きく鼻息を鳴らしてから言葉を続けた。


「ああ、俺がどっちかわからんという顔をしているな!

 俺はゴスだ!

 安心しろ、それは酒抜きの果実水だ。飲めばすっきりするぞ」


 しぶしぶではあるが、酒抜きならばとジョッキを受け取ったカナリアは、ちょっとだけ掲げてからそれを飲み干す。

 なみなみとは注がれていたが、確かにその飲み物は酒抜き用らしく、すんなりと喉を通り、たくさん詰まっているはずの腹の中に収まっていた。


 カナリアが感謝を伝えようと石板を持ったところで、その前に出されたのはもう一つのジョッキであった。


「いい飲みっぷりだな。ほら、もう一杯だ」


【遠慮する】


 即答したカナリアの石板を読まずに、ゴスはジョッキを押しつける。


「飲め。こっちはガスからだ」


 カナリアはその言葉に一瞬だけ顔をしかめた後で、すぐにある事に気づいた。


【ガスから? 彼はどこ?】


 それは、双子の片割れである、ガスの姿を一度も見ていないことであった。

 カナリアは、今の今までガスとゴスがどちらかわからないでいた。しかし、思い起こせばすぐに気づいたのだ。

 ノキに戻ってから宴の間も、カナリアが見たのは双子のうちの一人だけだったことに。


 カナリアの気づきは、それだけではなかった。

 ゴスの雰囲気が一瞬だけ沈んだ事を見逃さなかった彼女は、自分の投げた問いの答えにも目星をつけたのである。


 じっと見つめるカナリアの視線の前で、出したジョッキを戻しながらゴスは言ったのだった。


「ガスは先に逝った」


 小さくため息を挟んで、ゴスは上を向く。


「ああ、あれは冬の深まった日だったな。

 朝方にな、ガスが急に家族が呼んでいるって言って、外に出てったんだ。

 ガスも俺も年だしな。死んだ家族に呼ばれるなんざ、ああ、お迎えが来たかぐらいにしか思わなかったぞ。

 だからな、一人で行かせるのもなんだと思って、俺も一緒に行こうとしたんだ。

 でもなぁ、ガスにお前は家族がこっちにいるから、もう少し面倒見てから来いと言われてな……」


 話の途中から、カナリアはゴスに向かって手を出していた。

 視線を空に向けたままのゴスは、そのことに気づかない。


「俺は一緒に行けなかった。

 そのままガスは家族の墓の前で逝ってたよ。

 雪に半分埋もれながら、幸せそうな顔をしていたさ」


 ここで動いたのはカナリアの方だった。

 辛気臭い話を断ち切るとばかりに、カナリアはゴスからジョッキをひったくり、一気に飲み干す。


 カナリアの行動に驚いたゴスは、その傷だらけの太い腕で顔をこすってから思いっきり声を出したのだった。


「がっはっはっ!!

 やっぱり冒険者はそうじゃなくちゃな!!

 いい送り方だ!!」


 背中をたたかれると思ったカナリアは、気を逸らそうとばかりに空になったジョッキを掲げていた。

 それを見るなり、ゴスは肩をすくめる。


「すまんな、受けてやりたいところだが、俺はもう酒も飲めんのだ。

 酒を止めてでも長生きしろという連中が周りに多くてな」


 解釈違いをカナリアが気にする間もなく、ゴスはニヤリと人相の悪い笑みを見せた。


「そうだ、かわりと言っちゃなんだが、面白いものを見せてやるぞ!

 おい、ひょっこ!」


 ゴスに大声に呼ばれて来たのは、若い魔法使いウィザードであるクタンであった。

 彼はカナリアを見るなり、ちょっと待つようにゴスに合図した後で一旦離れる。

 そして、戻ってきた彼は、やはりというべきか、両手になみなみと液体の注がれたジョッキを持ってきていた。


「ああ、大丈夫ですよ。酒抜きです」


 そう言ってクタンが差し出したジョッキを無視して、カナリアは石板を突きつける。


【もう片方は?】


「……」


 動きの止まったクタンに対して、声をかけたのはゴスであった。


「ああ、ガスの分はもうやったぞ。お前が飲め」


 カナリアはさっとクタンから酒抜きの方のジョッキを奪い、クタンに乾杯を持ちかける。

 二人が一気に飲んだ後で、ガスはカナリアに向かってこう言った。


「紹介するぞ。こいつは俺の新しい家族だ」


 驚いて吹き出しかけたカナリアに向かって、クタンが言葉を引き継ぐ。


「ええ、冬の間にゴスさんの娘のイーレさんと結婚しました」


「ガスが俺に残れと言った理由がこれだ! がっはっは!!」


 誇らしげに報告する二人を前に、カナリアは表情を取り繕って【おめでとう】と祝福したのだった。


 それから落ち着くのかと思いきや、話は止まることなく、カナリアは二人から延々とのろけ話を聞かされ続けていた。


 いい話といえばいい話である。

 ゴスの娘と、今や地元の英雄として持ち上げられつつあるクタンが結婚したという話なのだから。

 だからこそカナリアは、不満は内に押しとどめて聞き続けていたのだが、疲労だけは嫌というほど溜まっていく。


 長話の唯一の救いは、ゴスとクタンが相手をしていたが故に、ほかの客が来なかったことだった。

 しかし、カナリアが実際に解放されたのは、夜が更けて、朝日が昇りかけようという時分になってからだった。


 ようやく解放されたカナリアは、パウルから宛がわれた、以前と同じ宿の同じ部屋に向かっていた。

 カナリアにとって、少しだけ曰くつきの宿である。

 前回は、自分に宛がわれたはずの部屋にクレデューリがいて、呑んだくれていたのだ。

 同じことにはならないだろうと思いながら、部屋の扉の前に立った瞬間、カナリアは中から何者かの気配を感じる。


 あきれてため息をつくことはしなかった。

 いくら疲弊しているとはいえ、カナリアは瞬時に気持ちを切り替える。


 《生命感知サンス・ドレヴィ》、《魔力感知サンス・ドマジック》、いずれにも反応があった。

 《魔力感知サンス・ドマジック》に反応がある時点で、魔法使いウィザードであることを想起する。

 しかし、その波長から、どことなく見知った気配を覚えたカナリアは、中で待ち構える相手に見当をつけていた。


 どうしてそこにいるのかはわからない。

 けれども、見当通りであれば、やるべきことは一つしかない。


 そう割り切ったカナリアは、口を開きかけたシャハボの嘴に指をあてて止めてから、部屋の扉を開けたのであった。

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