第134話 再起動 【3/4】
「さて、ここで君に大切な話がある。
と言うよりも、私にとっての目的でもあるのだけれどね」
そう言って差し出した管理者の手には、鈍く光る小石が乗っていた。
「ここにルアケティマイトスの欠片がある。これを君にあげよう」
見開く目も飲む息も無く、けれどもシャハボは感情そのままに驚愕を露わにする。
目に映るその小石は魔力に満ち溢れており、一目見るだけでそれがルアケティマイトスだと理解させられていた。
むしろ、カナリアの様子に気を取られ過ぎて、その存在に今まで気付けなかった事こそを彼は内心で歯ぎしりする。
『どういう……ことだ?』
「これは機能停止したアプスの欠片だよ。
《啼かないカナリア》のせいで大半は消滅したのか、欠片しか見つけられなかったのだけれどね。
これを君に譲渡すると言っているんだ」
『……何が目的だ』
訝しみながらも、シャハボの物言いは単刀直入であった。
モノを疑うことは無い。しかし、それをこの期に及んで譲り渡すとは、どういう風の吹き回しなのか。
管理者もそんな彼の疑念を察し、すぐに頷く。
「やはり話はそこからだよね。
目的はね、それが幸せの窟の決まりだからだよ」
決まり事。
互いの共通認識として、それは、破る事の出来ない組織の決まり事であった。
「幸せの窟に入って、欲を出したモノは
でも、欲を出さず、何も求めずに幸せの窟を出たモノは、その後に何か一つだけ、その時に必要な物を貰えるんだよ」
確かにルアケティマイトスは、今のシャハボにとって喉から手が出るほど欲しいものではある。
けれども、説明はまだ半分で、手を出す前に無言のまま彼はそれを求め、管理者は言葉を続ける。
「なんてことはない。簡単な仕組みだよ。
来るもの全てをここに捕えてしまっては、美味しい噂は途切れ、危険な噂しか残らなくなるからね。
欲のない人間がここに来ることなんて本当に稀な話なのだけれど、その程度の美味しい噂の広がり方ぐらいが、必要な人間の量としても丁度良いという事なのさ」
沢山人に来られてそれらが消えてしまうような状況になれば、幸せの窟は危険な場所として認知されてしまう。
しかし、適量の人間は、餌につられて安定して来ることが望ましい。
それを作るが故の決まりと罠。
本当に簡単で、効果的な決まり事。
組織がやりそうなことであり、仕組みも明瞭が故に、シャハボはそれを真だと理解していた。
「君たちが、幸せの窟の中で何も受け取っていないのは知っている。
だから、今私はこれを譲渡しようと言う訳さ」
改めて差し出された石を前に、シャハボは頷き返す。
信じられる理由がある以上、もはや彼に異論はなかった。
鈍く輝くルアケティマイトスを、シャハボは自らの嘴で受け取ろうとする。
しかし、いざ口にしようとした瞬間、雰囲気を少し変えた管理者はスッとその手を引いていた。
「ああ、これをあげる前に、私は君に二つの選択を提示しなくてはいけなかったんだった。
選択は二つ、選べるのは一つだ」
『……言ってみろ』
空かされたにも関わらず、シャハボは管理者を止める事無く続きを促す。
おおよそ、何を言われるかは想像がついているが故に。
そして、それは、彼にこう言った。
「この石を
ああ、やっぱりそうなるのか。
これがシャハボの考えた事であった。
「これを君に使えば、君は失った足を取り戻すことが出来る。
一方で、これを彼女に使えば、きっと彼女は再起動できるだろう。
この大きさではどちらか片方しか選べないのさ、いかにルアケティマイトスとは言えども、残念ながらね」
シャハボは管理者に対して頷きを返す。
質問はわかっていたのだ。
だから、返答を選ぶことに、時間は必要が無かった。
『リアに、カナリアに使ってくれ』
「ああ、君ならそう言うと思ったよ」
そして、管理者の返答も即座に返される。
『頼む。それを彼女の胸に置いてくれ』
それは、問いも答えもわかっている茶番であった。
ただし、必要であると互いに理解しているが故になされた茶番。
決断を受け取った管理者は、素直に従う。
それは、やおら石板をカナリアの胸からおろし、手にした石を胸の上に乗せようとする。
そこで管理者の手は止まっていた。
『どうしたんだ』
かけた言葉は、シャハボが異変が起きたと感じてからであった。
管理者はゆっくりとした動作で自らの手を彼に向ける。
「さすがというべきか。
肉のないこの体なのに、こんな短時間で侵食されるとはね」
持ったのはほんの数瞬前。
会話も決断も即断だったのにもかかわらず、ルアケティマイトスは管理者の金属の手の内で半分埋没してしまっていた。
融合したとでも言えば聞こえは良いが、管理者が言った通り、実体は管理者の体の方が浸食されている状況であった。
「ああ、このままだと宜しくないな。下手をしたら全て乗っ取られてしまう」
そう言った管理者は、躊躇する事無く、カナリアの胸の上で肘の関節部から自らの腕を切り離す。
最初からそういったことが出来るように作られていたのだろう。
腕はすぐに外れ、腕ごと落ちたルアケティマイトスは、まずその腕を吸い込むように吸収し、その後でカナリアの胸に潜り込むように消えていた。
「これで、彼女は再起動できるだろう。
あとは君の仕事だ」
シャハボは頷きながら、カナリアの様子を見続けていた。
ルアケティマイトスという劇物が侵入した事を心配するでもなく、静かに彼はその様子を見守る。
良いのか悪いのか、彼女の肉体に目立った変容は見られない。
しかし、見方を変えれば、ルアケティマイトスに内在していた魔力はしっかりと根付き、全身に行きわたり始めていた。
そして、現実に目を向ければ、いつの間にか彼女の首は、頭と胴を繋げていたのである。
ただ、呼吸はまだ戻らない。あくまで首が繋がっただけのカナリアをシャハボはじっと見続ける。
そこは動くモノは居れども、呼吸の音すら無い静寂の空間。
静謐を壊し、小さくだが物音を立てたのは管理者であった。
それは静かに踵を返し、外へと繋がる扉へと向かう。
『どこに行くつもりだ』
シャハボが目をくれたのは一瞬だけ。言葉だけ投げかけてカナリアの様子に目を戻したシャハボの方へ、足を止めた管理者は振り向く。
「もう大丈夫だろう? 君のカナリアが目を覚ます前に、私は姿を消そうと思ってね」
『消して、何処にいくつもりだ』
「……どこにも。私はまた幸せの窟の中に戻るよ」
『もうアプスは居ないだろう』
シャハボの言葉は、管理者に定められた仕事がなくなった事を意味していた。
管理者は、元々アプスを管理するために作り出された存在のはずなのだ。
そして、管理対象が居なくなった今、それは自由になったはずである。
「ああ。そうだね。アプスは居なくなった。
それに、最後の決まり事も果たして、君にルアケティマイトスを渡せたことだし、私に課せられた役割はなくなった」
自らも存在意義が消えた事を認めた管理者は、「だからね」と言った後、口を噤んでいた。
気になったシャハボはようやく顔を向ける。
見られている事を自覚した管理者は、何を思ったか、残った片腕を頭に当て二度叩いた後、喉の調子を直すような仕草を取り出していた。
する必要も無い人臭い仕草は続き、わざとらしい深呼吸まで繰り返した後、管理者はシャハボに向かってこう言ったのである。
「私はね、お父さんを蘇らせたいと思っているの」
その瞬間から、管理者の口調が変わっていた。
「私はね、フーポーの記憶を読んだんだよ。
彼女が見たシェーヴは、一言で言って不器用な人間だった。
少なくとも父親としては本当にダメなヒトだった」
話ながら取る仕草も、完全にフーポーのそれに戻っている。
「それでもね、フーポーの記憶は、彼女は、その生活が幸せだったと感じていたんだ。
お父さんは、魔道具作成に関しては一流でも、家事や日々の生活ごとに関してはまったくのからっきしで、それにも関わらず私の事に関しては精一杯努力してくれる人だった。
どんなに頑張っても不器用なまま変わらなくて、生活する上では、そんなお父さんに不平不満をたらす事も少なくはなかったの。
でもね、十数年、ずっとそんな生活していたけれど、ずっと心の中では幸せを感じていた」
無い心臓を押さえ、あるかの如く心を触り、管理者はシャハボに問う。
「わかる? 幸せだという感情を、フーポーは感じていたの」
それは、シャハボには答えようの無い問いであった。
故に彼は無言のままで、実の所、それが管理者の求める答えでもあった。
「……私にはわからないんだ。私は管理者で、フーポーは私の分体だった。
元々は同じはずだったんだけれどね。でも今となっては彼女と私は別物だった。
だから、私には幸せという感情がどういうものかわからない。
でも、フーポーはそれを感じていた。だからこそ戻ってこなかったんだと思う」
シャハボの知るフーポーは確かに感情が多かった。
だがしかし、感情とは揺らぎが多く、不確定要素を生み出しやすいが為に、作られたモノたちにとっては不要なはずなのだ。
それでも、この管理者は、フーポーの記憶から何かを得たのだとシャハボは理解する。
「私は管理者であってフーポーじゃない。
でも、フーポーが感じた事を体験してみたい。
それが、役割が無くなった私の今の目的かな」
もはやすでに、シャハボの目の前にいる存在は管理者ではなくなっていた。
管理者であれば、組織に関わるモノであれば、意味を見出さずに切り落とすべき事を求めるその姿は、その存在が成りたい者になっていた。
『……出来るのか?』
静かにだが鋭く投げられたシャハボの言葉に、彼女は重く首を横に振る。
「アプスが居なくなったからね。
幸せの窟に残っている魔力は少ないの。
村を再生させるのは絶対に無理だし、正直な話、今の私の維持もどうかなってところ。
それに、お父さんの
でも、私は出来る事を試してみるつもり。
お父さんを蘇らせて、それから二人でまた幸せな生活をしたいからね」
『そうか……』
相槌を返しながら、シャハボはフーポーの事を思う。
彼女の願いが叶う機会はあったのだ。
彼女が管理者ではなく、最初からフーポーであったのなら、願いは叶ったはずだったのに。
「組織に敵対することはもうしないよ。だから、お父さんだけは見逃して。お願いだから」
『いい、わかった。信じるさ』
フーポーは、表情の出ない顔で、柔らかく安心した笑みを返す。
シャハボは、彼女の未来を予期していた。
『頑張れよ』
頑張る事に何の意味があるのだろうか。
結果は見えているというのに。
魔力の元であったルアケティマイトスを自らの欲の為に使わず、決まり事を守る為に渡した時点で未来は決まってしまったのに。
けれども、いや、だからこそ、シャハボの口から出たのは『頑張れ』という励ましの言葉であった。
「ありがとう。そして、もう二度と会うことは無いけれど、彼女によろしくね」
彼女は彼に対して深々と頭を下げる。
そうして、管理者フーポーはカナリア達と別れたのであった。
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