第129話 ■レ■■■リ・アプス 【3/4】
それは、クレデューリに対して、人としての常識を未だに当てはめていたカナリアの失策であった。
折角の勝機を阻んだのは、カナリアの意識の外から放たれた、クレデューリの、
慮外の反撃を受けたカナリアは、反射的に発動させた《
どれだけ痛かろうと、どれだけ回って前後がわからなくなろうとカナリアは意識を途切れさせることは無い。
受け身もままならず、ようやく止まった彼女は、間違いなく来るであろう追撃を避けるために、姿勢もおぼつかないままクレデューリだけは視界に収めようとする。
そこでカナリアが見たものは、胴から不自然に生えた自らの足を、不思議そうに眺めるクレデューリの姿であった。
水で出来た体は二本の足で直立しており、その上で、胴からもう一本、同じく水で出来た、人間であれば余分な足が生えている。
腰に沿わせて三本目の足を回してみたり、蹴り上げたりと確かめる姿は、彼女が完全に人でない事を見せつける。
『蹴ろうと思ったら足が増えたんだろう? 人でなくなったお前がそれほど驚く事じゃない』
確認を続けるクレデューリに、声を掛けたのはシャハボであった。
彼女は一瞥したあと、再度足を回してから、何とかそれを自分の体にしまい込む。
『どうせだ、腕も増やせるぞ。想像してみろ。両の腕を増やしてそれぞれに剣を握り込むんだ』
意図も知れないシャハボの言いぐさを、クレデューリは聞き流すことなく受け入れ、自らの腕を四本に、そして八本へと増やす。
それだけではなく、増えた手の先全てに、水によって細剣をすら作り出した彼女は、出来た事への感嘆と驚きを隠さない。
それはまるで、初めて立ち上がった赤子のような喜びようであった。
クレデューリは色々な事に興奮し、戦いのことなど忘れて自らの体を崩しながら、さまざまに人でない様子を取り続ける。
変容を続ける様は、さながら人が水に溺れるかの如く。
しかし、溺れ、もがく彼女は、自らの体がどうなろうとも、それを楽しいとしか感じていない。
促したシャハボは少しの間だけ彼女を放置する。
シャハボが口を挟んだのは、クレデューリが一人で盛り上がり、あらぬ方向へと踏み出そうとする直前であった。
『どうだ? それがお前の姿だよ、
奇怪な動きは瞬時に止る。そして、半人半球体の姿になっていたクレデューリの体表にさざ波が立っていた。
はた目にもわかる、不快感を覚えたとばかりの反応。
直後、クレデューリの姿形はおぼろげながら人のそれに近づき、彼女はくぐもった声を上げる。
「君は本当に口が悪いな。
なに、わかっているよ。君の役割が私の気をそらす事だって事ぐらいはね。
大方、私の意思を乱してアプスに飲み込ませるつもりだろうが、そうはいかない」
狙いを読んでいたとばかりのクレデューリに対して、シャハボは上空を飛ぶのみ。
返答の無い彼に対し、視線を切ったクレデューリは自らの体に再度向き合う。
「感情に流されてはいけない事ぐらいはわかっているとも。
ヒトでは出来ない事が出来るという事は、確かに喜ばしい。ただ、喜びに流されてしまっては、私という存在は崩れていく」
ようやくではあるが、彼女の体は一対の腕、一対の足と頭のみで再構成され、人としての形を取り戻していた。
「ああ……そういう事か。
君の言う事がやっと読めた」
やおら頷いたクレデューリは、再度シャハボを見上げる。
「君は私を崩したいわけではない。
揺さぶりをかけて崩そうと見せかけておきながら、本当は私を人の体に留めたいんだ。
さっきの一撃はカーナも反応出来なかったようだし、例外を作りたくないと言った所だろう?
それならば乗ってあげよう。私は人の形を以て君のお姫様と戦う事にするよ」
これは、クレデューリが人外としての能力を、幾分かは制限する決断であるのは間違いなかった。
シャハボが口八丁の戦術によって得た、一定の成果と言えよう。
しかし、上空を飛ぶ彼はカナリアを見る。
会話で十分に時間を稼いだおかげで、彼女は立ち上がっていた。
直撃は蹴りの一回のみ。大きな外傷はないはず。
でも、長く身近に寄り添ってきたシャハボは、その姿から、カナリアの今の状態を理解する。
カナリアは強い。けれども、万能ではないし、
管理者との戦いから連戦している事もあり、心身ともに疲労困憊なのは言うまでもない。
どう取り繕っても、万全に戦える状態では無い。
「さて、戯言もここまでにしようか。
君のお姫様が復活するまで待ってあげたんだ。もう一度戦うとしようか。
今の私には実戦が必要なんでね。
君たちには存分に相手してもらうよ」
そして、彼は同時に理解する。
クレデューリは、その体が水で出来ているが故に疲れも無く、首を切られ、腕を切られた所で、何ら損耗が無い事を。
このままでカナリアは勝てるだろうか?
シャハボはその可能性をほぼ信じない。
それならば、どうするか。
彼は、今までも十分に、出来る事はやって来ていた。
出来る事と出来ない事をはっきりと切り分けて、カナリアに対して出来る最大限の手助けをしてきたのだ。
口頭での誘導は成果を出した。出来る事はやったのだ。
もしそれ以上を求めるならば、相応に代償は払わなければならないだろう。
どう支払うか。そんな些細な事をシャハボは気にしない。
彼は、カナリアの為であれば、自分がどうなろうとも厭わない。
それはカナリアが望まぬことだとしても。
『けっ! いい子ぶりやがって!
なんだかんだ言って、お前の動機には私怨も入っているんだろうが!』
シャハボは、自らわかっていて死地に足を踏み入れる。
「私怨?」
『ああ、お前の弟を殺したのはリアだよ』
事実がどうであれ、この話はクレデューリに対して踏み込んではいけない領域である事を彼は知っていた。
わかっていて踏み込んだ理由。
それは、クレデューリが怒り、自らの平衡を崩してくれることを
シャハボはわかっていた。
今となってはもう、カナリアに明確な勝機はない。
あとは、クレデューリが勝手に崩れてくれるしかないのだと。
だから、彼は挑発的な行動に出たのだ。
それが可能性の低い行動だとしても。
それが致命的だとわかっていても。
その後何が起こるかわかっていても。
「……まったく。そんな戯言で私が崩れると思うか」
クレデューリの一言目は、冷静であった。
「だが……弟の事を言われるのは不快だな」
彼女の刺す様な視線は、シャハボに向けられる。
カナリアが両者の意図に気付いたのは、この時であった。
《
無言で紡がれた魔法は、しっかりと発動した。
上空に居るシャハボの前に十分に盾を張れたのだ。
「《
しかし、力量の差か、それともカナリアが万全でなかったことが起因したか、クレデューリの放った水弾は、魔法の防壁を貫く。
シャハボも避けようとした。
けれども、防壁を貫いてなおクレデューリの一撃は鋭く、直撃された彼は遠方へ吹き飛んだのだった。
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