第128話 ■レ■■■リ・アプス 【2/4】

「《汝、水飛沫の中にあれ!vous êtes piégés dans le splash !》」


旋風球トゥービヨン・エブゥル


 魔法の発動は、両者ほぼ同時だった。

 初動はクレデューリの方が早かった。

 しかし、発音を必要とするクレデューリとは違い、無言で魔法を使えるカナリアは、後からでも十分に追いつけたのである。


 クレデューリの魔法は、カナリアの全周に数多の水弾を作り上げ、それを一気に打ち込むものだった。

 もはや剣の切っ先からのみ魔法を飛ばすことは無い。魔法はどこからでも発動出来ると知った彼女は、初手で完全に応用してみせたのである。


 カナリアとクレデューリの距離は幾分離れていた。

 魔法はどこからでも発動出来るとはいえ、当然ながら限界はあり、手元から離れるにつれて制御は格段に難しくなる。

 手元から連射するのではなく、相手を取り囲むように配置して魔法を発動させる。そんな芸当は、よほどの熟練者でないと出来ない事であった。


 魔法の何たるかを知り始めたばかりのクレデューリが、準備動作となる詠唱を挟む事無く、魔法名のみでいともたやすく熟練の技を使う。

 その事に、カナリアは驚くことはない。

 予期した通りのクレデューリの行動に、《旋風球トゥービヨン・エブゥル》にて風の防壁を作り、その魔法を防ぎきる。


 カナリアは冷静を保つ。

 ここまでは予測の範囲内。

 こうならない為に自らが魔法を制限していたのだから、見せた以上使われて当然とさえ的確に判断する。


 ただ、これからの手はどうすべきか。


 カナリアに考える間を与えんとばかりに、先に距離を詰めるのはクレデューリの方だった。


 二本の脚ならぬ、二本の水柱で走り寄るその姿は、カナリアをしても奇妙に映る。

 足が水のせいなのか、走っているはずなのに重心のブレがないのだ。

 それは明らかにヒトを逸脱した動き。

 クレデューリの体が大きくなるような錯覚を覚えたカナリアは、実際には迫って来ている事だと判断し、即座に迎撃の魔法を用意する。


 水の相手に対しては雷は厳禁。それならば、火で散らすか、氷で固めるか。

 属性の定石を考え、カナリアが発動させようとしたところで、投げられたのはシャハボからの命令であった。


『もう一度だ!』


旋風球トゥービヨン・エブゥル


 とっさに変更して発動させたのは、再度の突風での全周防壁。

 クレデューリはそれ当たる直前で突進を止め、距離を測りなおす。


 《旋風球トゥービヨン・エブゥル》自体に強い攻撃力はない。しかし、カナリアが再び同じ魔法を使った事に、そしてシャハボが叫んだ事を気にしたクレデューリは一度手を止めたのである。

 そこまでうまくいくとはシャハボさえも思ってはいなかったが、この間は、カナリア達にとって好機であった。


『リア! 状態変化はダメだ! 相手が強すぎて逆手に取られる。使うのは風だけにしろ!』


 一瞬の好機を利用して、シャハボはカナリアに対して大声で指示をする。

 ただし、その声量は大きく、クレデューリにでさえ十分に声は届く。

 彼は、聞かれることを気に掛けはしない。


「ふむ……」


 そして、カナリアの手の内を聞いたクレデューリもまた、動きを止めていたのである。

 単なる助言、公言された助言ではあったが、それは場を的確に理解した上でのシャハボの策略であった。


 彼は、シャハボはカナリアにとって最良の相方である。そして、優れた助言者でもあった。

 そんな彼は、わざと自らの手の内を曝す事によって、クレデューリの思考にかすかな煙をかけたのである。


 彼の言う事は、言葉通りに受け取ったとしても正しい話であった。

 せめて拮抗しているならともかく、今は魔力の強さもクレデューリの方がカナリアよりも勝っている。その場合、水で出来たクレデューリの体に火で対抗しても、水の煙を作り出すだけで、その後クレデューリは水煙となった己の体を操ることになる。

 氷の場合も同じだ。水を凍らせれば動きを一時的には止められるだろうが、その後はクレデューリが氷を操作する事になり、ひいては相手の手を増やす事になる。

 だからこそ、シャハボは状態変化を与える事で、相手の手段を増やす様な真似はするなとカナリアにくぎを刺したのである。


 カナリアは、シャハボの言う事は愚直に聞く。今回のような場合は心当たりもある以上、従わない理由はない。

 カナリアにとって選択肢は他にないのだ。

 だからこそ、シャハボはクレデューリに教えたのである。


 クレデューリは、人である時から優秀だった。故に、今の彼女はこう考える。

 何故、彼女たちは作戦を公言したのだ? 

 何か二人で通じる暗号でもあったのか? それとも単にはったりか? と。


 手の内を曝すのは極忌避すべき。そのような心得は、クレデューリの中にも存在していた。

 それ故に、彼女は公言されたシャハボの言葉を疑ってしまったのだ。

 そして、クレデューリがカナリア達の事を良く知っているという事実も、この罠に拍車をかけていた。


 クラス1の熟練の冒険者であるカナリアが、ただで手の内を晒すわけはない。

 何かがあるのかもしれないし、しばらくは何事も無いと思わせた所で何かするかもしれない。

 先程も、攻め込めたと思った瞬間を狙われたのだ。二度目もあるかもしれない。


 こんな疑心を持たせたところで、劇的にクレデューリの動きが変わる事はないだろう。だが、即座に効果が出なくても、どこかでじわりと効力を表すだろうとシャハボは思っていた。


 そして、カナリアはカナリアとて、シャハボの助言によって湧いた機を活かして、開いた実力差を少しでも埋めようと、選べる中での最良の戦術を選ぶ。


 両手の武器にかけるは、《空刃・纏クーペア・ポーティエ》。


 警戒し、未だ止まったままのクレデューリに対して、動いたのはカナリアからだった。

 相対するクレデューリは、カナリアが動くと見るや、空手のまま、いつもの細剣の構えを取る。

 その手に剣は握られていない。しかし、肘を畳み、腕を引き絞った所で、彼女の水で出来た握りから細い水が伸び、細剣を形作ったのであった。

 瞬時に用意した迎撃態勢から、クレデューリは牽制の魔法を発動させようと試みる。


「《水は石を穿つL'eau pénètre dans une roche》」


 クレデューリの魔法の精度は優れていた。熟練の技を使いこなせるのだから当然ではあるのだが。

 だがしかし、魔法戦での経験は、まだ少ない。


 経験豊富な魔法使いであるカナリアにとっては、目の前で発声して使われた魔法など、特に支障はなかった。

 飛来する水弾をかいくぐり、カナリアが手を出そうとした瞬間、見抜いていたクレデューリは水で出来た細剣で突きを放つ。


 接近戦では、案の定クレデューリの方が早かった。


 だが、クレデューリが突きだそうとする直前に、その腕はカナリアの《空刃クーペア》によって切り離される。

 首を切った時と同じく、クレデューリはカナリアの《空刃クーペア》に反応する事は出来なかったのだ。


 手の内を隠す必要が無くなったカナリアは、魔法使いとしての、組織の人間としての本分に則って、本気を出していた。

 それは、切り札を使うという事でもある。

 

 魔法は、特に近接戦の場合、発声する必要があるという点が小さくない欠点であった。

 隠ぺいは難しく、口にすれば中身は相手に伝わるし、そもそも言うまでに斃される可能性も十分にある。


 しかし、言葉を話せないカナリアは、それらの決まり事を全て無視できるのだ。


 ただし、これはある意味で公開している切り札であった。

 真の切り札は、もう一枚別にある。


 シャハボの勧めでもあるのだが、カナリアは《空刃クーペア》に類する汎用的な魔法を平時から多く使っていた。

 特殊な魔法を使わないという事は、真の実力を隠す偽装の側面もある。

 だが、本当の理由は、使い慣らす事で、魔法自体の精度を高める為にであったのだ。

 故に、平時から研ぎ澄ましていたその刃は、彼女の本気の魔法は、魔法を発動させる際の魔力の起こりを完全に消していたのである。


 無言の魔法だから強い。それがカナリアにとっての一枚目の切り札。

 二枚目の切り札は、完全に発動機会を悟らせずに魔法を使える事であった。


 二枚重ねの切り札は、彼女の魔法をより万能なものとし、その戦闘力を大幅に向上させる。


 切り離されたクレデューリの腕は、それが元々水であったが故に、切り離された直後に互いが触れ合い、何事も無かったかのように接続される。

 繋がるまでは瞬きが二回出来るかどうかの短い間でしかないが、隙を伺うカナリアにとっては十分すぎる間であった。


 カナリアの狙いはクレデューリの胴体。心の臓付近に浮かぶ、握りこぶしよりもやや小さめな大きさのケァ

 水の体に浮かぶクレデューリのケァは、隠しようもなく弱点として姿を曝している。

 恐らく、単発の《空刃クーペア》だけであれば打ち抜けないだろう。完璧に叩くのであれば、寄ってから《空刃・纏クーペア・ポーティエ》にて切りつけるしかないとカナリアは判断する。


 隙を利用し、クレデューリに肉薄したカナリアは、その細腕を伸ばしてナイフと、纏わせた《空刃・纏クーペア・ポーティエ》を相手の胴に差し込みに行く。

 この瞬間、確実に当てようとするカナリアの視線は、狙いどころのケァ一点に絞られる。


 クレデューリは腕を切られた事で動きを止めていた。

 両の足とて地に付いたまま。腰が動く様子もなく、蹴り上げはない。

 残った腕が動いた所でもう遅い。



 カナリアの腕が伸び切り、やれると信じかけた瞬間に、その身は真横に飛んでいた。



 それは、クレデューリに対して、人としての常識を未だに当てはめていたカナリアの失策であった。

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