第125話 ク■デュ■リ・■■■ 【2/3】

 クレデューリはカナリアに剣を向ける気はない。

 彼女にとってはそれで良かっただろう。

 しかし、カナリア達にとってそれは、全く無意味な話であった。


『一応聞くぞ、クレデューリ。お前はここに永劫居続ける気はあるか?』


 シャハボが問うたのは、最後の、本当に最後の質問。

 カナリアの行動を決定づける為の、最後の種火を求めるために。


「……いいや。私は行くよ、アモニー様の元に」


『どうしてもか』


「ああ。今の私には力がある。アモニー様を守る力がね。

 そして、私を陥れた者に対価を支払わせる力もだ。

 君にも見せたろう?

 私は魔法も使えるようになったんだよ」


 クレデューリは誇るようにカナリアに話しかけるが、当の彼女は何の反応も示さない。

 可能な限り全ての反応を止め、かわりに頭の中では取れる手段を考えつくす。


 そんなカナリアの心の中を、クレデューリは理解することは無い。


「む……」


 上機嫌を見せていたクレデューリは、しかし、カナリアの様子を見るなり何かに気付いたようであった。


「いや、そうか。そうだな。こんな事で舞い上がっても仕方ない。

 魔法は本職である君には敵わないだろう。

 それに、いくら力を付けた所で、使いこなせねば意味は無い話だ」


 口から漏れた自制と謙遜は、態度もそれを同じく表していた。

 読み自体は全くの見当外れではあったが、その姿勢は、クレデューリの性根が良く出来ている事を示す。

 過去に迷う事こそあったものの、彼女の芯は真っすぐであり、揺らぐことは無い。


 しかし、カナリアはこう理解する。


 だからこそ、危険であると。


 そして、謙遜などしなくても、現時点での力量は、ほぼ互角であろうことも。


『いや、今のお前ならば敵はいないだろう』


 シャハボは隠す事無くクレデューリに所見を伝えていた。


「……ありがとう」


 褒められると思わなかったのか、一瞬の間を置いた後に反応を返したクレデューリに、彼は続けて声を掛ける。


『王女を守りたいお前の気持ちは良くわかった。

 だが、守り切った後、お前はどうするつもりだ?』


「……守り切った後?」


『ああ。お前は人で無くなった。

 これからお前は、人間よりも長い生を歩む事になるだろう。

 だが、お前の守りたい相手は人間だ。いずれ、向こうが先に死ぬことになる』


 質問は、詰める事が目的であった。

 本来ならば、これ以上は無用な問答である。

 なれど、ほんの少しの理と情がシャハボに口を開かせていた。


「なるほど。そこまでは考えが及んでいなかったな。

 我が身の短慮を恥じるとしよう」


 素直に困った顔を見せたクレデューリに、シャハボは珍しく大きな声で、口汚く叫ぶ。


『けっ! そんなことはどうでもいいんだよ!

 とっとと質問に答えろ!』


 クレデューリの困り顔は困惑に変わり、悩む事二呼吸分。


「……わからない。その時になったら考えるとしか今は言えないな」


 唐突なまでに、そして強い言葉を使ったシャハボの意を、クレデューリは理解出来ないようであった。


 シャハボとて、この問答のみで全てを理解されるとは思っていない。

 だから、彼は答えを伝える。

 その先の反応を全て見抜いた上で。静かに。


『ああ、そう言うと思ったよ。

 じゃあ教えてやる。

 今のお前にはな、お前の大好きな王女を、お前と同じ存在に変える能力があるんだよ』


「ほう」


『生きてさえいればいい。瀕死になっていようと、寿命が近かろうと、その力を使えばお前は王女を永遠に生かせ続ける事が出来る』


「……それはいいな。

 アモニー様の剣として永劫仕えることが出来るのであれば、それをする事に迷いは無い。

 ルイン王国を永きに渡って守り続ける。

 ああ、素敵な事だ」


 降って湧いた幸運を、クレデューリは素直に受け入れていた。

 妄想に耽る彼女は、ほんのりと恍惚の表情さえ浮かべ、自らの選択を良かったのだと認める。


 首を横に振ったのはシャハボのみ。

 無表情で見続けるカナリアは、ほんの少しだけシャハボを触り、二人は意を固める。


 もうどうしようもないのだ。

 クレデューリは本当にアプスと融合してしまった。


 直感で言えば、その変化は変化の秘石ピレスクレ・ドラ・トランスフォマションと同じであると、カナリア達は理解していた。 

 いや、おそらく変化の秘石ピレスクレ・ドラ・トランスフォマションの方が、アプスの機能の複製、もしくは汎用版なのだろう。

 そう考えたからこそ、シャハボは断言できたのだ。クレデューリが自らが仕える王女を変貌させる能力があると。


 組織とアプスの関係、変化の秘石ピレスクレ・ドラ・トランスフォマションの生成など、多々の疑念が浮かぶ所ではあったが、少なくとも今のカナリアにとって、これ以上の思考は無駄であった。


『……これだから、人間は』


 小さく呟くシャハボの言葉は、きっとカナリアにしか届かない。


 カナリアは、左手の手杖の『小鳥の宿木ギー・ドワゾゥ』、右手の愛用のナイフの握り具合を確かめた後、一度全身の力を緩める。

 脱力したカナリアの体からシャハボはゆっくりと飛び立ち、低い位置を旋回しながら声を出す。


『俺たちはな、人にして人あらざるモノ、人の世に害を為すモノを始末するのが本来の仕事なんだ』


「ああ」


『クレデューリ。今のお前は、俺たちの敵だ』


 これが、カナリア達の出した回答。

 全ての道が閉ざされた上で、選ばざろう得なくなった答えであった。


「私が君たちに手を上げないといっても?」


 クレデューリの言葉にカナリアは首を横に振る。

 手を出す出さないは問題ではない。

 問題は、クレデューリが動く事であり、彼女がその意思で人在らざる存在を増やす事であった。

 シャハボの言葉は示唆ではない。いずれ気付く事であったから、今教えただけの事なのだ。

 気付いた時に、どうするかを先んじて知る為に。



 そして、人を脅かす存在をカナリアがどうするかは


『ああ。決まりは守らなければならない』


 シャハボのこの一言で決定づけられる。



 これ以上の問答は無用であった。

 カナリアの緩んでいた筋肉に緊張が走り、予備動作も無くすっと手杖が振り上げられる。


 発動された得意の《空刃クーペア》は、不可視で無音。


 魔法は無言故に気付かれるはずもなく、所作とて機を掴ませず、不意を突いたはずの一撃をクレデューリは何のことも無く避けていた。


「あぶな……」


 口を開いたクレデューリが言葉を言い切る前に、カナリアは立て続けに《空刃クーペア》を発動させる。

 手にした武器を振り、左右交互に一発ずつ、だめ押しとばかりに両手で同時にも。

 どれ一つとっても当たれば致命傷になるのは間違いない四連撃。


 目には見えず、音もなく。その上、腕の振りと魔法の射出速度をずらし、さらに読ませにくくしたにも関わらず、クレデューリはその全てを避け切る。


 明らかに魔法が見えているとばかりの動きを見せた彼女であったが、体勢を戻した瞬間、その足元でカランと金属の音がした。 

 先に目を向けたのは相対するカナリアの方である。そして、クレデューリも意識をカナリアに向けながら、少しだけ視線を下に向ける。


 落ちていたのは、クレデューリの持つ細剣の剣先であった。


 《空刃クーペア》を完全には避けきれなかったのか、彼女の腿付近の服にも切れ込みが出来ていたのだが、そちらに気を配る余裕は互いに無い。

 落ちている物が、鞘ごと断ち切られた剣先であると理解したクレデューリは、やおら自らの細剣を腰に吊るした鞘から引き抜き、自らの前で構える。


 騎士であるクレデューリにとって、自らの剣は命のようなものであった。

 ウフの村に来た時の戦闘で、剣に少しだけ歪みが出来た時の衝撃も相当なものであったが、今の状況とは比べ物にならない。

 剣の歪みはもう存在していなかった。細剣は中ほどよりも少しだけ上の方で断ち切られており、歪んだ部分は地に落ちていたのである。


 愛剣への思いを心中に、目を細めて剣を凝視した彼女は、折れた剣で空を切り払う。

 剣をカナリアに突き立てるでもなく、あくまで地に向けた姿勢を取った彼女は、落ち着き払ってカナリアに語り掛ける。


「これはどういう事だ。

 と、聞きたいところだが、君は曲りなりにもクラス1の冒険者だ。

 未だによくわからないが、どこかの組織にも属している以上、君にも譲れない所はあるのだろう」


 カナリアの方が先に手を出した以上、激高してもおかしくはない状況であるにもかかわらず、クレデューリは穏やかであった。


「今も私の中に居るアプスに、君とは戦うなと強く言われているのでね。

 事を荒立てたくはないんだ」


 嘘は無いと言わんばかりの彼女は、肩の力を抜き、目でカナリアに訴えかける。

 揺るがないカナリアに、小さくため息を吐いたクレデューリは、再度折れた剣を体の前に構えていた。


「でもね、私の方も譲ることは出来ない思いはある。

 仕方の無い事だ。どれだけ親しかろうとも、譲れないものがぶつかる事はままある」


 強い気勢を彼女は吐く事はなかった。

 かわりに、凪いだ湖畔のような静けさと共に、クレデューリは肘を畳み、腕を捻り上げて握りを上に向ける。


「本意ではないが、力づくで大人しくさせてもらうとしよう」


 一瞬の瞑目は、彼女にとっての心の切り替えに過ぎない。


「いざ、参る!」


 騎士らしく高らかに宣言したクレデューリは、強烈な踏み込みと共にカナリアに向けて初撃を放ったのであった。

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