第124話 ク■デュ■リ・■■■ 【1/3】
「これは……」
山道から走り来たのは、やはりクレデューリであった。
服装や様相に変わりは無く、相変わらず体力は人一倍あるのか、息も切らしていない。
カナリアと管理者フーポーが対峙する場に行きついた彼女は、丁度両者の合間、どちらからも等しい距離になる場所で止まる。
奇しくも、それはカナリアとクレデューリが初めて出会った状況に近しい。
『見てわかるだろう? じゃれ合っている最中だよ』
最初に声を掛けたのも、飛翔してこそいるもののシャハボであった。
しかし、他の状況は全く違う。
皆がシャハボに気を向けた瞬間を見計らって、カナリアは全力で《
今までの戦いの中で、カナリアは《
おそらくは《
余程近くに寄るか、全力を出さなければ《
それ故に、機を狙って使った魔法であったのだが、結果を知った瞬間、カナリアはきつく表情を歪める。
クレデューリから感じられる、はっきりとした魔力の波動。
そして、カナリアの表情を見たフーポーは、露骨なまでに明るい顔になっていた。
「あらら? 信じていたのにね? どうしたのかなー?」
明るく、しかし、悪意の強いいたずらな声が場に響く。
聞いたところで、カナリアは黙るしかない。
『フーポー、今からでも遅くない。俺たちをこの場から解放して、お前は自分の仕事に専念するんだ』
シャハボの言葉は緊張を帯びていたが、この場では虚しく消えるだけであった。
「そんな事するわけないじゃない? 形勢逆転だよ?」
形勢逆転どころではない。時間をかけ過ぎたのはカナリア達の失策そのものであったが、今の状況は最悪へと転じていた。
「クレデューリお姉ちゃんは、私の所に来て」
本当に何気ない口調のまま、フーポーはクレデューリを呼び、チラとだけカナリアを見たクレデューリはそれに従う。
「これで二対一だね。カナリアお姉ちゃん。お姉ちゃんは、仲間と戦える人なのかなー?」
フーポーの言葉は、一切合切全てが間違った言葉であった。
カナリアにとっては、一対二などと言える状況ではない。それ以前に、
だんまりを続けるカナリアを前に、フーポーは勝ち誇り、クレデューリは適度に距離を残したまま、その傍に寄る。
「じゃあ、クレデューリお姉ちゃん! やっちゃえ!」
フーポーが下した号令は、終わりの始まりであった。
「《
カナリアは微動だにしなかった。フーポーも同じく、カナリアと見合ったまま動く事は無かった。
ただ一人、細剣を構えたクレデューリのみが動き、突きを繰り出す。
構えから撃つところまで、カナリアはその全てを目にしていた。以前見た時とは比較にならないほどの速さでクレデューリは剣線を描く。
ただし、彼女の立ち位置的には、カナリアには遠く、剣を伸ばしてもフーポーにも届かない位置であった。
示威行為。空を切った一撃はそう捉えられてもおかしくない。
しかし、次の瞬間、フーポーは、いや、管理者は、胸を貫かれ、糸が切れた操り人形のように前に倒れたのであった。
『魔法で水を飛ばしたか』
シャハボの呟きに反応したクレデューリは静かに頷き、剣を手にしたままカナリアとその肩に舞い戻るシャハボの様子を見守る。
「ようやく、私も君の役に立てたな」
彼女の言葉は、達成感を多分に含んだ深い感慨に満ちていた。
「ひどい話だとは思うが、フーポーが黒幕だったとはね。
君から合図を貰っていなければ、その事に気づきもしなかったよ」
頷き会釈をするクレデューリを前に、カナリアは不動の姿勢を貫く。
『お前はどうしたんだ』
「どうという事もないさ。
幸せの窟の扉を開けて私が潜ろうとした時に、フーポーは入ってこなかったんだ。
すぐにわかったよ。ああ、そういう事かとね」
シャハボの質問にクレデューリは肩を竦めながら答えるが、それは彼の求める内容では無い。
『ああ、そういう事だ。もう一度聞くぞ、お前は、どうしたんだ』
「まったく。君たちは本当に遊びの無い人だ」
再び投げられた質問を前に、クレデューリは一度だけ倒れたフーポーに目をやり、その後に剣を鞘に収める。
「安心するといい。
私は話をするだけで願いが叶うなんて話には乗らなかったさ」
全てが終わったとばかりに彼女は手を広げ、最後の言葉を口にした。
「私はしっかりと対価を払って、アプスに力を貸してもらう事にしただけだよ」
憂う事も後悔も無い、クレデューリのまっさらな表情。
そこに掛けるのは、シャハボの怨嗟の声。
『ああ、クソが』
「何をそんなに嫌がるんだい。
これは正当な取引だ。彼は肉体を求めていた。
そして、私は力を求めていた。互いに利害が一致しただけの事だよ」
説明は簡潔。そして、クレデューリの澄んだ表情は、自らの選択に間違いは無いと重ねて強調する。
「それに、そのお陰で君を助ける事も出来た。良い事だろう?」
『俺たちに助けはいらない! 最初の時にわかっていただろう!』
「ああ、そうだね。ではこう言おうか。
私は私の目的の為に、アプスを受け入れて、人で無くなる事を選んだんだよ」
カナリア達にとって、クレデューリの決断は、最悪の選択であった。
彼女の選択は、カナリアがあえて表裏の予測から外していた一手。
絶対にそうなってはいけない。そうならない為に、わざと意識からも外していた結末。
受け入れたものが、
しかし、彼女が受け入れたのはアプスである。
そしてそれは、カナリアが最も危険視する存在のアプスが、管理者の軛から逃れる事に他ならない。
しかも、自由に動ける肉体を得て、組織の敵に成ったという、カナリアが一番考えたくなかった形で。
言葉こそ発しないものの、カナリアは強い義憤によってその綺麗な眉を顰め、射殺さんとばかりにクレデューリを睨みつける。
『それが、お前の選択か』
シャハボの言葉は、カナリアの言葉と相違ない。
「そうだね。これは私が選んだことだ。
今の私は、人ではなくなったのだろう。でも、私はそれでも良いと思っている。
この力があれば、私はアモニー様を万難から守る事が出来るのだからね」
殺気すら漏れて隠さないカナリアを前にしても、クレデューリは態度を変えることは無かった。
以前ならば戸惑う事ぐらいはしたかもしれない。しかし、今のクレデューリは涼しげにカナリアの睨視を受け流す。
「それにね、これは君が教えてくれたことだよ。一番大切な事だけを考えろってね。
その結果さ。私が人で無くなろうと、私にとっては大事ではない」
クレデューリは変わった。
余計な言葉など無く、ただ一言、変わってしまったのだ。
彼女は、自分の選択を理解して、それを行ったのだ。
ならば、カナリアも取る手段は必然的に限られる。
『お前がアプスを出したのか。アプスがそれを懇願したのか』
シャハボの問は、もはや単なる確認に過ぎなかった。
「ああ、アプスは今すぐに肉体が必要な状況だったそうだ。
一応、彼……多分彼だとは思うが、アプスの為に言うとすると、彼はしっかりと警告をしてくれたよ」
『何をだ』
「一つは、人で無くなる事をもっとよく考えろと。
そしてもう一つは、カナリアとは戦うなという事だね」
『それでも、お前は選んだのか』
「ああ。もう一度言うが、私の目的の為にそうしたのさ。
だから今、彼は私の中に居るよ。
それと、もう一つ言わせてもらうが、彼の忠告は関係なく、私は君に剣を向ける気は無い」
そう言ったクレデューリは鞘に納めた剣を触り、カナリアと敵対しない意思を強調したのであった。
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