第119話 異 変 【4/4】
シェーヴの工房には、魔道具を使ったのか、人払いの魔法が掛けられていた。そのせいで、普通の人ならば立ち寄ろうとさえ考えない場所に、カナリアは何のことも無く押し入る。
一階の部屋には誰もいない。中は片付けられたままであり、唯一以前と違うのは、本来の工房がある地下へと降りる階段が、木の扉で閉じられている事であった。
ただ、その扉は木製の何の変哲もない代物である。魔法で封じているわけでも、隠ぺいしているわけでもない。
ある意味で開けてくれと言わんばかりの木の板を前にして、カナリアは手を止める。
【どうしようね、ここ】
『魔法であるはずはない。単純な罠だ。力押せ』
二人は気付いていた。そこには、開ける事を前提にした罠がある事に。
それだけではなく、罠の種類さえもある程度想定済みであった。
警戒を強めながら、カナリアは階段を封じている戸板を引き開ける。
直後に階下から飛来したのは、一つの石であった。そして、カナリアを挟むように、真上からも石が落ちてくる。
微妙な時間差もあり、前もって気づいていなければ両方とも回避する事は難しかっただろう石礫を、一つは避け、もう一つは腰から引き抜いたナイフで切り払う事でカナリアは回避していた。
そして、避け様にそれらが
石を埋め込み、操り人形にでもする罠か。
そう理解したカナリアであったが、罠に対する危機感を覚えるよりも先に感じた事は、その石に対する違和感の方であった。
【これって、多分シェーヴの方だね】
『ああ。今の石は、幸せの窟で見た物やさっきの老人たちの物とは別物だ』
カナリアもシャハボも、振り返ってまでは確認しようとはしない。
言葉を発せず、手触りのみでの会話を続けながら、静かに階段を下りる。
二人が共有した事は、今飛来した
似て非なるもの。とまではいかないが、見比べれば分かる程度の違いがある。
埋め込まれた後で肉体に馴染めば変わる可能性を頭に浮かべはしたが、それにしてはあまりにも……と考えた所で、考える時間は終わる。
明かりの無い地下室。シェーヴの工房。
入り口に立つカナリアは、何者かの気配をその奥に感じていた。
「……カナリアか」
静かな地下室に響いた声は、微かに震えるシェーヴの声であった。
『…………』
そうだ。と返事を返したはずのシャハボの声は、ごく小さく発声され、シェーヴに届く事は無い。
「……ここには強い結界を張っている。出力的にそう長くは持たないが、効いている間は魔道具の能力が制限されるだろう」
事情を察したのか、彼はそう語り掛けるが、姿を見せはしない。
魔道具を使えなくしたのはどういう理由からか。
カナリアからは見えずとも、シェーヴの気配は消えておらず、それは暗い部屋の片隅に存在していた。
「私に近寄るな」
カナリアが寄ろうとした瞬間、シェーヴは言葉で制止する。
「猶予はない。入り口の近くに本がある。まずそれを拾って大切にしまえ」
今までのシェーヴには似つかわしくない、強い断定的な口調。
訝しみながらもカナリアは素直に従う。
シェーヴからは見えているのか、カナリアが拾い上げた本をリュックにしまい込んだのを見計らって、彼は話し始める。
「拾ったな。それは私の研究記録だ。君の大切なゴーレムの調査結果も入っている。然るべき人間に見せれば、直すための手掛かりにもなるだろう」
カナリアは表情を動かすことはない。
シェーヴの言った事は、単に本の中身の説明である。ただ、その情報だけで、カナリアは彼の言い分を理解する。
シェーヴのような人間にとって、己の研究記録は、魂のようなものであった。
カナリアはそれを知っている。そして、それを他人に渡す時とは、どのような場合であるかも。
『…………』
カナリアの肩に居るシャハボが口に出そうとして出なかった事は、最悪の方向に向かっているなという一言であった。
「いいか、カナリア。私の体には、
いつ埋め込まれたかはわからん。だが、問題は、今それが活性化しつつある事だ。
何も変わってはいない。変わっている気さえしないのだが、私にはわかる。私は今、何か別の生物に変容しつつある」
努めて冷静に伝えようとするシェーヴの言葉は、やはり微かに震えていた。
「これは私の知る
もっと何か……そうだ。これは、私が追い求めていた物に近い。いや、求めていたそのものだと言えよう。
人を人のままに別の生物へと作り変える。本来の目的を完全に果たす代物だ。
変化が全て完了すれば、私は私のまま私ではなくなる」
研究者でもある彼は、
これから起こる事を理解しているシェーヴは、自らの心持ちを声の端にだけ表しながら、冷静に言葉を続ける。
「村人たちは全て人間ではないと思った方が良い。
彼らはもう別物だ。だが、私にはまだ少しだけ時間が残されている」
『どういう事だ?』と返したシャハボの言葉は、やはり音にはなることは無かった。
しかし、シェーヴは、カナリア達から見えない位置に潜んだまま続きを話す。
「ここには、対魔道具用の結界を仕込んである。君の魔道具が使えないのはそれが理由だ。
元々は、研究中に事故が起きた時の対策だったのだ。
こんな事に使うとは……いや、今それはいい。何はともあれ、ここに居れば、魔道具の機能が完全に発揮することは無い」
今さら考える事では無いが、失敗時の対策も考えていたあたり、シェーヴは本当に腕の良い魔道具作成者なのだろう。
カナリアは話を聞きながら、そんな事を思いつつ、次の行動を思案する。
直近の予測自体は難しくはない。
その先をどうするかを考えるうちに、シェーヴはカナリアの思惑と同じことを口にする。
「こんなことを言える立場ではないのはわかるが、頼む。私が私で無くなる前に、
きっとどこかに、本当の作り手が居る。そいつに会って止めさせて欲しい。
カナリア、君なら出来るはずだ」
静かな声に含められた、強い懇願。
それは予期していた反応であり、カナリアはすぐに了承するつもりであった。
ただ、何かもう一つ手がかりが欲しくて、それを聞き出したいが故に、カナリアはシェーヴに向かって一歩を踏み出す。
歩んだ一歩が石造りの地面を踏んだ瞬間、部屋が明るくなった。
部屋は、備え付けられていた魔道具が本来の機能を取り戻した事によって、明るく照らされていた。
そして、カナリアが見たのは、部屋の隅でうずくまり、震えながら彼女を見上げるシェーヴの姿。
顔色は青ざめておらず、血色の良いまま。口角が上がり笑みを浮かべているにもかかわらず、その目だけは抑えきれない恐怖で汚れている。
ちぐはぐな様相は、まさに彼が口頭で言った状況そのものであった。
『明かりがついたな』
シャハボの声は、その地下室に響く。
「ああ」
顔を伏せ、丸くなったシェーヴは、一言そう呟いていた。
『何か、して欲しい事はあるか?』
カナリアはもう動くことは無い。かわりに、話すことが出来るようになったシャハボが彼に尋ねる。
「ああ。二つほど」
『聞くだけは聞く。話せ』
互いの言葉は少ない。
「フーポーの事を、よろしく頼む。それが一つ」
『ああ。わかった』
今この場で何が起きたか。それは、単純な事であった。
この部屋に魔道具の灯りが付き、シャハボが話せるようになった。それはつまり、シェーヴが用意していた魔道具の機能を制限する結界が、何らかの原因で破れたという事なのだ。
そして、結界が破れたという事は、つまり。
「もう一つは、私を殺してくれ。私が人であるうちに」
シェーヴは、自らを抱きかかえるように丸くなっていた。
何かを守るようにと見えなくもないその姿勢ではある。しかし、彼の中はおそらく、いや、間違いなく
この期に及んで、逆探知の懸念をしている場合ではない。
カナリアは、《
カナリアの石板に現れたのは、【手遅れ】の一言であった。
シェーヴの体の中では、不可解な魔力が渦巻いている。それはつまり、言葉の通り、不可逆的な変容が起きている事に他ならない。
誰も読む事の無い文字が石板から消えた後、シャハボが最後に声を掛ける。
『良い旅路を』
シェーヴは顔を見せぬまま頷き、彼の心の臓にある
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