第117話 異 変 【2/4】
「カナリアお姉ちゃん! お父さんが!!」
出会って早々に、フーポーはカナリアを見るなり、そう叫んでいた。
『少し落ち着け。シェーヴがどうしたんだ?』
「お父さんが! 村に! 帰って!!」
シャハボがなだめる様に問い返すも、山道を登って疲れたのか、切れた息のまま、急いで伝えようとするフーポーの答えは明瞭ではない。
カナリアとシャハボは早々にフーポーから情報を聞き出すのをあきらめ、顔を向けたのはクレデューリの方であった。
「狩りの途中で、村から鐘の音が鳴ったんだ。
私は時告げの鐘かと思ったんだが、シェーヴがおかしいと言い始めてね。
その時私たちは山中に居たんだ。戻ろうかとも話をしたんだが、とりあえず村を様子見できる高台が近くにあるという事で、私たちはそこに行ったのさ。
全景が見えたわけではないが、村で何か異変はあったようだ。
農具や棒などを持った村人たちが、複数人うろついているのは……」
クレデューリは、カナリア達に落ち着き払った態度で事情を説明していた。
しかし、説明が終わる前に、落ち着かない、いや落ち着いていられない人間が割り込んでくる。
「お父さんがね!! 村に戻っちゃったの!! 研究の何かが心配だって言って!!
大丈夫って言ってたけれど、私はお父さんの方が!!」
フーポーの顔は心配のせいか、青い顔をしたままであった。
蒼白な顔で、フーポーはカナリアの胸に飛びつきそうになるが、すんでの所でクレデューリが後ろから掴み止める。
「実際に村で何があったのかはわからない。
だが、シェーヴの事はフーポーが言った通りだ。
彼は大事なものがあるからと言って、工房の様子を見に行ったんだ。
一人で行くなら大丈夫とも言ってな。工房までたどり着けさえすれば、そこで籠城する事は問題ないそうだ。
それで、私は彼の指示通りにフーポーを連れて君と合流しに来たのさ」
事情を説明する間も、同じく山道を登って来たはずのクレデューリは全く息を切らせてはいない。
彼女の両手は、気のみが逸って落ち着けないでいるフーポーをしっかり掴んでいた。
持ち方を変え、少しでも息がしやすいようにフーポーの背中をさすりながら、彼女は再度口を開く。
「彼は君に期待しているような素振りを見せていた。
君の事だ。こんな事も予期していて、シェーヴと何か話していたのだろう?
これからどうする?」
クレデューリの強い視線はカナリアに刺さるが、カナリアの方は何一つ動じる事はない。
クレデューリの言った事は当たっておらず、シェーヴと打ち合わせをしたことも無いわけなのだが、それでもカナリアの行動に淀みはなかった。
【シェーヴは籠城して私が来るのを待っていると思う。
だから、私が彼を助けに行く。
クレデューリはフーポーを守って、安全な所に避難して】
カナリアの石板は、ほぼ即答ともいえる速度でクレデューリに突きつけられる。
必然的に、クレデューリと密着する形で背中をさすられていたフーポーもそれを見る事になっていた。
「カナリアのお姉ちゃんが、お父さんを助けに行く……?」
急に静かになったフーポーは、言うや否や、カナリアに視線を向ける。
そこに、改めて合わせられるカナリアの石板。
【うん、安心して。まだ生きていたら、ちゃんと連れて来るから】
「いや、大丈夫なの! お父さんはきっと生きているから、ちゃんと連れて帰って来て!」
カナリアは相変わらずであり、事実を優先し、方便でごまかす事はしない。
読んでからどんどんと泣きそうな顔になっていくフーポーを前にして、カナリアの補佐をしていくのはシャハボの役目であった。
『フーポー、お前は、シェーヴの事をどう思う?』
場違いな、というよりも、漠然として答えようのない質問を唐突にぶつけられたフーポーは、一瞬動きが止まる。
『お前は、シェーヴの事が好きか?』
二つ目の質問はわかりやすいが故に、フーポーはそれに頷く。
『お前の知っているシェーヴは、簡単に嘘を言うような奴だったか?』
三つ目の質問には、少し考えた後で首を横に振る。
『それならばわかるだろう?
シェーヴは大丈夫と言っていたんだろう? 父親の事を信じてやれ。
生きているなら、俺たちが救ってやる』
シャハボのそれは、言葉による矯正であった。
心配で身を潰され、居ても立っても居られなくて真っ青な顔をしていたフーポーは、今や目を見開いて、口を半開きにしていた。
シャハボの言葉によって、自分が今何をすべきかに気付かされた彼女は、両手で自分の顔をパンパンと叩き、気持ちと表情を入れ替える。
「……わかった。私、お父さんを信じて、安全な所に行って待つことにする。
だから、カナリアちゃんはお父さんの事をお願いします!」
真顔に戻り、頭を深々と下げてカナリアにお願いするフーポーの姿勢は、自らの決断を信じた潔いものであった。
フーポーがカナリアと頷きを交わした後で、機を見ていたとばかりに口を挟んだのはクレデューリである。
「問題は、今この状況で安全な場所がどこかという事だな。
山の中に潜んでいるにしても、安全とは言い難いだろう。地の利は地元の民の方があるだろうしね。
一足先にノキへ助けを求めに行くにしても、旅慣れた君が居ないと難しいと言わざろう得ないか」
クレデューリの冷静な状況判断に、カナリアはそちらへも頷く。
いくつか考え得る場所はある。だがどこが最善か。
カナリアが策を案じる間に、それに答えたのはフーポーであった。
「あるよ、安全な所」
「どこだ?」
少しだけ驚いたクレデューリに、フーポーは静かに続きを話す。
「幸せの窟。
あそこはね、人は人生に一回しか入れないの。行っても二回目は扉が開かないって聞いている。
それでね、村の人は成人したら必ず行っているから、大人の人たちは絶対に入れないはず」
真剣な面持ちで話すフーポーは、一旦言葉を止め、カナリアとクレデューリの両者に目で確認を取ってから、あからさまに視線を下げていた。
「クレデューリおねぇちゃんはもちろんだけれど、私もね、お父さんに禁じられていて、幸せの窟にはまだ行っていないの。
私はね、お父さんがずっと村のしきたりの事嫌がっていたから、私を行かせないようにしていると思っていたの。
ずっとそうだと思っていたんだけれど、もしかしたらこの為かもしれない」
クレデューリはフーポーの事を、よく周りを見ている子だと言っていた。だからこその、この回答なのかとカナリアは思う。
そして、それはクレデューリも同じようであった。
「なるほど……な。シェーヴも、もしもに備えて策を講じていたと見ていいのか。
そして、カーナは入ったばかりだから二度は行けない。
カーナが救助に回り、私はフーポーに付いて、そこで待てという事か」
クレデューリは、出来上がった筋書きに納得の様子を見せる。
しかし、彼女は、筋の良い話を頭から信じる事は無い。
クレデューリは、元々ルイン王国の王女を守る騎士である。権謀術数渦巻く世界で生きてきた彼女の経験は、隠されているかもしれない罠を強く警戒する。
「で、カーナ。そこは本当に安全な場所か?
君は無事に出てきたばかりのようだが、君だから無事だったという事もありえるのでね」
カナリアに向けられた問いは、クレデューリがお膳立てされた甘い話に頼らない姿勢を明確に現していた。
そんなクレデューリの感と気付きは、この場においては問題ないとカナリアは判断する。
その上で、どう返答するべきか。短い間、逡巡した後の答えはこうであった。
【安全、と言えば安全。少なくとも危害を与えられることは無かった】
「その言い方、少し引っかかるな。何がある?」
【中には人間でない存在が居た。手を出さなければ無害だから、多分大丈夫だと思う】
「……それは、本当に無害か? 君だけに無害ではなく?」
【多分としか言えない。ただ、出来る限り手を出さないで。
無視すれば大丈夫だと思う】
カナリアは、事実を正しく、ただし明瞭にはしない形でクレデューリに伝えていた。
これには、幾つか理由があるが、一番は、クレデューリに余計な興味を持たせない為にである。
カナリアでさえ手を出すことを避けた一番の危険物を、引き出されては困るからだ。
それでも、カナリアがぼんやりとした危険を提示したことで、クレデューリはある程度理解し、それに食いつく。
「それがこの事態の黒幕の可能性は?」
【完全にないとは言えない。でも、きっとない】
そこでカナリアは石板を下ろしていた。
直後、彼女はクレデューリとしっかりと目を合わせる。
クレデューリはフーポーをまだ抱き留めた状態でいた。
当のフーポーは、単に空気を読んで静かにしていたわけではない。
石板を読み、カナリア達の会話の内容を理解しようとしていたのだが、突如としてカナリアとクレデューリがにらみ合うような状態になったため、気が気でない様で二人の顔を行き来して見る。
そんなフーポーなどお構いなしに、二人の無言の見つめ合いは少しの間続き、膠着はシャハボがカナリアの頬を突いたことで崩されていた。
少しだけ表情を緩めながらシャハボに目をやったカナリアに、クレデューリが話しかける。
「そうか。君の言いたい事はわかった。
では、私はフーポーと一緒に幸せの窟に行く。
君はシェーヴを救いに行ってくれ。合流地点は幸せの窟でいいな?」
振り向きなおしたカナリアは、それにしっかりと頷く事で返答を返す。
「互いに自らの任を全うするとしよう。
武運を祈るぞ。決して……失望させるなよ?」
【そっちも。気を抜かないでね】
言いたい事を言い終え、クレデューリに挨拶を済ませたカナリアは、最後にフーポーに石板を向ける。
【みんなが無事でいられるように、おまじないあるけれど、する?】
返答は、当然ながら即答の肯定であった。
返答を受けたカナリアは、地面を三度踏み、無言のまま魔法を行使する。
カナリア、クレデューリ、そしてフーポー。
三者の足元に薄く光り輝く円が描かれ、そのまま消える。
「これが、無事でいられるおまじない?」
【そう。おまじないだから、信じるも信じないも勝手だけれど、きっと大丈夫】
おまじないと言いながら、しっかりと安心させることのないカナリアの言葉に、フーポーは複雑な顔を見せる。
その後は何も語る事無く、カナリアとクレデューリたちは場所を入れ替え、別の道へと歩いたのであった。
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