第115話 幸せの窟 【3/3】
新たな顔が出来る度に口調は変わっていた。いや、変わっているのは人相もか。
声が別人に聞こえたのは、これのせいかとカナリア達は理解する。
波紋の出所は、明らかに水管の中にある石のような物体であった。それが震える事で、何らかの振動を水管の外にも出しているのだろう。
アプスは定期的に振動し、水管を覆う水膜に顔を映し出し続ける。
その表情はめまぐるしく動き、けれども、喋る事は止めてカナリア達の反応を待つ。
『アプス、お前は組織の者か?』
覗き合いの場を先に壊したのは、シャハボであった。
『「ああ」「番号持ちに成れなかった失敗作だ」「ああ、組織の手で作られた」』
『どうしてそこに居る?』
『「安定のため」「私は不安定なのだ」「俺はここから離れると個体を維持できない。だからここにいる」「これでも安定している」』
それが言った通り、アプスの水面に写る姿は全く落ち着くことはない。
奇怪な相手であるのは間違いないのだが、それが組織の手で作られたと言った瞬間、カナリア達は強く反応する。
最大限の警戒が必要なこの場では、微動する事さえカナリアとシャハボには許されていない。
カナリアの手はシャハボに触れたまま、それだけで二人は意思を疎通し、シャハボが全ての接点を担う。
『お前は管理者か?』
『「いや、違う」「管理者はしばらく戻ってきていない」「今の己はこの施設の魔力源だ」』
そして、この言動で、カナリアとシャハボはアプスの言う事が真実だと確信するに至っていた。
組織に居るものは、事実を口にしない事はあれども、嘘をつくことは無い。
それが掟の一つであるからである。
カナリアもそうであり、元組織で働いていたシェーヴもその掟を知っている。
故に、シェーヴは、カナリアが組織の名を出して約束した際にそれを信じたのだ。
この場では、カナリアがアプスの事を信じる番であった。
アプスは自身が組織の手で作られたと言い、管理者ではなく、ここの魔力源であると明言した。
それを信じる事により、カナリアの中で仮説の一つに筋が通る。
この施設は、組織の施設であった。そして、何らかの手段でアプスを作り上げ、それを廃棄出来なかったのだ。
管理者が居るのは、アプスを暴走させないように維持する為だろう。
ウフの村は隠れ蓑兼、施設管理の為にあると考えられる。もしくは管理者の生活に使うためか。
出来た仮説を、カナリアは無言のまま肩に居るシャハボに伝達する。
彼からの、同じく無音での返答は、『考慮が抜けているぞ』との苦言。
そのままシャハボは、カナリアの抜けた部分を補填しにかかる。
『出迎えに来た奴は、人間ではなかったぞ。あれが管理者というやつか?』
『「あれは、」「あれは、代理」「今いない、どこにやった?」』
『あれは、組織の敵だった。消したよ』
『「そうか、ならばいい」「あれは管理者ではない」「問題ない。取るに足りない」「あれは管理者のお気に入りなだけさ」』
問答は非常に順調であった。
アプスの答えは明確であり、推測に雑音を挟むことはない。
思った通りに進む答えに、静かに首だけを縦に動かしたカナリアは、続けてシャハボに彼女の推論を代弁するように頼む。
『ここは、組織の施設で間違いないか? そしてお前はここで作られた。そうだな?』
『「ああ、そうだ。私はここを離れることが出来ない。だから管理者がここを守っている」「昔はそうだった」』
『昔?』
ようやく出たと言うべきか、引っかかる部分を、シャハボはしっかりと確認していく。
『「昔はそうでした。今は持ちつ持たれつですよ」「ここの管理は俺の魔力で賄っている」「管理者は私を使っているのです。かわりに私は彼女に守られているのです」』
この言葉の直後、カナリアは《
隠ぺいなどを気にせずに、出力も大きく、精緻に調べようとしたその魔法で、彼女はアプスの言う事が正しい事を確認する。
今現在も、流動は乏しいが、水管の中では、存在する石から魔力が流れ出ていた。そして、微量ながらも上下の接続部からこの施設の中に染み出している。
なまじ目の前にあるアプスの存在が大きい故に、これまで判断が付かなかった所ではあるのだが、言われてみて調べれば、確かにその魔力は施設の中に流れて使われているようであった。
無言で魔法を使用できる事を隠さないカナリアを、アプスは水面に写る顔で覗き続ける。
カナリアが解析を終えた後で、水面は二度ほど波打ち、新しく表れた顔は彼女にこう言った。
『「ああ、ここに誰かが来るのは久しぶりだ」「お前も管理者に何かを要求したのか?」』
話す相手を絞って掛けられたアプスの言葉に、ここにきてカナリアは自ら動く。
彼女は危険を顧みず、アプスが石板を読めるだろう距離にまで前に出て、それを突きつけていた。
【私は、『ルァケティマイトス』を探しに来た】
『「すまない。」』
即座に返された謝罪は、何に対してなのか。カナリアがそれを考える間もなく、水管の中は激しく泡立ち、表面の顔も激しく変化する。
『「ルァケティマイトス!」「神の欠片!」「力の源!」』
いきり立つような表情を何度も見せながら、声を変えて叫んだアプスを前にして、カナリアは無表情のままであった。
【あるの?】
見せる言葉も簡潔に。それが影響したのか、アプスは急に静かになってカナリアに答えを返す。
『「今はここにはない。だが、同じような物ならある」』
【同じような?】
『「君たちの目の前にある石、それがルァケティマイトスとほぼ同じものだ」「だが、それは私自身でもある」』
言い放ったアプスの言葉に押されたかのように、カナリアの手は無意識のうちに石板を外れ、水管の中にある石に伸びようとしていた。
『触るな!!』
『「触るな!」』
響く怒声は、肩口にいるシャハボとアプスの両方から。
とっさに伸び掛けた彼女の手は戻り、カナリアは気を取り戻す。
『「触れてはいけない」「私はこの中で隔離されているのだ」』
バツが悪そうに下がったカナリアに掛けられたアプスの声は、諭すように部屋の中に響き渡っていた。
そして、また黙りこくったカナリアを前にして、その存在は、今度は丁寧な口調に変って問い正す。
『「あなた方は、どうしてルァケティマイトスを求めるのですか?」』
その質問に答えたのは、シャハボではなくカナリアであった。
石板を突きつける相手は、水面であり、目が見えているのかも怪しい存在ある。
しかし、それは、カナリアの事情や、シャハボの足を直すためにルァケティマイトスが必要な事など、石板に映した情報を逐次読み取っていく。
『「それならば、私を使えば出来るかもしれない」「もし取り出せれば」「お勧めはしない」』
見せ終えた後で、アプスがカナリアに告げた事は、否定が強いが、可能性交じりの回答であった。
【取り出したらどうなるの?】
『「わからない」「だが、この施設は動かなくなる」「私は個を保てない。きっと全てを飲み込む」「周囲は全て消える」「きっと君もただではすまない」』
【それは、ウフの村も?】
程度を確認しようとしたカナリアの質問に、今までよく理解して返答を返していたアプスが、今回は知らぬとばかりに問い返す。
『「ウフの村?」』
『ふもとにある村だよ。名前を知らなくても、ふもとに村があることぐらいはわかるだろう?』
カナリアと入れ替わって、アプスの疑問に答えたのはシャハボであった。
水面の表情は変わり、元の質問を理解したアプスは、端的に答えを返す。
『「ああ、そういう事か。そこは間違いなく消える」』
その言葉を聞いたカナリアは、少し間を置いてから深くため息をついていた。
彼女はシャハボにゆっくりと手をやり、首を横に振る。
今まで強く追い求めたものが目の前にあるにもかかわらず、カナリアの決断は早かった。
無言のままシャハボに伝えた事は、今この場は無理をしないという決断。
アプスの言動を全て信じるならば、今カナリアが力づくで動く事は、得策ではないと理解したからである。
アプスの身である石、ルァケティマイトスを何とかして取り出すことは可能かもしれない。しかし、それをしたとするならば、おそらくウフの村は消える事になる。
無辜の村人たちや、クレデューリ、フーポー、そして、シェーヴも。
カナリアは、いくらシャハボの為とは言え、自らの私欲の為だけに他の人間たちを犠牲にする決断は取れなかった。
それだけではない。もしそうした場合、実際の作り手でないにしろ、今まで旅をして初めて見つけた、シャハボの事を直せる可能性のある人間が消えてしまうのは、彼女にとって痛手になるからである。
何か策を考えれば、この場でルァケティマイトスを入手できる方法があるかもしれない。その可能性は間違いなくあるとはカナリア自身が感じていた。だが、今回の彼女は、あっさりと手を引くことを選ぶ。
そこには、明確な理由の他にもう一つ、考慮すべき理由もあったからである。
それははっきりとした話では無い。だが、この場に来てからずっと、カナリアの経験と勘が、彼女の神経を撫で続けていた事にあった。
アプスは、本当に危険な存在である。
言葉でなく、カナリアはそれを肌で感じていた。
今のアプスは、確かに自らが言う通りに安定しているのだろう。何かが危険だとは感じるが、話は通じるし、敵意や害意は全くない。
彼女がわざわざ手を出さなかったのは、そういう理由でもある。
ここから動かさない限り、おそらくアプスは組織の敵に成りえないはず。
仮説からの発展を考えるならば、アプスは今の状態で置いておく事が、一番問題が起きないと考えたカナリアは、最後に一つだけ確認をする。
【組織に誓って、今言った事に嘘偽りはない?】
『「無論」「当然」「それが我々に課された制約だろう」』
その回答は、彼女に取って予想通りであった。
一度だけ頷いた後、カナリアはシャハボにはっきりと意思を伝える。
【ここには私の求める物はない。時間は掛かってもいいから、組織を当たる事にしよう。
組織で研究していたのなら、組織のどこかにはあるはず。
本当はすぐにでも直したいけれど、最悪、組織で幾つかの任務をこなしてからでもいい。恩を売って、それでルァケティマイトスを買い取る】
『それでいいのか?』
シャハボの声は静かではあったが、そこには驚きの感情が多分に含まれていた。
物わかりの良さ過ぎる回答を返したカナリアは、そんな彼に対して少しだけ微笑みかける。
【ハボンが教えてくれた事よ。
本当に急いでいる時は、ゆっくり回って堅実な道を選んだ方が、最後には早くなるって。
今ここで無茶をして、シェーヴに死なれる方が困る気がするの】
その答えは、彼も望んでいた事だったのか。シャハボは頷くのみであった。
答えが纏まった二人は、静かに黙ったままのアプスに改めて向き合う。
『「行くのか」「何も持ち帰らずに」』
カナリアの雰囲気を読み取ったのか、話す水面は穏やかであった。
そんなアプスに対して、カナリアは石板を突きつける。
【うん。あなたとは話が出来て良かった】
『「そうか」「行くのか」』
アプスの返す言葉は静かで、名残惜しさのような引きを持っていた。
【うん。行く。あ、もしかして、行かせないような罠でもあるの?】
『「そのようなものは無い」「お前がここを出たら、防衛機能を再起動させるだけだ」「普通の人間は二度とここに来ることは出来ない。だが、お前ならまた来ることも出来るだろう」』
【そう。じゃあ行くね】
カナリアの表情と態度がぶれる事はない。
ここの防衛機能がいかなるものか、気になるところはあれど、彼女はそれを見せる事はしなかった。
『「ああ、縁があれば、いずれ然るべき所でまた会う事もあるだろう」「彼女によろしくな」』
カナリアがこの先予期すべき事は少なくない。
しかし、アプスはこの言葉の後、彼女を拘束する事は一切なく、何事も無くカナリアは施設の外に出る事が出来たのであった。
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