第114話 幸せの窟 【2/3】
両断されたにも関わらず、青年の体から血が噴き出る事は無かった。
断面に見えるのは、間違いなく生き物の肉である。だがしかし、そこから何の体液が漏れる訳でもない。
【やっぱり】
カナリアの呟きはシャハボにしか届かない。
そして、彼はその言葉を、何のことも無く受け止める。
『ああ。それは俺たちの敵だ』
カナリアの《
その断面に見えるのは、人の体に本来あるべきでは無い石の輝き。
見る間に失光していくその石は、シェーヴが名も知らぬ男に使った物と非常によく似ているものであった。
【これは、同じもの?】
『いや……。似ている気はするが、どちらかと言うと、こちらの方が正しい動きをしているな。
それに、
【それは、相当昔に植え付けられたと考えていい?】
カナリアの魔法では、概要こそ検討を付けることは出来ても、詳しい所まで検分する事は不可能である。
それは、シャハボとて同じであった。作り手ではない以上、深い部分まで調べる事は出来ず、彼も自らの中にある知識を元に推測するに過ぎない。
ただ、そうであっても、目の前にある死体と埋め込まれた魔道具であろう石は、シェーヴが持ち出し、研究を続け、ごく最近に使い捨てた物と似ているのは二人にとって明白であった。
『相当昔だな。
以前は人であったろうが、この血の無さだ。
もう人と言うよりは、人と
カナリアが[組織]で受けている任は、人間に仇なす存在、特に、人と
カナリアもシャハボも、始末する前にそれが人ではないと察知はしていたのだが、改めて調べる事で、再認し、そして新たに疑問を持つ。
『それがここに居るという事は、この施設が廃棄された後に住み着いたか』
【もしくは、組織の方で作ってしまって、手に負えなくなったか】
シャハボの言葉の終わりを、カナリアは掬って補填し、直後に二人は視線を開いた洞窟の奥に向けていた。
彼女はシャハボと話を続けつつも、警戒を怠ってはいない。
この場所の魔法に対する防備は、流石に組織の施設であったと思わせるものであった。
ただ、それも扉が開くまで。
それまでは、カナリアの使う《
《
それはつまり、
『……今なら引き返せるぞ?』
シャハボの言葉に、カナリアは首を横に振る。
【気を付ける。でも、引き返さない】
そして、彼女は、もう一言付け加えていく。
【それに、もし組織の敵なら、始末しないといけないから】
シャハボはこの答えに異を唱える事はしなかった。
カナリアが決めた以上、どの道決まっている事なのだから。
彼は深くため息をついてから、口を開く。
『ああ、そうだな。もしそうなら、始末しないとな』
* * * * * * * * * *
ただの一歩。扉を通り抜け、洞窟の中に入った時から、カナリアは明確な違和感を覚えていた。
岩肌などは、一見すると間違いなく自然の洞窟である。天井には規則的に魔道具の明かりがついている事以外、周囲の全てに手の加えられた様子は全くない。
しかし、カナリアの感覚は、自然に見えるそれらの全てが、何者かの手によって作られたものだと理解する。
自然を偽装する。それは、その場所が既に誰かの、この場合はおそらく、管理者とやらの手の内にいるという事に間違いない。
既に察知されているだろうと見込んだカナリアは、牽制も兼ねて、これ見よがしに《
魔法は妨害されず、大きな反応の様子は変わらない。そして、打ち返しが来るでもない。
【堂々としているね。自信あるのかな】
無言の言葉は、手触りを以てシャハボに共有されていた。
『さぁな』
返答は素っ気なく、シャハボはシャハボとて、目の前の状況に集中する。
洞窟内はずっと無人であった。カナリアは警戒しつつ、その中を歩き続ける。
明かりは天井にある魔道具によってある程度確保され、壁面にはいくつか部屋の扉らしき物が見えるのみ。
部屋の中には何かがあるかもしれない。けれども、それらの全てをカナリアは無視する。
彼女がようやく立ち止まったのは、《
『「そこに居るんだろう? 入ってくるといい」』
カナリアを待ち構えていたかのように、かけられた声。
中から聞こえたその声は、男の声であり、僅かにくぐもっていた。
『罠は?』
馬鹿正直に聞いたシャハボの問に、その声は答える。
『「無いよ。君たちはきっと同類だろう?」「それに、入ればわかるよ」』
同類とはどういう事か。入ればわかるとはどういう事か。疑問はカナリアの頭に降りかかる。
そして、もう一つ彼女が気にした事は、男の声が一つではないように聞こえた事であった。
理解できる言葉で聞こえた内容は、一つしかない。しかし、雑踏の中に居る時のような、複数の存在が話をしている様な音の気配がそこにあったのだ。
『そこに居るのはお前だけか? 誰か他に居るのか?』
シャハボは口でそう尋ねるが、彼もカナリアも、魔法によって気付いている。中には一つの存在しかいないという事に。
『「私だけだ。気にするのは理解出来るが、入って来るがよい。こちらは何も出来んのだ」』
質問への答えは、即座に返ってきていた。
カナリアはシャハボへと手を伸ばし、同時に眉を顰める。
相手の声質はほとんど変わらない。しかし、口調と、そこから読み取れる圧が全く変わってしまっている。
【別人?】
文字しか出ないカナリアに、扉の向こうの相手と話をすることは出来ない。
シャハボにのみ伝えたはずの言葉ではあったのだが、機が合ったのか、中から再度声が返る。
『「ここには俺しかいない」「見ればわかる」「悪いようにはしないから入って来い」』
同じ声の別人。そう解釈するしかない声を前にして、カナリアはすぐに行動を決断する。
彼女が入り口の扉に手を当てると、それは抵抗なく開いていった。
石造り、いや、何かの金属で出来た部屋の中心に鎮座するのは、透明なガラスで出来た、人が一人簡単に入れそうな太さの管。
ガラス管が天井と床に繋がる部分には、動かないようにする為か、金属でしっかりと補強されている。
管の中は液体らしきもので満たされていた。そして、中には握りこぶし大の石のような物が浮いているのみ。
部屋はそれなりに広く、見渡せばそれ以外の物もあるのかもしれない。しかし、カナリアの目は、その水管から離す事は出来なかった。
『「よく来たね。そんなに見つめられるのは久しぶりだ」「ああ、なんだっけ? これは恥ずかしいという感情? 合ってる?」』
その声は、水管の中から響いていた。
水を通しているからくぐもって聞こえるのかと、カナリアは理解する。
だがしかし、そうだとしても、口調が変わっている事については推測が出来ず、眉をひそめるのみ。
彼女が黙っている間に、口を開いたのはシャハボであった。
『合っている。で、お前は何者だ?』
不躾で率直な質問に、水管の中にある石から気泡が上がる。
『「何者」「何物」「ナニモノ。」』
カナリアは、その石が、《
それ以上の推測も出来るには出来るが、余計なことを考えずに、不測の事態に備える事を優先する。
そんなカナリアの眼前に広がる光景は、刻一刻と変化する。
気付いた時には、水管の外側は薄い水で覆われていた。
『上の繋ぎ目から水が漏れているな』と言うシャハボの耳打ちを聞いている間に、水管の外に出た水に変化が生じ、そこには死面のような人の顔が浮き出る。
『「君はきっとカナリアだろう?
声はその顔から直接漏れていた。
『「私は、番号持ちには成れなかった存在だ」』
だが、カナリアはその意味を気にする事はない。今気にすべきは、目前にいる存在についてのみ。
そして、次にその顔が話した言葉によって、カナリアはいくつかの疑問に答えを得る事になる。
『「だが、名前はある」「アプス」「人間はそう呼んでいた」』
自らをアプスと呼んだその水顔は、一言一言話をする度に、水面に石を投げ込んだ時に広がる波紋のように、口の中から新たな顔を現していた。
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