第113話 幸せの窟 【1/3】

 翌日、其々は何事もなく出立していた。

 カナリアはシェーヴに教えられた山道を進み、他の面々は別の道にて越冬用の食料となる獲物を探しにいく。

 カナリアの進む山道は、決してよく手入れされているとは言い難いものの、視界の効く日中であれば迷う事の無い程度には整備されているものであった。


 村人が使う機会が相応にあるからか、それとも別の意味があるのか、歩きながらカナリアは考えを巡らせる。

 疑問の種は、すでに彼女の中でいくつか芽生えていた。


 今朝も何事か起きたわけではない。クレデューリが唯一、カナリアを済まなさそうに見ていたぐらいで、シェーヴとフーポーの父娘の様子は変わらず、そこには安寧の空気がながれていた。

 平穏、安らぎ。それは悪い事は全くない。


 平穏であるのは、家だけではない。昨晩、クレデューリも言っていた。村人たちは優しいと。

 確か、シェーヴも、フーポーの両親から感銘を受けたと言っていた。

 合わせれば、この村に対する感想は間違いなく良いと言えるだろう。


 けれども、カナリアの心中には、既に異物が混じっている。

 それは、シェーヴが言っていた、この村の人たちが人間味に薄れると言う一言。

 たったの一言ではあるが、その言葉は前者の話とは逆の意見であったからだ。


 カナリアの感じた違和感は、そこにあった。

 皆が良いと感じる村である。ただそれだけであったのなら、信じるも信じないも、罠の有無も推測のしようがあった。

 村への不満が出るのが外からであれば、それもまた推測の範疇になる。

 しかし、不満の出所が、村の中に居るシェーヴである。と言う事柄が、カナリアの思考を複雑にさせていた。


【問題は何もなくて、ただの善良な組織施設の可能性っていうのも、あるにはある。

 でも、そうだったらそれでおしまいだから、今は考えから除外するね】


 山道を歩きながら、カナリアは無言のままシャハボと会話を始める。

 議題は一つ。状況の整理である。


【シェーヴの言っている事は本当かもしれない。

 でも、私には、これから行く幸せの窟って所が、何かを誘うための罠のような気がするの】


『同意はするが、一応理由を教えてくれ。

 それと、リアはどうして罠だってわかっていて行くのかもな』


 シャハボは定位置であるカナリアの肩から離れ、山道の木々の枝に飛んでは掴まり、飛んでは掴まりして、ついて行っていた。


【理由は、話が旨すぎるから。きっと何か裏が、何か理由があると思っているの】


『確かに、話をするだけで対価が得られるというのは甘い話だな』


【うん。

 その理由もね、単純に考えれば、村を維持するために人を呼び込んでいるとも解釈は出来る。

 けれど、それにしては大掛かり過ぎる気がするし、あとは、シェーヴが問題なの】


 シェーヴ。元[組織]の人間。そして、今、フーポーの養父になっている彼の行動が、虚実であるとはカナリアは感じていなかった。

 真実であると感じたからこそ、違和感が増しているのである。


『ああ、奴は、この村にとっての異物だな。

 奴だけが、この村に不満を抱いている』


 打ち返してくるシャハボの言葉にカナリアは頷き返し、さらに推察を続ける。


【そう。彼は不満を持っている。

 この村自体が罠だとしたら、既に村の一部になっているはずの彼が不満を持っているのはおかしい。

 全てが罠であれば、彼も親切心だけで私を導くはず。でも、そこに違う感情を入れるという事は、彼はこの村の何かに取り込まれていない可能性がある。

 でも、そうだとすると、シェーヴを取り込まなかった理由がわからない。何か別の考えがあるかもしれないけれど、そこが読めないの】


 それは単に考え過ぎなのか、それとも一筋縄ではいかない罠なのか。

 カナリアの懸念はそこであった。

 言わんとする所を理解したシャハボは、自らの見た事実のみを彼女に伝える。


『ああ、シェーヴは間違いなく人間だな。人生に悩み、足掻いている。

 知らぬ間に取り込まれているなんてのは良くある話だが、未だに村に馴染んでいないのはそうだと見ていいだろう』


 事実の追認。しかし、決定的な情報がない以上、彼は積極的にカナリアを動かすことはしなかった。

 ただし、シャハボも自らの言った言葉によって、ある事柄に気付く。


『そうか。

 だからリアは、罠だとわかっていてもそこに行くのか。

 人間である奴の言葉を信じて』


【それも、ある】


 頷くカナリアは、一度動く足を止めていた。

 見上げた彼女は、葉のほとんど落ちた木々の中に居るシャハボを凝視する。



【でもね、一番の理由は、ハボンの為】



 それは音の無い言葉であった。

 魔法による繫がりだけでシャハボに届いた言葉は、彼を振り向かせる。

 その後シャハボは、ずっとカナリアの肩の上に居る事を選んだのだった。

 

* * * * * * * * * *


 カナリアが幸せの窟と呼ばれる場所に到達したのは、昼休憩を一切挟まずに山道を半日ほど歩いた頃であった。

 一見すれば自然の大洞窟とも言えるだろう。だが、その入り口には、完全に閉じる形での金属製の両開き扉があり、そこは明らかに人の手の入った場所と化していた。


『ああ、これはまた大仰なもんだな』


 流石のシャハボも呆れたように呟く。


【この場所が廃棄されなかったのは、この大きさのせい?】


 一瞥して出たカナリアの質問に対し、彼は続けてそれに答える。


『いや、十中八九それは違う。この程度の場所なら爆破するぐらいは訳ない話だ。

 廃棄出来なかった中身があると考えた方が妥当だな』


【危ないかな?】


『ああ。……行くなと言いたいぐらいにはな』


 シャハボの言葉に意気は入っていなかった。元より、彼は、この期に及んでカナリアの意思を変えさせることは出来ないと知っているからである。

 代わりにシャハボは、カナリアの後ろに回ってある事を提案する。


『フーポーから昼飯を貰っていただろう? 今食ったらどうだ?

 長丁場になって食べる機会を逃したら勿体ないぞ』


 互いが互いを良く知る間柄である。シャハボの提案は、今にも入り口を開けに行こうとするカナリアを立ち止まらせ、一思案入れる間を作っていた。


【じゃあ、そうする】


 彼女は自らのリュックを下ろし、昼食の包みを漁ろうとする。

 その時であった。



「そんな所で食べないで、中に入って食べたらどうですか?」



 響いたのは男の声。良く通る澄んだ声は、間違いなく洞窟内から発せられていた。

 カナリアとシャハボ、両者はゆっくりとした動作で視線を向ける。

 体を動かす様は、気取られぬようにごく自然な所作であった。その短い間に 、カナリアは無言のまま 《感知サンス》系、《探知ディテクション》系の魔法を短く使い、周囲と中の様子を探っていく。


 視線を扉に向けた彼女の手は、自然とシャハボに伸び、触れて情報を共有する。

 ほぼ同時に一人と一羽は頷くが、それは互いの視線には入っていなかった。


『そりゃ有難いねぇ! 外は寒かったんだ。お出迎えの準備は出来ているのかい?』


 対応をするのは、いつも通りシャハボの役目である。

 正体不明の相手へと返答を返すその声は、ひときわ大きいものであった。

 扉はしっかりと閉じられており、鼠一匹通れるような隙間さえ見当たらないにもかかわらず、内から新たな声が返って来る。


「ええ。出来ていますとも。でも、すみませんが、そちらから開けてくれませんか?

 私では開かないように出来ているのです。入り口の左手側の壁に窪みがありますから、そこに手を入れて下さい」


 中から響く声は、物腰穏やかであり、とても親しみやすいものであった。

 聞く人が聞けば警戒心を忘れそうな、しかし、今相対している二人には、何一つ届く事の無い男の美声。


 カナリアは、その声に従い、壁の窪みを探しに行く。

 彼女は、この時点で罠の有無を全く気にかける事はなかった。


「窪みを見つけたら、手を入れて下に軽く押して下さい。

 それでこの扉が解錠されますから」


 カナリアの魔法は、扉と、それを繋ぐ鍵となる部分が魔道具である事、そして、単純な鍵だけではない事を見抜いていた。

 引き込むための場所に、罠はない。罠があるとしたら洞窟の中深くであろう事さえも。


 窪みを見つけた彼女は、躊躇なくそこに手を入れて、指示通りに軽く押す。

 素直に扉を動かす装置が動き、それを隠れ蓑にして何かの情報が飛んだ形跡をカナリアは確認していた。

 それは、何らかの識別であろう。二度と入れないようにする為の情報記録か、それとも、何らかの判別の為か。


 カナリアが思考を巡らせる間に、扉は完全に開け放たれ、中から一人の青年が出てくる。

 こんな田舎には全く似つかわしくない、執事然とした服装に包まれた、美麗な青年。

 彼は、カナリアを見るなり、澄んだ笑顔でこう言った。

 

「やぁ。君が十一番目ウーンズのカナリアか。ようこそ」


 彼が挨拶と一緒にカナリアに手を伸ばそうとしたところで、その腕と胴体は斜めに両断される。

 カナリアは、問答を許さずに、《空刃クーペア》にて、出てきたばかりの青年を処分したのであった。

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