第112話 出立前夜 【3/3】
「きっと君は、その護衛任務の間に、私の弟を殺している」
顔を上げた彼女は、一瞬だけカナリアと目を合わせ、崩れそうになる顔の表情を押しとどめながら、話を続ける。
「魔女は、とある重要な人物を誑かしていると、その命令書には書いてあったんだ。
重要人物を守る為に魔女を退治する。わかりやすい大義名分だよ。
事情を知らなければ、もっともな話だと私も思うだろう。折しも第二王子のディノザ様の婚姻騒動の話は、王都でも噂になっていたからね。
ただ、君を知って、王都の陰謀を知った私にはわかる。
これは、私の知るどこかの貴族の陰謀に間違いない。そして、それに巻き込まれた弟は、何も真実を知らぬまま、ディノザ王子の婚約者を守る君と当たって死んだのだろう」
クレデューリの目も体も、カナリアの方を向いていた。彼女の全身の震えはいつの間にか止まっており、マグを持つ両手に力は入っていない。
場が鎮まる中、口を開いて返すのはカナリアの頭上からであった。
『なるほどな。そうだとして、敵討ちでもするつもりか?』
クレデューリは、シャハボの言葉にふふっと乾いた笑いを返す。
「出来なかったよ」
その顔は、口角こそ上がっているが、顔からは悲痛が漏れ、目には涙が溜まっていた。
「さっき試した。そして、剣の腕でも君には敵わないと知った。だから私には敵討ちは出来ない。
それに、正直な気持ちで言うが、今の私には、君を敵とする意義が見つからないんだ。
弟は死んだ。ただそれは、彼我の力量を見抜けなかった彼自身の問題だ。それと、背後に潜む陰謀を正しく見抜けなかった事もだ。
私は弟に期待していた。彼ならば一人でも大丈夫だろうと思ったんだ。
彼はもう一人前だった。一人前だからこそ、自らの死の責任は彼にある。互いの立場があっての戦いで負けたんだ。私にはその死を悼むことはすれども、君を恨む理由はない。
立場が立場であれば、私も君と同じことをするだろうからね」
とうとうと思いの丈をこぼし、こぼし切った所でクレデューリの目からついに涙が零れる。
「けれどもね、仇は仇だ。君と差し違える事も考えはしたさ。
でも、今の私にはそれを選ぶことは出来ない。今の私には、アモニー様の元に戻ると言う大役があるのだ。それを放棄するわけにはいかない。
それに、カーナ。相手が君だからこそ、私がそれを選ぶことも出来ないんだ。
弟の恨みはあれど、私に新しい道を見せてくれた恩のある君に、本気で剣を向ける事は出来ない」
涙は流せども、彼女の口調ははっきりとしたものであった。
心の中ではもう決まっていた事なのだろう。芯は揺らぐことなく、クレデューリは最後の言葉をこう締める。
「手紙を読んでから、ずっと心中で疑ってはいた。
君の本当の名が知れた時に、剣を向ける事も考えた。
その事は素直に謝罪しよう」
流れた涙はまだ頬に残っていたが、彼女の表情からは、悲痛さや後ろめたい気持ちは全て抜けていた。
いつもの真摯な面持ちのまま、クレデューリは石板を下ろしたカナリアと顔を突き合わせる。
意思を伝えるだけの時間は短く、次に動いたのはカナリアの方であった。
一つだけ嘆息を付いたのちに、彼女は改めて石板を持ちあげる。
【一つ質問。どうして今、この話をしたの?】
「何のことはない。ずっと言う機会は伺っていたさ。
ただ、この村に来てからというもの、君とシェーヴは忙しそうにしていたから、どうにも切り出す機会が見つからなくてね。
でも、それもまぁ、良かったのかもしれない」
【どういう事?】
「私にとっては、考える為の良い時間だったという事さ。
フーポーと一緒に色々と作業をして、村人たちと交流してわかったんだ。王族貴族達の陰謀のひしめく王都の生活と違って、辺境の地ではこんな平穏な生活もあるんだって事をね。
無論、良し悪しだ。こちらでは大変なことも多いだろう。
でも、そんな生活を体験したせいだろうな、君に復讐するとかそういう事を考える事は無くなっていった」
クレデューリはカナリアに対してぎこちなく笑い、肩を竦めていた。
「君は知らないだろうが、この村の住民はみんな優しくてね、良く助け合うんだ。
それに、フーポーもそうだ。彼女はああ見えて、良く周りを見ているし、さりげなく気遣う子なんだよ。
例えば、彼女は自分の身が成長しない事を知っている。そして、それをシェーヴが気にして手を尽くしている事もね。
フーポーはシェーヴに気を遣わせないために、何も知らない振りをして、わざと見た目の年相応に振舞っているそうだ。
血は繋がっていないとはいえ、二人は互いに気を掛けて、親子としてやっている。
それは……」
言い淀んだ彼女は、空を眺めながら言葉を探す。
視線をカナリアに戻した時には、クレデューリの表情は、今までの陰鬱さから変化し、少しだけ澄んだものになっていた。
「なんだろうな、私はそこに温かさを感じたんだ。人の温かさ、口で言うと少し恥ずかしい気がするな。
でも、そうだね、人の温かみに触れたおかげで、私は君に対しても寛容でいられるようになったんだと思う」
感情をそのままに、表情を変えていくクレデューリとは対照的に、カナリアの表情は、全く変わる事はない。
そして、もはや憑き物が落ちたようにすっきりとした表情に変わっていたクレデューリを前にして、シャハボがもう一つ尋ねる。
『それで、落ち着いて結論が出たのが今だったという事か?』
「まぁそんなところだね。
あとは、フーポーではないけれど、夜の食事時に、私も君たちの行動が不自然に感じた部分はあったんだ。
だから、言うのは今しかないと思って誘ってみたわけさ。
こんな誘い方は騎士としては失格だったな。繰り返しすまない」
返答をしたクレデューリの態度は、嘘偽りを感じさせないものであった。
しかし、カナリアは微かに違和感を覚える。覚える先は、ここではない。
自然と彼女の手は肩の上に行きシャハボを探すが、彼がいつも通りの肩の上ではなく頭の上に居たために、その手を上に伸ばす。
一人、肩こりでもほぐす様に手を動かしている間に、まだ喋り足りないとばかりにクレデューリは口を動かしていた。
「この村は、私にとってきっといい場所なのだと思うよ。少なくとも、アモニー様の所に戻るまでの数年を過ごすにはね。
もう一度言うが、私は君と出会って幸運だった。アモニー様からの任を全う出来るだけでなく、新しい世界を見せてくれたのだからね。
弟は不運だったが、人生はそんなものだと思っておくよ」
彼女は、もう一度だけやるせない気持ちを顔に表し、ようやく喋る事を止める。
二人は無言のまま見合い、クレデューリは少しの間、カナリアの返答を待っていた。
返答が無いと解釈し、席を立とうとした瞬間、カナリアの石板が持ち上げられる。
【今のは、内緒の話だよね?】
「ああ、そうだな。その方が、お互いに良いだろう。
私も何も知らなかった事にすれば、君を悪く思う必要はなくなるからね」
頷いたクレデューリに対して、カナリアは再度石板にて言葉を続けていく。
【じゃあ、いい方法がある】
不思議がるクレデューリを前に、カナリアは自らのリュックをあさり、一つの酒瓶を取り出していた。
【冒険者同士でのしきたりで、秘密事を分け合った時に、一つの酒を分け合って飲むことで、その人達だけの秘密にするんだって】
カナリアが見せたこの方法は、彼女がタキーノで知った方法である。
形の無い約束事に過ぎないが、決まり事に実直なクレデューリに対しては有効であるとカナリアは思ったのだ。
案の定、理解を示したクレデューリは直ぐに話に乗る。
掲げられた二人のマグに注がれた酒は、タキーノで貰った
実の所、カナリアは酒に詳しくはない。タキーノで飲んだこれが、彼女にとって最初の酒だったからだ。
だから、カナリアは、酒については何も説明しなかった。
クレデューリは酒の何たるかを知っている。そして、彼女は、今この瞬間、カナリアの事を心底信用していた。
だからこそ、二人のマグに十分に注がれた量を見て、それが酒気の強くない酒だと思ったのだった。
マグを掲げ、二人はごくりと酒を口に含む。
次の瞬間、クレデューリはカナリアに向けて、口に入れた強い火酒を思いっきり噴出したのだった。
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