第111話 出立前夜 【2/3】

 夕食の後、カナリアはクレデューリの誘いを受けて月明かりの照らす家の外に出ていた。

 季節柄もあり、夜風はかなり冷たく、あっという間に二人の体温を奪っていく。


 シェーヴの作ったランタンを置き、暗がりの中で二人が行おうとしている事は、木切れを使った模擬戦であった。

 武器は木剣と言うよりは、薪用の枝の中から真っ直ぐな物を選りすぐっただけの代物であったが、クレデューリがそれを構えると、いかにも剣としての様相を見せる。

 対するカナリアも木切れを持つが、こちらは木切れのまま、それと、持ち方は手慣れた逆手ではなく順手のままであった。


 互いが距離を置き、明かりの乏しい中で間合いを図り合う。

 本来であれば、日のある間に行うべき取り組みのそれは、食後に何気なくクレデューリが提案した一言が発端であった。


「そう言えば、この村に来てから剣を振っていないんだ。

 カーナ、良かったらこの後、一局付き合って貰えないだろうか?」


 口調は何気ない。身振りも柔らかである。

 だがしかし、一瞬だけ、クレデューリの雰囲気が変わった事をカナリアは見逃していなかった。

 

 促されるままに頷き、意図を図り切れぬまま付いてきたカナリアは、クレデューリと対峙する。

 シェーヴとフーポーはクレデューリの言葉を信じ、二人共それぞれの作業を優先して、この場には来ていない。

 そんな、誰も見る者が居ない状況下で、出鼻にクレデューリがカナリアに叩きつけた気合は、鍛錬と言うには行き過ぎた殺気交じりのものであった。


 クレデューリとて、周りを気にしてか声を出すことはしない。

 しかし、声を出さずとも、気迫だけで伝わるものは十分にある。

 力量に差がある相手であれば、それだけで射すくめられるであろうクレデューリの強い気勢は、けれどもカナリアには届かない。

 届かないと言うよりは、意に介されずに受け流される。


 カナリアの常套手は、相手に先に手を出させてからの、後の先を取りに行く事である。

 対するクレデューリも、後の先を伺う事は多い。だがしかし、一番の得意手は、相手が手を出す瞬間を読み切り、先の先を突きに行く事であった。


 クレデューリの気合は、ただ闇雲に放たれたものではなかった。それは、相手を彼女の意図で動かす為の切っ掛けを与えるものに他ならない。

 殺気に反応してカナリアが動く。その瞬間をクレデューリは見逃すまいとしていたのだ。

 ただ、この場においては、彼女の目論見は外れてしまう。


 放たれた気合は流され、微動だにしない対峙は続く。

 互いに相手が動くのを待つ。それだけの時間は、長くは続かなかった。


 先に動いたのは、後から動く方を得意とするカナリアの方であった。

 彼女は何も構える事無く木切れを持ち、無警戒のまますたすたとクレデューリに歩み寄る。

 互いの間合いが重なった所で、両者共に動く事はしない。

 鍛錬と呼べるような打ち合いは一切行われる事無く、最後まで動かなかったクレデューリの首筋にカナリアは手にした木切れを突きつけ、そのまま試合は終わったのであった。


* * * * * * * * * *


【はい、白湯】


 カナリアは右手で石板、左手で湯の入ったマグを持ち、クレデューリの前に立つ。


「あ、ああ。すまない。

 流石に夜になってからやるべきではなかったな。

 まだ冬ではないから大丈夫かと思っていたが、体が凍えてしまったよ」


 マグを受け取ったクレデューリは、礼もそこそこにして、すぐに湯に口を付けていた。

 今二人が居る所は、家の中、カナリアに割り当てられた部屋である。


 カナリアも、自ら《湯生成シュフー》で生成した湯をマグに淹れ、両手で包んで暖を取るのだが、よほど寒かったのか、全身を震わせているのはクレデューリの方であった。


 二人ともゆっくりと湯を飲み、体を温める。そしてその間は、互いに口を開くことはない。

 戦い方と関係しているわけではないが、静寂を先に破ったのは、クレデューリからであった。


「やっぱり君は、私に何も聞かないんだな」


 カナリアを見つめる視線に込められた思いは、憂いと困惑である。


【何を?】


 返すカナリアの返答は、いつも通りのそっけないものであった。

 カナリアとて、クレデューリの所業に気になる点が無いわけではない。

 ただ、聞く必要を感じていなかったが故に、そのままあしらう反応を見せたのだが、クレデューリは自らそれに食いつく。


「何を、何をか。言わずとも気付いているのだろう?」


『ああ、随分と穏やかな殺気だったな』


 割って入るのはカナリアの傍に居るシャハボである。


「穏やか……か。本当に殺そうとさえ思ったのだが、君らにとっては涼風か」


【涼風とは言わないけれど、本気で無いのはわかったから気にもならなかった】


 カナリアの石板を読んだクレデューリは、力なく笑い返す。


「ふふ、そうだな。殺れるとも思っていなかった。

 先に手を出そうと思っていたのだが、私は君が歩み寄る間に、動く事すら出来なかったよ。

 寒さのせいにしたいところだが、対峙する事で力量の差をわからされたな」


 マグを握りしめる彼女は、震える体を必死に止めようとしていた。

 遅まきながらにカナリアは、それが寒さが原因ではないと気付く。


【言いたい事、あるなら聞くよ?】


 石板を見せたカナリアは、ついでとばかりにもう一度、《湯生成シュフー》でクレデューリのマグに湯を注ぎ入れる。

 ぽつりぽつりとクレデューリが話をし始めるのは、その湯が半分程なくなってからであった。


「ノキに居た時に、アモニー様から届けられた手紙の中に、一枚だけ君に見せていなかったものがあるんだ」


【何?】


「弟のペリーに渡された極秘の命令書の複製だ。

 それをこの手紙に入れたアモニー様の意図はわからない。敵討ちの為か、危うきに近寄らせない為にか、どちらでも考えられる。

 内容は、君に見せた手紙に書いていた情報と大して変わりない物だったのだが、一つだけ、そこには無い情報があったんだ」


 そこまで言ったクレデューリは、マグを両手で掴みながら、顔をしっかりと上げて、カナリアの目を真正面から覗き込む。

 

「改めて聞き直すが、君の本当の名前は、カナリアなんだな?」


【うん】


「その命令書にあった、クラス1を僭称する魔女の名前が、カナリアだった」


【そう】


 クレデューリは石板から再度カナリアに視線を動かし、目を合わせる。

 いくら視線を合わせ続けても、カナリアは微動だにしない。

 そして、クレデューリもそうなる事は薄々気付いていた。


「それは君なのか? 君はクラス1の冒険者なのか?」


 視線を動かさず、口だけが動いたクレデューリの言葉に、カナリアは自らの顔を隠す様に石板を持ちあげる。


【私がクラス1の冒険者なのは間違いない。ただし、僭称もしていなければ、魔女でもない。

 今偽名を使っているのは、クラス1だと面倒事が起きやすいから、ただそれだけ。

 余計な面倒を増やさないために隠れ蓑に使っているだけなの】


「……だとしたら、弟を、ペリーを殺したのは君なのか?」


 石板で遮られ、その先に居る悲痛な声を出したクレデューリの顔を見る事は、カナリアには出来なかった。

 ただ、あるべき事を素直に伝えるだけである。


【わからない。私はタキーノである任務に就いただけ】


 一旦そこで言葉を切ったカナリアは、石板を下ろしてシャハボの方を向く。

 任をこなした。ここまでは言っても問題はない。ただ、その中身をどこまで伝えるかで迷ったからだ。

 頷いて話を引き継いだシャハボは、カナリアの頭に上に登ってから口を開く。


『この任務の内容は、本来は他言する事では無い。

 ただ、状況が状況だからな。信じるも信じないもお前の勝手だが、こっちは決まりを破って話すという事だけは覚えていてくれ』


 彼はこう切り出してから、タキーノで受けたカナリアの任務について、要点だけを偽りなく話したのだった。

 その任務は、今カナリア達のいる、そしてクレデューリの属するルイン王国の第二王子の新しい妻となる人物の護衛だった事。

 そして、更なる陰謀に巻き込まれない為の対策として、曲者の類は皆殺しにすると言う方針であった事を伝えた瞬間、クレデューリはカナリアたちから視線を切る。


「ああ、やはりか。やはり、そこに繋がるのか」


 何もない床を眺めながら、ぽつりとクレデューリは呟いていた。


「薄々感づいてはいたんだ。

 君の強さは並ではないと。そして、君自身が嘘偽りを話すような人間でもないと。

 だから、信じていた。

 信じていたからこそ、ほとんど確信を持って言える。

 きっと君は、その護衛任務の間に、私の弟を殺している」

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