第52話 真相 【6/6】
トントンと、カナリアとキーロプの部屋を繋ぐドアが叩かれる。
まだ朝を迎えておらず、深夜に血相を変えて飛び込んで来たウサノーヴァが静かに帰ってから間もない時間であった。
「カナリアさん、起きていますか?」
キーロプに呼ばれたカナリアは、寝間着のまま石板だけを持ってドアに向かう。
【どうしたの?】
掲げられた石板に魔道具の灯りをかざして読んだキーロプは、静かにそれに答えた。
「飲んだ酒の量が多過ぎたせいか、眠れないのです。
こんな深夜ですが、少しお話しませんか?」
魔道具の灯りこそあったものの、カナリアにはキーロプの表情は見えにくかった。
けれど、カナリアは直感で理解する。
【大事な事でしょう?】
「……ええ。
全く、本当にカナリアさんには敵いませんわね。
取って付けた理由では理由になりませんか」
石板を読んだキーロプは、肩を竦めてそう返したのだった。
* * * * * * * * * *
キーロプの部屋に戻った二人は、いつものテーブルを挟んで向き合う。
「ああ、でも、酒に酔ったのは事実なのですよ?
ウサノーヴァの為に頑張ったのですから」
そう言ってキーロプがカナリアに差し出したのは、酒抜き用らしい、いつものお茶とは違う薬草茶であった。
すっきりとした香りのするそれに、一度は《
キーロプもほとんど同じタイミングでお茶を啜り、二人はほぼ同時にカップをテーブルに戻した。
同じタイミングで二人は顔を見合わせ、口を開かないカナリアを前にキーロプが話を始める。
「お話と言うのは、カナリアさんに、私から贈る褒賞の事です。
以前、『
護衛の任務もあと数日で終わる事がはっきりしましたので、改めて何か差し上げたいと思いまして」
にっこりと微笑を向けるキーロプの様子は、言葉の通り、感謝を返したいという気持ちが前面に表れていた。
そんな彼女に対し、表情を動かさないままカナリアは石板を向けて言葉を見せる。
【いらない、と言ったら?】
「そう言われるかもしれないと思って、ちゃんと受け取って貰える様に考えてあります」
カナリアとキーロプ、お互いの表情は変わらない。
静かな空気が流れる中、シャハボがカナリアの頬をつつく。
シャハボの言わんとするところはたった一つ。キーロプは厄介な相手だと言う事であった。
カナリアはそれに同意するが、先にシャハボが動いてしまったが為に、彼女はキーロプへの返答を余儀なくされていた。
【何?】
差し出された石板に対して、待っていたとばかりにキーロプは返していく。
「一つお願い事もあるのです。
お願い事は単に聞いて頂くだけでも結構なのですが、これからお渡しする事は、単に感謝だけではなくてそれの対価として受け取ってもらえればと思いまして。
お願い事と対価でしたら妥当な取引でしょう?」
それは、筋の通った言い分。
けれども、シャハボは人間のする仕草を真似るように首を横に振る。そして、カナリアは石板から片手を離し、シャハボの体を撫でていく。
一人と一羽の意志の共有の手順。
互いの意見は同じだった。キーロプといい、イザックといい、
避けようとしても時間の無駄だと判断したカナリアは、【わかった】とそれに了承する事を選ぶ。
石板を見て、答えに満足したキーロプはこう切り出したのだった。
「ええ、それは良かったです。
ちなみに、差し上げるものですが、物品ではありません。
私には、人には話す事の出来ない秘密が二つあります。その一つをカナリアさんにお話ししようかと思っています」
【秘密?】
「ええ、秘密です。私、実は音が聞こえないのです」
【どういうこと?】
「どういう事もこういう事も、そのままです。私には外の音が聞こえません。ですが、かわりに人の考えが聞こえるのです。
しっかりと気付いたのは年が十を超えたあたりでしょうか。それまでも私には周りの方々の考え、心の声とでも言いましょうか、それが聞こえていました。
ですから、会話に不自由することはありませんでした。口の動きと心の声も違っていて当たり前だと昔は思っていましたからね。
確か、ばあやと小鳥の鳴き声の話をしていた時だったと思います。私には全く聞こえないその小鳥の鳴き声の話を、ばあやがしたのです。
その時に私は気付いたのです。世の中には音というものがあり、私が聞こえるものとは別物だと」
秘密と言った割には、そして、その内容にはそぐわないぐらいの軽い口調でキーロプは話を続ける。
「それから私は周りの人を見て、自らの能力が露見しないように修練致しました。
気付いてからすぐに、音というのは口から出ているとわかりましたので、人の口から言葉を読めるように修練を重ねました。
他に身に着けたのは、私は思考の反射と名付けましたが、もし対象の人の考えが聞こえなくても、周囲の方々の考えから推測できるようになる技術を身に付けたりとかですね。
私だけに聞こえる言葉、口を読んで理解する言葉、思考の反射。
この三つで私は、ほぼ完全に相手の事を理解できるようになったのです」
言い切ったキーロプは、一旦口を閉じてお茶に手を伸ばす。
『けっ』と啖呵を吐いたシャハボのそれには、意図しているのか聞こえていないのか、キーロプは反応を示さなかった。
【じゃあ、第二王子を捕まえたのはその力のお陰なの?】
カナリアが石板に書いた言葉に対しては、キーロプは嬉々としてそれに応える。
「流石カナリアさん、考えが早いですこと。
ええ、そうですわ。
以前はさも全てを掌握したように説明しましたが、こんな田舎町に居る私に、そこまで沢山の情報はありませんでした。
ですが、祝宴会などという皆さんが思い思いに考えを巡らせている場であれば、情報などと言うものは自然に私の耳には聞こえてしまうのです。
王子のディノザ様の苦悩の心中や、周りの方の馬鹿げた考えなどが私には良く聞こえていましたから。
イザックおじ様から叩き込まれた方法論の数々と、それだけの情報があれば、篭絡出来ないはずがありません」
『あの親にして、この子供ありとは。世も末だな』
シャハボの二度目の愚痴に対してもキーロプは、嬉しそうな様子のまま何ら反応しない。
けれども、すぐに居住まいを正してから、キーロプは改めてカナリアに話しかける。
「カナリアさんは普通の人とは違いますね? 特殊な訓練等もなされたのでしょう?」
唐突な方向転換に、カナリアも【どうして?】と疑問で返す。
「カナリアさんの心の声は、私には非常に聞き取りにくいのです。
小さくて凄く曖昧に聞こえるのです。心を読まれないように防がれていると言えばいいのでしょうか。
ですから、本当は私の能力だけでの会話は大変なのです」
うーん、と考える仕草を取った後、キーロプはこう続けた。
「そうですね、最初の夜襲があった夜の事を覚えていますか?
たしかあの時に言ったのだと思いますが、私は別の理由をつけてカナリアさんとの会話の方法をその石板に限定いたしました。
その本当の理由がこれなのです。
私にはカナリアさんの声が聞きづらい。そして、生物ではないカナリアさんのお供のゴーレムの声は、全く聞こえないのです。
もしこの事にカナリアさんが気付いていなかったのでしたら、それは単に私の修練の賜物だと思ってください」
そこまで話した後で、動いたのはまたもシャハボだった。
カナリアの肩に乗ったまま、彼なりの大きな声で一言こう言った。
『性悪女』
流石の言葉に、カナリアの体が一瞬動く。
そして、「何か言いましたか?」と言うキーロプの声。
『なんだ、聞こえてるじゃないか』
「いえ、聞こえてはいません。ですが、流石にそこまであからさまな行動をされると、聞こえなくてもお供の方が何か悪口を言った事ぐらいは想像がつきますよ。
少ない情報から芯を見抜く事に関しては、誰にも負けませんから」
シャハボは震え、宥めるようにカナリアはその体を撫でる。
その姿を見たキーロプは、当たったでしょう? と言わんばかりに少し笑った後で、話を続けた。
「ですが、耳が聞こえないのは本当の話なのです。
まだ真偽がつかないと思われるのでしたら、その様に私が理解して演じているだけなのです。
もし私がこんな能力を持っていたと余人に知れたら、どうなるかおわかりでしょう?
王妃として襲われるだけでは済まない事になるのは明白。
故に、この事は私の大切な秘密なのです」
頷いたカナリアは、続けざまに首を横に振る。
大切な秘密を明かす事の意味と使い方を、そしてキーロプの次の意図を読んだからであった。
【あなたには大切かも知れないけれど、私には無用の秘密。
むしろ、それを教えてくれたことを利用するつもりでしょう?】
「いえいえ。そんな事は。
カナリアさんには私の大切な秘密を知られてしまいましたから、何かあった際には、是非私を脅して助けを求めて頂いて結構ですのよ。
なんてことは、おくびにも出しませんわ」
わざと弱みを握らせて、カナリアとの間に緊密な繋がりを作る。ただの贈り物ではなく、キーロプのそれはしたたかな策であった。けれども、それもあくまで彼女にとっては添え物の一つなのだろう。
本来は隠すべき情報を大っぴらに出し、その裏で本当に秘すべき情報を隠す。
イザックとキーロプの共通の手口を前に、カナリアは半ばあきれたようにため息を吐いていた。
もう一度首を横に振った後、おそらくはキーロプが今回
【それで、もう一つのお願いって何?】
キーロプが深く微笑む。
「ええ、そちらは他愛もない事です。
ですが、直截に言うのはやめましょう。色々と事情がありますから。
回りくどいかもしれませんが、このような言い回しで失礼させて下さい」
そんな前置きをした後で、キーロプはカナリアにこうお願いした。
「あなたの身近にいる死にたがりを、救ってあげて貰えませんか?」
カナリアはそれに即答で頷く事は出来なかった。
キーロプもその一言以外の言及は一切しないまま、深夜の一幕は朝日の出を迎えて終わったのであった。
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