第32話 夜襲 【3/6】
「お嬢様! ご無事でしたか!」
部屋に入るなり、すぐにクレアはキーロプに駆け寄っていた。
魔道具による部屋の灯りはつけられており、キーロプは寝間着姿から普段のドレスに着替えている。
カナリアは警戒の為に意識をクレアの方に向けていたが、キーロプから大丈夫と合図があったので目を外す。
シャハボはテーブルの上に静かに留まっていた。
お互いの視線が交差した後、すぐにシャハボはカナリアの元に戻る。
『まったく、こいつは気の太い女だよ。
カナリアが出て行ったあと、「襲撃があったのでしたら、わざわざ暗いままでいる必要はありませんね」なんて言って、早々に部屋の灯りをつけやがった。
外から見ればどこにいるか丸わかりになるってのによ!』
シャハボの開口一番はこんな愚痴からだった。
カナリアはシャハボを宥めるように、それと同時に離れていた間の時間を取り戻すかのようにその体を撫でる。
一通り撫でて満足した後、キーロプに文字が読めるぐらいまで近寄ってから、カナリアは石板を突き付けた。
【わざとやったの?】
カナリアはキーロプの行動の真意に目星がついていた。
キーロプもニッコリと笑みを浮かべて答えを返す。
「ええ。こちらがあからさまな対応をすれば、相手も惑ってくれるかと思いまして。
知者の愚行ならば、警戒して簡単に行動を動かさないでしょう?
あまり好みではないのですけれど、私の市井での評判を逆手に取らせてもらいましたわ」
それと、明るい所での着替えは楽でしたわ。と続くキーロプの言葉を流しながら、カナリアはイザックの言葉を再び思い出していた。
【イザックからあなたは聡明な人だって聞いていたけれど、市井にも流れるぐらいなの?】
「ええ、あまり外に出る事は無いのですが、そうだと聞いていますわ。
世の中には私なんかよりも、もっと聡明な方はいらっしゃると思うのですが」
首を傾げて困ったような仕草をする姿は、下手な謙遜をしているようにカナリアの目に映る。
【そうね】
カナリアは一言だけ、何ともつかない肯定を石板に浮かべた。
石板を見たキーロプは、一瞬だけ素に戻った表情になった後動きを止める。
カナリアは言葉を話せない。けれどもこういった場合の会話のたたみ掛け方は熟知している。
相手の思考を止めた後で、カナリアは文字でキーロプに非難の言葉を叩きつけた。
【本当の知者ならばそんな愚行を犯さないはず。愚行に頼るのは完全な知者になりえていない証拠。
今後は余計な事をしないで、もっと自分の事を考えて。貴方に死なれては私が報酬を貰えないのだから】
読み終えたキーロプは、素に戻った表情のまま深々とカナリアに頭を下げた。
「それは失礼を致しました」
即座に謝罪をするその姿勢は、身分の差を感じさせない堂に入ったものだった。
貴族の階級に居るものが、いや、第二王子と婚約を決めるような身分の者が冒険者風情にするような姿勢では、全くない。
キーロプに頭を上げるように促すクレアを視界に入れながら、カナリアはキーロプの事をやはり出来ると評価していた。
だからこそ、今苦言を呈したのは正解だと判断する。
キーロプは頭がよく回る。今回の事も、状況によっては正しい判断であったと言ってしまえる手段ではあった。
ただ、今回の状況はそれには当たらないとカナリアは考える。確かに利点はあるのだが、それをつかむ為にキーロプが危険に晒されるべきではないのだ。
知者の愚行とて、本当の知者と愚者には通じない。
きっと、お嬢様のキーロプはその事を知らない。だからこその釘刺しであり、有能なキーロプはすぐに理解してくれるだろうとカナリアは判断していた。
とは言え、釘を刺しておいたところで、ただでは打たれないだろうともカナリアは感じていた。
頭を上げたキーロプはカナリアに微笑む。
そこから発せられた言葉は、カナリアの予想をちょっとだけ外れていた。
「今後は気をつけますわ。
でも、一つだけ知っておいて下さい。私が愚行に走ったのは、カナリアさんの身を案じたからですわ。
ええ、カナリアさんは私の騎士様です。ですが、裏から騎士を助ける姫と言うのも良いのではないでしょうか?」
すぐに『けっ』と文句を言ったのはシャハボだった。
カナリアは無言のまま表情を崩さない。
何かの反応を期待したキーロプであったが、沈黙に耐えられずに先に肩を竦める。
そのまま、折れて口を開いたのはキーロプの方だった。
「さて、この話よりも、現状の事をお話いたしませんか?
まだ襲撃は終わっていないかと思うのですが」
【そうね】
戯言には反応しなかったが、襲撃の話になるとカナリアはすぐに返答をした。
即座に探知の魔法を立て続けに使い、周囲に変化がないか確認をする。
【襲撃者は三人。二人は無力化してある。
残りは大声をあげている一人だけで間違いないと思う。
囮なのは間違いないから、無視してもいいとは思うけれどどうする?】
キーロプが考える間にも、外からの怒鳴り声が聞こえていた。
「このまま大声を出され続けていると、ゆっくりと寝る事も出来ませんわね。
穏便にお帰り頂くような事は出来ないのでしようか?」
【やってみても良いけれど、私としてはあまりあなたの傍から離れたくはない】
先ほどの諫言が効いたのか、キーロプは「困りましたね」と言って再度考える。
それも束の間、閃いたとばかりの仕草をするのは早かった。
「それであればこうしましょうか。みんなで行きましょう。
今のお方はカナリアさんをご指名のようですし、夜間での石板を使った会話は大変でしょうから、私が取り持つと言うのはどうでしょうか?」
【どうしてそうなるの? 話を聞いていた?】
「ええ、カナリアさんが私の傍を離れたくないのであれば、私が一緒について行けば良いではないですか?
幸いにも、矢避けの魔道具ぐらいはありますので、私一人の身であれば大丈夫ですわ。
一緒に行けば、カナリアさんは私を守って頂けるでしょう?」
顔をはっきりとしかめたカナリアは、クレアの方を向いてキーロプを止めるように視線で求める。
相変わらずの生気の抜けた顔ではあったが、彼女は首を横に振った後、こう言った。
「それであれば、私はここに残ります。
ここの方が私には安全でしょうし、もし何かあったら囮の役目程度にはなるでしょうから」
少し驚き、クレアが味方にならなかったことに失望する。だが、同時にカナリアは別の事も考えていた。
キーロプの提案は一見すると危険な話である。だが、実際それにも考慮するべき利点がある事に気付いていた。
確かに、彼女一人ならば、カナリアの目が届く所に居てくれるのであれば、守りようがあるのだ。
矢避けも出来るのならば、下手に目の届かない所に居られるよりは確かに安全であろう。
だが、懸念もあった。
わざわざ助けたクレアを置いて行く事に難を覚えるのではとカナリアは思っていたのだが、やはりと言うべきか、キーロプは聡明であった。
「大丈夫よ、ばあや。ちょっと行って話を纏めて来るだけですわ。
それに、カナリアさんが危険な方は一人だけと仰っていますから、ばあやは安全な所でゆっくり休んでいて下さいな」
ああ、やっぱりとカナリアは思う。
私の状況判断が正しいと仮定したのであれば、それが最良手であるとキーロプも判断したのだろう。
シャハボがもう一度『けっ』と文句を言い、カナリアはそれに頷いたのだった。
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