第31話 夜襲 【2/6】

『わかった。気は抜くなよ』


 カナリア達は警戒を厳にしているが、実の所、シャハボの声の殆どは外から断続的に響く怒鳴り声によって打ち消されていた。


「出てこい! 出てこないと押し込むぞ!」


 そのような言葉が、カナリアが一人の暗殺者を沈黙させている間も断続的に続いていた。

 だが、今になってもその相手は、言葉を投げるのみで全く以て踏み込んでくる様子は無い。


 当然だろうとカナリアは思う。

 相手は陽動なのだから、わざわざ入ってくる必要は無い。

 それに、もしカナリアが出ていけばキーロプの護衛が手薄になり、それはそれで相手の目的も叶う事になるのだから。


 定石通りの陽動。故に、カナリアは徹底的に無視を決めていた。


 うるさいけれど、代わりに私の足音や気配を少しでも消してくれていたらいいのだけど。

 そう思いながら、カナリアは隣の部屋に繋がる扉を開けてキーロプの寝ているはずのベッドに忍び寄る。


 部屋に灯りはついていない。

 けれども、当然の事ながらキーロプは目を覚ましており、上体を起こした状態でベッドの上でカナリアを待っていた。


「何がありましたの?」


 こんな事態だというのに、キーロプの口調は優雅さを保っている。この場においてそれは、緊張感に欠けた響きであった。


 状況に似合わない返答に対し、やや顔をしかめながらカナリアはその傍に寄る。だが、その場が暗闇の中である以上、喋るのはシャハボの役目だった。


『夜襲だよ。一人は始末した。それと、今外で叫んでいるのとは別にもう一人いる』


 考えているのか、キーロプの反応はすぐには返ってこない。


『おい、聞いているのか?』


 そうシャハボが再度声を掛けた後で、キーロプは改めて口を開いた。


「こんな時で申し訳ないのですが、大事な事はカナリアさんから直接伝えて頂けませんか?

 お供の方が説明されているのはわかるのですが、私の身に関わる事は護衛の方から直に聞きたいのです。

 もちろん筆談で構いませんし、私を守る為に必要だというのであれば、連絡は事後でも構いませんわ」


 何を悠長な事をとカナリアとシャハボは同時に思ったが、その対応は真逆であった。

 魔力の反応が漏れる可能性を無視して《灯りエクリアージ》を発動させたカナリアは、すぐに灯りに照らされた石板をキーロプに突きつける。


【夜襲。一人始末した。今叫んでいるのは多分囮。もう一人の敵がすぐにここに来ると思う】


 まじまじとそれを読んだキーロプは、事態に驚きもせずに返答をした。


「なるほど。そういう事ですか。

 それならば、この場で待ち受けた方が良さそうではありますね」


 その的確な判断にカナリアは頷く。だが、キーロプの言葉はそこで終わらない。


「ですが、カナリアさん。こちらから出向いて行って襲撃者を早々に始末する事は可能でしょうか?

 このままだと、事態に気が付いたばあやもきっとここに来るでしょう。

 運悪く襲撃に来た方と鉢合わせになって、ばあやが殺されるような事にはなって欲しくないのです」


 キーロプの顔にはやれますよね? と言わんばかりの笑みが浮かび、カナリアの表情は対照的に真顔であった。


【正気? 今の所大丈夫そうだけれど、私が離れると言う事はその分あなたの危険が増すのよ?】


 カナリアの言葉の中には、出来ないと否定を意味するものは含まれていない。

 そして、キーロプもその意をしっかりと汲んでいた。


「ええ、我が身も大切ですが、ばあやの身も同じように私は案じていますので。

 もし心配ならば、その子を置いて行って頂けますか?

 これは私の推測にすぎませんが、カナリアさんが随分と大切になさっているので、その子がここに居て下されば私も守ってくれるのではと思ったのですが」


 カナリアの表情は動かなかった。


 有能だけではない。カナリアは、キーロプから最初に会った時に感じたものと同じような気配、違和感、いや、何か特異な洞察力の様なものを感じていた。


 内心では、キーロプの能力に対して様々な可能性を考えていた。だが、今それを態度に表す必要は無い。それに、キーロプに対して、推測の正誤を答える必要もまたカナリアには無い。


 気になる事ではあったが、奇しくもその要求はカナリアが予定していた事と同じであった為、決断は早かった。

 動かぬ真顔の表情のまま、カナリアは石板をキーロプに突きつける。


【わかった、そうする。でも、に絶対に触らないでね?】


「ええ、わかりました。それで身の安全が少しでも保てるならば良いです。

 では宜しくお願いしますね」


 二人が頷いて確認した後、シャハボは無言のまま一旦宙を飛び、キーロプのベッドの端に居場所を移していた。

 くすんだ色の金属で出来た体は、闇に溶け込んで殆ど見えなくなる。


 カナリアは一度だけシャハボの姿を見てから、一人廊下へ繋がる扉を開けて侵入者への迎撃に向かうのだった。



* * * * * * * * * *



 シャハボと別行動をとったのは何時ぶりだろうか? 暗がりの廊下を歩きながらカナリアはそんな事を思う。

 居心地の悪さを感じて早く戻りたい気持ちが募るが、余計な焦りは禁物と自分を引き締める。


 侵入者は動いてはいるものの、依然、《探知結界ディテクション・プラージ》の範囲内に居た。

 魔法に対して知識が無いのか、対策が無いのか、それでも隠密行動をとっているつもりなのだろう、その移動する速度は遅い。


 別の場所に設置してある《探知結界ディテクション・プラージ》からは、老メイドのクレアがキーロプの所に向かうような反応がある。

 このままいけば、キーロプが想像した通りに、クレアと侵入者が鉢合わせになる可能性が高い。


 この状況下で一番楽な手は、侵入者がクレアに気を取られた瞬間に死角から攻める事だが、カナリアはその手を棄却する。

 今クレアに何かあっては元も子もない。


 であるなら、とカナリアは手杖を手に持つ。

 先に他の侵入者を始末した手段を使う事は考えなかった。二度使って対応される可能性を考えなくも無かったが、理由は他にある。


 カナリアは、今回の相手を生かして捕らえるつもりでいたからだった。

 今後の事を考えると、情報源はあるに越したことは無い。


 経験を元に遠距離、近距離、使用する魔法、相手の行動などを予測して、短時間で対応策を組み立てる。


【これでどう、ハボン?】


 胸にぶら下げられた石板に文字が浮かぶが、暗がりの中それを読む者はいない。

 いつもの癖で、ほぼ無意識のうちにシャハボに尋ねていた事にカナリアは気付くが、それ以上感情を動かす事はしなかった。


 まぁ良いや。手早く仕留めよう。


 音も無くカナリアは闇の中を走り出す。

 勢いを殺さぬまま《浮遊フルトン》で空中に飛び上がり、天井に張り付くようにしばし進んだ後、無音のまま着地する。


 その着地点は、丁度カナリアの居る二階に上ったばかりの、マヌケな侵入者の背後だった。


 カナリアは、驕る事無く、対象の侵入者を無能かそれに近い相手と判断していた。

 長時間 《探知結界ディテクション・プラージ》内に居た事から、魔法に対する知識は少なく、対策もしていないだろう。

 気付いていてわざとそこに居る可能性も考えはしたが、他の二人と連携が取れていない点から考えて、それも無いと判断する。

 本命が早々に沈黙した以上、この侵入者が囮を演じて長々と《探知結界ディテクション・プラージ》の中に居る意味は無いからだ。


 ただ、一つだけ、カナリアは警戒する筋書きがあった。


 実は、カナリアでさえ探知できない敵が居て、キーロプの元を離れている今を好機とばかりにキーロプを狙うという作戦。


 あり得ない話ではなかった。


 カナリアは自分の能力に自信は持っていても、過信はしていない。

 数多の可能性を考慮した上で、採る手段を正攻法と決める。


 無能を手早く処理し、その後でクレアを回収してからキーロプの元にすぐに戻ろう。


 あらかじめ対策を決めているカナリアの動きは、無駄がなかった。

 侵入者の背後に立ってから、即座に手杖をその背中に当てる。

 即座に手杖から発動した《電撃ショック・エレクトリ》が全身を硬直させ、侵入者は直立したまま前に倒れていった。


 カナリアは《生命感知サンス・ドレヴィ》で侵入者が生きている事を確認する。

 恐らくは狙い通り気絶してくれただろう。動きは全くない。

 それならばとばかりに、カナリアは慎重に《麻痺パラリゼ》を使い、四肢だけを麻痺させていった。


 終わった時点で彼女は少しだけ息を吐く。《麻痺パラリゼ》は強すぎると心の臓まで止めてしまう事があるので、やり過ぎないように配慮と集中が必要だった。

 上手くいったとカナリアは思う。これならば、目が覚めた後も数日は芋虫で居てくれるだろう。


 この侵入者はこのままここに放置するつもりだった。

 キーロプの部屋にわざわざ持ち帰る必要は無い。事が終わった後でウサノーヴァを呼んでから回収すればいいだろう。


 直後にクレアが現場に到着し、石板での会話にちょっとだけ手間取ったものの、二人は無事にキーロプの部屋に戻ったのだった。


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