第29話 キーロプ・フンボルト 【3/3】

 死体の処理はカナリアとウサノーヴァの手で行われた。

 処理と言っても、単純に屋外に運び出して身の回り品の確認をした後で焼いただけなのだが。

 本来は墓所にでも運んで行って埋葬するのが筋なのだが、余計な出入りを増やしたくないと言うウサノーヴァの意見が通り、私邸の庭にもかかわらず死体を荼毘に付すことになっていた。


 手慣れたカナリアの手際の良さで綺麗に処理された後に残ったのは、別の香りだった。


「宜しくないですわね。人の肉が焼けたというのにこのような匂いを残すなんて」


 と、キーロプが口を開く。

 自室で休んでいるようにカナリア達は言ったのだが、自分が原因の惨事から目を背けたくは無いというキーロプの強い言葉により、彼女もこの場に来ていたのだった。


 自らの鼻を押さえて顔を背けた後、少しだけ思い出したような仕草を取ってから、キーロプはウサノーヴァに向かって話しかける。


「ああ、こんな時に何ですが、目下一つ困った事があります」

「何でしょう?」

「ウサノーヴァ、聞いても落ち込まないで下さいね?

 これからの私の食事の事です。料理人がいなくなってしまったのです。

 頼みのオジモヴ商会もこうなっては使えませんし、そこまでばあやに任せるのは流石に気が引けるのです。

 こうなったら私がやるしかないのでしょうか?」


 シャハボがキーロプに対して『こんな状況でそれとは、随分と図太い性格してるな』と呟いていたが、悩むウサノーヴァにはそれに気をやる余裕は無い。


 ウサノーヴァはそのまま少しだけ考えた後に、今度はカナリアに水を向けた。


「カナリアさん、ちょっと尋ねますが、料理の経験はありますか?

 この際です、手の込んだ物を作れとは言いません。食べられるものであれば構わないのですが」


 カナリアはすぐに頷く。


『あ、いや、それは止めておけ……』


 そして、割り込んだシャハボの言葉を遮るように、カナリアは石板を突き出した。


【大丈夫。料理は得意。一人旅で慣れているから】


『カナリア! それは……!』


 再び声を上げようとするシャハボの口を、珍しくカナリアは閉じさせる。


 二人のやり取りのおかげでこの場こそ少し和みはしたが、ウサノーヴァはそれがどういう事か直感で理解していた。

 その上で彼女が言った言葉は、全員を驚かせるものだった。


「それなら大丈夫です。材料は絶対に安全なものを用意しますから、お願いできないでしょうか?」


 実の所、カナリアの料理技術は致命的である。

 一人で旅をする事が多いので基本的には問題ない……と言うより、被害は出ないのだが、何かの拍子に他人におすそ分けをした際は、いつも必ず悶絶する人間が出ていた。


 だからこそシャハボは止めに入ったのだが、この件に関して後悔を知らないカナリアは誇らしそうに胸を張って【わかった】と返答をしたのだった。



 その夜の夕食は、まるでお通夜のような状態だった。



 ウサノーヴァも念の為毒見に入り、カナリアの作った料理に毒が無い事を確認した後、それを全員で食べていた。


 メニューは例のまずい麦粥と薄い豆のスープ。ここ数日のカナリアのいつもの食事だった。


 カナリアが作っても等しくまずいそれは、十分にカナリアの真の実力を隠せるものだったのは、全員にとって運が良い事だっただろう。

 最初は色々な事に挑戦できると意気込んでいたカナリアだったが、ウサノーヴァから渡された麦と豆を見るなり一気に意気消沈して、食事時にはもう何も言わない状態になっていた。


「まぁ!」


 キーロプとて、一言声を上げた後は無言になって食べているあたり、その味は何とも言えないものだった。


「決して美味しくは無いですが、これを食べている限り死ぬことはありません。

 カナリアさんでも同じ味にすることが出来ますし、命に代えが無いと思えばこれが最良の方法でしょう」


 ウサノーヴァの言葉に全員が納得はすれども、舌の方はこれも同じく全員が一寸たりとも納得しないものであった。



* * * * * * * * * *



 食事が終わりウサノーヴァが帰った後で、カナリアにはキーロプの隣の部屋が割り当てられた。

 キーロプは何としても同室が良いと言い張ったのだが、カナリアは拒否しつづけた結果、ドア一枚で出入りできる真隣の部屋に住む事になったのだった。


『全く、ここの連中は本当に用意の良い事だな。

 この部屋も落としどころとして最初から用意していたんだろうさ』


 そう呟くシャハボの言う通り、割り当てられた部屋には、ベッドにタンスに一通りのものは揃っていた。

 ベッドカバーに鳥の模様が縫い込まれているのはどこの誰の入れ知恵なのか。


 用意の良さにはカナリアも同意していて、はぁ、と声にならないため息をつくが、まんざら趣味としては悪くないとも思っていた。



『で、今日の夜はどうするつもりだ?』


 部屋の中を確認して一息ついたカナリアに、シャハボが話しかける。


【いつも通りにするつもり。どうせ今日は来るでしょ?】


『そうだろうな。来るとして、どう来ると思う?』


【私なら、全力。

 私の噂ぐらいは届いているだろうし、情報が筒抜けだとしたら手持ちで一番の手をぶつけて来るでしょ】


 二人の相談は、起こるであろうと予測している今日の夜襲に対してだった。


『そうだろうな。向こうからしたら時間はまだあるんだ。

 手持ちの最高戦力をぶつけて様子見ってのが今取れる一番の手だろうな』


【うん。だから、いつも通りにするつもりでいるよ】


 カナリアの言ういつも通りと言うのは、ゴーリキー商会の時に行ったような、実力の隠蔽の事を指していた。


『それがやれる相手が来ると思うか?』


【わからない】


 シャハボの指摘にカナリアは少し考える。


【強い相手なら、生け捕りを諦めるしかないかもね】


『そうだろうな』


【それに、今回は守らないといけない人が居るのがちょっと面倒。

 何かあったら狙われないように、出来る限り私が囮になるように動かないとね】


 カナリアはシャハボを撫でた後、その手に乗るように促した。

 片手の上にちょこんと乗るシャハボに対して、カナリアは無言のまま言葉を伝える。


【やりたくはないけれど、もし相手が強そうなら、ハボンはここに残ってキーロプの護衛をお願いね?

 その時は私がすぐに処理して戻って来るから】


 カナリアの目は真剣だった。

 普段のカナリアならばシャハボと離れるのを絶対に嫌がるのだが、シャハボの為の任務であるならば、それも辞さないという決意がその目には浮かんでいた。


『わかった』と返すシャハボの口調からも、いつもの口の悪さではなく真剣さがにじみ出る。


【心配しないで、ハボン。油断するつもりはないから】


『心配なのは……まぁ良いさ。それで、お出迎えの準備は一つだけにするのか?』


【うん、わかりやすそうな所に《探知結界ディテクション・プラージ》は張って置いたよ。

 あとは私とハボンで交代で見張っておけば大丈夫だと思う】


 《探知結界ディテクション・プラージ》は文字通り、その結界の範囲に異物が入ると、カナリアにそれが何かを教えてくれるものだった。


 カナリアの実力であれば、高い精度で攻撃を防ぐ《防御結界バハリァ・プラージ》などの魔法を使う事は出来た。

 単に守るという点においては、こちらの方が確実性が高い手段である。

 ただし、それでは、探知されればそこにキーロプを守っている事が露見してしまう。相手に攻撃の場所を伝えてしまうようなものだとカナリアは経験を以て知っていた。


 故に使うのは、侵入を探知するだけの《探知結界ディテクション・プラージ》を選ぶ。

 カナリアは既に、キーロプ達と館内外を歩いている間に、彼女達にさえ知られぬように館の玄関や、キーロプの部屋の入り口付近、窓の外など、明らかに守るべきであろう場所に《探知結界ディテクション・プラージ》を丁寧に隠して配置していた。

 それ自体は文字通りの探知結界として機能するだけでなく、後詰めにカナリア達が見張る事で二重の罠として活用させるつもりだった。


 明らかに使うであろう通り道を対象にして、しっかりと存在を隠してある結界は、無能ならばそれに引っかかるだろう。

 ある程度有能な相手ならば、確実にそれを避けるはず。そして、その隠してある結界を確認する事で、罠を避けたと思わせるのだ。


 避けたと思った瞬間、襲撃者の心には隙が生まれるはず。

 一瞬でも相手に油断が出来れば、カナリアにはそれを見逃さない自信があった。


 うん、いつも通りにやれば大丈夫。と頷くカナリアにシャハボはこういった。


『リア、相手がわからない以上、何時も想定通りにうまく行くわけじゃない。

 こちらが油断して逆に足を掬われるような事にならないように、気をつけるんだぞ』


 再度頷いた後、カナリアはシャハボの体を優しく愛おしく撫でる。


 そんなシャハボの諫言でさえ、カナリアにとっては嬉しいご褒美のようなものだった。


【わかっている。ありがとう、ハボン】


 無言のささやきは誰にも聞かれる事なく、静かにシャハボにだけ届いていた。



 そうして夜が深くなっていく。

 キーロプを取り巻くこの事態は、カナリア達の思うがままに進むのであった。

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