第28話 キーロプ・フンボルト 【2/3】

「大丈夫です。彼の身元はしっかりしていますよ。我々オジモヴ商会がしっかりと調査しましたので」


 キーロプの私室に案内された後で、ウサノーヴァは自信ありげにそう言った。

 相変わらずのニッコリとした顔のキーロプと、怪訝な顔を崩さないカナリア。

 シャハボの表情をカナリア以外が読む事は難しかったが、明らかにカナリアと同じ雰囲気を保っていた。


『このタイミングで新しい人を雇うなんてどうかしているだろ?』


 全員が低いテーブルを囲んで座る中、シャハボの言葉はウサノーヴァに向けられる。


「否定はしません。だがお嬢様の世話をする人が少なすぎるのです。クレア様一人ではこの館全ての管理をすることは無理です。

 ですので、一番危険がある食事周りに関しては、私どもの商会から信頼の置ける人間を提供したのです。

 今はもう一週間は経っています。お嬢様の前でこんな事を話したくは無いですが、これだけ機会があったのに今無事であると言う事は、問題ないと言う事では無いですか?」


 ウサノーヴァはシャハボとカナリアを交互に見据える。彼女はシャハボの表情は読めなくても、カナリアが同じ事を考えている事をその表情から理解していた。


『昨日問題なくても、今日や明日がそうだとは限らない。そう思わないか?』


 言葉をはっきりと発音して伝えるシャハボの言葉に、ウサノーヴァは逆にぐっと言葉を詰まらせる。

 追い打ちは無言でいるカナリアの視線だった。


 ウサノーヴァとてその可能性を考えない訳では無かった。故にイザックや自らも参加して候補者の調査には念を入れたのだ。

 昨日、いや、先ほどまでは大丈夫だと自信を持って言えていたはずのそれが、カナリアとシャハボの前では少しだけではあるが、揺らいでいた。


 ウサノーヴァは可能性を考える。自分が気圧されているのはカナリアがクラス1の冒険者だからなのか、それとも、カナリアは何かを掴んでいるのか。もしくは、単にそれが杞憂に過ぎないのか。

 最後の可能性だけはウサノーヴァは即座に捨てていた。何かが起こってからでは遅いのだ。杞憂ならば終わった後に喜べばいい。


 誰もが口を閉ざす中、沈黙した空気を最初に破ったのはキーロプだった。


「カナリアさん、繰り返しますが、ウサノーヴァをいじめないで下さいまし。彼女達はよく頑張ってくれていますよ」


『頑張りはどうでもいい。問題は結果だよ。頑張ってもお前が死んだら元も子もないだろう?』


 返すシャハボの直截な言葉に一同は再度言葉を失くす中、話を続けたのは言葉を話さないカナリアだった。


【今まではどうしていたの?】


「基本は毒見ですわ。料理人とばあやがそれぞれ試食して、大丈夫であれば私が食べる。それで今までは何とかなっていました」


【解毒の魔道具や魔法は使わないの?】


「こちらに戻る際に王家の方から下賜された解毒の魔道具ならばありましたわ。

 最初の方はそれを使っていたのですが、反応する事が多くて、耐用数を超えてしまったのか早々に壊れてしまいました。

 それと、解毒の魔法なんて使える方は、どこぞの神官でもないと無理なのではないでしょうか? 流石にそのような方を四六時中私の手元に置くことは無理ですわ」


【そう】


 そこでカナリアは会話を打ち切った。

 カナリアは《万能解毒スーペア・デザントキシケーション》を使える。だが、その事をわざわざ伝えはしなかった。

 《万能解毒スーペア・デザントキシケーション》は非常に高度な魔法であり、使えるだけでその力量の高さがすぐに伝わってしまう。

 それよりは、極力、汎用的な魔法ではあるが個々の力量によって精度が変わる、《危険探知ディテクション・デダンジー》や《罠探知ディテクション・デピアージ》を使おうと考えていた。


 毒は事前に発見して摂取しなければ問題は無い。

 敵の内容がわからない以上、手の内も極力晒さない事に越したことは無い。


 シャハボを触り、手触りだけでカナリアは意を共有する。

 誰にともなくシャハボが頷いたタイミングで、コンコンと部屋の扉がノックされた。


 キーロプからの視線で合図されたカナリアは、立ち上がって部屋のドアを開けに行く。

 開けたドアの先に居たのは、大きなトレイを両手で持った老メイドのクレアだった。


 熱いお茶から立ち上る、濃厚で芳醇な香りが鼻につく。


 非常に美味しそうなその香りに、カナリアはすぐに表情を曇らせた。

 両手でもち上げた石板をクレアに見せつける。


【飲んだ?】


「いえ、私はまだです。ああ、新しく来た料理人の方は一口飲んでいましたが」


【そう。じゃあ、持って来て。慎重にね?】


 それだけを見せた後、カナリアは自席に戻る。

 怪訝に思ったクレアだが、部屋に入った後で彼女は配膳の為に一度トレイをテーブルに置いた。


「あら、随分といい香り。初めての香りだわ」


 手元に来てもいないのに部屋に広がるその芳しい香りに、キーロプが声を出す。

 頷いたウサノーヴァも、どことなくその味を期待するような表情をしていた。


 二人ともそのお茶の方を向いていてカナリアの表情には気づかない。


【毒だよそれ】


 そんな、カナリアの石板に気付きもしない。


『《危険探知・可視化ヴィジブ・ディテクション・デダンジー》』


 シャハボの声と同期して発動させたカナリアの魔法は、毒入りのお茶を怪しく光らせた。

 カナリア以外の目がそこに吸い込まれ、すぐに今度はカナリアに向けられる。


 キーロプ達が見たのは、毒だと書かれたカナリアの石板だった。


「まさか!!」


 ウサノーヴァがすぐに声を上げる。


【この香りはニドナシって言う毒草よ? 飲んだら即死。

 いい香りだから二度と忘れる事は無いだろうけれど、覚えておいて?】


「と言う事は……?」


 冷静に判断したのはキーロプの方だった。


【もし料理人がこれを飲んだと言うならば、どうなったか確認しに行きましょう?

 実際見た方が信じられると思うから】




 カナリアの言葉に頷いた一同が向かった先で見つけたのは、予想通りと言うべきか、既に事切れた料理人の死体だった。


 令嬢だと言うのに、死体を見ても動じないキーロプの胆力は見上げたものだとカナリアは思う。

 流石にべったりとした笑顔ではなくなっているが、それでもキーロプは静かにしていた。

 老メイドのクレアとウサノーヴァの方が、この事態に狼狽えてさえいる。


 むしろ、ウサノーヴァの様子が一番深刻だった。

 致し方のない事だろう。

 自分たちが念を押して確認した上で紹介した人間がこれだったのだから。


 カナリアは襲撃があるだろうと警告していたイザックの忠告を正しいと認めた上で、手を固く握りしめて立ち尽くすウサノーヴァを白だと判断していた。


 カナリアはウサノーヴァの肩を叩き、振り向かせてから石板を見せつける。


【気にしていても始まらない。私達が死ななかっただけ、良かったと思わないと】


 ウサノーヴァはそれをじっくりと読んだあと、強く頷く。

 カナリア達は彼女の事を経験不足だと常々評してはいるが、それでもイザックの義娘だけあってウサノーヴァの立ち直りは早かった。


「我々の不手際です。申し訳ありませんでした、キーロプお嬢様。

 そして、カナリアさん、早速私達は貴方に助けて頂いた。感謝致します」


 持ち直した彼女は、其々に深く頭を下げた後、先ほどまでとは打って変わってしっかりとした口調で言葉を続ける。


「この件はこちらで調査いたします。少なくとも私はこのような毒が入手できるツテを知りません。

 彼がどのようにこの毒を手に入れたか調べることが出来れば、今後の問題防止にも繋がるでしょう」


 皆が頷いた後、キーロプが返答をする。


「お願いしますわ。でも、深追いはしないようにお願いします。どうせ追っても無駄なのですから」


「了解しました」


 気丈に振舞ってこそいるものの、ウサノーヴァの落胆ぶりは全員が理解するところだった。

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