第27話 キーロプ・フンボルト 【1/3】
館に入ってまず最初に目についたのは、エントランスの奥に飾られた大きな女性の肖像画だった。
カナリアと似たような金髪の美人。いや、似ているのは髪だけで、椅子に座るその姿からは、出る所と締まっている所がはっきりとした体型の良さが目に入る。
肖像画を眺めるカナリアの視界には、二人の女性が写り込んで来ていた。
二階に続く階段から肖像画を横切る形でそのエントランスに降りてくる女性達。
年老いたメイドに付き添われた一人の女性は、明らかにその肖像の人物とよく似ている。
「あなたが新しい護衛の人? イザックおじ様から聞いてはいたけれど、本当に
階上からそう口を開いたのは、肖像画と同じ、非常に女性らしい体型をした女性。髪の色だけはこの地方で一般的な黒い色だが、腰のあたりまで伸びたそれは女性らしさをさらに強調させていた。
ウサノーヴァほど長身ではないものの、背丈もカナリアよりは確実に大きく、清楚なはずの白いドレス姿は必要以上に艶を見せている。
階段を下り切る前に、カナリアの横に立つウサノーヴァはしっかりと片膝をついて礼をする姿勢を取っていた。
カナリアはそれを横目で確認した後、どうしようかと思ったが立ったままの姿勢を取り続ける。
「おい、礼の姿勢ぐらい取らないか」
ウサノーヴァからの叱責にもカナリアは意に介せず、ずっとその女性を見据えて続けていた。
イザックからは確かに出来の良い娘である事は聞かされていた。
けれども、カナリアは思う。
目の前の女性は、本当に出来の良いだけの人間なの? と。
イザックやウサノーヴァなどの、性根の良い商人の気配とは全く違う、けれども隙の無い気配をカナリアはその女性から感じていた。
「ウサノーヴァ、気にしなくてもいいわ。そちらの方はクラス1の冒険者様でしょう?
本当だとしたら、跪くのは木っ端男爵の娘であるこちらの方よ」
そう言った女性は、カナリアの前に立ち、スカートの裾をつまんで優雅な仕草でカナリアに挨拶をした。
「初めまして。父はペング・フンボルト、母はモエット・フンボルトの娘で、キーロプ・フンボルトと申します。
ご存じかと思いますが、田舎町を治める木っ端男爵の娘でございます。
よろしくお見知りおきください」
挨拶を受けたカナリアは礼を返すことは無く、かわりに両手で石板を持ち、キーロプに突きつける。
【クラス1冒険者のカナリア。イザックの依頼でこれから貴方の護衛に着くから、宜しくね】
キーロプはその石板をまじまじと見た後で、ニッコリと笑った。
「依頼を受けて頂いて感謝致しますわ。そうでなければ、明日にでも私は死んでいたでしょうから」
嬉しそうに見える彼女の表情ではあったが、口から出た言葉もまた真実であった。
「イザックおじ様ならば大体の事はお伝えしているかと思いますけれど、今の私はとても大変な状況にありますの。身内でさえ信じられる者は殆ど居なくなりましたわ。
ねぇ? ばぁや?」
話を振られた年老いたメイドは、礼をしないカナリアに対してもしっかりと頭を下げてから口を開いた。
「幼少の頃よりキーロプお嬢様のお世話をさせて貰っております。クレアと申します。
私の事はお構いなく。護衛の際にはお嬢様の事を第一にお願い致します」
クレアの顔は完全に疲れ切った表情をしていた。ともすればすぐにでも死にそうな顔にも見える。
『おいおい、ばぁさんよ? 死にそうな顔しているが大丈夫なのか?』
口が悪いが一応気を使っているシャハボの言葉にも、クレアはお辞儀だけで返す。
そんなクレアを無視する形で口を再度開いたのはキーロプだった。
「立ち話で申し訳ないのですが、大切な事は先にお伝えしますわ。
今現在ですが、この館に寝泊まりしていて私の世話をしてくれているのは、このクレアを含めて二人だけですの。これからは、カナリアさんを入れて三人になりますわね」
明らかに少ない人数に、カナリアは顔をしかめる。
『おい、この館の大きさにしては、あまりにも少な過ぎはしないか?』
シャハボも同じことを思って尋ねるのだが、キーロプからの返答には少し間があった。
「以前はもっと沢山の人が此処で働いていましたわ。でも、私は彼らにお暇を差し上げましたの。
折角今まで長い間私達に尽くしてくれていたのに、些細な事で裏切られて処罰を与えなくてはならない状況になってしまっては、こちらも心苦しいですからね」
イザックから聞かされたとおりの話に、カナリアは頷く。
『そりゃ賢明な判断だな。だが、それならば二人残したのは何故なんだ? そいつらは信用できるのか?』
それは言いにくい事なのか、キーロプからの返答にはまた少しだけ時間が掛っていた。
「ええ。少なくともここにいるクレアは問題ありませんわ」
その言葉にシャハボがフンと鼻息を立てた所で、キーロプは衝撃を打ち込む。
「彼女は一度私を裏切っていますから」
顔をさらにしかめたカナリアは、即座にその石板に【どういうこと?】と疑問を浮かべる。
「当家に対して、身内とも言える側用人から最初に裏切りを働いたのは彼女なのです。
私に対して毒を盛ろうとしましたわ。
ですが、良心の呵責に耐え切れなかったクレアは途中で断念して事情を全て教えてくれました。
彼女の家族、特に地方に住んでいる孫が人質に取られていたそうです。誘拐犯からの連絡では、私を殺せば解放してくれるとの事でした。
すぐに私達の手の者でクレアの家族を保護しようと動いたのですが、上がってきた報告は全員が殺害されていたと言う事だけでしたわ。クレアの成功失敗にかかわらず、既に殺されていたと言う事ですわね」
カナリアは再度クレアの顔を見る。死にそうに見えた顔だと思ったのは、間違いなかったらしい。
「本人の前で辛い過去を掘り起こすのは気が引けますわね」と言いながら、キーロプは話を続ける。
「クレアの様子を見て頂ければわかるかと思いますが、現実を受け止めた後で、彼女は再度私への献身を申し出てくれました。
もう身内は居なくなったので、裏切る必要も無い。と言うのは本当に悲しい話ですわ。
それ故に、先ほどの話ですが、私は今までついて来てくれた身内とも言える使用人達を全て解雇したのです。二度とクレアの様な人を作りたくはありませんからね」
カナリアはキーロプの対応に対して感心していた。身分の事を考えずとも、採りうる対応としては最良のものだろう。
そして、こんな話をほとんど感情に表さずに言い切るのも実践的で良いとも感じていた。
感心するのも束の間、異音に気付いたカナリアは視線を下げ、自分の隣にいる人物に目をやる。
膝を付いたままの姿勢でいるウサノーヴァは今の話にやられたのか、目頭に手を当てて涙をこらえていた。
『若いな……』
シャハボの呟き声と共に、こちらへ向けられるカナリアの視線は冷ややかだった。
「ウサノーヴァ、悲しんでもどうしょうもありませんわ。
私達は前を向く事で生き延びねばならないのですから」
キーロプの言葉に感じ入ったウサノーヴァはさらに嗚咽まで漏らす様になる。
「カナリアさんもウサノーヴァをそんな目で見ないで下さいませ。
彼女は事情を知っていて助けてくれる、私の数少ない友人なのですから」
ニッコリとした笑顔を張り付けるキーロプに対して、カナリアは頷くしか出来なかった。
「さて、続きは私の私室にていたしましょうか。
やはり立ち話だけと言うのはなんですし、この続きは座ってお話をしましょう。
ばあや、申し訳ないけれど、厨房から飲み物と茶菓子を持って来てくれないかしら?」
キーロプから命を受けたクレアはしっかりと頭を下げた後、厨房へ向かった。
十分クレアが離れたのを見送った後で、キーロプは何事も無くこういった。
「オジモヴ商会からの紹介で、数日前に新しい料理人を雇ったんですのよ。
その言葉の意味を、カナリアとシャハボはしっかりと理解していた。
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