第24話 ウサノーヴァ・オジモヴ 【1/3】

 次の日、カナリアが起きた時には多少酒が残っていた。

 と言うのも、イザックと任務に関しての話を詰めていたせいで、話が終わったのは朝方になっていたからだった。


 一応その後、すぐに寝たのだが、深酒の上に変なタイミングで寝たせいで、珍しく酒が体に残ってしまっていた。

 入り口のドアが叩かれなければ、カナリアはもう少し寝ていただろう。

 人の気配で跳ね起きたカナリアは《小回復プティ・リキュペレー》を使い、残った酒を飛ばしてから無造作にドアを開けた。


 そこに立っていたのは、オジモヴ商会で見た若い男性。

 髪は短く、鋭い目つきは意志の強さを感じる。それに加えて、長身の体に合わせられた皴の無いぴったりとしたドレスシャツとパンツからは、几帳面さと共に、どことなく曲線が付いた体のラインが浮き出ていた。


 男性……?


 改めてよくその姿を見たカナリアは相手の姿に違和感を感じとる。そして、その人間が声を出した瞬間に、違和感の正体にカナリアは気付いた。


「おはようございます。と言う時間にはちょっと遅いですが。

 イザック様の使いで参りました。

 暫くの間お世話をさせて貰います、ウサノーヴァ・オジモヴと申します。

 昨日の御無礼は平にご容赦を」


 男性だと思っていたのだが、それは女性であると遅まきながらにカナリアは認識する。

 ただ、その前に、男装の彼女が名乗った名前の方にカナリアは驚いていた。


 ウサノーヴァ・オジモヴ? イザックの血縁?


 カナリアは聞き返したつもりだったのだが、珍しく石板を持って来ていなかった事に気付いて一旦取りに行く。


『お前、イザックの……娘か?』


 その間に、話を進めたのはシャハボだった。


「ええ、イザックは父です。……血は繋がっていませんが」


『養子に拾われたって事か』


 ウサノーヴァは口の悪いシャハボの言葉に表情を変えずに頷く。


 戻ってきたカナリアはウサノーヴァに対して石板を見せる。


【どうして男装なんてしているの?】


「必要だからです。この地では女が商売に手を出していると思われると、すぐに舐められますから。

 オジモヴの家で育った以上、女である事は捨てています」


 どれだけ頑張った所で、純粋な力では男には敵わないだろう。

 それでも、カナリアはウサノーヴァの態度から、確かにイザックに繋がるような、商売人としての強さを感じ取っていた。

 長身のウサノーヴァは、視線を下げてカナリアに合わせてから言葉を続ける。


「中に入っても宜しいでしょうか? それとも、一旦着替えるまで外に出ていましょうか?」


 言われてからカナリアは気付いた。自分が寝起きのままの下着姿な事に。


【ちょっと待って、着替えるから】


「了解です。用意が終わりましたらお呼び下さい」


 ウサノーヴァは礼儀正しく頭を下げた後で一旦家の外に出る。


 カナリアの服は装飾類が多いわけでは無い。どちらかと言うとシャハボの好みに合わせて、無駄な要素を省いて簡素で実用的なもので纏められていた。

 それ故に、ウサノーヴァを呼ぶのは早かった。


 カナリアは招き入れたウサノーヴァをテーブルに着かせ、とりあえずとばかりにマグだけを出す。

 何の気なしに無言で《水生成クリエソン・ドゥ》を使って水を注ぎ入れるその姿は、かじった程度だが、魔法の知識を持つウサノーヴァの目を大きく見開かせていた。


【水だけしかないけれど、どうぞ】


 ウサノーヴァは会釈だけしてから出された水を飲む。混じりけの無い純粋な水は、すっと体に入っていく。

 毒が入っているわけでは無いとわかってはいるのだが、彼女はただの水を飲むだけの事に対して緊張を感じていた。


「ありがとうございます。丁度喉が渇いていたので助かりました」


 スラスラと取り繕った言葉を吐くことは出来た。

 だが、目の前で、普通では絶対にありえない無言での魔法の発動という行為を見てしまったウサノーヴァは、内心で驚愕を覚えていた。

 そしてすぐに己の見識不足を理解し、カナリアへの評価を改めていた。


【そう、良かった】


 石板によって二人の意思疎通は図れている。ただし、今までカナリアは一言も言葉を発していないのにもかかわらず。

 ウサノーヴァはイザックから、ジェイドキーパーズの惨状や、冒険者協会で起きた事、ゴーリキー商会壊滅の件まで、全てのあらましを聞いていた。

 それでも、彼女は納得がいっていなかった。ついこの瞬間までは。


 ウサノーヴァにとって、これまでジェイドキーパーズは文字通りの英雄的存在だった。だから、市中の民と同じように、そこに流れている噂話を信じていたのだった。

 曰く、カナリアが卑怯な手でジェイドキーパーズを陥れて殺害し、なおかつ、真っ当な仕組みを悪用してギルドに金銭の要求までしたという話を。


 もちろんそれは、イザックの話と完全に相反している。それに、イザックの方が絶対的に正しいとわかっていても、己の目で見ていない以上、その話を信じる事が出来ないでいた。


 だが、この瞬間、本来は出来ないはずの魔法の使い方をするカナリアを見て、ウサノーヴァはその雰囲気を肌で感じ取る。

 ああ、この人は目先の金などに目が行くような俗物ではないと。ジェイドキーパーズはこのクラス1を持つ少女に、単に道端の石ころの様に処されただけなのだと。

 

 彼女はイザックの養女ではあるが、実際はそれだけでなく、英才教育と実践を経て、育ての親を上回る資質を持っていた。それが今回も遺憾なく発揮された結果、ウサノーヴァは一瞬の出来事だけでカナリアを信じる側に回っていた。


「本物、なのですね」


 呟くように言う彼女の言葉は、カナリアの首を傾げさせるだけでしかない。


「いえ、失礼しました」


 頭を下げたウサノーヴァの姿勢は、イザックのそれとよく似ていた。



 その後、態度を改めたウサノーヴァはカナリアに対して状況を事細かに伝えていた。


 今は暗殺を警戒して、フンボルト家の家族は其々が離れて生活している事。

 同じく暗殺を警戒して、其々に謁見出来る人間は限られた状況になっている事。

 イザックは領主ペングへの謁見権限は持っているが、子供二人には会う事すら出来ない状況になっているらしい。


 護衛対象になるキーロプ嬢に関してだが、現在はフンボルト家の一番大きな私邸に住んでいるとの事だった。

 そして、大きな館に住んでいるにもかかわらず、件の理由によって身の回りの世話をする人員も足りない状況になっているらしい。


 カナリアはこれから期間満了までの間、住み込みでキーロプ嬢のそばについてメイドの真似事もして欲しいと言われた所で、カナリアは一旦話を止めた。


【そこまでしろだなんて聞いていない】


「その分報酬に関しては、いくらでも追加で盛るとの事です。

 それと、朝に商会に戻ってからすぐに、イザック様は方々のツテに対してカナリアさんの探している人の情報を集めるように指示をなさっています。

 これを伝えれば、カナリアさんも納得してくれるだろうと、イザック様が仰っておりました」


 教育が行き届いているらしく、仕事の話に戻ってからは、ウサノーヴァはイザックの事を父と呼ぶことはしなかった。

 そして、彼女から告げられたイザックの言付けは、カナリアの性格を正しく見抜いていた。


 言葉を返さないカナリアに、ウサノーヴァは追撃を掛ける。


「仕事開始は今日より2日後を予定しています。それに先立って、本日はこれからカナリアさんの採寸を行わせて頂きます」


【採寸?】


「ええ、お体の寸法を測らせてもらった上で、我々オジモヴ商会きっての仕立て屋チームの手で、仕事開始までに新しいお召し物をご用意致します。

 低かろうとも、キーロプ嬢は爵位持ちの令嬢で御座います。申し訳ございませんが、カナリアさんの今の服装では、少々問題が出てしまいますので」


【それ、本気なの?】


「ええ、身を守る必要があるでしょうから、縫い込みが必要な魔道具がありましたらお先に渡してくれると助かります」


【やだと言ったら?】


「本日、採寸終了後に、安普請にはなりますが、この家の隣に木塀と小屋、風呂桶を設置する予定になっております。また、住み込みの間ではいつでも館内にある風呂を使用して良いとの事ですが」


 元々声は出ないが、カナリアはぐうの音も出ないでいた。ある意味では、カナリアはイザックの手際の良さに感心さえしている。

 要求するだけでなく、カナリアの好みを押さえた見返りも最初から用意されていては言葉が無い。


 ただ、いずれにしろ、シャハボを直すために必要な情報が手に入るのならば、どんな条件であれカナリアに選択肢は一つしか無かった。

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