第9話 イザック・オジモヴ 【3/3】

「ああ、カナリアさん。お久しゅうございました。と言うには日数は経っていませんが、何はともあれ無事なようで何よりです」


 近寄って握手をしてきそうな所をカナリアはジェスチャーで止めた。

 まだ信用されてはいないと感じたのか少しだけ悲しそうな顔をするイザック。

 しかし、一商会の長を担う彼はそのぐらいで引き下がることは無い。


「ここら迄来ていると言う事は、タキーノではろくに旅支度も出来なかったのではないですか?

 急ごしらえでしたので全ての物が揃っているとは言いませんが、旅支度に必要そうなものは揃えてきました。

 もう遅い時間ではありますが、良ければ温かい食べ物の用意などもございますが」


『食べ物はいい。旅支度の道具を見せて欲しい』


 そう言い切ったシャハボに対し、カナリアは肌をさすってから指で突っつく。


『おい、さっき食ったろう?』


 シャハボの言葉に従って荷馬車の中から品物を取り出そうとしてたイザックだったが、シャハボとカナリアの様子が気になって一旦手を止めた。

 彼にとっては囁くような音量でシャハボの声のみが聞こえる不思議な状況だったが、少しした後に話は纏まったようだった。


『すまないが、食事ももらえないか。食えるものなら何でもいいが、もしあればタキーノで食べた辛いペーストがあると嬉しい。だとさ』


 やや呆れたような声で話すシャハボに対して、イザックは珍しく固まっていた。彼の事を良く知る者であるならば驚くような行動ではあるのだが、硬直が解けた後、彼の態度は一変する。


「そうですか、あれをご所望ですか。

 ええ、いいですとも、いいですとも。

 少々お待ちください。あれに合う食材もこちらで用意いたしますので」


 今までの礼節を保って真面目でよそよそしい感じから一転して、イザックの機嫌が急に良くなったようにカナリアは感じていた。


 それから少しして、二人と一羽は焚火を囲んで食事を取っていた。


「申し訳ありません、火おこしや周囲の警戒などを手伝って頂いて」


【気にしないで。お互い様】


 焚火と《灯りエクリアージ》を使って石板が読めるようにしたのだが、イザックは読むまでに少し時間が掛かっていた。


「カナリアさんがお気に召された、このペースト、パンジョンと言うのですが、これはこの地域の者しか食べない代物なのです」


 片づけをした後で、茶を淹れながらイザックが話す。


「ご存じだとは思いますが、ピメという名の辛い香辛料はこの地域の名産です。おそらく誰もがそれを求めてこの地に来るでしょう。

 パンジョンはその香辛料を取った後の葉や茎と色々な穀物を混ぜて作られています。ようは、捨てる所の再利用と言った感じでしょうか。

 再利用というイメージが先行してしまい、またこの激甚なる辛さも影響してパンジョン自体は他の地域ではほぼ売れません。よって、パンジョンは地元の民の食べ物だったのです。

 ここ数年はタキーノを中心としてこの地域も栄えて来た事により、地元の民もパンジョンを食べなくなりました。今となっては私みたいな古い人間しか喜ばない代物なのですよ」


 カナリアはイザックを見る。ジョンよりも白髪は増え、揺らぐ焚火に当てられた顔にはしわも見えるが、目だけはギラギラとしていた。


「昔は、パンジョンを食べる者だけが地元の民だと言われたぐらいだったのに」


 懐かしむようにそう言った彼の言を聞いて、先ほどイザックの機嫌が急に良くなった理由をカナリアは理解した。


「これを好まれるとは思わなかったので手持ちは多くないのですが、あるぶんだけ瓶に詰めてお渡ししましょう。既にお分かりだと思いますが、うちのパンジョンは他の物より強烈ですのでお気をつけてお楽しみください」


【ありがとう】


 カナリアは素直に感謝を表す。

 量こそやはり多くは無かったが、カナリアはイザックから朝に焼いたばかりだという柔らかいパンと、切り出したばかりのハムを貰い、それにパンジョンをつけて食べていた。

 涙が浮かぶぐらいの辛さのそれは、カナリアの舌を麻痺……いや、満足させていた。


『カナリアは実はゲテモノ食いなんだ』


 と言いたかったが、イザックが居る手前、珍しくシャハボは言葉を呑む。

 代わりにシャハボは別の事を口にした。


『落ち着いている所悪いが、旅支度の品物の方も見せてもらえないか?』


「ええ、わかりました」


 休憩をすぐに切り上げ、イザックは如才なく動き木箱を一つ取り出して持ってくる。

 中から取り出したものを見て、カナリアは言葉を失っていた。


「こちらのリュックはいかかでしょう? 今お使いなられているものは少々小さすぎかと思いますので、こちらの品ならばちょうどいいかと思います。あとは、貴重な魔よけの香油に、旅の基本セット等……」


 最後のセットこそ新品だったが、香油はカナリアが無くしたものと同じ装飾がなされている。それよりも、一番気になったのはそのリュックだった。

 穴が開いたから捨てたはずのカナリアのリュック。そして、穴の開いた所には丈夫そうな生地で当て布がされ、かわいい刺繍で飾られていた。


『どういうことだ、おい』


 カナリアの気持ちを代弁するような口調でシャハボが言った。


「どういう事も何も。落ちていたものを全て拾って来た迄の事です。あの時はカナリアさんが本物かどうか半信半疑でしたが、もし本当にクラス1の冒険者が使った物であれば、どんなものでどんな状態であれ高値で売れますからね。

 リュックに関しては未修繕だったのですが、連絡を受けてから急遽修繕したものになります。生地の色合いが合わない点はご容赦下さい。縫製の方は間違いは無いと自信を持ってお答えさせて頂きますよ」


 リュックの底には当て布がされて補強をするように縫い付けられている。その中にあるカナリアの形をした刺繍は、普通に背負っていたら底にある為見えないものだろうがカナリアの心をくすぐった。


 次にカナリアが動いた事は、シャハボに値段の交渉をお願いする事だった。

 文句を言いたげなシャハボではあったが、カナリアの好みを知っている以上口には出さない。従った方が楽だと言う事を知っていた。


『で、全部合わせていくらで売りつけるつもりだ?』


 シャハボの言葉遣いは悪い。直そうとした時もあったそうだが、元々そう喋るように作られている以上、変えられるものではなかった。


「そうですね、品物の元値がこのぐらいで、ここまでの配送費用を加算させて頂いて、元々が英雄の品物と言う事ですのでさらに割増しにさせて頂きますと、ざっとこのぐらいですか」


 提示された金額は、元値と言った価格のおおよそ5倍だった。

 元値と言った価格は市販のものとほぼ同額だったため、最終的に倍額程度は吹っ掛けられると考えていたカナリアとシャハボは、片や顔を引きつらせ、もう片方を閉口させていた。


「高いとお思いですか?」


 いけしゃあしゃあと聞いてくるイザックの顔は商売人の笑顔がしっかりと張り付いている。


『……5倍は、さすがに高くねぇか?』


 助けに来たと言った人間が吹っ掛ける金額ではないだろうとシャハボは暗に言う。

 それを見たイザックの笑顔は深くなった。


「ええ、私の命を賭してまで、危険を承知でここまで持って来たと言えばどうでしょうか?

 ああ、一つ言い忘れました。この金額には、私達が此処で会わなかった。という事実も値段に課されております故、それを考えて頂ければ非常に良心的な値段かと思います」


 情報の秘匿。

 情報屋は情報をやり取りする事で金銭を得る。主に知った事を他に伝える事で金銭を受領するのだ。

 イザックとカナリアが物の売り買いをした。その事実を秘匿すると彼は言っている。


 シャハボとカナリアは短い時間にそれぞれ思考する。この事実を知りたい人間は居るのか、知られるとどのような不利益が出る可能性があるのか。

 答えを出すのはカナリアの方が早かった。


【その値段で買い上げます】


 石板に《灯りエクリアージ》を押し当てて読みやすいようにイザックに見せる。


『商売上手だな。イザックさんよ』


 一息遅れて、シャハボもそれに同意していた。


「ありがとうございます」


 二人に、いや、一人と一羽に対しイザックは律義に一度ずつ頭を下げた。


 カナリアはその頭が上がるのを待ち構えていた。

 ただの予感か、経験からくるものなのかはわかっていないが、カナリアは次の展開を待っている。

 そして、演劇の台本がそこにあるかのように、頭をあげたイザックはある言葉を口にした。

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