第7話 イザック・オジモヴ 【1/3】

 日が暮れる頃には、カナリアは地方都市タキーノの外に出ていた。

 日が暮れてしばらくすると、この都市の門は閉じられる。それからでも出入りする事は出来るが、余計な手続きが増えたり多少なりとも金のやり取りが必要になる事を厭っての決断だった。


 カナリアは街道を一人静かに歩く。

 結局、カナリアはタキーノで何も購入することが出来なかった。

 早いうちに街を出る事は決めていたのだが、旅支度の品は無理だとしても、せめて今晩の食料ぐらいは調達するつもりでいた。

 だが、それすらも叶わず、出来た事と言えば、冒険者協会で探し人が見つかった際の連絡方法に関してやり取りをした程度。

 ただ、そこでもカナリアは十分に気分の悪い思いをさせられていた。短時間ではあったが、受付で話をしている間、カナリアは地元の冒険者であろう面々からの明確な敵意に晒されていた。

 身を弁えているのだろう、殺意まではいかない。それに、ジョンからの言伝手で、約束通り、タキーノの住人から先に手出しをすることは無いと伝えられていた。

 だからこそカナリアは無視できたが、それでも気分は良くは無かった。


【どっちが悪人なんだろうね?】


『……少なくとも、リアではないな』


【ちょっと、めんどくさいね】


『それが人間だ』


 カナリアはシャハボを突っついて意思を伝え、シャハボは口頭でそれに答える。

 完全な闇夜が近くなってきた時刻に、一人の声だけがその場に響いていた。


 カナリアは夜目が利く。と言うよりも、夜間でも昼間のように見ることが出来る、《夜視ヴィジョンノクチュアン》の魔法を使っていただけなのだが。

 タキーノ市から隣の街への街道は交通量があるため、道らしく整備が整っていた。とは言え、夜になってからそこを使うモノは多くは無い。

 盗賊の類も夜に活動するものはほとんどいない。一番の理由は怪物モンスターが出るからだった。

 昼間にも怪物モンスターは出るが、夜間の方が強い事が多く、さらに、怪物モンスターは盗賊であろうと商人だろうと分け隔てなく襲ってくる。

 故に盗賊も夜間は怪物モンスターに襲われないように大人しくしている事がほとんどで、真っ当な人々に至っては、移動する際には極力最寄りの街へ移動してから休むことを徹底するか、それが叶わない旅程の場合は冒険者を護衛に雇って夜に備える事をしていた。

 ちなみに、カナリアとジェイドキーパーズが受けた任務も、街を行き来する商人と積み荷の護衛任務であった。


 カナリアが歩いている間も、街道を行き来するものは居ない。野宿をしている商隊でもあれば良かったのだが、その類も見当たらない。まぁ、怪物モンスターや、怪物モンスターを恐れない元気な盗賊の類にも会っていないから悪い事ではないのだが。


 カナリアは歩けるだけ歩いて、次の街についてから休もうと考えていた。

 ただ、昼夜と食べ物を食べていなかったせいで、思ったよりも空腹だったらしく、くぅ、とお腹が鳴ること三度。

 気になったのか、シャハボが話しかける。


『リア、食うもの食って休んだらどうだ? 携帯食はまだ残っていただろう?

 脇の草むらも寝床にするにゃ悪くは無さそうだ。寝ずの番ぐらいはしてやるから』


 こういう時のシャハボはカナリアに対して優しい。


【ありがと、ハボン。じゃあ、そうする】


 そして、カナリアも素直だった。


 無言のまま《生命感知サンス・ドレヴィ》を起動し、周囲に主だった危険が無い事を確認した彼女は、そのまま道のわきの腰ほどまでに生えた草むらに分け入っていく。

 ある程度入った所で、彼女は腰からナイフを取り出した。

 普段それは野外での料理やちょっとした作業にしか使っていないが、こちらは立派な魔道具だった。

 すっと地面に突き立てた後、大地を踏んで魔道具を起動させる。

 通常は一つの道具につき一つの魔法が使えるのだが、この魔道具は複数の魔法を使うことが出来た。そのうちの一つ、カナリアが愛用する魔法を起動させる。

 それは、《範囲指定プラージ・ダロケーション》。突き立てた所を起点に、魔力の光が走っていく。光は、大きさは直径にして大股六歩分ぐらいの円を描きナイフの元に戻る。

 この魔法自体は特段珍しい物では無い、ただ、これ単体で使うモノではなく、大概は魔法陣設置の際などに影響範囲を設定するための魔法だった。

 カナリアも魔法の使い方としてはあまり変わらない。円が書かれた直後、彼女は無言のまま別の魔法を発動させる。


 《空刃クーペア

 

 ジェイドキーパーズの盾役ディフェンサーのミラルドを真っ二つにした魔法。それを彼女は《範囲指定プラージ・ダロケーション》で囲った中に放つ。

 水平に放たれた一撃は、囲った中の草のみを根本付近から刈り取っていた。

 続けざまに彼女は《旋風トゥービヨン》と《脱水ディジダレション》、《小火プティ・フゥ》を同時に使用する。

 刈られた草は《旋風トゥービヨン》で巻き上げられ、《脱水ディジダレション》で強制乾燥させられる。同時に、地面を《小火プティ・フゥ》で炙り焼いて残った部分を炭屑にすると共に体に害成す可能性のある厄介な虫などを焼いていく。

 《小火プティ・フゥ》ででた煙も巻き上げられた草にまぶしていくことで、殺虫作用を強化する。


 いとも簡単そうに複数の魔法を同時に制御するカナリアだが、これはシャハボがカナリアに課した訓練の一つだった。魔法の同時発動と、その上での細かいコントロールを要求するこの作業は、うまくいけば快適な夜が約束される事もあってカナリアは日々真面目に取り組んでいた。

 それ故の、この結果である。


『大分、居心地のいい寝床が安定してきたな』


【でも、いつも条件が違うからコントロールが大変】


『だからこその訓練だ。ほら、座ってから水出して食え』


【そうする】


 指でシャハボを突いた後、カナリアはリュックを下ろし、草葺きの地面に座り込んだ。

 少し煙臭いが、それなりに柔らかく、リュックを枕にさえすればよく眠れるだろう。

 満足げにカナリアは頷いたあと、リュックから携帯食料を取り出す。水を飲む為にコップも出そうと思ったのだが、それは落とした事を思い出し少し嘆息する。けれども、代わりに彼女は別の小瓶を見つけていた。


『コップも無いんだったな。荷物、大分落としたから仕方ないが』


 シャハボもちょっとだけ悲しげな声を出す。

 元々、そう、商人の護衛任務をやっていた時までは、カナリアはもう少し大きめのリュックを使っていた。だが、護衛任務中の戦闘で傷ついたのか、どこかで引っ掛けたのか、そのリュックには穴が開きかけていた。

 開きかけていた穴がハッキリと口を開いたのは、商隊全員が危険地帯を走り抜けた直後。ジェイドキーパーズの誰かの軽金属鎧か、荷馬車の軋む音で、カナリアの荷物が落ちたであろう音は落ちた物と一緒に掻き消えていた。


 大事な魔道具やお金の類は身に着けていたので大きな問題はなかったが、替えの服や、それこそ携帯食器、魔よけの香油、装具の手入れ用品など、旅に必要な品物はほぼ無くなっていた。

 今ある小さいリュックは護衛をしていた商人からその場で買ったもので、穴の開いたリュックに残っていたわずかな物しか入っていない。

 本来ならばカナリアはタキーノで荷物を買い直してから出る予定ではあったのだが……


【文句は言わない。そんな時もあるしね】


 カナリアは器用に、けれども少し大変そうに《水生成クリエソン・ドゥ》で空中に水球を作り出し、それに直接口をつけて水を飲んでいた。

 続いて携帯食料、木の実や乾燥果物を入れて堅く焼いたパンを口に入れる。

 素朴な味で、もう食べ飽きた物ではあるが、小食なカナリアにとっては二本も食べれば十分だった。


【この香油、好きだったんだけどなぁ】


 食後にカナリアは食べ物と一緒に見つけた小瓶のふたを開け、地面の草に振りかけようとする。

 以前立ち寄った街で買った魔除けの香油ではあるのだが、その香りがカナリアは気に入っていた。

 最後の残り一滴が、頑張って草に落ちる。その小瓶は既にほぼ空の物だった。もう一本手を付けずにあったのだが、そちらは落としてしまっていた。


 かすかに香る香油の匂いを集めるように嗅いでから、カナリアは草葺きの上に仰向けに倒れ込んだ。


【寝るね、ハボン。何かあったら起こして】


『わかった。おやすみ、リア』


 簡単な挨拶と共に、カナリアはすぐに寝入る。いつ何時でも、少しの合間でも眠れるようにカナリアの寝入りは早かった。その分、すぐに起きれるように眠りも浅いのだが。


 そんなカナリアの習慣は、この夜にも役立つことになる。

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