午前三時の小さな冒険

黒中光

午前三時の小さな冒険

 午前二時。草木も眠る丑三つ時とよく言うけれど、ここ数日で私は草木が眠ろうが人間は起きているものだと知った。24時間営業のコンビニだけじゃない。何を考えているのか、ランニングしている人までいる。

 人目を避けている私にとっては一つ一つが必死のトラップだ。今も、車の音がしたので、手近な家の塀に隠れる。タクシーが黄色いヘッドライトで周囲を照らしながら、通り過ぎる。普段よりも一段と高く鳴る心臓がゆっくり鼓動を元に戻す。流石に六日もやると随分となれたものだ。初日なんか、体が震えて動かなかったのに。


「今日で、最終日」


 パンパンと頬をはたいて眠気を飛ばす。自他ともに認める普通人。そんな私が深夜に行っていること。それは――。


 丑の刻まいり。


 藁人形を釘で打ち付け、鬼の力を借りて人を呪う。七日間にわたる有名な呪法だ。日本人なら誰でも知っていて、頭に蝋燭をつけて白い和服姿っていうのも誰もがイメージするだろう。今は蝋燭は危険だし、服も白ければそれで良いそうだが。

 呪いも時代によってスタイルを変化させ、生き延びているということだが、そんな中でもやっぱり譲れない掟はあるらしい。呪い返しについてだ。曰く、丑の刻まいりに赴く姿を見られると、かけようとしていた呪いが返ってくるらしい。だからこそ、私は身をひそめているわけだ。


 車が来ないことを確認して、足音がないか耳をそばだてて大通りを渡る。黒く塗りつぶされた町はなんだか別世界みたいだ。


 住宅街に入る。神社まではもうすぐだ。道は左手の竹やぶに沿って緩く弧を描いている。目指す神社はこの道の突き当りだ。


 ――風にのって、ささやかな話し声がやってきた。女性が二人? まだ若い声だ。クリアに聞こえるから家の中じゃない。しかも、前から聞こえてくる。

 冷たい風が、ぞわりと肌を撫でる。私は頭の中で地図を広げる。今いる道は一本道だ。このまま進めば確実に姿を見られる。

 なら、来た道を引き返す? そんなことしたら、大通りまで戻らないといけない。昼間よりも人通りが少ないとはいえ、歩いている人も車もある。別の人に見られるのがオチだ。


 どうしよう、どうしよう。焦る頭からは思考が抜け落ちていく。それでも、声が近づいてくるのは分かる。ストレスで手足が痺れだした。


「ああ、もうっ!」


 どうにもならなくて。私は道から飛び出した。――竹林に踏み込んだのだ。完全な不法侵入。足元では枯れた葉っぱが盛大に音を立てる。「私はここです!」と大声で叫ぶようで、心臓が縮み上がる。


 それでも、誰かに見られるわけにはいかない。根っこに足を取られながら全力疾走し、身を伏せる。


 ほどなくして、声の主たちがやって来た。アイドルの話を大声でしている。私の方にはまるで気付いた素振りはない。


 彼女たちの姿が消えたのを見計らって、いつの間にか止めていた息を吐き出す。危ないところだった。道に戻ると数分で目指す神社に到着。


 境内には一つだけ街灯があるものの、光は弱い。つまずかないようにそっと玉砂利の上を歩いていくと、しめ縄が巻かれた大木が見えてきた。これがこの神社のご神木だ。藁人形はここに打ち付けるのが決まり。


 手作りの藁人形を取り出し、さらにバッグの底から証明写真くらいの大きさの顔写真を取り出す。藁人形で呪うにはこれを仕込まなければならない。


 笑顔で映る男性の顔を見ていると、哀しくて知らず唇に力が入っていた。

 彼は、ガンで入院していた父の主治医だった男だ。彼は三週間前、父の手術を行ったが、オペ中に容体が急変。私の父は帰らぬ人となった。


 病院からは、父の血管は年齢や食習慣によって脆くなっていたため出血が多くなってしまったと説明された。私もそういうものなのだと納得した。父は家族や近所の友達と事あるごとに焼き肉に行くのが大好きな人だったから。


 しかし、私は偶然、看護師たちのある噂を聞いてしまった。それは、父の手術をする際、主治医は酒の入った状態だったという話だ。「宿直中にちょくちょく飲んでたから。いつかやっちゃうと思った」らしい。


 病院側を問い詰めてやりたかったが、違う説明をされている以上何を言っても無駄だと思った。それに、いくら謝らせようが慰謝料を取ろうが、父が帰ってくるわけではない。


 丑の刻まいりを思いついたのは家に帰ってから、うちの畑に撒かれた保温用の藁を見た時だった。


 私は、別に呪いを心底から信じているわけではない。ただ鬱屈した想いを断ち切りのに、具合が良いと思っただけだ。この医者に対する恨みというのを全部この一週間で出しきり、そこで自分の中に一区切りつけようと思った。


 時計を確認すると、午前三時。丑の刻がそろそろ終わる。


 藁人形の胸に写真を仕込み、木槌と釘でご神木に打ち付けていく。これで最後、今日で最後。丁寧に、強く、あの憎い医者の顔に一撃を与えていく。


 釘の頭が藁人形に沈んだところで、私は手を止めた。やりきった。これで、もう終わり。明日からは、父の死を受け入れて、しっかりと生きていこう。

 串刺しになった藁人形に頭を下げる。ありがとうございます。おかげで、前を向いて生きる踏ん切りがつきました。


 そこで、ザクザクという足音が聞こえてきた。誰か、近づいてくる。その相手はまっすぐにこちらにやって来る。


「おや、新垣さん。こんな夜中にどうされたんです」

「山根先生、どうして、こちらに?」


 眼鏡をかけた小太りの男。見間違えたりなんかしない、この一週間毎日写真を見ていたんだから。今も飲んでいるのか、顔が赤い。


「僕のことを呪い殺そうなんて馬鹿がいるらしいんで見に来たんですよ。 んで? 新垣さん、僕が何かしましたか? お父さんのことは残念ですが、医者だって神様じゃないんですよ。助けられない時だってあります」


 へらへら笑いながら言ってくる医者に、流石にキレた。封印したはずの恨みがあっさり口から飛び出す。


「最善を尽くしてくださったんなら、文句もありません。でも、でも、酔っぱらったまま手術するなんて! 父を、殺すためにやったのと同じじゃないですか!」


 広く静かな境内に私の叫びがこだまする。喉が痛い。自分でも思っていないほどの大声だったらしい。しかし、山根医師は平然としていた。


「……へえ。やっぱり知ってたんだ。呪いなんかやってくるからには、ただ事じゃないと思ってたけど。へえ、やっぱりそうか」


 なにやらブツブツ呟きだした。だが、その目はもう酔っ払いではない。底光りする目は獣のようだ。人間としての理性が飛んでいる。


「死んでもらうしかないよね」


 そう言って、ポケットから小さなナイフを出した。持ち手の方が長く、刃は指の長さほどしかない。月光に輝いているのは、メス?


「医療訴訟とか起されたらさあ。人生詰むんだよ、こっちは。だから死んでよ」


 ふざけたことを真顔で言いながら、無造作に近づいてくる。その目は本気だ。このままじゃ殺される。

 逃げないと。私は全速力で駆けだし、後ろから迫ってくる山根目がけてショルダーバッグを投げつけた。だが、相手は足を止めない。

 どころか、どんどん距離が詰まってくる。それに、そもそも神社の参道に戻るには山根の脇をすり抜けなければいけない。走ったところで逃げ場がない。ならば――闘うしかない。


 私は足を止め、木槌を構えた。ただの木の塊だけど、無いよりまし。それに、メスって小さいし。もしかしたら――。


 甘かった。


 山根は突然しゃがみ込むと、掬い上げるように小石を投げつけてきた。玉砂利だ。躊躇も遠慮もない全力投球。私は顔にくらってのけぞる。

 その瞬間、右手の甲に何かがねじ込まれる嫌な感覚。直後に、焼けるような痛み。


「ひっ」


 目の前に山根がいた。メスで切られたのだ。気付いた時には痛みに負けて木槌を落としてしまっていた。


「あ、あー」


 どうしよう。武器がない。なんとか、しないと。

 相手の真似をしてやろうとしゃがみ込んだ瞬間、肩を思い切り蹴飛ばされる。尻もちをついた私に、山根が馬乗りになってきた。重い。逃げられない。


「さて、と――んん!?」


 私を片手で抑えつけようとしていた山根の動きが止まる。彼の首根っこを誰かがガッチリ掴んだのだ。


 大きな手だった。人間の倍近いかもしれない。それにつながる腕も太く、ごつごつした筋肉が浮き上がっている。しかも、色は全力疾走した直後みたいに真っ赤だ。


 腕は戸惑う山根をあっさり引き倒してしまった。そして、仰向けの山根をそのままずるずる引きずっていく。その間、腕から先は見えず、言葉も発しない。


「おい、誰だ! 止めろ!!」


 茫然と見つめる私の前で、山根が暴れている。手足を振り回したり、地面に突っ張ったり。必死で抵抗しているが、腕は何事もないかのように引きずるペースを変えず、山根の姿は闇に消えていった。

 だが、声だけは続いている。引き攣り、泣きわめくその声が私を金縛りから解き放った。


「逃げなきゃ――」


 どこをどう通ったのかもわからない。気が付くと私は汗びっしょりで、家の玄関に倒れこんでいた。


 **********


 翌日の早朝。神社の神主が境内に、何か重いものを引きずった跡を見つけた。管理者としての責務に駆られた神主がその跡をたどると、そこには山根の遺体があった。

 首には巨大な手形。胸には柄がめり込むほど深くメスをつきたてられていた。山根の顔は恐怖に歪んでいたという。


 彼の遺体はご神木の根元、藁人形の真下に捨てられていたそうだ。

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