大好きだよ 前編
目覚めた場所は、真っ白な部屋だった。
重い頭のまま、ゆっくりと周囲を見渡す。
八畳くらいの部屋――病室? には、窓がひとつとドアがひとつあるだけで、それ以外のモノは――、僕が今し方まで横になっていたベッド以外に、何も無かった。
……病室としては、あまり良い部類じゃないと思う。なにもないのが、かえってストレスに感じそうな部屋だ。
ふと物音に気付いて振り返れば、ベッドと一体化した……というか、ベッドに喰らい付いて飲み込もうとしているように見える大きな機械が目に入った。
円筒形の巨大なシリンダーと、そこから延びたコード。覗き窓みたいな小型のディスプレイがあって、その下には、商標……? じゃないや、注意標識だ。そこには、……高圧レーザーとある。じゃあ、この、ひと世紀は昔の造形のような奇妙な大型の機械は――。
そうか、これが量子コンピューターなんだ。
理解した瞬間に、心が激しく揺れた。
間違いであって欲しい、と。
でも、稼働中と表示されているディスプレイの下部にある、運命を表す鎖のように重なった二つの輪の意匠は、この前の道徳の授業で習ったものと同じで。それに、流れるように現れては消える文字列には、予想通り、エントロピー収束型精神復元システムの文字がある。
残念ながら、量子コンピューターが出来て、一番最初にそのコンピューターに入れられたプログラムがそれだと習ったのはほんの少し前のことで、忘れられるわけなんてない。
理論そのものは昔からあって、でも、その膨大な演算量から量子コンピューターが完成するまで実現できなかった、奇跡みたいな人々願いのひとつ。
いなくなってしまった誰かと、もう一度、なんてありふれた普遍的な願いが、今、目の前で音を立てている。神様じゃなくて、人の創り出した機械の中で。
心を静め、改めて周囲を見渡せば、量子コンピューターの前には、ほんの数秒前まで僕が寝ていたベッドがあって、……? そこには僕が今も静かな表情で横になっていた。
「なんだろうねぇ? この状況は」
量子コンピューターがここにある意味を充分に理解できるんだけど、火葬前に使われるなんてことは初めて聞いた気がする。あ、いや、前に見たホラー映画でそういうのあった気もするけど、さぁ。それはフィクションでしょ?
年上の幼馴染って、そんなにせっかち――……だったな、間違いなく。
猪突猛進を地で行く、友達以上恋人未満の女の子を思い浮かべて苦笑いした刹那、弾かれたようにドアが激しく揺れ、現れたのは今まさに考えていた最中の紗弥香だった。
ドアの勢いにビックリして目を瞬かせ、紗弥香に無防備な視線を向けてしまう僕。
「瞬……。ねえ……キライになった? 私のこと」
張り詰めた顔をした紗弥香が、泣きそうな目で僕を見ている。
ただ――。
嫌いになるも何も、今の状況をなに一つとして理解していない僕に、いきなりそんな質問をされても困る。紗弥香はいつもそうだ。ひとつ年上の癖に、思ったことを、考えるという過程を飛ばして口にする。だから、前後の意味が分からなくなったり、誤解されることも数知れず。しかも、反省するという言葉は彼女の辞書にはない。
だからなんだろうな、思春期真っ只中の十四歳の僕と十五歳の紗弥香が、ずっと変わらない距離で最後までいてしまったのは。
「どうして?」
いつも通りの小言を言える雰囲気じゃなかったので、僕はやんわりと笑って尋ねてみた。
叱られたわけでもないのに、叱られたとき以上に殊勝になった紗弥香は、答えなかった。悲しそうな困った顔で、言葉を詰まらせている。
きっと、そう考えた理由を口では上手く表現出来ないんだろうな。
どんな台詞も、地雷になっている気がして。
ただ、言葉には出来ない焦燥感や不安は、――いつもはポニーテールにしている髪をまとめ忘れていたり、スニーカーの靴紐を片方結び忘れていたり、その他、細々とした服装や状態の違いから、充分以上に察せてしまう。
苦笑いを浮かべつつ、気付かれないように小さく溜息を吐いた僕。
声にしなければ現実にならない、なんてことはない。ハッキリと言われないからこそ、余計に自分が死んでしまったんだって実感してしまう。
微かな溜息が消えないうちに、天井を見上げる。
死ぬって、難しいなって思う。
生きている時には、壮絶な覚悟とか苦痛とか、そういう辛いもののイメージが強かったけど、実際に終わってしまえば、僕はあっさりとゼロに還っていた。
もっとも、今の状態の僕は完全に死んでいるとは言い難いのかも。
確かに死んでいるんだろうけど、意識はここにあるわけで、ここに精神や存在がある以上、幽霊としての半人前ってところ……なのかな?
「……今だから言えるんだろうけど、ね」
話し掛けながら、自分の状態を確かめるように何も答えない紗弥香の肩に手を伸ばす。
触れた――ような気がした一瞬後、僕の手は、やっぱり紗弥香をすり抜けた。
予想はしていた分、ショックは少なかったと思う。
だから、動揺しないように話し続けた。
「戦争映画とか……特撮の戦隊モノとかのヒーローが死に臨む時に、この世界の何もかも――無関係な人をはじめ、味方の嫌いな奴や、敵の幹部さえも、本当は綺麗で大切なものだって描かれている物語は多いけど、僕はそうは思えないな」
思いの外、普段どおりに話せる自分が、なんだか少し信じられない。
思いの外、自分の死に深い感情を抱けない自分が、少し不思議だ。
ただ、乾いた悲しさだけが胸の奥にある。
これからもずっと同じペースで歩いていくと思っていた僕と紗弥香には、あと数時間しかない。しかも、そこで全ての望みが叶ったとして、その先はもう描けない。
ちょっと、全部が、今更なのに……上手く言えないけど、とてももったいない時間が目の前にあって、それが、なんだか、……しんどい気がする。
「たとえどういう状況になったところで、接点がない人間に対してなんの感慨も持てないし、嫌いなヤツは嫌いなままだし、好きな人はずっと好きなままだよ」
好きな人の言葉に反応した紗弥香の肩が、ピクッと動いた。
少し、怯えたような瞳で僕を見詰める紗弥香。
瞳の奥の本心に、まだ、少しでも期待が残っているのかは、判じかねる。見慣れているはずの紗弥香の顔には、見慣れない非難される恐怖心が強く現れていて。
「僕が紗弥香のこと、嫌いだと思う?」
今、いつもみたいな意地悪を口にしたら紗弥香が二度と立ち直れない気がしたから、僕はあまり言いなれていない言い回しの意地悪を口にした。
「その言い方はずるい」
拗ねた顔をした紗弥香が偉そうに腕を組んだのを見て、僕は軽く笑った。
笑えてた、と、思う。
「僕は死んだの?」
出来る限り、重くならないように、声が震えないように……、なんでもないことを口に出すように、僕は尋ねてみる。
「ううん、死んでないよ。でも、ごめんね、ゆっくり説明させて」
さっきようやく多少は上向けられた紗弥香のテンションだったが、すぐに深く沈んでしまうらしい。泣きそうな顔をされると、悪いことをしている気がしてしまって困る。
手が触れられないのは先刻確認済みなので、条件反射で頭を撫でようとした右手を制して、大丈夫、待つよ、と、穏やかな表情を返す僕。
紗弥香はコクリと頷くと、目に掛かるぐらいの前髪をくしゃっと右手で掻き揚げて握り、きつく目を閉じ、三回ほど大きく深呼吸した。
頼りない姉貴分をしっかりとガードする弟役だったのに、今は僕が紗弥香にこんな顔をさせているということが、少し辛い。
思い残したことは確かに少なくはないけど、死んでそれを受け入れてしまえば、自分がやり残したことよりも、今生きている人に辛い思いをさせていることに対する後悔の方が強い。どうにもできないから、申し訳ないなって、そんな悲しい気持ち。
……ああ、だから、生きている人のために、死者を送るんだろうな。
「記憶、どこまであるの?」
僕が自分の内にある罪悪感を、一応、横にずらしおえた時に、ようやく落ち着いた紗弥香が問い掛けてきた。
「バスが大きく横揺れした?」
少し考えてから、率直に最後の記憶を話した僕。
紗弥香は僕の言葉に、こくん、と、肯定するように頷いた。
そう、あれは、特になにかを決意した日とかではなく、ごくごく平凡な休日に、地元よりはもうちょっとマシな大きな駅前へ紗弥香と繰り出した日で、その行きのバスで――多分、事故があったんだと思う。
と、そこまで考えて、少し慌てた僕は、紗弥香の全身をくまなく見詰めた。
「な、なに?」
僕の急変に慌てたのか、紗弥香は怯えて身を竦めたけど、生き残った罪悪感があるのか、一応はじっとしていた。
「いいから、いいから」
おざなりに紗弥香をなだめつつ、頭のてっぺんから足先までをチェックする。
髪は、普段はポニーテールにしているのを今日は降ろしていたけど、特に問題はなさそうだから、頭や顔もOKだろう。うん、普通の大きさの目も、十人並みの鼻も、口も頬も耳も見慣れた通り。目を凝らすとうっすらと分かるそばかすもそのまま。
「な、なんだよ、変なことしたら……その、怒るからな!」
背後に回ったりして念入りに怪我の有無を調査する僕を、毛を逆立てた子猫みたいに威嚇する紗弥香。
秋の衣替え後の制服だから腕の状態は分からないけど、ギプスとかはしていないし、手や素足の部分は、青痣どころか。絆創膏ひとつない
興味があるとはいえ、流石にこの状況に便乗して、ブレザーの内側やスカートの中身まで確認するのは躊躇われるし、問題ないと考えて良いかな。
ってか、紗弥香制服なんだ。
今更その事実に気付く辺り、僕も多少は動揺していたのかもしれない。
ああ、でも、私服じゃないってことは、僕もしばらくはもってたのかな。
色々と考え込む僕に、紗弥香のきょとんとした視線が向けられた。
「無事、なんだよな?」
一応、口頭でも確認してみる僕。
「……うん」
紗弥香は、ちょっと申し訳なさそうに頷いた。そして、その表情のまま言葉を続ける。
「かばってくれたの、覚えてない?」
かばった、のか? っていうか、かばえていたんだろうか? ほんの一瞬の出来事だったようにしか覚えていない。
「多分、意識しての行動じゃないかな」
守れていたなら、望外だったとしか言いようがない。
ただ、まあ、大切な誰かのために何か出来たってことは、少し誇らしく思えた。
死ぬ意味は、あった気になれる、……かも。
「そっか」
少し寂しそうに言った紗弥香は一度口を噤み、けど、何度か唇を動かして、多分、凄く悩んだ末に、ようやく声に出した。
「でも、瞬は――」
「いいよ、人はいつか死ぬものなんだし、気にしないで」
言いにくいことを無理に言わせるほど僕はドSじゃないので、爽やかに嫌な話題を流そうとして、……紗弥香に怒鳴られた。
「じゃなくて! 死んでないの! 私の話、ちゃんと聞いてる?」
縁起でもない、と、憤然とした顔を僕の目の前に突き出す紗弥香。
鼻がぶつかりそうな距離なのに、不思議な程、存在感を感じられない。普通だったら、息遣いも、温度も、すごくたくさんのことを感じられたんだろうけど、今の僕は、多分、身体があった時と比べれば、感覚がはるかに乏しい。
って、ほんとうにこれで死んでいないのかなぁ?
「ちゃんとは聞いていないかもねー」
ニヘラと笑って僕は答える。
「なんで!」
紗弥香の目が、更にきつく吊り上がる。
ニヤニヤ笑いをそのままに、一拍ほど間を置いてから、僕はゆっくりとからかいの言葉を口にした。
「紗弥香って、基本、考えるより先に口が動くから、全部聞いていたら大変なことになる」
「ぶつよ?」
さっきまでのシリアスでしょげた空気はどこへやら、見慣れた紗弥香の拗ねた顔がようやく出て来て、それに少し安心しつつも、いつもみたいに――。
……ああ、そうだったんだ。
うん、ぼんやりした年上の幼馴染を、しっかりとガードしつつも、適度にからかっていた時の僕の気持ちは、楽しい、と、愛おしいが合わさっていたんだな。
なんか、今更気付くのもどうかって話しだけど、いつもは意識せずに、つい、そういう態度になってしまっていたし……。
死んではじめてそれに気付くとか、随分と気の利いた皮肉だと思う。
「今日は遠慮しておく」
いつもみたいに軽く殴られても全然良いんだけど、多分、紗弥香は僕に触れられずに、またさっきみたいな顔をされると思ったから、やんわりと僕はお断りして、一歩分逃げた。
「もう、瞬のせいで、話が逸れた」
僕が距離をとった理由を、残念ながら正しく察してしまった顔で、でも、口を尖らせて強がりを言った紗弥香。
って、最初の出だしから考えて、説明する気が本当にあったのか問い質したくなってしまうのは、僕だけか?
僕の疑いの眼差しを受けて、少しだけ気まずそうな顔になった紗弥香は、コホンと咳払いで空気を変え、真面目な顔をした。
緊張してもさせても悪いと思って、自然体で構える僕。
まっすぐな視線がぶつかって……凛とした紗弥香の声が響いた。
「あのね、瞬は、植物状態なの」
重大なことを打ち明ける顔で言った紗弥香。
瞬きひとつして受け止めた僕は、一言だけ返す。
「へぇ」
「なにその反応!」
言った瞬間に予想できてしまったんだけど、案の定、紗弥香は若干キレ気味に突っかかってきた。
いや、だって、自分では死んだと思っていたのに、実は植物状態でしたといわれて、どう反応するのが正解なんだろう? はあ、とか、へえ、ぐらいしか言えないと思うんだけど……。
そもそも、脳の機能の大部分が止まれば、それは人の死とイコールだってのが、現代の考え方だろうに。だから、iPS細胞での臓器復元が出来なかった昔は、移植で命のバトンを繋ぐって考えがあったわけで。
しかも、だ。自分の努力で、そこからなんとかしろとか言われても、どうにも出来ないぞ? せいぜい、担当医に心の中からエールを贈るぐらいで。
微妙な顔のままの僕に、しばらくは、む~、とか、唸っていた紗弥香だったけど、しょうがないかという顔でこれ見よがしに溜息をついて、続きを話し出した。
「それで、えっとね、色々な治療はもう試したけど、結局意識は戻らなくて……それで、最後の賭けをさせて貰ったの」
賭けってのは――この状態のことだよな、と、ともすれば透けている気さえしそうな自分の身体を見回す。
賭けに勝ってこの状態なんだろうか? それとも……。
微かな期待と不安で――今の僕には、心臓なんてないはずなのに、身体の中心に、ぎゅっと、そうしたあやふやで冷たくて熱い感情が集中する。
「これまでの症例では、植物状態の三パーセントぐらいの患者で、量子コンピューターの『仮再生』が出来るんだって。……それで、『仮再生』をした患者が、本当に蘇生する確率は、五十パーセントだって……」
言い終えて、話し始める前と比べると格段に元気がなくなった紗弥香が、チラッと僕を見た。
もしかしたら、僕に無断で賭けに出たことを叱られるかも、とか思っているのかもしれない。
まったく、そんなこと、あるはずないだろうに。
逆の立場だったら、きっと僕も最後の賭けを――躊躇わずに行ったと思う。
可能性があるなら、挑戦したい。誰だってそうだろ?
そもそも植物状態からの蘇生って、かなり難しいってどこかで聞いた気がする。しかも、植物状態とは言っても、残り寿命分その状態で生きていられるってわけじゃないんだし。
確か、植物状態になった後の残り時間は案外短くて、現代科学をもってしても三年から五年程度が平均余命らしい。
そういう事実も含め、ついでに、今、起きているということからも逆算するなら、……紗弥香を怨む理由なんてひとつもないと思うんだけど? 現状、相当高い確率で僕は再び身体に戻れることになるんだし。
まったく、不安も手伝ってのことなんだろうけど、紗弥香は変に気にし過ぎだな。
深刻そうな顔の紗弥香に、悪戯っぽく笑いかけてみる。
急激に胸に膨らんだ期待に、我ながら現金だな、なんて、呆れてしまうと同時に――さっきよりもはるかに軽い気持ちになった僕は、ついつい軽口を叩いてしまう。
「でも、よく紗弥香に僕を起こす権利が渡ったよね」
今だから笑える話のノリで僕は言ったけど、紗弥香は愛想笑いさえ浮かべてくれなかった。
それどころか、無言のまま、ジト目で僕を睨み続けている。
「?」
不機嫌になった理由が分からなくて、媚びるように小首を傾げた僕。
僕をしばらく睨み続けていた紗弥香だったけど、本当に分かっていないことを察したのか、これ見よがしに溜息をついてから言った。
「自分で、そう仕向けてた癖に」
自分で仕向けた……? そう言われても、思い当たる節は――。
「あ、僕の遺書、有効だったんだ?」
たっぷり十秒以上考えて、小学校の五年頃? に書いた記憶がうっすらとある遺書の存在を思い出して、確認するように問いかけてみる。
不貞たような顔で頷く紗弥香。
「うん……でも、アンタがあんなの用意してた、なんて思うと……少し、複雑」
「もしもの時に、困らないようにと思って」
「この状況も考えてたの?」
その質問へは、悪戯っぽく笑って誤魔化した。
考えていないと言えば嘘になるけど、そこまで真剣に準備をしていたか、と、訊かれれば、首を縦には振れないと思う。そもそもの切っ掛けは、担任の先生が戦地帰りの人で、命とか自分の意味を考える授業が多かったせいでもあるし。
あれは、もし僕に何かあった時に、ほとんど常に一緒にいる紗弥香が非難されないようにって、ちょっと幼い――騎士気取りのかっこつけたい気分で、自己陶酔の果てに仕上げた、どちらかと言えば黒歴史ノートに近いモノだから。
まあ、でも、どうせ死ぬなら、跡は濁したくなかったし、そういう意味で準備しといて良かったといえば、そうか。
それに、僕には両親がいないから、誰か分らないような親戚に起こされて、どうでもいいような感傷――可哀想な血縁を慰めたって自己満に浸られるのは迷惑だし。内容が薄くてくだらない、お寒い演技に付き合って、最後の時間を浪費したくないなって。
「ねえ、こんなタイミングで、たった一回のチャンスを使っちゃった私のこと、恨む?」
苦笑いでお茶を濁していた僕に、急に真面目な顔をして尋ねた紗弥香。
真剣な雰囲気にあてられて、僕の顔から苦笑いが引いていく。
初めて知ったかも。
紗弥香って意外と繊細だ。
って、そんな感想を抱く僕が失礼か。
クスリと笑った僕は――、今日、本来、言うはずでなかったことを告げてしまった。
自然に、ごくごくあっさりと。でも、凛とした強さを持って。
「最後かもしれないから、開き直って言うね。僕、紗弥香のこと大好きだよ」
年下の強みを最大限生かして、無邪気に、素直に、思いの丈を僕は口にした。
年上の幼馴染は、一瞬、物凄く無防備な表情をして、それから息を呑み……。少し頬を染めて、俯いた。
……出会った当初は鈍感で、ひたすら一直線に突っ走る無鉄砲系のお姉さんだったのに、いつのまにかこんな乙女の顔もするようになっていたんだな。
時間って不思議だと思う。
意識せずに流れている時には、変化になんて気付かせてくれないのに、ある日突然、それまでの遅れを取り返すように、一気に歩みを速めて、変化を目の前に突きつけるんだから。
「……わ、たし」
「なーんてね」
紗弥香が何て答えようとしたのか、その表情から全部分かってしまった僕は、必要以上におちゃらけた声で、返事するのを遮ってしまった。
僕の急変に驚きすぎて、顔から全部の表情を消した紗弥香の顔が目の前にある。
もし――、考えたくなんてないけど、もし、復活に失敗した時に、紗弥香の傷が広がらないように、今は、これだけで我慢しておく。
願掛け……とはちょっと違うかもしれないけど、ここで成就させてしまったら、なんか、それだけで、全部の運を使い切ってしまう気もして……。
だけど、嘘なんかじゃないよね? と、紗弥香の目がすがるように尋ねてくる。
その目に、罪悪感が最高潮に達したけど……。
僕が何か言う前に、冗談を更に打ち消すのは、どんな言葉でも難しいと気付いたのか、悲しいのを無理して飲み込んだ顔で、紗弥香がいつものように言い返してきた。
「まったくもう、アンタって子はこんな時まで冗談――」
どの程度まで僕の本心が伝わったのかは分からないけど、今回のお詫びも含めて、復活した暁には、紗弥香のことを、最低三日は猫可愛がりすることを心に誓う。
そう、生き返った後の人生では、日に三回以上は好きだと伝えよう。
そして、極め付けに、軽はずみな発言は、今後絶対にしない。ように、努力する。
「ははは」
決心を胸に、誤魔化すように乾いた笑い声を上げた僕。
でも、やっぱりというかなんというか、紗弥香は僕に合わせて笑ってはくれなかった。
だから、かなりへこんでいるのが分かってしまい、ごく自然とフォローの言葉が口から漏れた。
「本当に大切なことは、この時間が終わって……僕が目覚めたら、その時に言うよ」
聞こえていたくせに聞き返したい顔をした紗弥香から顔を逸らして、話題転換も兼ねてこの殺風景過ぎる部屋から抜け出そうと提案してみる。
「ちょっと、その辺、ふらふらしない?」
ありきたりな提案は、びっくりするほどの大声で止められてしまう。
「ダメ!」
予想外の反応に、ドアを人差し指で指したまま固まった僕。
僕の反応に慌てた紗弥香が、早口で捲くし立てた。
「身体との誤差が増えるから、ここから移動しないようにって。……お医者さんが」
「そっか」
それなら仕方がない。
気にしないで、と、紗弥香に微笑みかけた僕。
でも――。
「…………」
「…………」
考え込んだ僕と、ややブルーでも、基本、表情はいつも通りのポーッとした色が出ている紗弥香。
「一応訊くけどさ」
そこはかとない不安を抱きながら、僕はゆっくりと口を開く。
「うん?」
分かっていない顔をした紗弥香が、子犬みたいな顔を僕に向ける。
その忠犬然とした様子に……ちょっとだけ照れて視線を逸らしながら僕は尋ねた。
「他にも注意事項ってあったりする?」
訊かれて初めてそれに考えがいったという様子の紗弥香は、んー、と、小首を傾げて考え始め……急に焦りだした。
やっぱりなにか言い忘れていあがったな。これだから猪突猛進系は……。
昔っから、自分にとって重要だと思うところだけを覚えて、それ以外は聞き流すんだから始末が悪い。
いつまでたっても直らない紗弥香の悪癖に苦笑いしながら、寛大な心で、怒らないから言ってみ、と、表情で促してみる。
「あのね! あー……と、普段の猶予時間は五時間だけど、今の瞬は、死んでいないから、もっと――、かなり、短いかもって」
かなり気まずそうに、ちょっと怯えながら紗弥香はたどたどしく言った。
ジト目で紗弥香を見る僕。
しゅんとしつつも、怒らないって顔したくせに、とも思っているような、思いっ切りへこんだ顔が目の前にある。
……まあ、いいか。
紗弥香を一瞥してから、嘆息して、気持ちを切り替える。
今日だけにするつもりが全く無かったから、そこは――意図的にかどうかは分からないけど、記憶していなかったんだと思うし、僕としてもこの状態で長く留まるつもりはないので、気にしたってしょうがないし。
「まったく、紗弥香は昔っから人の話が聞けないんだから……」
仕方がないなあ、という顔で、笑って許した僕に、反省しつつも不満に頬を膨らませた顔を向ける紗弥香。
だけど、急に、不満で膨らませていた頬から空気が抜け――。
……腹黒そうな、笑いが紗弥香の顔に浮かんできた。
「そういえばさー?」
ちょっとねちこい問い口で、紗弥香が思わせぶりな顔で間を空ける。
うん? と、小首を傾げて見せる僕。
それで僕がノってきたと思ったのか、紗弥香の口がニンマリと広がる。
「なんで、瞬は私とずっと一緒にいたの?」
「え? なに、その質問」
概ね意図には気付いていたけど、僕は敢えてとぼけた。
紗弥香は間違いなく、さっきの僕の告白を、もう一度引き出す腹積もりらしい。
実際、僕の予想の正しさを証明するように女の子って感じの、いや~な笑い方で詰め寄ってきているし。
まったく、どうして女子は、好きな男子に恥ずかしい台詞を言わせたがるんだろう?
「幼稚園と小学校の間の一年と、小学校と中学校の間の一年って、短くなかったでしょ? それなのに、健気に私の後をついてきてさー?」
全部お見通しなんだから、とでも言うように目配せしてくる紗弥香。
仏頂面で、短く溜息を吐いて考えるのが僕。
黙っていたらやり過ごせるかな? なんて甘い考えは、好奇心一杯のキラキラした瞳に脆くも打ち砕かれる。
やれやれ、と、軽く頭を振ったところで――瞬間的に、鋭い頭痛がした。
なんだ? と、疑問に思っている内に、鋭い痛みは引いたけど、代わりに、鈍い頭の痛みと指先の痺れが出てきた。……おそらく、この状態でいる限界が来つつあるんだと思う。さっき紗弥香も、この状態でいられる時間は短いって言ってたし。
漫画知識だけど、魂と肉体は繋がってるんだっけな。この再生を単なるデータって言う人も居るけど、それだけじゃないような気がしていた。本来の身体からのなにかの信号が、きっと今の僕に届いてる。
不自然に動きを止めた僕に、紗弥香の訝しげな視線が向けられた。
「だい……」
大丈夫? と、訊こうとした紗弥香の言葉を、手を突き出して遮る。
訊かれたって、そんな質問に答えられない。
だから、がらせて欲しいと思う。
多分、死んでから呼ばれた時なら、こんな葛藤はないんだろうな、なんて、不意に押しつぶされそうな気持ちの重圧を胸に感じながら思う。
……いや、死んでたらそれはそれで凄くへこんだ気もするし。でも……。ああ、いや、もう、なんか、上手く言えない、な。
不安はある。
だけど――、僕は諦めるつもりなんてない。絶対に。
だから、本当にありふれたいつも通りのままに、短い小休止を入れてやろうと思う。
心を静めるように、深呼吸して、さっきまでの空気を思い出し、僕はゆっくりと話し始める。
たっぷりの茶目っ気を込めて。
「特別ななにかを期待されても……困るよ」
憮然とした顔で告げた僕。
「困るの⁉」
あからさまにショックを顔に出し、小さく叫んだ紗弥香。
驚くと同時に、不安にもなっている模様。
ちょっと、いい気味かも。青年になりかけの少年をからかうからそういうことになる。
泣きそうな目で俯いた紗弥香に、人生で一番優しい声で付け足した。
「側に居たい理由なんて、初めて会った時から変わってないんだから」
弾かれたように顔を上げた紗弥香と、ほとんど同じ高さの視線で真っ直ぐに見詰め返す僕。
目の前の顔は、解釈に悩んでいるみたいだったから、最後は思いっきり目を閉じて舌を出してやった。
紗弥香の口が激しく動く。
でも、何て言っているのか、僕にはもう聞こえなかった。
感覚が、ゆっくりと、再び閉ざされていく。
――またね。
最後に言いかけた声は、音にならずに消えてゆき、僕の意識は夜の海の底へと沈んでいった。
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