第五幕
五、町火消し常会後帰路の場
釣り人一・二 「今宵の釣果は鰈に鱸【枯れすすき】。女房にさばかせ刺身か天ぷら、寒風すさぶ節分に、腹もぐうぐう帰り道。朝寝のあとの楽しみに、酒と肴は江戸の華。今宵の釣果は鰈に鱸【枯れすすき】、っとな」
仲間 「柳兵衛、少しは気分が晴れたかい?町火消しの常会からそのまま、仲の方に打ち出して、みんなでお前を盛り立ててやろうってな」
柳兵衛 「(陰気に)ああ、ありがてえ。おかげで前よりかはいくぶん」
仲間 「そうかい、まだ本調子じゃねえみたいに見えるが、いくぶん良くなってんならな。春宵楼の安達が里に帰ったかなんかで急にいなくなっちまって、それもマァあんまり引きずらねえこった」
柳兵衛 「・・・そうだなあ」
仲間 「マァあいつにせっかく用立ててやってたてめえとしては、怒るのも無理はねえや。火消し連中でも言ってんだ、こんなに良くしてた柳兵衛を裏切って、姿をくらましやがって、誰かが町で見かけたら捕まえて灸据えてやろうって」
柳兵衛 「ありがてえが、もういいんだ」
仲間 「金は失ったかもしれねえが、これでまっさらになっただけと思え。なあ。お、みろや、あそこ。どざえもんが上がってるみてえだ。広い世の中、今日死んじまう奴もいるんだな」
柳兵衛 「・・・」
仲間 「ん、近づいてみるってえと、びしょ濡れだがマァ派手な着物をきた女のどざえもんだ。心中のしくじりかね?」
柳兵衛 「そ、そうだなあ。怖いなあ・・・。おい、ち、ち、血だ」
仲間 「え、血がでてんのかい。どこに。傷ひとつないきれいな顔して眠ってやがるけどな」
柳兵衛 「いやいや、馬鹿言え。体中切り傷、刺し傷、血みどろじゃねえか。うわあ」
【傷、血が見える見えないで柳兵衛と仲間とのあいだに認識の差異。これを掘り下げる前に、むくと女郎のどざえもんが起き上がる】
柳兵衛 「う、うわああ。安だ、(安達と言いかけて止める)」
仲間 「うおお、驚かすない。よかったな、息があったのかい、娘さん」
【安達、小さく恨み言をつぶやきながら近づいてくる。濡れてさがる髪に隠された手元から、柳兵衛の船上で使った小刀が抜き身で光る。にわかに振り回す】
仲間 「おっ、うわ、物狂いだ。危ねえ」
【安達はまず柳兵衛の仲間に切りかかる。危うく刺さされるところ】
仲間 「や、やめろ。柳兵衛、逃げろ。俺は人を呼んでくる(逃げ去る)」
柳兵衛 「ま、待て。な、なあ、安達。お前、生きてるのか死んでるのか?」
安達 「柳兵衛ぇ、うらめしや・・・(一歩一歩うつむきながら近づく)」
柳兵衛 「来るな。来るな。お前、この俺を恨んでるのか」
安達 「痛い、血が、苦しい、息が。この痛み、苦しみはどうやってわかってもらおか」
柳兵衛 「やめてくれ」
【柳兵衛が桶も棒も当たり飛ばして逃げる。鬼女の怒気を帯びた安達が小刀を振りかざして追う。柳兵衛、すぐに町内の火の見やぐらに到る。ちょうど替えかけの半鐘が仕掛かりのまま地面に置いてある】
柳兵衛 「(半鐘のまわりをぐるぐる回りながら)ああ、だめだ、枯れすすき(幽霊)に火焔太鼓(半鐘)は取っちゃいけねえ。八百八町が灰になる」
安達 「(追いついて)恨みはらさでおくべきかあ」
柳兵衛 「堪忍だ、堪忍だ」
安達 「今さらそんなこと言ったって無駄だよぉ。こっちゃあ鬼が出るか蛇が出るか。猿若町じゃ蛇が出てるだろよ」
了
【落語台本】蛇柳(じゃやなぎ) 紀瀬川 沙 @Kisegawa
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