第四幕
四、砂村隠亡堀の場
釣り人一 「おおっと、釣れた釣れた。でっけえ鰈だ。いいや、これが鮃であるもんか。おいらにゃ夜目にも鰈だとわかるんだ」
釣り人二 「おうおう、でけえでけえ。と言ってるあいだにこっちも掛かった。引け引け、こりゃものすげえ引きだ。よ、よおっと、よおし、上げた上げた。立派なえらの鱸が釣れた」
金子満持 「向こうはよく釣れてるみてえだな。こちとら、うんともすんとも。節分の潮の流れにも、糸は揺れねえ、魚は豆も食わず嫌いときやがる」
【突然、金子のすぐそばの岸で水面がばしゃばしゃと騒ぐ。ややあってから、怪訝に様子をうかがう金子。護岸の少し崩れた岸に、安達が打ち上げられている。激しく水を吐き、息を吹き返す】
金子満持 「(恐る恐る安達に近づいて、少し抱えて)おう、どうしたどうした。眠れず釣りにそろり出たところ、魚は釣れず、濡れた女が飛び込んでくるたあ。大事ねえか?」
安達 「うぅ、ここは・・・。あたしあ死んだのかい?」
金子満持 「死んじゃいねえ。どういう事情があったか知らねえが、ここは深川、砂村隠亡堀だ。お前を介抱してるのは旗本の端くれ、今は旗本火消しで渡世するしがねえ野郎だ。いいかい、お前は死んじゃいねえ、安心しろな〉
安達 「(息を整えつつ)旗本様。これはこれは、誠にありがとうございます」
金子満持 「いいってことよ。びしょ濡れだが、この装束からみると、お前さん、女郎かね?」
安達 「ええ、その通りで」
金子満持 「よくよく見ればいたるところに切り傷、刺し傷、たおやめの首に絞められたあと。仔細は聞かぬが、わけがあるんだろ?」
安達 「ええ、語るも無礼千万でありますが、今宵、客とはいえ一時は心通じた方と一夜の舟を浮かべ戯れていたところ・・・」
金子満持 「ふとしたことから喧嘩かい?」
安達 「そうであれば可愛いものですが、もとより男はあたしを金の蔓と見ている情夫、今宵あたしがもう金は渡せないと泣きつくと・・・。ええい、このあまと激高ののち、殴る蹴るの乱暴狼藉、狭い船ゆえ逃げ道もなく」
金子満持 「男の風上にもおけねえ」
安達 「明るく照らすお月様のもと、片やあたしは半死半生、ここであえなく死ぬよりか、水の底なる竜宮へ逃げられるものならと」
金子満持 「この節分の冷てえ海に逃げたわけか。竜宮にはゆけなかったが、とにかく助かってよかった。あわれ、命あっての物種だ」
安達 「それにしても、もの悔しいのは、あたしを金蔓にしてむしり取り、殴り蹴り、絞めた男の逃げる姿」
金子満持 「そうだろう。苛まれ、果ては命を取られかけ、悔しかろう悔しかろう」
安達 「あたしは既に一度死んだ身。みな底で地獄八景を見て門前払いに遭った女郎。悔しいが、恨みをはらしたいものの先立つものはなし・・・。ああ」
金子満持 「ここまで聞いて、この旗本奴。いくら五男坊の端くれといえど、死の淵から戻った女を見過ごすことはできねえ。よおし、わかった、この金子満持、二本ざしの本分だ、節分の夜の何かの縁、女郎、力を貸すぞ」
安達 「なんと嬉しいお言葉。ありがとうございます」
金子満持 「まあ、何よりも先に御身のことだ。わが屋敷がここから近い。そこにてまずは大事にしな」
安達 「・・・(わざと涙を見せる)」
金子満持 「ここでは人目につく。その男も通るかもしれねえ。以後の仔細は屋敷にて」
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