第三幕

三、深川海岸船上の場


【船の帳から柳兵衛と安達がゆっくりと姿を現す。衣紋や襟元に乱れがやや残り、後の余韻と熱気のたゆとう船上のふたり】


柳兵衛 「安達、今だけは浮世のゴタゴタを忘れられたような気がするな」

安達 「ほんに同じ心持ちだよ。おかしいねえ、明日からもまた苦界が続くというに」

柳兵衛 「そうだなあ。見ろやい、月がのぞいてら」

安達 「マァさっきのことも、じゃあお月様には見られて・・・。恥ずかしい。でもまぁ、このお月様も、あたしの借金もお見通しだろうねえ。よくもマァこの女はのうのうと生きていられると」

柳兵衛 「おい、そんなこと言うもんじゃねえや」

安達 「いいんだよ。なぐさめないでおくれよ」

柳兵衛 「俺が、小せえけれどもこの一身かけて何とかしてやるっつってんだ。だから泣き言を吐くんじゃねえやい。月がてめえをいじめるなら、俺が西の海に突き落としてやらあ」

安達 「・・・(泣き突っ伏す)」

柳兵衛 「(安達に寄り添い)この金子を受け取れ。今日、店を払って、これで俺のもってた、親から受けた軒も土も金子に変わる算段だ」

安達 「お前さん・・・(泣き声をよりいっそう強める)」

柳兵衛 「マァ大きいこたあ吐いたけれども、これで俺も何もなくなった。甲斐性なしの亭主で悪かったなあ」

安達 「(金子を受け取りながら)ありがとうよお・・・」

柳兵衛 「俺もいろいろ考えたんだ。お前には借金があり、俺は今日で何もなくなった」

安達 「悪いねえ」

柳兵衛 「これから先、あのお月様は変わらず雲に漕ぎ出すだろうが、俺らはそうはいかねえ。木の葉みてえな身の上で、この世の中に浮かんでたのもつかの間、みるみるうちに深く暗く沈んでいっちまう」

安達 「(真意を測りかねて)・・・」

柳兵衛 「今日、火消し連中と話したあと、またつくづく考えた。なあ、安達、俺ら二人、烏カァで夜が明けたって、またこの金子にじわじわと絞め殺される日が続くんだ」

安達 「そんなこと言っちゃあ嫌だよ」

柳兵衛 「そりゃあ誰だって嫌だ。だがな、変えられねえ」

安達 「だからこう頑張ってるんじゃないかね」

柳兵衛 「そうだ、だからこうもがいてる。だからこう絞め殺されてる」

安達 「じゃあ、どうしろってんだね」

柳兵衛 「・・・これなら苦しいのは一瞬だ。ちいとの我慢だ。俺もすぐ後を追うから、許しておくんねえ」


【思いつめた柳兵衛、安達に詰め寄り、その首を絞めようとする。安達はもちろん、死ぬ気などさらさらなかったため、驚いて抵抗する。組み合ううちに櫛を髪より引き出し、思い切り柳兵衛を突き刺す】


安達 「ななな、何をするんだね。まさかお前さん、そんなことを考えるとはほんに馬鹿だね」

柳兵衛 「・・・」

安達 「ちち、近づくんじゃないよ」


【無言で無理心中を遂げようとする柳兵衛。近づく柳兵衛を櫛で刺しまくる安達。櫛折れ、爪を立てて抵抗する。柳兵衛が取り出した小刀を取り合ううちに、二人とも切り傷だらけになる。もみ合うなか、安達だけが船のへりから水中へ転落する。着物が重く、水面で暫時もがくが、ゆっくり沈んでいく】


柳兵衛 「(息を切らしながら、はっと我に返り)安達、安達。ああ、なんてえことを、俺あ」


【柳兵衛、手に持つ小刀を見つめる。震えながら自身に突き立てようとするが、思い切る勇気がない。急に震えが高まり、狂ったように小刀を遠く水中に投げ捨てようとするが、結局投げ捨てられない。しばらくして、刃を冷たい表情で見つめる】


柳兵衛 「(息も収まり、小声で)そうか、先に降りた船頭か。岸にでもいて、万が一にでも見られたからには・・・」

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