第四幕
四、めし処榎木屋の場
【二人は往来の看板に「めし処 榎木屋」とあった店へと入ってゆきます。そして、二人は腰掛けて暫くは徒行の疲れを癒している様子。最も繁盛する時間を過ぎてやや静まった店内の一番奥の隅にて、この家の者と思しき小僧が遅い昼飯を済ませております。入って来た二人は侍でもありませんので、二人も小僧も互いに特に気にすることもございません。すると給仕の娘さんが近付いて来て、二人は揃ってお品書きにある江戸料理を注文します】
娘 〈何をお召しになるかお決まりですか?〉
半七〈ああ、じゃあ、わたしは蜆飯でお願いしますよ〉
娘 〈そちら様は?〉
半蔵〈わたしは筍飯で〉
娘 〈はい、かしこまりましたぁ〉
半七〈あっ、ちょっと待った、娘さん。わたしは木の芽田楽も貰おうかな〉
娘 〈はいっ、わかりました(ト店の奥へと立ち去る)〉
半蔵〈半七さん、まだ勝負が付いてないゆえ、この店の勘定は御自分の懐から出すのですぞ。それに昼飯といえどももう時刻も遅い。そんなに頼んで大丈夫かな?〉
半七〈なぁに、大丈夫ですよ。もっとも、これであの遊戯に負けたら、今晩にはいよいよきゅうきゅうとして参りますが。はは、だからこそ、これは負けられぬのですよ〉
半蔵〈なるほど、それはこちらも少しばかり気が引けてしまいますな〉
半七〈いや、なにとぞお手柔らかに〉
半蔵〈ところで、半七さん、あちらの卓を。店の者が前の客の残〝飯〟を下げてますよ〉
半七〈・・・・・・(ト無言のまま)〉
半蔵〈今話していたところに急にとは、少しばかり酷だったかもしれませんが、何分期限が間近ですから目に付いたら直ぐ言わないといけませんでしたのでね〉
半七〈(無理に笑いながら)なに、平気、平気。どうぞお構いなく、ははは〉
半蔵〈よかった。半七さんならそう言ってくれると思うておりましたよ〉
【ちょうどそこへ娘さんの手で料理が運ばれて来まして、両者は空きっ腹を満たすために一時休戦、するかと思いきや半七は折から往来をゆく侍達を見付けまして何やら思い付いた様子】
半七〈(食べつつ)この筍はご飯と合って美味い〉
半蔵〈ええ、こっちのも美味い〉
半七〈(口をモグモグ動かしながら)外を通るお侍の御一団を御覧あれ。彼らは瑞穂の国に数多ございます列〝藩〟のうち、一体どこのお侍でございましょうかね?〉
半蔵〈(相手が自分の思う壺にはまったと思い薄く笑いながら)うん、あの雅やかな御風情と、同時に厳めしくもある御風格、わたしが推し量るに親(ト「親藩」を言い掛ける)〉
半七〈(半蔵の思惑に直前で気がついて)ああ、たぶんあちらは親〝藩〟のお侍でいらっしゃるかもしれませんなぁ(ト強引に先に言ってしまう)〉
半蔵〈(慌てて)いやいや、今はわたしの番であったことをお忘れですか。しかもそれを、まさにわたしの言いたかったことを先に言ってしまうなんて・・・〉
半七〈(わざとらしく)えっ、本当ですか。これは申し訳無い。何とお詫びしたらいいか・・・皆目見当も付きません。だがこればっかりは、わたしも悪気があった訳ではございませんで、会話の中で偶然に起こってしまったことですから・・・。いや、重ね重ね申し訳なかった〉
半蔵〈わたしにはどうもそうは見えませんでしたが〉
半七〈まぁ、このまま店を出て終わりにするのも、こちらとしても心が痛みますから、この二本の田楽を分け合って、これを食べ終わったらこの店を出ることとしましょうか?〉
半蔵〈・・・わかりました・・・。では頂きます(ト依然不服そう)〉
【すると再び店の娘さんが近付いて来て、二人の注文していない皿を運んで来ます。もちろん二人は注文した覚えもないのでこれには文句を付けます】
半蔵〈いやいや、これは注文しておりませんので。何かそちらの手違いではありませんか?〉
娘 〈えっ、そう言われましても・・・。確かに・・・〉
半七〈二人で来てもうこれだけ食べたんですから、またそれ以上食べる訳もないじゃないですか〉
娘 〈しかし・・・〉
半蔵〈ああ、娘さんじゃ話にならんからな。わかった、じゃあちょっと店の親爺に直談〝判〟して参ります(ト巧みに利用する)〉
半七〈半蔵さん、事あらば、わたしの血〝判〟も入り用ですか?〉
【これにはとうとう半蔵も堪忍袋の緒が切れたと見えまして、店の奥へ行こうとして半七に背を向けていた姿勢から向き直り、顔を上気させて詰め寄ります】
半蔵〈半七さん、わたしも、内藤新宿の入り口近くの辻で『高砂』が聞こえて来た時から今まで、ずっと我慢して来ましたがね、もういい加減我慢にも限界がありますよ。何ですか、あなたはさっきから人の言った「パン」の付く言葉を利用して、かつ直ぐさま言い返すとは。あまりにも卑怯で、しかも癪に触るんですよ。えぇ?(ト溜まりに溜まった不満をぶちまける)〉
半七〈いやいや、同じ「パン」の音を持つ漢字を使うのは、れっきとした戦い方のひとつですからな。そこまで大人げなくお怒りになられましても、こちらも困ってしまいますよ〉
半蔵〈なぁにが戦い方だ。「パン」の言葉なら他にも沢山あるはず。それは単に姑息な揚げ足取りなんですよ〉
半七〈何ですと。聞き捨てなりませんぞ。わたしはちゃんと決まりに則って「パン」を探していたではありませんか?そのようなことを言われるゆえんは断じて無い〉
半蔵〈うるさい。うるさい。卑怯者。正論らしく話すんじゃない〉
【この時、今まで店の奥の隅で飯を食べていた小僧が、二人の口論を聞き、そのおかしさに耐えられず、とうとう食べていた飯を笑い声とともに吹き出してしまいます】
小僧〈(食べている途中に笑い出して)ぷぷっ、くっくく、あっはは〉
半蔵〈おい、小僧。人を見て笑うとは何事だ?何がおかしい?〉
半七〈そうだ、大人の真剣な言い合いを小僧が笑うんじゃない〉
小僧〈いや、これはまことに相すみません。でも、お二人の「パンパン」言ってるいさかいが余りに奇天烈で。これこそ噴〝飯〟してしまった次第なんです(ト当意即妙に言い訳をする)〉
半蔵〈・・・・・・・・・・・・・・・・〉
半七〈・・・・・・・・・・・・・・・・〉
小僧 〈あら、噴〝飯〟の語はまだ出てなかったんですか。そりゃあ、一つ潰してしまって、申し訳ございません。お二人の鬩ぎ合いが面白かったんで、つい自分も真似してみたんです(ト平謝り)〉
半蔵
半七 〈(両者揃って跋が悪そうに)うぅむ・・・〉
半蔵〈(ようやく口を開いて)まったく、何と言いますか・・・こう・・・他人から茶化されると、もうどうでもよくなってしまいますな〉
半七〈ええ、こんな小僧っ子に言われてしまえば無理もありません。今まで遊びに夢中で熱気が増す一方で、冷静に考えることがなくなっておりましたからな〉
半蔵〈いや、これはちょうどいい機会だ、いっそのこと謝ってしまいます。半七さん、大人げなく暴言をぶつけたりして、申し訳ありませんでしたな〉
半七〈いえいえ、こちらもついむきになってしまい、すみません〉
半蔵〈はは、ははは〉
半七〈はは、ははは。最初は退屈凌ぎの軽い遊びのつもりが、いつの間にか互いに真剣な勝負になり、ついには平生仲の良かったはずの者同士の喧嘩にまでなるとは、甚だ恐ろしいものですな〉
半蔵〈ええ、まったく。けれど、決定的に仲違いしてしまう前に気付いてよかったですよ。まぁ気付かせて貰ったと言いますか〉
半七〈本当ですね。そうだ、もうこれはやめにしませんか?今も今晩も、自分のお代は各自で払うこととして。あのような勝負は無かったことに致しましょう。その方がきっと双方のためですよ〉
半蔵〈ええ、わたしの方は宜しいのですが、今の時点で半七さんは勝っておったのに宜しいんですか?〉
半七〈ええ、構いませんよ。最初にこの遊びをやろうと言い出したのもわたしですしね。その責めを折〝半〟するのも如何なものかと(トわざと「折半」の語を用いる)〉
半蔵〈はは、ここでまた折〝半〟ですか。今となっては何でこんなことに躍起になっていたのやら、不思議でなりません〉
半七〈そうですね。でもまぁ、これで改めて我々二人の仲も直ったということで、そろそろ参りましょうか〉
半蔵〈ええ、飛んだ災いでしたな〉
【勘定を済ませ、両者は和気藹々と店を後にしようとします。明るく会話しながら、元の遊びの期限でありました店の敷居を跨いで往来へと出るその直前に】
半蔵〈いや、それにしても我ながらここまで言葉が出て来ないものかと思いましたよ〉
半七〈それは、わたしも同様でした〉
半蔵〈いやいや、半七さんは結構言葉が豊かなように見えましたよ。それゆえわたしもかなり苦戦を強いられた訳で。それに比べたらわたしなど、ここに到るまでずっと散々で、こてん〝ぱん〟にやられておりましたし(トまったくの無意識に「こてんぱん」の語を使って、その直後に二人は店を出て店先の往来に立つ)〉
半蔵
半七〈(両者同時に気付いて)あっ〉
了
【落語台本】双半々(ふたつはんはん) 紀瀬川 沙 @Kisegawa
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