第四幕
四、両国橋米沢町側橋詰の場
【血相変えてやってきた悪友二人に若旦那が連れて来られた場所は、大川に架かる両国橋の袂であります。広小路の向こうには、大川にそそぐ神田川と、神田川に架かって華やかな花柳界へと繋がる柳橋が見えておると言った具合】
若旦那 〈フゥ、疲れた。もうずいぶん走りましたよ。こんなところへ連れて来て、私に何を見せようってんですか?うちじゃ大変なことがあったんですから〉
悪友二 〈いや、もう着きました。ところで、若旦那、あっしらは昨夜仲の方へと御一緒に行きましたよね?覚えてらっしゃいますか?〉
若旦那 〈ええ、そうですよ。しかし・・・その帰りからの記憶がどうもおぼろげなんです・・・。ちょっと酔い過ぎていたようで・・・気付いたら家におりましたよ〉
悪友一 〈やっぱり、若旦那もそうでしたか。いやね、あの時は若旦那ほどにゃあ酔ってなかったあっしらも同様に、家にどう帰ったか知らネェが、目が醒めたら家にいたんですぁ。これはどうもおかしいと思ってましたらね、突然こいつが顔を蒼くして飛び込んで来やがったんです〉
悪友二 〈ああ、俺も二人とまったく同じだったんだが、俺は寝覚めの悪いまま、神田川を両国橋の方へとブラブラそぞろ歩きしてたんですぁ。そしたら!アァ・・・畜生・・・・(ト悲痛な声を上げ半ば泣きベソをかいて俯く)〉
若旦那 〈どうしたんです?急に〉
悪友二 〈ウッウウ、あれを御覧なせぇ(ト川岸を指す)〉
若旦那 〈ん?あれ?はて、大川から何か揚がったんですかね?〉
悪友二 〈そぞろ歩きしてると、両国橋の方で、沈んだ舟と一人の土左衛門が揚がったって騒ぎがありまして、あっしも野次馬根性で向かったんです・・・。そしたら本当に舟が・・・それともう一つ、土左衛門が揚がってたんですぁ。それがそこに・・・〉
若旦那 〈そりゃあ、お気の毒に・・・。私達も竹屋の渡しから舟に乗りましたが、こんな災難に遭わなくて本当によかったですねェ。危ない、危ない。明日は我が身ですからなァ〉
悪友二 〈違います、違います。俺だって認めたくはネェですが、ありゃあどっからどう見ても、この俺なんですぁ!〉
若旦那 〈はい?何と?あれが?あなた?んな訳きゃ・・・〉
悪友一 〈いや、若旦那、こりゃどうも本当らしいですぜ・・・。俺も確かめましたが、本当にこいつでした。舟も俺等が仲からの帰り、向島に行くとか言って乗った舟だったんです・・・。若旦那、まだ舟での事、思い出せませんかい?〉
若旦那 〈えっ?舟でのことと言いますと?舟で・・・ウゥン、あっ、確か絵に描いたように見目麗しい女の人と同乗してましたな!あとは何とも・・・。けど、土左衛門がこの人・・・てことは・・・てことはですよ・・・(ト土色の顔)〉
悪友一 〈あっしらが思い出したことを言いますとね、舟の中でその女の連れの無宿人みたいな成らず者と喧嘩になったってことなんですぁ。笠を深く被ってて、その笠を取ると藪睨みで顔には刀傷、腕には彫り物をした男でした。それで喧嘩になって、船頭がしきりに俺等を止めたんですが、結局どちらも舟の上で暴れ回って・・・この通り舟が・・・〉
悪友二 〈そして今ここに、沈んだ舟と俺の土左衛門が打ち揚げられてる・・・(ト泪の中につぶやく)〉
悪友一 〈向こう岸じゃ、さらに土左衛門が揚がったらしい・・・。船頭仲間が確かめて、あの時の船頭らしいですぜ・・・。多分まだ若旦那と俺は・・・川底に・・・〉
若旦那 〈(茫然と聞いていたが突如)ウゥム、無宿人、ならず者・・・アッ!思い出した!!舟で一緒だったあの桜の彫り物の男!そうか、そういうことだったのか!アァ、悔しい、悔しいィィ(ト地団駄を踏む)〉
悪友一 〈うっうう・・・若旦那、無念でしょうが、こればっかはもうどうにもならねぇ・・・。寿命だと思いなすって・・・〉
若旦那 〈まこと無念だよ!毎年はるばる井の頭の池まで詣でてると言うのに!何が霊験あらたかだ!うぅ、悔しい!〉
悪友一
悪友二 〈え?若旦那、何のことですか?そりゃあ?井の頭の池?〉
若旦那 〈私ら他の男の願いが叶えられないのも、舟が沈むのも道理ですよ。何てったって、絵に描いたような美しい水の神、弁天にゃあ、あのやくざ者の情人(いろ)が居たんですから!〉
了
【落語台本】浮世舟(うきよぶね) 紀瀬川 沙 @Kisegawa
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