Track.9-21「そう呼ばだいでぐだざいっ」

   ◆



(――少し、時間掛け過ぎですね)


 安堵の嘆息は虚空に消える。屠り去った合計五体もの腐肉の竜ロトンワームは全てが霊銀ミスリルへと還元されて霧散した。

 愛詩が弦創して放った幾多もの【千陣の棘】ミリアッドソニアもまた、交戦が終了したことで霊銀ミスリルへと還る。


「もういいですよ」


 振り向いた愛詩は、建物の影に隠れていた咲を呼び戻す。ひょっこりと顔を出した咲は影から出て来ると周囲を警戒しながら愛詩の傍へと駆け寄る。


(流石に追加があったのは吃驚しましたけど……この程度ならまだいけるみたいですね)


 経験不足による自身の戦闘能力に懸念を抱いていた愛詩だったが、交戦の最中でかつての力を取り戻していくのを確かに感じていた。

 彼女が全盛期としている前周のクリスマスライブにはまだ程遠いが、弓削邸での交戦の時よりは戦える程度にはしている。


「行きましょうか」


 こくこくと頷き追従する咲とともに、愛詩は再び目標の建造物へと歩く。

 途中、新たな腐肉の竜ロトンワーム異骸術士リッチと交戦を重ねたが、その度に力と技術を取り戻していく愛詩にとってもはやそれらの幻獣・異骸は敵では無く。


 二人は1時間ほどかけて、漸くその建造物の目の前に到達した。


「これって……」

「新宿駅、のようですね」


 やがて風化しそうな看板は、かろうじて『JR新宿駅』と読み取れる。


「じゃああれがアルタ?」

「えっと……すみません、私、都民じゃないので判らないです」

「え、どこ?」

「あ、はい。新潟です」

「えー、通りで可愛いと思った!知ってる?新潟県ってさ、日本で一番女子高生が可愛い都道府県なんだよ?」

「そ、そうなんですか……」


 こんな状況にも関わらず元気な咲に愛詩は呆れ、しかし何処となく漂う同じ雰囲気に、もの悲しさが心を衝く。


「……ねぇ、本当に大丈夫?さっきからちょくちょく辛そうな顔してるけど」

「いえ、大丈夫です。本当に……本当に、大丈夫ですから」


 思わず涙ぐみそうになる顔を振って前進した愛詩の手を取った咲は、ぐるりと彼女の前に回り込んでその歩みを阻む。


「大丈夫じゃないよ。君が大丈夫でも、わたしがそうじゃないから。わたしが何かやるたんびにそんな顔されたら堪ったもんじゃないよ」

「……ごめんなさい」

「何で君が謝るの?君が何か悪いことしたの?何もしてないと思うよ?」


 真っ直ぐに見詰めてくる眼差しは、やはりよく似ている――似ているどころか、殆ど一緒だ。

 違うことと言えば、その視線の高さと、虹彩の色くらいで――観念するように、愛詩は涙を溢した。


「ごめんなさい」

「だから、……あー、もうっ……」


 そんな愛詩を、正面から咲は抱き締める。背中と頭とに回した手で、「よしよし」と撫でながら。


「う、うぐっ……っ、」

「あー、えっと、……いとちゃん?」

「そう呼ばだいでぐだざいっ」

「あ、ごめんごめん。でも聞いて?あのね――敵来てる」


 咄嗟にバッと身体を引き離した愛詩はまだ涙の零れている双眸で振り向いた。

 そして眉根を寄せて睨み付けた先には、廃れた新宿駅に入ろうとする二人を追い詰めるようににじり寄る、幾多もの異骸術士リッチの姿。


 ぐっ、と両手首で涙を拭った愛詩は周囲に無数の矢を弦創する――その先端からは、敵それぞれの頭部に真っ直ぐと伸びる不可視の霊銀ミスリル軌道レールを結んで。


「――空気ぐらい、読んでぐださいっ!」


 そうして放たれた【千陣の棘】ミリアッドソニアが迫り来る異骸術士リッチたちを穿ち、後退させ――るも、流石に数が多すぎると判断した愛詩は咲の手を取って新宿駅東口から駅構内へと入り、階段を駆け下りた。


 愛詩は振り向きざまに階段をとざす形で無数の霊線を張り巡らせる――しかし魔術をも行使する異骸術士リッチ相手には時間稼ぎにしかならない。


「いとちゃん、どっち向かうの?」

「だからっ、その呼び名は本当にやめてくださいっ!――駅の最下層まで突っ切ります!」

「最下層って?一番地下ってこと!?」

「そうですっ!つまり――」


「「――都営大江戸線ホーム!」」



   ◆



「成程ね」


 階層が下るにつれその建物が何の建物であるかを理解した世尉は独り言ちる。

 しかしその確証は無く、世尉には大まかに“どのような建物であるか”は判っても、“どの建物か”までは知り様が無かった――無論、ここは異世界である。世尉たちが住まう真界ではないのだ、見知らぬ建造物である可能性の方が大きい。


 だが、埃を被ったその表示盤を見たときに合点がいった。同時に、何故あの場所で異世界のゲートが開かれたのかという問いも晴れた。


「ここ――小田急百貨店だね」

「え?」


 すぐ後ろを歩いていたはららは驚きの声を上げる。まさかこのような異世界に、自分が知る名称があるとは思ってもいなかったのだ。


「孔澤流憧の異界とは、中期以降は現実をモチーフとしていることが多い。ここもまた中期の作品だろう……」

「どうして、孔澤流憧の作品だって……」

「――多くの魔女は現実からの乖離を望む。現実では満たされず、現実には望めないから異なる世界を創るんですよ。だが孔澤流憧は違う――あくまで彼は、現実を犯し尽くすことを至高の悦びとする魔女だ。現実をモチーフとしておきながらここまで荒廃させ、かつこれだけの規模の異界を使役できるのは彼以外にはいないのさ」


 そこまで語ったところで、世尉はポケットで鳴り響き出した自らのスマートフォンを取り出すと、その画面をタップした。


「そろそろ掛かってくるかなって思ってたよ」


 通話の相手は彼のビジネスパートナー、コーニィドだ。


「悪い、手間取った」

『いいよいいよ、こうやって君が接続してくれているだけでも有難いんだから。因みに、コゥ君は一人かい?』

「いや――こっちは二人。森瀬、じゃない……芽衣さんと一緒だ」

『そうか。四月朔日さんはそっちにはいないか……』

「それは心配ない。俺の協力者が一緒にいる」

『協力者――あの若い弦遣いか』

「ええ、そうです。これから世尉さんに周辺地形情報と位置座標を送ります。合流ポイントも」

『助かるよ。じゃあ、後ほど――気を付けてね』

「世尉さんこそ――」


 通話を終えたコーニィドと、自らのスマートフォンの画面を見比べる芽衣は首を傾げている。


「お前のは使えねえよ」

「え、何で?」

「そりゃ俺が使ってるのが魔術士用だからだ」

「そんなのあるんだ……ねぇ、叔父さん無事だった?」

「ああ無事だ。安心しろよ、生半可な魔術士とは組まねぇさ。お前の叔父さんは、ガチでバトったら負けるかもってぐらい半端ない」

「え、そうなの?」


 芽衣は思い返す。芽衣が知る世尉はいつも穏和で、語り口調も丁寧だ。腰が低く、確かに身体能力や魔術の腕は確かだったが、眼前の異世界人魔術士に引けを取らない強者というイメージは無い。


「さ、行くぞ」

「うん」


 そして二人は、『JR新宿駅 南口』と掠れた看板の下を潜る。すぐ目の前には無人のJR改札が並び、しかしコーニィドはそこを抜けずにすぐに左へと折れた。


「改札通らないの?」

「行き先が違う。ってかお前“霊視”イントロスコープどうした?」


 告げてコーニィドは何も無い虚空を。慌てて【霊視】イントロスコープを両目に施した芽衣は、その上で目を凝らし、コーニィドの指に摘ままれたひどく細い透明色な霊線に漸く気付いた。


「俺の協力者が伸ばした奴だ。これを辿って行けば合流できる」


 そして再び弦を辿って歩き出すコーニィドの背中を、芽衣は追従する。

 階段を下り、周囲の警戒を怠らずしかし僅かばかり足早に――そうして二人は、糸遊愛詩・四月朔日咲の二人と合流を果たした。

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