Track.9-15「ワゥ!ニンジャガール!」

   ◆



 慌ただしい日が続く。

 ゴールデンウィークは全てレッスンに費やした。とは言ってもすでに始まっているツアーの場当たり・確認が主な内容。

 芽衣がそれに参加することは勿論無い。


 だから彼女がやることと言ったら、メンバーたちの練習風景を眺めながら合間合間でドリンクやタオルを渡したり、別仕事で不在となっているメンバーの代わりに伝達事項をメモして次に来た時にそれを伝える役割だったり。

 その中で、一人別室で基礎ダンスレッスンや基礎ボーカルレッスンを受けた。


 何しろ彼女はお披露目会デビュー前に離脱したのだ。他のメンバーに比べると一年近い空白ブランクがある。

 追いつくためには死に物狂いにならなければならず、かと言ってそれだけの隔たれた時間を直ぐに取り戻せるわけでも無い。

 とりわけ彼女は不器用だった。身体を動かすダンスレッスンならまだしも、歌唱力に関して言えば素人同然だ。

 しかしだからこそ光る直向ひたむきさが、彼女の歌声には宿っているとトレーナーは頷く。



『おつー 順調?』

『うん がむしゃらって感じ』

『そかそか』


 個人レッスンの休憩時間には大切な友人とメッセージアプリで遣り取りを交わした。どんなに辛いことを、厳しいことを言われても、彼女から貰った応援のことを思い出せば塞ぎこむ暇など無いと思えた。


 ゴールデンウィークが終わると、芽衣は復学を果たす。

 去年の夏頃から不登校気味だった彼女だったが、元々は真面目な生徒、進級の為に必要な単位はギリギリ取れていた。

 しかし必要な知識は足りていない――RUBYルビのレッスン以外にも、取り戻さなければならないことは多かった。


 慌ただしい日々が続く――レッスンに勉強に、そこに魔術も入るからだ。

 叔父との魔術の訓練は三日に一度、2時間程度のものだったが、その分宿題は多かった。

 しかし躰術のひとつである【集中力増強】コンセントレーションを修得した下旬には、慌ただしさへの身の入り方ががらりと変わった。


 それは、アイドル活動に魔術を取り入れるという芽衣の当初の目論見通りの結果を上げる。

 活性化された霊銀ミスリルにより極端化された集中力で臨んだレッスンも勉強もそして魔術の訓練も。そのどれもが、スポンジに垂らされた水のように芽衣の経験として深く沁み込んだ。




 6月になると、池袋駅周辺であるひとつの噂が立つようになる。


 ――この街には、がいる。


 そしてその正体は、躰術の訓練に勤しむ芽衣だった。

 脳機能を強化する【集中力増強】コンセントレーションとは異なり、機動力を高める【瞬発力増強】ジャッカルアジリティや疲労・怪我の回復を迅速にする【治癒力増強】ディーアヒーリング、跳躍の高さと精度とを高める【跳躍力増強】ガゼルジャンパーと言った躰術は実際に身体を動かしてこそその効果の程を推し量れる。

 だから芽衣はそれらの躰術を修得すると、世尉の付き添いで人通りが多く道が入り組んでいる池袋駅周辺で“鬼ごっこ”を訓練の一環として始めたのだ。


「じゃあ今夜は、僕が鬼になろう」

「時間制限は?」

「そうだね――30分。まず芽衣が逃げて、その5分後に僕がスタートする。そこから30分間が勝負」

「わかった」


 一応、芽衣はゆくゆくはRUBYルビの遅れてやって来た二期生メンバーとしてお披露目される予定である。オーディション時に顔も割れていることから、帽子を目深にかぶってマスクを着け、顔バレしないようにしている――マスクはそれ以外にも呼吸機能の向上という目的もあるが。


「じゃあ、用意――――ドン」


 合図と同時に駆け出す芽衣。その下肢には活性化した霊銀ミスリルが色濃く循環し、アスファルトを蹴る力強さと運足の効率性を高めている。しかし。


(――まだ、霊銀ミスリルを流す精度が粗いな)


 霊銀ミスリルの流れ・動きを視通す【霊視】イントロスコープの込められた双眸で去り行く芽衣の身体を眺めながら独り言ちた世尉は、しかし感想とは裏腹に微笑んでいた。

 彼自身、伸び代の多々残された発展途上の逸材に心で舌鼓を打っているのだ。愛弟子の行く末はアイドルだが、魔術を巧みに利用するアイドルというのは、今の所存在しない。


(面白いことになるといいけど――――まぁ、楽しむのは彼女だ)


 さて行くかと呟いて。

 より強靭な健脚を発揮した世尉は、色とりどりの光で溢れ返る夜の街に消えた芽衣を追って走り出した。


「ワゥ!ニンジャガール!」

「ウップス、ワッツ!?」

「ヘイ!ニンジャフェァマリィ!」

「ニンジャ!?ウェア!?」


 その名が知れ渡るのは、偶々来日していた忍者好きが高じ過ぎたアメリカ人大学生の一団が奇跡的に撮影した動画をSNSで拡散したからだ。

 そのため梅雨時期の池袋駅周辺には、忍者を探す外国人観光客の姿が普段の倍ほど増えた。




 7月――全国ツアーも大詰めだ。芽衣は相変わらず、ステージには立たずにビブスを被ったレッスン着の格好で舞台袖に立ち、RUBYルビのメンバーの雄姿を目に焼き付けていた。

 勿論、袖に引っ込んだメンバーにドリンクやタオルを渡したり、待機しているメンバーに出番を伝えたり、と言った手伝いは彼女の立派な役割だ。


 ステージには立てずとも。

 その役割があるからこそ、彼女は自身がRUBYルビの一員なのだと信じられた。


 そして。


 ステージに立てないからこそ。

 必ずあの場所で、みんなのように自分も輝くんだと――そう、強く悔しがることも出来た。



「え、咲チケット申し込んでたの?」


 久方ぶりの丸一日完全休日オフ――新宿駅の南口改札で合流した芽衣と咲はショッピングに繰り出していた。


「うん。もうさぁ、マジRUBYルビのチケットって普通に倍率在り得ないんだよね、どんだけやってももう当たる気しない」

「そっか……」

「だってさ、芽衣ちゃんはステージには現れないけど、もしかしたらほら、上手いこと席取れたら袖の奥にいる芽衣ちゃん見れるかも、って」

「あ、ありがと……」


 ふふんと笑む彼女の表情は依然天使と変わりない――咲の笑顔が満面に咲く時、決まって芽衣は気恥ずかしくなってしまってつい顔を背けてしまう。


「まーたそうやってぇ。どうして芽衣たんはわたしのお顔を見てくれないんでつかぁ?」

「か、……可愛すぎて……」

「やぁん、ありがちゅー」


 尖った唇が窄められ、背けた芽衣の頬にちろりと触れる。

 そうでなくても満面の笑みにやられてしまっている芽衣だ、キスの施された頬を俄かに紅潮させ、あわあわと慌てふためいた。


「芽衣ちゃんの方が可愛いんですけどー!」


 南口を出て国道20号線を横断して対岸のアパレルショップが混在するデパートへと入った二人は、実に女子高生らしい――少しいびつだが――遣り取りをしながら展示・陳列された衣服を見て回る。


「ごめん、トイレ行ってきていい?」

「じゃあここで待ってるよ」


 30分程練り歩いた後で芽衣はトイレへと発つ。

 壁に背を預けてポケットからスマートフォンを取り出そうとした咲だったが、肝心のそれが見当たらない事に気付いた。


(あれ?落とした?)


 芽衣が入っていったトイレをちらりと見る。勿論、入りたてだからそんな直ぐには出て来ないことは分かっている。

 瞬間的な逡巡――落としたとしたら直前のショップの中か、若しくは店舗そこからトイレここまでの間。

 店から出る際に通知が来て見た、それを仕舞う時にやってしまったかと予測する彼女は、遂には近さから探しに離れることにした。


(ちょっとだから、多分大丈夫――)


 そう思い立って振り向いた、その時。


「あの」

「え?」

「これ、落としましたよ」

「え?あ――」


 見知らぬ第三者――差し出されたのは探そうとしていたスマートフォンだった。

 落としたところを見ていたんだろう、実に親切な人だな、というのが最初の感想。


「ありがとうございます」

「いいえ――」


 改めて見てみれば、自分よりも背の高く、そして愛らしい容姿をした少女だ、というのが咲の抱いた二番目の感想だ。


 ほんのりと紫がかった髪の毛は右耳の斜め後ろで一つに纏められた横結びサイドテール

 眉の高さラインで切り揃えられた前髪と、その両サイドですとんと落ちる触角。

 円らな目とふっくらとした頬、色づいた上下の唇から僅かに覗く白い歯。美人と言うよりは可愛らしいと表現したくなる顔貌。

 ふくよかとまではいかないも全体的に肉付きのいい肢体――特にGカップはあるだろうと思われる確かな胸の膨らみは、奥ゆかしそうな雰囲気と相俟って煽情的だ。


 着ている学生服から同年代の女子高生だと察知した咲を、しかしじぃっと彼女は見つめていた。


「あの、わたしの顔に何かついてます?」

「え?あ、いえ……ちょっと、知り合いに似ていたので、つい……」


 ぺこりとお辞儀して踵を返した彼女の背を、咲はどうしてだか見送った。

 ぱたぱたと小走りで去っていく少女。


「ごめん、待った?」

「え?ううん、全然?」


 トイレから出てきた芽衣は、通路の先を眺めている咲に不思議がり、それを晴らすように咲は今しがた起きた出来事を話す。

 そうしながら二人は、買い物の続きを再開させるべく改めて店内を歩き出した。

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