Track.9-14「当たり前だよっ!」
◆
5月――常盤総合医院を退院した芽衣は一か月と少し振りに帰ってきた自宅のアパートの一階に住む大家に先ず謝った。
自殺未遂などと言う大事をしでかしてしまったこと――それを深く頭を下げて謝った彼女を、大家である老女は優しく抱き締め、二度とそんなことはしないと約束をするのなら、引き続き住んでもいいと彼女を許した。
それから大家に叔父である世尉より、彼女の両親の他界と自身が後見人として彼女の今後の面倒を見ることが語られた。
大家は俄かに涙ぐみ、再度芽衣を抱き締めた。芽衣もまた、その少し曲がった小さい背中に手を回して撫でた。
その顔は、泣き笑いのようなまだぎこちないものだった。
叔父に手伝ってもらいながら自宅の整理をする芽衣のスマートフォンにその連絡が来たのは20時になるかという時間だった。
「はい、森瀬です……」
入電の相手はマネージャーの西田だ。彼女曰く、週明けの月曜に事務所へと来るように、とのことだった。ゴールデンウィークということもあり、その日のレッスンには
「急だけど大丈夫?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、必ず行きます」
短い通話の最後、西田は芽衣に「頑張ろうね」と告げて切った。
芽衣はスマートフォンの着信履歴をしばらく呆けたように見ていたが、ぎゅっとそれを握り締めると今しがたのことを世尉に報告する。
「あー……その日のその時間は、悪い、打ち合わせが入ってる。送れないけどいいか?」
「ううん、大丈夫。一人で行くよ」
「帰りは多分、迎えに行ける」
「ありがとう。じゃあ、お願いしてもいい?」
「分かった」
そして5月3日、月曜日。午後1時38分――芽衣は約束通り、青山一丁目駅を出てすぐそこにあるソニック・エンターテイメント社ビルの二階、リーフ・アンド・ウッド合同会社オフィスにいた。
その日のレッスンは午後2時から――すでにマネージャーとの段取りも済ませ、久しく味わってこなかった緊張に身を縮こませながらその時を待つ。
一面が鏡張りのレッスン室には、
彼女たちは「レッスンの前に大事な話があるから」とその形で待つように指示されている。レッスンは既に始まっている全国ツアーのポジションやライブアクトなどの確認と場当たり。だから全員が自分の名前が印字されたビブスを着用している。
――ガチャリ。
西田がドアを開け、全員の視線が開いたドアに集まり、それを送る目は全てが俄かに見開かれた。
「……すみませんでした」
メンバーたちの正面に立った芽衣は、一番最初に頭を下げて謝罪した。
彼女の身体を固くさせている緊張は、その奥に恐怖を根ざしている。
芽衣の抱いている恐怖とは、“自分は受け入れてもらえないかもしれない”という、自己肯定感の低さから来るものだ。
もしかしたら、という期待を簡単に打ち崩す芽衣の自身の無さ。それは幼少の頃から続く悪癖・悪習慣とも言えるもので、両親からそこまで期待されずに育った経緯が助長した。
誘われて応募したオーディションに残っていったことで徐々に薄れつつあったそれは、しかし誘った張本人でありオーディションには落ちた比奈村実果乃や周囲の悪意により復活を遂げ、そして
今、一度は潰えた希望は、四月朔日咲というかけがえのない出遭いにより息吹を取り戻した。
しかしだからと言って、森瀬芽衣の持つ絶望が消えたわけではない。
受け入れてもらえないかもしれないという恐怖は、絶望は、確かに彼女の心の深くに傷痕を残している。
痛みが消えたとしてもその傷痕は消えないだろう。まるで、彼女の左腕に走る幾つもの蚯蚓腫れのように。
その闇と、芽衣はきっと一生をかけて闘っていかなければならないだろう――それほどのものなのだ。
しかし、だからこそ振り絞る。
かけがえのない友人から貰った勇気を、精一杯絞り出す。
受け入れてもらえなくてもしょうがない、それだけのことを自分はやったんだと、投げ出してしまったんだと自分に言い聞かせながら。
それでも心から、この場所に戻りたい、
そうやって訥々と、しかし確りと語る芽衣の言葉は染み渡っていく。
自分がどんな目に遭って来たのか。
自分がどんな気持ちでいたのか。
それを言葉にすればするほど、段々と嗚咽と涙が溢れ――
「――頑張れ!」
その声を発したのは、二期生の
芽衣と同じ東京都出身であり、芽衣の自主練によく付き合っていた彼女こそ、あの日彼女に手を上げそうになった張本人だった。
それを発端として、芽衣にいくつもの言葉が降り注いだ。
頑張れ。
頑張って。
頑張ってください。
メンバーたちは口々に芽衣を励ました。
深呼吸を繰り返し嗚咽を噛み殺しながら。
そして芽衣は、自殺をした経緯と自ら緊急通報をしたこと、運ばれた病院で大切な友人を得られたこと、ほんの少しだけれど笑顔を取り戻したことを、掻い摘んで話した。
その姿はまるで、巨悪に立ち向かうために奮起した、勇者のようだった。
「――あたしは、――っ、――また、――
「当たり前だよっ!」
堰を切ったように駆け出したメンバーたちはその154センチメートルの小さな身体を抱き締めた。
最後にゆっくりと近寄ったリーダーの土師はららは。
「――おかえり、リセ」
そう告げて、泣きじゃくる芽衣の黒い髪を撫でた。
◆
『――――見ぃつけたぁ』
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